episode7 sect40 ” Into the Sea of Pseudorandom Numbers ”
他愛ない。実に他愛ない。
術を使うまでもない。技を見せるまでもない。
人間など、魔法士など、敵ではない。
血塗れの大剣を焼けた地面に突き立てて、七十二帝騎第十三座の老騎士、ビュート・ポステタは溜息を吐いた。
『飛空戦艦』から輸送機で出撃してマルス運河の内岸近辺に降下したビュートは、早くも肉眼でニルニーヤ城を捉えるところまで接近していた。彼は単騎であったにも関わらず、彼を止められる者はここまで一人すらも現れず、故に彼の通った跡には城へ逃げようとしていた獣人たちの死屍累々が絨毯の如く広がっていた。
ようやく出逢った人間の魔法士も、ビュートに身の危険を感じさせるほどではなかった。恐らくは人間界のアメリカとかいう国の大統領を護衛していた魔法士だろう。確かに腕は立つようだったが、七十二帝騎制度の前身制度の頃から第十三座の騎士であり続けるビュートの前では赤子も同然であった。
「せっかく我輩が剣を取ったのだから今一歩、血湧き肉躍る戦いがしてみたいものだ」
紅の炎に照らされる白亜の城を見上げて、ビュートは主であるアスモの言葉を思い出す。七十二帝騎に与えられた任務は、街も城も焼き尽くして、民も王族も皆殺しにすることだ。そして、あの城には街中の獣人たちが避難して集まっている。このまま歩みを進め城を襲撃するのが常道だろう。・・・が、それではもはや退屈を通り越してナンセンスだ。
「このビュート・ポステタにかような瑣末事は似合うまい。であろう、姫、そして我が戦友ジャルダよ。あぁそうだ、せっかくだ・・・この機に人間界最強と謳われるあの男を討ち取り、今一度我が名を魔界全土に轟かせるとしようか!!」
無警戒な獣人の国の無防備な城を落とすことなど、もはやビュート以外のひよっこ騎士どもにでも、いくらでも務まることだ。であれば、ビュートはこの戦場を思う存分に楽しむのが道理だ、そのはずだ。
噂に聞く《剣聖》とやらの実力はいかほどか。想像するだけでも血潮が滾る。ビュートはこの昂ぶりを求めて重い腰を上げたのだ。主人の命がなんだ。皇国の騎士はその力を示してこその存在なのだ。
ニルニーヤ城を目前に踵を返したビュートは、しかし直後、背後で急激に膨らむ存在感を察知して振り返った。
「なんだ・・・?地震か?」
地面が縦に震えていた。遠くから響くのは、建物が軋む音だ。思い当たる特異魔術の持ち主はいる。その七十二帝騎もこの近辺で力を振るっているということだろうか―――ビュートはそう考えたが、真実は間もなくして彼の正面にまで到達した。
大地を削り取って、蛇のようにのたくって、唸りを上げて迫り来る。
それは、七十二帝騎の誰でもなく、ヒトですらなかった。
黒ずんではいるが、見間違うはずもない。現れたのは、恐ろしく巨大な植物だった。あまりにも大きすぎて、それが根なのか茎なのか蔓なのかも判然としない緑の猛威に、ビュートは目を見開いた。
「おお・・・・・・ふはは、ふははははははッ!!植物!!植物か!!面白い!!そして我輩を狙うか!!良いだろう!!《剣聖》の前に貴様から相手をしてやるぞ!!死に物狂いで我輩を愉しませるが良い!!」
●
ルニアが運転している装甲車には、今も次から次へと戦況報告が舞い込んでくる。その内容をまとめた限りでは、現状、確かに民連軍が皇国の戦闘機部隊に対して優位に立っているようである。ルニアとテムが豪語するだけのことはあるわけだ。
「ところでトシナリさん。さっきの、あの騎士は何者だったのかしら?かなりの手練れに見えたけど」
「”七十二帝騎”って名乗ってました」
「七十二帝騎・・・んー、にゃるほど。向こうも本当に一切手加減ナシってことね・・・」
こうなってくると、心配すべきは空戦より地上だろうか。ルニアは敵の脅威度を民連軍基地の作戦本部に伝えて、要所の防衛も地上ルートを固めさせることにした。
