episode7 sect55 ”迅雷と伝楽”
遠くで立ち上る土煙や雷鳴を頼りに、おでんは車を走らせていた。正確には、民連軍から巻き上げた車を、ベルモンドに、運転させていた。まあそれは些細なことだ。
少し前から戦闘の余波が車の位置まで届いて来なくなったが、元よりおでんは迅雷の居場所に見当がついていたため、迷うことはない。
「ベル、もっと飛ばせ」
「ちょ、おでん!?やめろ!アクセル離せ!」
「心配するな、民連軍は建物に突っ込んでも普通に走り続けられる」
「俺はお前らほど再生力ないの!!」
「うるさい黙れ。わちきの身長では満足に運転出来ないんらから仕方なかろう。あと、2人ほど分身を作っておけ。人手は多いに限るからな」
ベルは仕方なく、おでんの指示に従った。
「はぁ・・・酷い日だよ。オドノイドの恩人だから助けてやりたいっていうのは分かるんだけどさぁ、俺がここまでする義理あるのかな」
ベルの愚痴にまともに取り合ってくれるような相手はここにはいない。仕方がないままに2人を乗せた車は、ボロボロに崩れた民連の国会議事堂に到着した。
破壊された正門の内まで堂々と四輪で進入し、おでんとベルは車を降りた。さすがにここからは手探りだ。
「じゃあ中は頼むぞ、俺」
「えー・・・やだよ恐いじゃん、まだ敵いるかも。お前行けよ、俺」
「俺だって嫌だし」
「ひとり漫才しとる暇あったら働け」
おでんは、自分の分身と捜索場所の分担で揉めるベル×3のケツを蹴って、適当な2人を屋内の捜索へやった。ベルの分身はどれが本体というのは決まっていないため、どの個体が死のうがいずれか一体でも残っていれば問題ないのだが、死にたくない個同士の集まりだと考えれば揉めるのも仕方あるまい。もう1人の自分に宿題をさせたいのなら、大人しく青いタヌキが机の引き出しから現れるのを祈る方が手っ取り早いかもしれない。
もっとも、ベルたちが恐がる敵の御大将は屋外組がすぐに発見した。
「ひっ!?・・・って、死んでる、のか・・・?真っ二つだもんな・・・こわぁ」
他にも、損壊の激しいイノシシ系獣人男性の死体も発見されたが、肝心の迅雷の姿はない。
「おでん、そっちはどうだった?」
「いいや、おらん」
拾ったものを懐に仕舞いつつ、おでんは天を仰いだ。ベルの様子を見るに、建物の中もまだ見終えてはいないらしい。ベルは分身同士テレパシーで感覚を共有出来るから、見つけたらすぐ連絡があるはずだ。
もっとも、まだ探し始めて3分も経っていないのだから仕方ない。更地と化した外と違って、屋内は瓦礫で視界も悪いはずだ。
「焦ることはない。ジャルダ・バオースは死んでたろ。なら時間は十分―――」
ある、と言いかけて、おでんは言葉を詰まらせた。遠いが、背後になにか得体の知れないものが出現した。
おでんとは向かい合っていて、つまり彼女の背後の景色を見ていたベルは、一足先にその威容を目の当たりにして、硬直してしまっていた。
すぐさまおでんも振り返った。
(なんだあれは!?)
知らない。
どうする?
人間界のプロジェクトにあんなものはない。
すなわち敵方の新戦力。それもトップシークレット。
だが、死体?それはつまり―――。
仮称『屍赤龍』。現段階で性能は全くの未知、ただし推測は可能。
皇国が独自開発した生物兵器技術の転用であるとするならば『黒閃』を使ってくる可能性は限りなく100%に近い。単純なサイズ倍率で考えればその規模は―――。
「ベル!!伏せろ!!」
推測・決断・行動。ここまでわずか1秒。
「おでん、居た!!501、2人!!」
幸か不幸か。屋外組のベルを待機させ、おでんは下駄を脱ぎ捨て大地を蹴り出した。
「は・・・ははっ。ははははッ!ちくしょう!!美味しい役回りを頂いて光栄の極みなのら!!」
こんなところでリスクを冒すはずじゃなかったのに。腹立たしくて笑えてきた。
素直に壁の穴から入るのでは間に合わない。501号室の位置に見当をつけ、風魔法で一気に飛翔、同時に黒色魔力を開放する。おでんの臀部から、彼女の髪と同じ白銀の毛並みを持つ尾が7本生えた。
(最高効率・・・!!)
