episode7 sect35 ”例えるなら、貴女は大きな窓”
「私にだけは、止められたはずなのに」
「それはどういう意味・・・なのかな」
ニルニーヤ城に急行するバスの中で、ようやくまともな言葉を発したルニアに、千影は問い返した。依然としてルニアの瞳は、活発だった彼女とはまるで別人のように虚ろで、目の前の景色とは違うものを見ているかのようだった。
「私ね、知ってたの。でも、信じたくなくって、確かめるのが恐くって、結局なんにも出来なかったのよ。本当、私ってどうしようもなく王族の恥よね。私は・・・私を信じ、てくれたみんなの想いを、裏切っちゃった・・・」
言葉の終わりは嗚咽混じりになりながら、途切れ途切れ、ルニアは自嘲した。彼女の噛み締めた唇からは切れて血が滲み出していた。
昨夜、ニルニーヤ城の地下牢でルニアはテムから真実を知らされた。
まず最初に言われたのが、真にクーデターを画策していたのは、テムたち民連軍ではなく副首相クースィだった―――ということだった。テムたちは混乱を避けようとして、ルニアにまでそのことを隠してきたのだという。
クースィの狙いはニルニーヤ王家を排除した、ビスディア民主連合の完全な民主社会化の達成であり、同時に現在の民連軍とは比べものにならない、本格的な規模の国防軍の設立だったそうだ。王族の狂信的な平和主義思想を否定し、最低限の軍事力の必要性を知らしめるために、クースィは敢えて皇国の騎士らを民連へと招いたというのだ。
偶然にもクースィが皇国と繋がっていることを知ったテムは、その後民連軍の人員も動かして情報の裏取りに尽力した。そうして見えてきた交渉の条件は、クースィによる新政権樹立後、皇国との国交を強化すること。ならばクースィが力を失えば皇国にとって今回の事件に加担する旨味はなくなる。しかし、現状の民連軍の発言権では副首相を弾劾するに足りず、もみ消されるのがオチだ。一方でクースィは民連軍が国民から十分な信頼を得るまで悠長に待っていてくれるはずもない。そう結論づけた民連軍は、クースィの反乱を秘密裏かつ未然に防ぐために昨夜の事件を起こしたのだ。
だが、民連軍は失敗した。そして、牢に囚われた彼らはその意志をルニアに托した。
・・・苦渋の決断だったはずだ。彼らはルニアがクースィをよく慕っていることを知っていただろうから。それでもなお、彼らは自分たちでは及ばなかった想いを、ルニアにしか出来ないことだと考えて托してくれたのだ。
だけど、ルニアはなにもしなかった。
○
ルニアにはなにもない。
ルニアは王家に生まれた者として姉兄より劣っている。
アーニアのような多くの人々を導く能力なんてない。ザニアのような政治や経済の知識も持っていない。
悔しくて色々と挑戦しては両親や周囲の人たちに迷惑をかけ続けてきた。その度に姉と兄に守られて生きてきた。それがまた悔しくて、ルニアはどんどんズレていった。
認めて欲しかった。
褒めて欲しかった。
堂々としていたかった。
なにかを為したかった。
国民から愛されるに足る第2王女になりたかった。
○
「なれるよ」
「・・・・・・ぇ・・・?」
千影が、抱き締めてくれていた。
「ルーニャさんにはいろんなのが見えてるはずだよ。みんなが気付いてないことにたくさん気付いてるはずだよ。誰も思いつかなかったことをいっぱいしてきたはずだよ。それって、とってもすごいことじゃないかな」
ルニアより一回りも二回りも小さいはずの千影の胸が、なぜだかとても大きくて。
顔を上げれば、みんなが微笑んでいた。
「わ、だじは・・・ぁ・・・・・・!!」
「ルーニャさんは、なんにもなくなんかない」
●
「そうかそうか。分かった。ありがとう。もうお行き。出来るだけ遠くまで、ね」
