episode7 sect33 ” PARALLEL 1946 ”
城内にルニアの姿が見えない。
「またか・・・ルニアは本当にいつまで経ってもこの調子だ・・・」
お転婆で奔放な妹に頭を抱えるザニアの肩に、苦笑するアーニアが手を置いた。
「まぁまぁ。今日くらいは大目に見てあげたって良いんじゃないかしら、ザニア?色々と重なってあの子もストレスが溜まっていたはずだもの」
「アーニアはいつもルニアに甘いよ」
「そういうザニアだってあの子に関しては過保護じゃない」
「仕方ないだろ、ルニアはまだまだ子供なんだ」
「それならなおさら自由が一番よ。ね、お父様」
アーニアに同意を求められたエンデニアは、小さく笑って応じた。ザニアは不服そうだが、父親に食い下がるまではしなかった。
「ザニア。お前の思うことも正しいが、ルニアもルニアで正しいのだ。済まないな、お前にはいつも苦労ばかり掛けて」
「いいや、それは良いんだ。父様の後を継ぐのは僕なんだ。これぐらいのことを苦労だなんて思ったりしないさ。家族だからね・・・」
観光名所として公開されるも、依然として一般人が立ち入ることを許されないニルニーヤ城上層階の、王族たちの居間に、客人がやって来た。
「来たか、ケルトスにクースィ」
「お呼び頂いて光栄でございます、エンデニア様」
客人は、恰幅の良いモフモフの中年猫人と、ダンディであんまりモフモフはしていなさそうな中年犬人だ。
「ごめんなさいね、2人とも。こんな夜にお呼びしちゃって。さ、座って座って」
「とんでもございません、ナーサ様。では失礼して」
「ほら、クースィさんも」
「あぁ、はい」
ナーサに席を勧められたケルトスとクースィは、彼らほどの高官でもなかなか手に入らない極上の座り心地のソファに腰掛けた。
ふとクースィが顔を上げると、ナーサが果実酒のボトルとお茶のポットを左右の手に持ってクースィを見ていた。王妃に飲み物を用意させるなどとんでもないことに思うかもしれないが、あれはどちらもナーサの趣味みたいなものだ。
「では、私はお茶を頂きます」
クースィ以外はみんな、果実酒の注がれたグラスを手に持った。エンデニアが腰を上げると、他の全員もそれに倣う。
「今日も皆ご苦労だった。明日もあるが、今日はひとまず『ノヴィス・パラデー友好条約』を無事結べたことを祝そう」
エンデニアの前口上で、一斉にグラス(とティーカップ)を飲み干す。
「乾杯」
『乾杯』
空の器を当て合って、みんなソファに座り直した。
メンツこそ豪華だが、言ってしまえば、この集まりは内輪でやる打ち上げのようなものだ。
2杯目の茶は自分で注ぎながら、クースィはアーニアに訊ねた。
「ルニア様がいらっしゃらないようですが」
「きっとまた街に行っているのよ。お祭りのときはいつもそうでしょう?」
「そうですか。・・・そうですね」
「あら、もしかしてルニアがいなくて寂しかったのかしら?」
「いえ、そんなおこがましいことは」
アーニアにからかわれて、クースィは困ったように笑った。
「ふふ、冗談よ。・・・民連軍のことがあった後ですものね。訊きたいことだって、たくさんあったんでしょう?」
「その節は本当にすまなかった。ルニアのせいでクースィさんの命を危険に晒してしまった・・・。このままではいけないと思い、どう償えば良いかをずっと考えていたんだ」
「償いだなんて、もうそんな必要はございませんよ」
思い詰めた顔をするザニアをクースィが宥めると、ケルトスも続いた。
「そうですとも。あれはテムさんたち民連軍がルニア様の目を盗み暴走した結果です。王族の皆様方がお気に病まれる必要など全くございません」
ケルトスの笑顔には、彼とそれなりに付き合いのある者には分かる野卑さがある。だが、このときばかりはケルトスの笑顔も純粋にザニアのことを慮っているものだった。
そして、ケルトスの横顔を見ていたクースィは、小さく嘆息をした。
「こういうところなのですよ」
あまりにも、有り余るほどにも、この場この雰囲気この面々にそぐわぬ、呆れ果てた声色だった。