着物の袖からクナイ手裏剣2本を抜き、その刃の表面に風の刃を生む術式を多数刻みながら投擲、クナイが壁に刺さった直後に魔法が起動して、おでんが通れるだけの穴が空く。
必要最小限の破壊に押さえることで塵埃発生量を抑制、視界良好。
突入と同時に眼球をフル稼働させて位置を確認。ベルの分身を発見。手を振っていた。良い判断だ。
再び風魔法で推力を得つつ、おでんはトレードマークの仮面を外して右目の封を解く。
細い光線がおでんを追い抜いて501号室に差し込む。
(間に合え・・・!!)
おでんが部屋に飛び込んだとき、光は、アーニア・ノル・ニーア・ニルニーヤの胸を貫いていた。
その隣に救うべき少年を見つけ、おでんは怯まず彼の腕を手繰り寄せる。
「アーニア―――」
「離れろバカ!!」
ほとんど体に力が入っていない迅雷をアーニアから引き離すのは容易だった。そのままおでんは部屋を飛び出し、尾で自分と迅雷を包み込んだ。この尾はおでんの黒色魔力で形成しているため、『黒閃』に耐性があるからだ。
しかし、これではまだ致命的に防御力が足りない。
「闇遁妖術、幽ノ玄楯!!」
ベルの分身を呼び込み、おでんはギルバートの得意魔法である空気壁を模倣、黒色魔力で補強した防御魔法を全周に三層展開した。それ以上は、時間が許さなかった。
全てを消滅せしめる規格外の『黒閃』が到来した。
その、衝撃が、空気壁に触れて。
「ッな、あああああああああああああああああッ!!」
一瞬で一層目の空気壁が砕け散った。二層目も2秒と保たない。必要以上に壁を維持しようとするな。脳に負担がいく。三層目にヒビが入った。すぐ目の前で荒れ狂う三途の濁流に汗が滲む。
「もう保たん!!悪いベル、死んでくれ!!」
「くそ・・・!!絶対に守れよぉぉぉ!?!?!?」
分身による分身の生成。ただ肉の壁にするためだけの魔力密度カッスカス分身だから、秒単位で量産できる。生まれた分身は、生まれた瞬間に与えられた全魔力を一気に放出しながら『黒閃』を体で受け止め、刹那もこの世を見ることなく、血の一滴も残さず消し飛んでいく。
ベルの分身は、わずか3秒で全て死滅した。
「こんなところでぇぇぇ―――ッ!!」
だが、3秒。
その3秒で準備は整えた。
これが最後の悪足掻きだ。
おでんの右目から闇が溢れ出し―――。
○
遙か彼方からの『黒閃』が止んだ。屋外で地面に伏せていたベルは、ゆっくりと顔を上げた。
「もうなんなんだよぉ、これぇ・・・」
ベルが生きていたのは奇跡だとしか思えない。『黒閃』が通った一直線上は、街が消えていた。立ち上がれば、ここから2、3キロは遠くのマルス運河まで見通せて、反対を振り返れば、目立つものはなにもなかった。
「おでん・・・おーい、生きてる・・・?」
ベルの分身は一人も生き残らなかった。だったら、おでんは、迅雷は、どうなった?遠くでまだ動き続ける屍赤龍を警戒しつつ、ベルは僅かな瓦礫だけを残して跡形無く消し飛んだ国会議事堂跡を探した。空気中に漂う凄まじい濃度の魔力残滓に頭がクラクラする。
(探すって言ったって・・・)
人が埋まるほどの瓦礫など片手の指で数えるほどしかなかった。そして、そのいずれの下にもおでんたちの姿はなかった。冗談のような光景だった。
「ちくしょう、なんで俺がこんな思いしなくちゃならないんだ・・・」
もう諦めて帰って良いのではないだろうか。こんな状況では、いかなあの天才少女も生きてはいまい。ベルは今日、もう十二分に頑張った。いつもの自分からは想像出来ないほどの快挙だ。だからもう、泣きながら帰って、恐い思いをした分ロゼに慰めてもらおう。・・・こんな目に遭うくらいなら、おでんに協力なんてしなければ良かった。なにもしないで見殺しにする後悔の方がまだマシだ。
「車は―――」
車も、ダメそうだ。「多分車だったんだな」といった感じの、辛うじて残ったフレームの一部が転がっているのみだ。
「転がって・・・・・・転がって、かぁ」
ベルは嫌そうに嘆息して、国会議事堂のさらにずっと向こうまで続く荒野に目を向けた。
「・・・タオのやつが羨ましいと思ったのは初めてだ」
呵責するほどの良心さえなければ素直に諦められたのに。ひょっとすると、死への道を舗装する善意はなにより自己の内から生じているのかもしれない。
ベルは駆け出した。どこまで吹き飛ばされたのかも分からない、仲間の名を叫んで。
(ニート志望のこの俺がここまでしてるんだからな?頼むよ、結局この世に髪の毛一本も残っていませんでしたなんてオチだけは勘弁してくれ・・・!)
