episode7 sect53 ”キツネとブドウ”
考えるまでもない。
考えたくもない。
考えなくて良い。
答えなんて、初めっから決まってる。
動けるはずがない迅雷が、血を垂れ流しながらゆらりと陽炎のように立ち上がる。
「フザけんじゃねェよクソが」
色々浮かんだ罵倒のアイデアの数々も、口から出た途端に、そんな安直な暴言に化けてしまった。
死に体の迅雷の内側で膨れ上がる殺意をまともに浴びせられるジャルダは、しかし、笑ってそれを受け入れた。
「そぉれも良いだろぉう」
両足の腓腹筋を断たれた迅雷は、手首から先のない左腕を3本目の足にして、へし折れた右手に『雷神』を拾う。まるで人間になり損ねた獣の如く歪な姿だ。
応じて、ジャルダの姿も再び6本腕の異形へと歪む。
考えようともしてくれないというのなら、惜しいが、仕方ない。今度こそ殺す。
「茶ぁ番はぁ、これにて終い。かかって来いよォ、神代迅雷ィ!!」
直後。
ジャルダは、迅雷の体から、闇のように真っ黒な、なにかが噴き出すのを、見た。
(黒色魔力・・・!?)
「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
雷に打たれた、と錯覚した。
一瞬のことだった。
ジャルダ・バオースの右半身は、斬撃を防ごうとした剣もろとも粉々に砕けていた。
「おげっ、ぉあああああぁぁぁぁぁぁあ!?」
「フーッ―――!!」
迅雷は、迸る闇で尾を描きながら、有り余る速度で空間を縦横無尽に駆け回る。
走っていた。立てるはずのないその足で。
剣を振るって見せた。骨が粉と化したその腕で。
「ハハ・・・ハハァハハハ!?さっきまではぁお遊びでしたとでも言ぃぃうかぁ!?」
違う。そんなわけがない。迅雷は初めから全力を尽くしていた。
異変が起こったのだ。
今、この瞬間、神代迅雷は異様、あるいは異常な状態にあった。
しかし、ジャルダにもひとつ、確信を持って分かることがあった。
神代迅雷は、捨て身だ。
彼の纏う闇に血が混じっていた。彼自身の体から溢れ出す血液だ。人体の限界を超越した運動負荷が、全身の組織を破壊しているということか。
だが、捨て身故に、あの少年は強い。ジャルダ・バオースよりもずっと、恐ろしく強力だ。
狂気的暴走、実に結構。
負けてはいられない。ジャルダだって、こんなところでくたばるわけにはいかないのだ。
「うぐゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・ッ!!」
誰ぞこの美しく歪んだ世界の王たるべきや。その座に己の存在意義を見出したが故に、ジャルダは己が特異魔術に『不全にして全能』の名を冠することとしたのである。
全ては愛する故国のために。
よもや戦いの後のことを考えるのは無粋だ。『不全にして全能』をフル稼働させ、ジャルダは己の肉体を歪に、より歪に、なおいっそう歪に作り替える。失ったものは捨て置き、人体には不必要なパーツを出鱈目に付け加え、生物として成立するかも疑わしい不足と蛇足の化身に身を窶す。
『不全にして全能』は歪な存在を祝福する。故に、極限まで合理性を捨てた異形がジャルダの力を最大限に増幅して
「オオオオアアアアッッッッッッッ!!」
咆哮。
剣閃。
瞬く間。
歪な肉体。
崩れて。
「速いぃいいいいいいいいッ!?」
ただ暴れてるだけじゃない。
迅雷は今、片手用魔剣の刃渡りでは致命傷を与えづらい大型モンスター対策に編み出した四連斬の剣技魔法『万雷』を見事な足運びで繰り出した。
「シィィィィィッ!!」
「こォのォォォォッ!?」
ジャルダは後頭部に眼球を作る。本来あり得ない位置に生じた視覚は、本来あり得ない性能で迅雷の動きを追う。さっき、ジャルダが背後に回り込んだ迅雷を、振り返ることなく叩き斬ったのも、この蛇足眼球の超視覚によるものだ。
だが。
「遅ェ!!」
「んがあぉぉぉぉぉぉぉ!?」
一閃、見えども防げず躱せず。
ジャルダの抵抗は、そこで尽きることとなる。
