episode7 sect39 ”責務”
マルス運河を越えてノヴィスパラデー外縁部まで撤退してきたあたりで、アモンズは地面を小刻みに震わす鈍い音に気が付いた。
「へっ、もうここまで来たか」
アモンズはさっそく、表示が圏内に切り替わった専用の通信機を起動した。
「司令部、第七座のアモンズだ。ロビルバがやられた。一度帰艦したい。・・・あ?マルティムはもう出払ってんのか、参ったな。・・・バカ言え、あんなもんに生身で乗り移れるかよ、死んじまう。あいつの向かった先を教えてくれ」
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「お~し~り~が~い~た~い~」
「用途が用途だから乗り心地まで求めないで欲しいにゃあ」
アモンズとロビルバに逃げられたと気付いた後、迅雷と千影はルニアが運転する装甲車に乗せられて、避難所があるニルニーヤ城に向かっていた。
敵の空爆や戦闘の余波で悪路が増えており、揺れる車内では座っていても小刻みに体が浮いて、ディズニー映画にでもありそうな状態だ。硬い座面にミシンのようなペースで尻を打ち続ける千影が不満そうにしている。残念ながら、これでも座面には一応クッション付きなのだが・・・。
テムは今も装甲車の搭乗口から上半身を外に出して周囲を警戒してくれている。迅雷は、まさかまた会うとは思っていなかった彼の下半身を見上げて、ルニアに訊ねた。
「あのう、ルニア様。確か民連軍ってもう・・・?」
「つまらないことに拘っていてはダメなのよ」
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車を城の地下まで運んだ後、ルニアは真っ先に地下牢へと駆け出した。
険しい階段を全力で駆け上がって、暗く長い階段を落ちるように駆け下りて、文字通りに転がりながら地下牢に駆け込んだ。冷たい石の床に手をつき汗を垂らし、息も絶え絶えだったルニアは、しかしそれでも、まず最初に絶対言わねばならない言葉を叫んだ。
「ごめんなさい!!」
彼女の悲痛な声に、牢檻の内側で座していた男たちは目を開けた。
「私、結局クースィを止められなかった。テム君が、みんながせっかく全てを教えてくれたのに、信じたくない自分がいて、結局・・・だから、本当にごめんなさい!」
「ルニア様―――」
地下にさえ、ルニアが来る前から地上の異変は揺れや人々の声という形で伝わっていた。
そのとき、テムは正直、「やはりこうなってしまったか」と思った。ルニアが民連軍に代ってクースィを止めてくれるとは思えなかったからだ。
ルニアは、あの副首相に対して特別な感情を抱いていた。それはいつも彼女の傍にいたテムたちにとって明らかだった。だから、クースィの暗躍という事実を知ったルニアがどれだけ大きなショックを受けるのかと思うと、クーデターの計画を彼女に伝えられなかったのだ。ルニアが苦悩やジレンマを乗り越えられると思っていなかった。
だから、再びこの地下牢にやって来たルニアの第一声を聞いたとき、テムたちはルニアに強いてしまった苦痛を悔いながら、予め考えておいた慰めの言葉を掛けた。
「謝罪せねばならないのは我々の方です。ルニア様にお掛けしたご負担もご迷惑も決して許されるものではないと認めております。ですから―――」
「テム君」
「・・・・・・はい?」
「それでも、責任は私にある」
だけれど、今このとき、テム立ちの目の前に現れたルニアは果たして―――テムたちが予想していたような彼女なのか?
いいや、違う。
テムたちが予想していたルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤとはなにかが決定的に異なっていた。
「私は、大きな過ちを犯してこの国を未曾有の危機に晒してしまった。―――けど、まだなにも終わってない。そうでしょ?」
ゆっくりと呼吸を整え、再びルニアは立ち上がる。
「責任は全て私が持つわ。だから―――」
テムを射貫いたその眼差しは、テムが知る限りで最も強く、美しかった。
「もう一度、みんなの力を私に貸して!!」
ああ、そうか―――と、テムは口元を綻ばせた。なにかが変わったのだ。ただ燻るばかりで変わりきれずにいたルニアの背中を押してくれる誰かが現れたのだ。
ルニアは覚悟を決めた。ならば民連軍は従うだけだ。
「守るのよ、私たちのビスディア民連を!!今こそあなたたちの本懐を遂げなさい!!言葉の通じない無茶苦茶な連中には相応の歓迎が必要よ!!」
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episode7 sect39 ”イエス、マム!!”