分身を作るのは、またあの『黒閃』が飛んできたときの保険だ。ベルの予想がおでんと一致しているなら、そのようなことは起こらないはずだが、生存策は打って損はない。人捜しの手も増やせるし。
息を吸って吐くほどの調子で愚痴をこぼしながら、ベルは焦土に残る物陰という物陰を掘り返して回った。そうして1キロは進んだあたりで、触ってもないのに崩れるコンクリートの塊に気付き、すぐ駆け寄ってその塊を取り除いた。
「―――ああ、いた・・・」
だいぶ土で汚れてしまっていたが、白い着物と、その下のなまっちろい肌が見えた。ベルはすぐに、他の細かい瓦礫もどかしてやった。
おでんは、ちゃんと五体満足でその下にいた。迅雷も、彼女に抱かれる形でなんとか生き延びることが出来たようだ。
「勇気を出して探した甲斐があった」
「知らんが、もっと早く来てくれよ」
「意外だな、そんなにアテにしてたのか」
「図に乗るなよ」
五体満足とは言ったが、おでんは瓦礫の下敷きにされていた両足が折れていた。骨を潰したままのし掛かる重量物のせいでうまく再生出来ず、自力での脱出が難航していたようだ。
「ちきしょー。これじゃあ全然スマートじゃないな。魔力もすっからかんなのら・・・」
オドノイドであるおでんは、体内の黒色魔力が一定値を下回ると急激に衰弱し、最悪、死に至るリスクを抱えている。それほど消耗することは滅多にないことだが、あの『黒閃』から生還するのは訳が違った。
とはいえ、おでんはベルと違ってオドノイドとしては完成した個体だ。いちいちモンスターの肉など食わずとも、適当に栄養を摂っておけば自前で十分生存可能な量の黒色魔力を生み出すことは出来る。おでんは保険で着物の懐に忍ばせていたレーションを、水でも飲むような勢いで平らげて、控えめな噯をひとつした。
これが秒単位で魔力に変換されるわけではないが、回復が約束されていれば今残っている分の魔力を運用する余裕は出るものだ。
「さて―――」
おでんは、改めて隣にいる迅雷を見た。さっきからずっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたままで、表情がピクリとも動かない。
「無理もないな。守ったはずの女が目の前で消し炭になれば思考も凍るさ」
おでんの言葉が、迅雷に現実を再認識させた。だが、迅雷がなにかを言うより先に、おでんは彼の言わんとすることを理解して告げた。
「アーニアはどうしたって救えなかった。わちきが追いついたときにはもう手遅れらった」
「・・・・・・」
「あれが千影でなかったらけでも良かったと思え。お前も生きてることらし、上々じゃろう」
冷酷なヤツだ―――迅雷は再会したおでんに、そのような印象を抱き直した。別に、慰めて欲しいわけじゃない。追いつくのが遅れたと悔やんで欲しかったわけでもない。ただ、おでんは、アーニアの死について少しの胸の痛みも感じていないように見えたからだ。
おでんは、早くも片足の骨を再生し終え、ベルの手伝いも受けて立ち上がった。
「迅雷、今お前、わちきが冷酷なヤツらと思ったろ」
「え」
「ベル。迅雷にも肩を貸してやってくれ。両足のふくらはぎを削がれているみたいらからな」
「はいはい。・・・えっと、や、やぁ。迅雷・・・君?えと、俺はベルモンド。おでんや千影とはオドノイド仲間。よろしく」
「・・・よろしくお願いします」
こんな空気で明るく自己紹介なんて出来るワケもなく、ベルは気まずそうに迅雷を担ぎ起こし、歩き出したおでんに続いた。迅雷の痛ましい姿と、ジャルダの壮絶な死に様を見れば、とんでもない死闘があったことは容易に想像出来た。
迅雷は普通の人間だ。失った手や耳は元には戻らない。迅雷がそこまで傷付いて守ったアーニアが、ああまで理不尽に殺されたことを思うと、おでんの突き放した態度はベルにとってもあまり良い気分ではなかった。
考えていることを的確に言い当てられて不快げにしている迅雷を振り返って、おでんはクツクツと笑った。
「お前は表情に出やすいからな」