迅雷は、自分でも超えてはいけない領域までアクセルを踏んでいることを理解していた。血管が、筋肉が、神経が、一歩ごとに悲鳴を上げている。このままだと本当に壊れるぞ、と。
だが、もう、止まらない。
ナメクジ同然にまで相対速度を失ったジャルダの、肥大化する肉体を片端から削ぎ落とし、彼を守る剣も盾も腕ごと叩き斬り、こちらを睨むその醜悪な顔面に回し蹴りをぶち込む。
砲弾のように吹っ飛ぶジャルダ。
でも、迅雷は、砲弾よりもっと速い。
纏う闇が唸りを上げる。生まれるのは暴風。
迅雷は一歩の踏み込みでジャルダに並ぶ。
目が合う。
「「――――――」」
恐怖の色。なにを恐れる。死をか?死にたくない。誰だってそうだ。・・・知ったことか。迅雷は、もう、止まれない。
光に迫る、速すぎる一太刀は。
雷霆に勝る、重すぎる一太刀は。
あまりにも軽い手応えと共に、ジャルダの肉体を上下に斬り裂いた。
●
俺はなにをやってるんだろう―――。
大事な左手を斬り落とされたとき、迅雷はそう感じずにはいられなかった。
たった一人で戦って、無事に切り抜けられるはずがないことくらい、分かっていた。
でも、アーニアのような人が殺されるのは本気で嫌だ。それに、テムの遺言を聞いてしまったし、見つけたアーニアを無理矢理連れて逃げる選択も出来なかった。自然な恐怖心の頭を押さえ付けて格好付けたせいで、もう引き下がれなくなっていた。
だから、なんとしてもこの戦いを生き残る方法を考えるしかなかった。ジャルダの無駄話など生返事に、迅雷はひたすら考えた。
そうして、ひとつの可能性に思い至った。
その記憶は2度存在する。1度目は、アルエル・メトゥとの戦いのとき。もう片方は、ギルバート・グリーンに刃向かったとき。どちらも、立てなくなるまで傷つけられた千影をなんとか守りたいと願ったときだった。その瞬間、迅雷は黒い嵐のようなものに包まれ、尋常ではない攻撃力を発揮した。
今、改めて思い返せば、あの現象は恐らく焦りや激情で魔力が暴走していただけだったかもしれない。しかも、そこまでやってもアルエルには勝てなかった。しかも、一度ああなると、魔力切れ寸前になるまで魔力の放出を止められなくなってしまう。
切り札なんて格好の良いものじゃない。勝っても負けても後がない。リスクしかない。唯一のリターンは、迅雷が今この場でジャルダに殺されずに済むこと。それも、勝てれば、だが。
だがもはや、そのたったひとつのリターンを得るために、やるしかなかった。
ジャルダは、アルエルよりは弱い。戦って得た感触だけを信じて、迅雷は最後の賭けに出た。
●
止まらない魔力の流出。破損した筋肉を『マジックブースト』で強制駆動させたせいで、至るところの血管が破裂したり腱が断裂してしまったりと、予想以上に散々な有様だ。飛ぶように流れる視覚情報に無理に追従させた目も痛む。殴られた右目の視界が異様に赤い。
「フーッ、フーッ・・・・・・」
剣を杖にしてもまだ覚束ない足で立つ迅雷の視線の先にあるものは、上半身だけとなって腸をクラゲの足のように垂らしゴミ同然に転がった、ジャルダ・バオースだった。
ジャルダは、そんな姿になってもまだ浅い呼吸をしていた。だが、もう肉体を新たに作る気配はない。奇跡でも起きない限り、ジャルダはこのまま死を迎えるだろう。
《飛空戦艦》を駆り、数多の騎士、兵士を引き連れて民連を火の海に変えた実行犯の大ボスだ。罪なき獣人を無差別に殺戮し、平和を願って交流式典に参列した人間たちを虫のように薙ぎ払い、エンデニアの首を刎ねて晒し、テムを無惨に解体し、アーニアまでも犯し殺そうとした鬼畜だ。迅雷は、ジャルダの留まるところを知らぬ暴虐に楔を打ったのだ。
・・だというのに、ざまあみろの一言も出ない。
これが、こんなアッサリした感触が、人を斬った感触なのか?迅雷は今、人を殺したというのに。人を―――。
「ひ、とを・・・?」
心臓が跳ねた。
急いでジャルダから目を逸らしたが、手遅れだった。
「うっ――――――!?」
胃の中身を全部吐き出した。
自分は一体、今、なにをしてしまったんだ?