しかし、ルニアの指示には予想の斜め上の返答があった。
「・・・え、増援?どこに?管理施設?橋にも?え・・・で?魔法士の?・・・違う?でもIAMOだって言って・・・あーもうちゃんと整理して話せーい!!」
ルニアが通信機にプンスカすると、装甲車の中からは下半身しか見えないテムがビクリを震えた。どうやら今の通信は彼も聞いていたらしい。なにが起きているのやら、迅雷と千影は互いに顔を見合わせた。
通信機の向こうのオペレーターは口下手なのだろうか。やきもきするルニアの運転が雑になってきた。ただでさえ乗り心地のビミョーな車で左右に激しく揺られては堪ったものではない。
「うぇっぷ・・・ぐへぇ・・・」
「待って千影、それだけは待って!!」
「そんなこと、うぷ、言われてもっ、おぅっ」
そういや千影はさっきの戦闘でロビルバに思い切り腹を踏みつけられていたんだった。普段からハンカチを持ち歩く習慣すらないやぼてん野郎の迅雷が「そんなこともあろうか」などと得意気にエチケット袋を取り出せるワケがない。
「あっ、あー!!千影ほら!そろそろ城に着くから、見えてるから!お願い耐えてーっ!!」
「わ、わーい・・・ボクがんば―――」
無情にも、装甲車がなんか大きい感じの瓦礫を踏んだ。
う
「お
ふ」
千影の顔から生気が完全に消えた瞬間、迅雷は反射的に千影の胴を寸胴鍋よろしく引っ掴んで、既にテムの体で埋まっている装甲車の搭乗口に無理矢理突っ込んだ。
「おっ、おっ(女の子はゲロなんて吐きません)」
「エグいっ、手を伝わる生々しい痙攣がエグいっ」
「・・・・・・・・・・・・」
狭い搭乗口で千影とピッタリ背中合わせにされたテムは完全なる無言だ。下手に口を開けるともらいかねない。
1分ほど目を回した千影は、やっと落ち着いてきた。
「あうぅ・・・き、今日は散々だぜぇ・・・」
まだ車体の揺れは収まらない。いっそもう少しこうして車の外に顔を出していようかと考えた千影は、顔を上げて、「え?」と声を上げた。
なぜなら、今現在装甲車が通っている大通り周辺が、謎の巨大植物に覆われていたからだ。
千影のトドメを刺したあの揺れの原因は、瓦礫ではなく地面を這う太い蔓だった。その謎の植物には、ところどころに黄色い花が咲いていた。
「この花・・・・・・」
ひょっとしたら、千影は知っているかもしれない。
「とっしー、ルーニャさん。ボク、分かったかも」
「分かったって・・・千影、それはどういう?」
「さっきルーニャさん言ってたよね。ボク知ってるかも。増援の正体」
車内に体を引っ込めた千影は、端的に彼女の得た答えを提示した。
「ボクの同類だよ」
●
唖然。
被害ゼロ、捕虜6名。
「お、来たな。遅かったじゃないか。仮眠の取りすぎか?まぁ夜らしな、仕方ないさ」
外見の幼さには見合わぬ不敵な笑みと共に、白銀の怪物は民連軍を出迎えた。
●
「ふ、ふふふ。ふふふははっ。・・・フザけるんじゃあない!」
ジャルダは苛立ちに任せて手元のモニターを殴り潰しそうになった。
「・・・まぁ分かる。我が私兵団の航空戦力が民連にぃ?遅れを取りうる可能性はぁ、まぁ分からんでもない。だぁが、こぉぃつはいただけんなぁ・・・!」
歩兵部隊の損耗率が想定していたよりだいぶ、かなり、ぶっ飛んでいる。
もっとも、元々の想定値が低すぎたせいでこんな狂った被害規模っぽく見えてしまっているだけ、というのも否めないことではある。事実として、ジャルダの放った私兵団も連れて来た七十二帝騎たちも、十分に残虐非道な殺戮の限りを尽くしている。
しかし。
しかしだとも。
常識的に考えて、よくよく考えて、平和ボケして牙をも失いつつある獣どもの街に世界最高峰の狩人たちを放ったとしてだ。1人2人ならいざ知らず、何人もの精鋭が不覚を取るなどあり得るだろうか?未だあの《剣聖》の目撃情報もない内に?