「そういうおでんは、なに考えてんのか分かんなくて恐いんだよ。千影が信頼してるみたいだから、もっと良いヤツだと思ってたのに・・・」
「なぜわちきがお前の期待通りに動かなくちゃならない?約束通り、お前と千影が死なんで済むようには手を打ったろう」
「は・・・?」
―――死にたくないなら2日目の夜までに帰ってこい。
―――そうならんようにわちきも色々と手を打ってやるから、あまり気にするなよ。
確証なんてない。だけど、なんだか、気付いてしまった感じがした。
「まさかお前・・・こうなるって最初から分かってて、アーニア様はどうなっても良いと思ってたとか・・・言わない、よな・・・?」
「否定はしない」
事も無げに、事もあろうに、おでんはあっさりと認めた。
迅雷の目の色が変わる。漏れ出す電流に触れたベルは、弾かれるように迅雷の体を離してしまった。
「テメェ人の命なんだと思ってんだ!?!?!?」
千影も騙されている。こんなヤツを信用してはダメだ。迅雷は、民連に来てからずっとこの狐の掌の上で踊らされていたと確信した。
怒りに任せ、迅雷は折れた右手を振りかざした。剣は握れずとも魔法がある。一発くれてやらなきゃ気が済まない。一気に10は下らない数の『サンダーアロー』の魔法陣を展開し、収束させて『パニッシュメント・アロー』に変換、迷いなくおでんに叩き込んだ。
しかし、横薙ぎの落雷はおでんと庇ったベルの分身を焼いて消えた。害するつもりのなかったベルの絶叫で、迅雷は竦んだ。
「な、なんで止めんだよ!?」
「頭冷やしてくれよ、こんなところで喧嘩している場合じゃないでしょ」
「ッ、でも!!」
迅雷の放つ鬼気は、まだ余力のあるベルでさえ思わず後ずさりそうになるほどだ。一撃で昏倒させられた自分の分身の意識が伝わってきたせいだろう。それでもなんとか気を張って、ベルは暴れ出しそうな迅雷の右腕を掴んで押さえた。
「否定はしない。・・・が、あの女を野放図にしておけばどのみちこの国は皇国と正面から事を構えて滅んでいた。そのとき戦争に巻き込まれるのはわちきであり、ベルであり、千影であり、そして迅雷、お前じゃ。『ノヴィス・パラデー友好条約』はそのためのものらった」
改めて語ったおでんは、再び歩き出した。迅雷も仕方なく、ベルに助けられながらついていく。
「なんで・・・そう言い切れんだよ。なんでお前はそんなこと知ってんだよ」
「説明したって迅雷が傷付くらけらぞ」
「は。お気遣いどうも。さすが、おでんはなんでも知ってるんだな」
「迅雷・・・」
「なんでも知ってんならさぁ・・・教えてよ・・・・・・俺、どうしたら良かったんだ・・・」
怒りも不満もすり抜けて出てきたのは、どうしようもない問いだった。本当にやり場がないのは、この喪失感だった。全力を尽くして、恐くても我慢して、ただアーニアを守りたくて、頑張ったのに、勝ったのに。だったら結局、どうしたら良かったのだろう。
「わちきはお前のカウンセラーじゃない」
このときの迅雷には分かりようもないことだが、多分、これより気の利いた返事はなかっただろう。余計な二言目はなかった。
轟音は、遠くで今も続いている。グロテスクな赤色に彩られた未知の巨大怪獣は、今にも全てを破壊し尽くさんばかりだ。いつまた迅雷たちの方を向くかも分かったものではない。
「千影は無事に逃げたのか―――?」
ふとおでんの口からこぼれたその一言で、迅雷は、今は溜飲を下げようと思った。受け入れがたいことばかり起きて、言い表しようもない無力感に心がすり潰されそうだけれど、それでも、迅雷はもう死んでも良いなんて風にだけは思えないから。
「きっと大丈夫だよ。だって、千影だろ。急ごう。おでん、ベル」
「あぁ、急ごう」
ベルがようやくホッとした顔をしたときだった。背後から甲高い奇声が聞こえて、3人は弾かれたように身構えた。
しかし、だんだん近付いてくるその奇声は、迅雷には聞き覚えのある声だった。
「とぉぉぉしなぁぁぁりくぅぅぅぅぅん!?」
「す、李さん・・・?」