○
ザニアは必死だった。
剣を手にした父を止めるために。
「なりません!!父様!!」
ケルトスの協力要請をレオが受理してくれた。IAMO総長の指揮で魔法士たちが民連に力を貸してくれる。だから、少なくとも国王のエンデニアがわざわざ戦場に出る必要なんてないはずだ。
「ザニア。お前は人間だけにこの国の命運を委ねることが本当に正しいと思うのか?」
「そうは言っていないんだ・・・!!だけどそれは父様の役目じゃない!!年を考えてくれ、無茶だ・・・。代わりに僕が征く!!」
「それは違う。お前は残れ。ここに残るんだ。ザニア、お前は次の王にならなければならない。民と国を守って剣を握るのは、私の務めなんだよ」
頭に乗せられる掌の大きさが、幼かったあの頃からちっとも変わらない。エンデニアから剣を取り上げる術が、ザニアには全くない。
ニルニーヤの血は、革命戦争の英雄の血。一際優れた魔力を宿すことが約束された、強き獣人の証。軍は持たずとも武を捨てず、暴力に訴える敵あらば討ち果たし国を守るのが、象徴時代を迎えた王が今でも持ち続ける使命なのである。
・・・それでも、ザニアはエンデニアの前を塞いだ。もうなにも言えない、ただの我儘だ。
「ザニア・・・そこをどいてくれ。ナーサもアーニアも分かってくれている。お前が駄々を言うんじゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
もうエンデニアの目を見ることすら諦めて顔を逸らしたザニアは、その逸らした視線の先に、行方を眩ませていた妹の姿を見つけた。
「ルニア・・・?」
ルニアもまた、父と兄の姿を見つけて2人の方へ駆け寄った。―――その背後に、もう解体されたはずの民連軍の司令官であるテム・ゴーナンを侍らせて。
「お父様、ザニア兄様!良かった、間に合って。お父様、私、民連軍を動かします。・・・クースィを止められなかった落とし前をつけるの。私と、テム君たちの力で」
「・・・そうか。・・・・・・そうか。止めはしない。お前は、お前の責務を果たすと良い」
「ありがとう。大好きよ、お父様」
ルニアはエンデニアと抱擁を交わした。
そう、責務なのだ。この家に生まれた者として、ルニアには果たすべき役割がある。例え、どんなに恐ろしくても。
力の籠もるエンデニアの腕からそっと離れ、ルニアは微笑む。
「もう行かなきゃ。大切な人たちをあそこに残して来たの」
「ルニア。・・・・・・私もお前を、心から愛している」
エンデニアとの抱擁を終えたルニアは、続いてザニアに対しても両腕を広げた。
「ザニア兄様も」
「待つんだ、ルニア。なんでそうなる!?そんな勝手を許すとでも―――」
「ザニア兄様」
ルニアは、もう一度、強く、ザニアを呼んだ。押し黙った彼を、ルニアは一方的に抱き締める。
「私は許しを請いに来たんじゃないのよ。兄様がなんと言おうと私の覚悟はもう変わらない。これは私の責務なの。だから、ザニア兄様も、ザニア兄様の責務を果たしてね。・・・どーせアレでしょ?お父様に行かないでーって駄々こねて困らせてたんでしょ?私にはお見通しなんだから」
「それはっ、言い方が!」
ザニアを解放したルニアは、普段の彼女らしいイタズラっぽい笑顔を見せた。ザニアは狼狽し、エンデニアは苦笑する。
「大丈夫、ザニア兄様にはその器があると思ってるから。とゆーか、まぁ、結局そんなのぜーんぶ私と民連軍の力で杞憂に終わらせてあげるんだから!ね、テム君?」
「えぇ」
短く簡潔な相槌だったが、軍服に着替えた彼が力強い面持ちで言えば、途端に頼もしくなるものだ。エンデニアにも肩に手を置かれたテムの表情は一層引き締まる。
「ルニアを頼む」
「無論であります」
「死ぬなよ」
「命に代えても」
「なら良し。さぁ、行け」
「は。エンデニア様も、どうかご無事で」
テムを連れ、ルニアはエンデニアとザニアに背を向けた。
駆け去る2人の背に、エンデニアは咆えた。
「武運を!!」
エンデニアも、今までずっと収まらなかった震えが少し楽になったのを感じていた。
エンデニアの希望は、いつの間にかあんなにも大きく、立派に実っていた。これでもう、後ろに心を置いて戦わなくて良い。
「ルニアももう、子供じゃないんだな・・・」
「ルニアだけじゃないさ。アーニアも、そしてザニア・・・お前も、本当に大きくなった」
「・・・ああ。僕も、もう止めはしないよ。それが僕の責務だというのなら」
「それで良い。・・・アーニアとナーサを頼んだぞ」
ザ、と、ピッタリ重なる無数の足音。ニルニーヤ城の衛士たちだ。有事の際、彼らは国を守る剣となる。出征するエンデニアに続く者たちと、それを見送り城の守りを固める者たち。そのどちらもが同じ覚悟を瞳に宿していた。
「さて、行こうか」
「父様も、ご武運を」
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「王様まで戦ってるんだ」