ノヴィス・パラデーでは珍しくもない大きな野鳥は、騎士の言葉を解したかのようにいずこかへと飛び去った。
「アモンズ、標的を発見した。僕の方が近いから先に仕掛けるね。・・・分かってるよ。どっちかと言えば自分の手柄を心配した方が良いんじゃないかい?」
魔術による通信を切って、騎士は移動を開始した。
●
ルニアはまだ涙と鼻水でぐずぐずだ。
千影は、肩を振るわせ縋ってくるルニアの背中を優しく撫でる。
この気持ちは、きっとシンパシーというやつだ。ルニアは千影と似ている。どうしようもないことに責任を感じ、重圧に押し潰されて、どうしたら良いのか分からなくなっているだけだ。
でも、千影は民連に来てたった2日の間で、ルニアが築き上げてきたものをたくさん見てきた。だから分かる。ルニアは光だ。希望なのだ。ルニアには人々を魅せる魔力がある。ルニアがもたらす新しいものに人々は期待していて、がむしゃらに走るルニアのことを、みんなが温かく見守っている。
ルニアには、もう十分に、愛される資格があるはずだ。
ルニアを宥めている千影のことが少し誇らしくなった迅雷が千影のことを撫でていると、バスの目的地であるニルニーヤ城の方から厳しい声が響いてきた。その声に反応したルニアが窓の外を見る。
「父様の声だわ」
エンデニアの宣言は、魔界、そして未だ回線を維持している人間界全土にまで放送された。
『皇国の攻撃は全てにおいて不当な侵略行為である。我々は戦争なき未来のために本式典を開催したのであり、人間界との友好条約締結はその第一歩として全世界に我々の目指す在り方を示すためのものである。アスモ姫が仰っていたような”間接的な武装化”などという事実は一切存在せず、まして”ネコミミ接待”だと?ふざけるんじゃあない!!―――恐怖による支配に固執し変化の波に乗りそびれた憐れな者たちよ、その行為は子供の駄々も同然だ』
既に窮地でありながら、一歩たりとも退かぬ言葉の圧があった。
民連が交流式典を通して手に入れたものは、人間界との関係だけではない。今日まで中立の立場を一貫することで皇国とリリトゥバス王国のいずれからも身を守ってきた数多の中小国家たちが続々と、民連の政策との協調を表明し始めた。この繋がりは魔界に変革をもたらす第3勢力の誕生に他ならない。
きっと皇国はそれが気に入らないのだ。だから焦って攻撃してきた。だが、民連は獣人と、人間と、そして何百という平和を求める国々の夢と希望を一身に背負っているのだ。
『故に!我々は決して屈しない。友好国として、貴国がこれ以上惨めな姿を晒すところを見てはいられない。私、国王エンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤは皇国に兵の即時撤退を要求する!!』
迅雷は鳥肌が立つ思いがした。
誰もが鼓舞されていた。
王の迫力に、言葉に、心が震えた。
悲惨な争いなどなく、誰もが幸福に生きて死ねる世界を目指すことが間違いであるはずがない。当たり前のことを、当たり前に堂々と主張することが出来る。
それは立派な”強さ”だ。それこそが本物の”強さ”だ。この国には、王族の在りようを通して本当の”強さ”が満ちている。
「撤退、か。父様ったら、もう勝った気でいるってコトかしら・・・。本当、仕方ない人ね」
エンデニアの声は、ルニアの奥底まで届いた。これが尊敬する父の、王の力だ。言外に「お前はそんなところでなにをしているんだ」と叱られたような気さえして、ルニアは涙をぐしぐしと拭った。
千影が認めてくれた。
父が呼んでくれた。
ルニアには、まだ出来ることがある。
ルニアにしか出来ないことがある。
「―――ありがとう」
ルニアは、そっと千影の体を押して離した。
「もう大丈夫?」
「えぇ、もう大丈夫!」
ルニアが笑うと共に、弾丸が窓を割った。