その呟きで一同の注目を一身に集めたクースィは、あくまで落ち着いた様子で茶を飲み、カップをテーブルに置いた。
「クースィ・・・?」
アーニアが、不安そうに自分の胸に手を当てて、席を立った彼の名を呼んだ。だが、クースィの視線はアーニアではなく、ましてここにいる他の誰かですらなく、窓の外に見下ろすノヴィス・パラデーの街並みに注がれていた。
「以前から私は疑問に思っていました。今日の民連の在り方は本当に正しいのか、と」
「ふむ・・・クースィ、それはどういった意味で、そう思ったのだ?教えてくれないか」
急な話の転換だったが、エンデニアは落ち着いた様子でクースィの言葉を聞き入れた。
クースィもまた、エンデニアに促されるまま言葉を続ける。
「えぇ。私も今日この場で私が今までずっと考えてきたことの全てを皆様にお話しするつもりで参りました。ですからどうか、真摯に受け止めて頂きたく存じます」
やっと外から内に向き直ったクースィの眼差しに満ちるものは、憂いのようだった。
一言目に、クースィは結論を告げた。
「ここはビスディア民主連合です。王族は百年前の幻影だ。この国は未だ過去に囚われている。幻影は大人しく消えなくてはならないのです。いずれ誰かが為すべきことでした。だが、誰もそれを為そうとはしなかった。だから、私がそれを為す」
この国は、平行世界の大日本帝国だ。
確かに、王族は皆この国を愛し、その民を愛する、優れた人格者たちだ。
彼らがなにか悪事を働いたのではない。
ただ、それでも彼らの貴い在り方そのものがこの国を歪ませる。
「国民の王族離れは、新たな時代に踏み出すために必要なステップなのです。王族の影響力はあまりにも強すぎる。民主化を経て尚、衰えるどころか増し続けている。王族の何気ない一言が、悉く民意に変わる。民連軍の矛盾が良い例でしょう?我々の民主主義は狂っています。我々が奉じるべきモノはもっと他にあるはずです」
「―――そうか。そう、感じたのか」
「ええ」
滔々とその心の奥にあった違和感を語ったクースィに、エンデニアはただそれだけを確かめて、目を瞑った。その反応に、クースィは一瞬、呼吸を忘れるかと思った。
「なぜです。・・・なぜそのような潔いお顔をされるのです!」
「私は、きっと君がこの国に現れるのを待っていたのだと思う」
「違う・・・!それではならないのです!私は悪だ。私が悪なのです!私は悪を為すのです!そうでなければならない!」
「ならば悪を為すと良い、クースィ・フーリィ。君の悪はこの国の必要悪となるだろう」
今更になって、クースィは初めてこのエンデニアという男の王たらん理由を真に理解し、しかし同時に失望もした。愚かだったのだ。誰も彼もが。愚かな王、愚かな民。狂気など生じて当然だったのだろう。
「あなたは・・・怠惰だ・・・・・・」
「せめて、惰性と言うに留めてはもらえないか。・・・私だって、常々この国の将来を考えてきたのだから」
「同じことでしょうに」
一時代前なら鳥葬刑に処されかねないほどの無礼の羅列にケルトスが憤慨を顕にしていた。それは、この国に生きる民の自然な反応であった。だが、クースィがケルトスに掴みかかられることはない。他でもない国王が、ケルトスをその態度を以て制止していたからだ。
王族たちの華やかな団欒の空間には、今や得体の知れない暗い感情だけが満ちて、淀んでいる。
疲れた様子でクースィは佇み続けていた。
アーニアは、耐えかねてクースィに問いを投げかけた。
「教えて、クースィ。私は・・・私たちはなにか過ってしまったの?」
「いいえ、あなた方はなにも過ってなどいませんよ、アーニア様。言ったでしょう、私が悪だと」
子を宥めるような口調だった。
クースィは、アーニアに説き続ける。
「どうか、誇りをお持ちになってください。アーニア様は美しいお方です。私も、アーニア様が信じる『愛』を信じております」
「なら、どうして」
「簡単なことです。―――あなたの理想が国を蝕す。私は・・・このまま緩やかに滅びゆく祖国を黙って見ていることが出来なかったのです」