「・・・なぁにかおかしなのが混ざっとるなぁ。フフフ、それもとびきりの異物。面白いじゃぁないか」
あるいはまだ見ぬ強敵の出現に一種の喜びを感じるべきとも言える。自慢の私兵団を返り討ちにされたのは気に入らないが、これはもはやジャルダの変えようもない性だ。
そして、ジャルダがこの異変を歓迎したと同時に《飛空戦艦》へ通信があった。ジャルダはそれを艦橋に繋がせる。その通信は、早い段階で人間界からの応援を断つべく『門』の管理施設の制圧へ向かわせた拠点制圧専門の部隊が持っていた通信機と同じ番号からだったが、スピーカーから聞こえてきたのは全くしらない少女の声だった。
『やぁやぁどうも、誇り高きテロリスト諸君。この通信はIAMO本部臨時編成特務班のキュートなリーダーちゃんから1024キロヘルツでお送りしてるぜ、べいべー』
なぜか通信帯域までバレている。どこから機密が漏れたのかは全くの不明だ。しかも人間(?)のくせにペラペラと魔界語で話、あまつさえ挑発までしてきた。
『ひとまず街中で銃弾をバラ撒くトンチンカンを6名ほど拉致ったのら。無事に返して欲しくば今すぐ兵を引け。あと民連に慰謝料も払え』
「断る」
『じゃろーな。OK、なら互いの勝利のため存分にやり合おう、ジャルダ・バオース侯爵』
通信はそれで途切れた。
ジャルダはすぐに通信に用いる周波数の変更を命じ、そして考えを巡らせた。
あの声の主は、なにをどこまで知っている?だがなぜその情報アドバンテージを見せびらかす?阿呆でもなかろう。
答えは2つ。ヤツはこの程度の優位性などチリ紙同然に使い捨てられるほど余裕綽々ということか、もしくは―――。
ジャルダは不敵に笑う。奇しくも挑発の主と同じように、いやらしく。
「総ぉぅ員に伝えろぉう。決戦だ。奴さんも焦りは隠せていないようだぁ。首都上空に到達し次第最終ステップに移行しようじゃあないか」
●
敵兵から奪った通信機の電源を切り、銀髪碧眼に着崩し着物と狐面の属性過多少女、おでんはひとつ深呼吸をした。
「な、なぁおでん、これから一体どうなるんだ・・・?」
機械越しに敵の御大将と話をしたらしいおでんに不安そうな顔で訊ねたのは、赤い髪の少年・・・・・・少年?それとも少女?とにかく、赤い髪が特徴的で、恐らく高校生くらいの年頃に見える中性的な外見の人物だ。名前は”ナナシ”と呼ばれている、オドノイドである。
ナナシは先ほどおでんが話していた内容を全く理解していない。別にナナシの頭の出来が悪いからとかではなく(まぁ出来が悪いのも事実だが)、おでんが魔界語で喋っていたからだ。まだ意思疎通魔法を掛けてもらっていないナナシには分かるはずがない。
おでんはナナシと向かい合い、オツムの足りないナナシでも一発で分かるよう簡潔に会話の内容を整理した。
「御大将煽っちゃった、てへっ☆」
「ああああああああああああああッ!?もうやだぁなんでこんなヤツについて来ちまったんだよーッ!!」
「安心しろ、お前の命はわちきが最大限有意義に消費してやるのら」
「酷い!?俺、死ぬの前提!?」
「死にたくなければ死ぬ気で生き残れ。みんなそうしてる。大体、オドノイドにはそれくらいしか生きる方法なんてないらろ?―――少なくとも現時点では、な」
「違いないね。・・・けど、もしかしたらその今が変わるかもしれない。変えられるかもしれないんだ。あぁ、そうだ。ならもうひと踏ん張りくらいしてやんなきゃだよな、大将」
「そうさ。そのためにも千影と神代迅雷をここで失うワケにはいかないのら。そら、分かったらとっとと呼吸を整えておけ」
ナナシを焚き付けたなら、次は、だ。おでんは管理施設の防衛を担う民連軍部隊の隊長を呼んだ。呼ぶ、と言っても遠くにいたわけではなく、話をする順番を選んだだけだが。
「状況は聞いての通りさ。ひとまずは引き続き周囲の警戒と捉えた敵兵の監視を頼む。なにぶん、こっちは手が足りなくてな」
「頼みたいのはむしろ我々の方です。あのジャルダ・バオースの私兵部隊を打ち破ったお2人の実力、当てにさせてもらいますよ」
「ああとも。リクエストがあったらドシドシ言ってくれ。全部とはいかないらろうけど、協力は惜しまないのら」
正直言って、おでんという少女は不審に過ぎる。まず子供だし、態度が不遜だし、敵を煽るし、格好がふざけてるし、いちいち言葉のチョイスが胡散臭いし。・・・だが、ここまでの彼女の思考は飄々とした態度に反して極めて的確だった。信じるに値するかどうかで言えば、値する。
民連軍の隊長は部下に次の指示を出すべく、おでんとは別れて行動を開始した。
それからおでんは、管理施設の電話でニルニーヤ城に回線を繋いだ。ただし、呼び出す相手は人間、IAMO総長のレオだ。
『儂じゃ』
「わちきなのら。ひとつ指示を飛ばしてもらいたくてな。頼めるか?」
『いきなり現れて、いきなりそれか・・・まぁ良かろう。お前のことじゃ。考えあってのことじゃろう』
「さすが、物分かりが良くて助かる。用件は簡単なのら。絶対にカメラを止めるな、報道陣にそう伝えろ。良いか、絶対なのら。無理を言っている自覚はあるが、このつまらん諍いの真実は記録に残さなきゃならないのら」
了承を得て、おでんは受話器を置く。ひとまずの仕事は済んだ。あとはおでんも、自分の持ち場に就くだけだ。
「さぁて、と。あとはどこまで『なるようになるか』ってところらな」
白銀の女狐は、誰にともなく嘯いた。
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