取り返しの付かないことをした。子供でも分かる、やってはいけない罪を犯してしまった。今度こそ人として終わってしまった確信が、胃を締め上げていた。
ジャルダは紛れもなくクソ野郎だった。死んでも迅雷にはこれっぽっちの不利益を生まない。むしろ死んでくれた方が安心すら出来そうな男だったはずだ。なのに、なんでこんなに後悔をしなくてはならないのか。いいや、ダメだ。そんな思考ではこの苦しみからは逃れられない。理屈ではない。迅雷のごく良識的な理性がレッドカードを出してしまった。迅雷がどんな言葉を考えても、もはや自分自身を擁護出来ない。
人を殺してはいけない理由を、今はっきりと理解した。単純だ。人を殺すことが、いけないことだからだ。他の理由なんて罪人の心に追い打ちをかけるため後付けに過ぎない。斬った相手が親の仇だろうが、まだ幼い子供を持つ人の親だろうが、関係なかったのだ。あらゆる思考の段階をすっ飛ばして、殺人は純粋に大きな罪だったのだ。
糸が切れた人形のように、迅雷は地面にへたり込んだ。呆然―――声も出せないで空を見上げる。月がふたつあって、ふたつともあっちこっちせわしなく揺れ動いていた。
「どうだね・・・神代迅雷。初めて人を殺す気分は」
背後の声に迅雷は震えを思い出した。
「やめ、て・・・」
「ちゃぁんと見ろよぉ」
「やめて・・・」
「見ろよ」
「やめて・・・」
体だけが、死者の声に誘われ勝手に動く。再び見るジャルダの姿は、直前となにも変わらない。
「・・・よろしい。よく見たな。忘れるなよ」
ジャルダの声色には、ふたつの色があった。自らの命を奪った敵への憎悪と、無垢な少年を諭すようなお節介だ。
「神代疾風を・・・疑えよ。あぁんなのに憧れるとなぁ、私好みの人格が歪んだ狂人にしかなれんぞ。普通でなくなっちまったんだよ、君。いいや、元々普通でないのだよ、君。異常であることを自覚しろ。責任を持て。真っ当な人間でいろ。その苦しみを忘れるな。・・・でぇないとぉ・・・私がぁ、趣味に興じた隙を突かれて死んだと思われちゃあ敵わんだろぉ。せぇめて、私の家人にゃ、正しく恨まれてくれよ」
ジャルダは、今際の際でも驚くほどよくしゃべった。何度も気管に入り込んだ血でむせ返り、咳のひとつごとに命の灯火がフッと消えかかるのが目に見えるようだというのに、最期まで余計や無駄を楽しまずにはいられないということか。
「そぅら、行けよ、人殺し。私はお前に最期を看取れとは言っとらん・・・・・・」
「・・・なんなんですか・・・最後の最後で・・・ちくしょう・・・」
こんなことがあって良いのだろうか。礼は言うまい。互いに人殺しだ。
許された活力と、僅かに残った魔力で、迅雷は立ち上がった。望んでいた結果とは大きく異なってしまったが、迅雷は勝って生き残った。アーニアを守る目的も達せられた。迅雷の時間はまだ動き続けている。であれば、どのみちなにかはせねばならないし、やること願うこと全て戦いの前後でなにも変わっていない。
「・・・帰ろう」
●
戦闘の音が止んでから、10分ほど経った。扉の蝶番さえ残っていない会見室の入り口で足音がして、アーニアはうっすらと目を開いた。
語るべきと思ったことは全て語った後だ。その足音の主が神代迅雷とジャルダ・バオース、どちらのものであるかに拘ることはすまいと、覚悟を決めた。
「どなたですか?」
「俺です。迅雷です」
アーニアが出迎える必要もなく、迅雷は扉の形をした壁の穴から姿を見せてくれた。
「トシナリ様―――よく、よく、生きて、戻ってくださいました・・・!」
無事でないのは明らかだった。右目の腫れは酷く、右耳と左手は欠損し、残った肢体も魔力で辛うじて動いているだけだ。
だが、アーニアは彼の生還を心から喜んだ。
迅雷も、アーニアに微笑み返した。数歩、歩み寄りながら誘うように右手を差し出す。散々な思いはしたが、お互いなんとか生きて再会出来た。罪の清算はいずれ。今日のところは上出来だ。
「さぁ、戻りましょう、アーニア様!」
「えぇ、ありが
一条の細い閃光。
時が停止した。
光はどこからともなく現れて、アーニアの胸を貫いていた。
止まった世界の中で、アーニアの視線は彼女の胸元へと落ち、再び迅雷へと戻って来た。
そうする間にも、夢が醒めるようにアーニアの体が解けていく。
「アーニア 「離れろバカ!!!!」
誰かの絶叫と同時。
国会議事堂は跡形もなく消滅した。