我ながら迂遠な言い回しをしたものだ、とクースィは自嘲した。やはり、思うようにはならないものだ。今更、クースィは後悔しているのだから。
だがもう遅い。クースィは改めてその事実を告げる。己の覚悟を保つために。
「償いは、必要ないのです。なぜなら、私は王族に弓を引いたのだから」
クースィの宣言と共に、東の夜空が燃えた。遠くに震えた轟音が城の窓にまで伝わったとき、エンデニアは初めてその目を衝撃に見開いた。
「・・・なにをした・・・?」
「もう・・・止まらないのです。あなたは私を必要悪と仰った。ならばやはり私が示しましょう。民連に本当に必要な『悪』を」
「言え!!貴様なにをしたッ!!!!」
「力だ!!この世界で!!この混沌の具現たる魔界で!!『手ぶら』で生きてゆくなど出来るはずがない!!これが王族が犯した唯一にして最大の過ちだ!!人々はその真実を知らなくてはならないんだ!!」
―――そうだ、その目に睨まれるべき罪を犯したのだ。
今にもクースィをその爪で引き裂いてしまいそうなほどの激情を死に物狂いで抑え込んだエンデニアは、ようやくクースィに呪いに満ちた眼差しを突き付けて、早足に部屋から出て行った。
もはや事態は誰の目にも明らかだった。
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episode7 sect33 ”悪の所在は”
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『妾はお前たちをべつじょする』
月下に響いたのは、あどけない女の子の声だった。
『民連政府に告ぐ。我ら皇国は再三に渡り式典を中止するよう要請したはずだ。だが、貴国は愚かな判断をした。そして、それはなおも民連国内に留まり続けている人間も同様である。よって、民連、人間界は共に我々との協調、和平を望まないものであると判じ、これより皇国は民連への攻撃を開始する』
だが、もはや口にした言葉のニュアンスさえ理解しているかも怪しい棒読みに、獣人たちは戦慄した。
聞き間違えるはずがない。この声を。魔界で生きていて彼女を知らないでいることなど、決して、不可能だ。
魔姫アスモ。皇国の姫君。その肩書きだけでも十分過ぎる威力を発揮する幼き魔界の王は、その影響力を微塵も躊躇うことなく民連領内にまで轟かせてきたのだ。
アスモはマイクの奥で、ともすれば暢気に聞こえるほど明朗に、摂政が書いて渡したに違いない剣呑な文章の音読を終えた。
『例の媚び媚びのメイド喫茶の映像も見たよ。良いよなぁ、ネコミミ接待。獣人らしい。百年経って媚びる相手は人間に変わったか?妾の国と対等でありたいならまずは恥を知るところから始めると良い。ま、お前たちはもう終わりだがな』
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超音速機と共に首都上空まで飛来した宣戦布告。
それはクースィの呼び寄せた災禍の第一波だった。
「・・・クースィ。貴方こそ過ったのよ。これは私にも分かるわ」
ナーサは、クースィを突き放す。
「二度と朝日を見ることはないと思いたまえ」
ケルトスも、クースィを突き放す。
「クースィ・・・私は・・・それでも、貴方を止めます。貴方が悪を為すのなら、私は、貴方が信じてくれた私の『愛』で、私の為すべきを為しましょう」
だが、アーニアだけはクースィを見捨てなかった。
だけれど。
一人部屋に取り残されたクースィの胸中で今も一番大きく存在していたのは。
「本当は、私はあなたとこそ話をしたかった。・・・ルニア様。きっと、ずっと、私とあなたは分かり合えたはずだったのに」
あるいは、クースィにとって唯一の王となってくれたかもしれなかった自由と可能性の乙女に思いを馳せ、想いを封す。もはや叶わぬ夢だ。
足音が集まってくる。
「副首相。あなたの身柄を拘束させていただきます・・・!」
部屋の入り口を塞ぐ衛兵たちに、クースィはやさぐれた笑みを投げ返した。
「君たち・・・そんな装備で大丈夫か?」
その手には、示すべき『悪』の象徴を。
かくして、火蓋は切られた。