ルニアから、バスで別れてから再会するまでの経緯を聞いた千影は、意外そうな顔をした。それもそうだろう。この国の人々の王族に対する考え方からは、まさか国王を矢面に立たせることを是とするようには思えなかった。
「忘れてもらっちゃ困るけど、ウチは議会制の民主主義国家よ。・・・王族が単なる象徴以上の活躍をするのも、もうこれっきりで良いんだけど、ね」
ルニアとクースィはよく似た2人だった。
自国を守れる力を持つことは決して悪ではなく、魔界で生きる上で必要なことである―――同じ理想を描き、なんとか実現したくてあれこれ考えて。
・・・でも、クースィを突き動かしていた歯車は、その過程のどこかで狂ってしまった。あるいは、年月を経てその歯車は摩耗してしまったのかもしれないし、そうだとしたらルニアもいずれは。
だが、もうルニアは迷わない。クースィに正しい変革の道を示すために、まずはこの無益な戦いを止めて見せよう。
「経緯とか諸々は分かったんですけど・・・本当になんとかなるんですか?」
迅雷は素朴な不安を口にした。ルニアの決断に水を差すつもりで言ったわけではないものの、民連軍が皇国の精鋭部隊を相手にどこまで戦えるのかは未知数だ。
第一に、民連軍の最大の弱点は規模であろう。
本来であれば防衛戦は受け手が攻め手に対し、圧倒的なリソースアドバンテージを持っている。無論、攻め手の本国からの増援を考慮しない、局所的・単位期間的な評価だが、極論を言えば受け手の勝利要因は、その8割以上を空間的・時間的に限定される代わりに約束された”爆アド”に依存するのである。
要するに、初手と言わず時間の許す限りブッパしまくって、敵が仲間を増やす前に押し切ってしまうに限るのだ。何回来たって同じ目に遭わせてやるぞとばかりに激しく反撃して、敵に払う犠牲と勝利が釣り合わないと思わせれば勝ちなのだ。
・・・が、民連軍にはそれほどのリソースがあるのか?いや、恐らくないだろう。背景事情から考えればその方が妥当だ。
まぁ、迅雷がそんな小難しい考察までしてしゃべっているかは別として、しかし、ルニアは顔色を変えなかった。
「もちろん100パーセントなんてないわ。でも、民連軍を見くびってもらっちゃ困るんだにゃあ?ね、テム君」
「えぇ、数の利こそありませんが、我々民連軍の有する兵器類はいずれも皇国のものより一世代先を行っていると思ってもらって良いでしょう。加えて我々獣人の肉体は魔族や人間のあなた方と比べ明らかに丈夫ですからね。特に戦闘機などでは限界加速性能や旋回性能の面で他の追随は許しません」
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まさか、もう一度この操縦桿を握ることが出来るなんて思っていなかった。
状況はまさに最悪だというのに、心は高鳴っている。
敵が街にくべた火で胸の炉に怒りの炎を灯せ。
「アスピダA、敵爆撃機部隊目視」
『アスピダB、目視』
『アスピダC、目視』
『アスピダD、目視』
「奴さんらの機体は見ての通りデカくて機動性が低い。反撃されることは想定していなかったのかもしれないな。―――が、抜かるなよ。確実に1機ずつ墜とせ」
『了解!』
ノヴィス・パラデーにひとつ、ふたつと星が降る。燃え上がる鉄屑の星。
首都攻防の舞台は空にまで広がっていた。
○
『ちくしょう、どうなってやがる・・・!?なぜ民連にあんなものがあるんだよ!!』
皇国の―――厳密にはジャルダ・バオースの私兵団が所有する爆撃戦闘機の汎用性は魔界一のはずだ。火力も、推進力も、旋回力だってリリトゥバス王国や他国家の技術では未だ再現出来ていなかったはずだ。パイロットだって、生半可な技量でやっちゃいない。みな必ず厳しい訓練と試験を経てやっと空を飛んでいる。
だというのに―――!!
『なぜだ!!なぜこうも容易く背後を取られる!?』
爆撃機の役目を兼ねている分、純粋なドッグファイトを志向している民連の機体に対して機動性で劣るのは分かるが、それを込みにして考えて、なお恐ろしい性能だ。交戦開始時点で握っていた数的アドバンテージも数分のうちに覆されてしまった。
『マシン頼みのにわかパイロットの分際でぇ!!』
「よせ、フォーメーションを崩すな!!死ぬぞ!!」
『ッ・・・ならどうするって言うんだよ!!』
「ある意味道理なんだよ、こんなのは・・・!!」
皇国の科学力は民連に一歩劣る。それは認めざるを得ない真実だ。
民連が魔界全土に誇示してきたそのテクノロジーを、もしも軍事応用したらどうなるか。百年の平和を打ち捨てただけの脅威は間違いなく感じる。少なくともパイロットの技量如何でどうこうなる範疇を超えている。
私兵団のパイロットは、自機の燃料残量をチェックして舌打ちをした。爆速全開で逃げに徹していれば燃料の減りが早まるのも当然だ。
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「ま、ざっとこんなところよ。実戦経験は足りないだろうけど、そこは民連らしくテクノロジーとバイタリティで補っていくわ」