episode7 sect31 ”夜は長し”
夕刻のニルニーヤ城には、『ノヴィス・パラデー友好条約』の調印式を終えた各界の代表者たちが集まっていた。多忙な彼らの次の仕事は、全国生中継の座談会である。民連の王族や首相らが、レオたち人間界の代表と開けっぴろげな話をするという内容を予定している。
午前中から休む間もなく方々を行き来していた彼らも、収録が始まる前のこの時間だけはようやく腰を落ち着かせてリラックスしていた。
茶を嗜むケルトスは、携帯端末の通知に気付いて画面を点けた。送られてきたのは、現時点で交流式典への祝電を寄越した国のリストである。更新版のリストには、条約調印式の時点ではまだなかった国名が多数加えられていた。祝電を送るのであればきちんと重要な行事に間に合わせるべきだ!なんて失礼な奴らなんだ!!・・・と感じたかもしれないが、皇国が睨みを利かせている現在の魔界では不用意に民連の行動に協調することが出来ないため仕方がないのだ。
だが、それでもついにデルゲネウス半島国家群の半数からの支持まで得ることに成功したことになる。ようやくケルトスは勝利の確信を得た。ケルトスは控え室の大きな画面に各国からの電報を共有する。
「レヴィア洋諸島、半島諸国―――これだけ揃えば逃げ切り勝ちといっても良いでしょうな」
「私たちの想いが、この魔界でも正当に受け入れられているということですね」
同じ控え室に揃っていた王族たちが満足したように頷いた。こと、アーニアに関しては少し涙ぐんで安堵している様子でさえある。
国王夫妻のエンデニアとナーサが真面目に送られてきた電報の1枚1枚を確かめているところに、副首相のクースィが戻って来た。
「申し訳ありません、少し長引いてしまいました。一応予定の時刻には間に合ったかと思うのですが・・・」
「いやぁ、クースィ君。ご苦労様でした」
クースィはルニアに代わって、昨夜の民連軍のクーデター関連についての会見を開いたりメディアの取材に応じたていたため他の面々より遅れて合流した形になる。ケルトスに労われたクースィは軽く畏まってから、彼の隣の席に腰掛けて用意されていた冷茶を含んだ。
「ふぅ」
「どうやら一部には今回のクーデターがそもそも私やクースィ君の自業自得だなんて言う国民もいるようですな?」
「えぇ。実際、記者の何人かにはそれについてどうなんだ、と追求されましたよ・・・。全く参りますよ、ただでさえ殺され掛けたっていうのに」
「なにがどうなっているのか知りたいのは我々とて同じなんですがなぁ・・・」
「まぁ、言っても詮無いことです」
そう、詮無いことなのだ。
グラスを置いて一息ついていると、クースィは視線を感じて顔を上げた。
「・・・・・・」
「・・・ルニア様?」
クースィと目が合ったルニアは、すぐに顔を背けてしまった。十秒以上にも及ぶ沈黙の後、ルニアはさらに視線を逸らしながらこうとだけ言った。
「・・・悪かったわね、苦労を掛けちゃって」
「いえ、とんでもない。今回の件についてはルニア様が気にされることなんてありませんよ」
「・・・」
それきり、またルニアは黙ってしまった。
また、だ。
今日で何度目だろうか。今朝になってから、ルニアの挙動が不審だった。様々な場面でクースィは度々ルニアから今のような視線を向けられているように感じていた。反省や後悔をしている時のしおらしさとは違う。いつもの悪戯なものとも違う。
冷たくもあり、でも、なにかを言いたそうでもあり―――言葉では表現しづらいものが彼女の眼差しには含まれているような気がする。クースィの網膜には、しかし、その刹那の交錯ひとつひとつが焼き付いた。
ひとつの、疑念という形を成すように。
だって、そうだ。
彼女こそが本来の民連軍の最高権力にして最高責任者である。
クーデターの首謀者とされる元司令官のテム・ゴーナンは王族にすらクーデターの動機や目的を語ろうとはしない。
(・・・・・・いや、まさかな)
そうだ、まさかだ。考えすぎだ。
クースィは彼女、ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤという少女の人となりを理解している。だから、そんなはずがない。
―――でも、クースィはルニアに「なにかお訊ねになりたいことでも?」の一言を言い出せなかった。
○
座談会では、最初に今後の人間界と民連の交流のしかたについて自由な意見交換がなされていた。
「交流式典なのですが、どうです?来年以降も開催するというのは」
昨日の晩餐会では途中でそれどころではなくなってしまった話を、ここぞとばかりにケルトスが提示した。それにナーサが食いつく。
「あら、良いわね。次は是非、人間界に行ってみたいわ。ねぇ、エンデ?」
ナーサに話を振られたエンデニアも厳かに頷いた。
「うむ。私としてもこの繋がりはより華やかで強固なものに変えていくべきだと考えていますからな。レオ総長もそう思われませんか?」
「そうですな。儂も賛成です。なにしろ異世界同士の往来を自由にするという試みはこれが初。その素晴らしさを他の多くの世界にも伝えるには継続したアピールこそが大事でしょう」
「そうと決まれば私は人間界でライブツアーをしてみたいわ♪」
「ルニア・・・気が早い」
今からやる気に満ちるルニアを、ザニアがたしなめた。
とはいえ、ザニアも交流式典が恒例行事化した際の恩恵は、主に数字的な意味で想像していた。現に、言い出しっぺのケルトスは最初からなにか企んだ顔をしている。割といつもあんな顔だから多くの人は気付かないが、あれはカネの匂いを嗅ぎ付けたときの顔だ。みんなはあれを「人が良さそう」と感じるらしいが、その実まったくそんなことはないということを、ケルトスとしばしばプライベートな相談をするザニアは知っている。
第一に、式典を定期的に行うとなれば、その機会に合わせて両者は様々な分野で健全な競争を行うことを促せる。疚しい点などない魅力的なプランであるのは間違いない。だからレオはもちろん、人間界各国の首脳陣も非常に協力的な色を示していた。
「アーニャ姉様は、もし人間界に行けたらやってみたいことはあるのかしら?」
「私は―――紛争や差別に苦しむ人々と言葉を交わし、その人たちの支えになりたい、かしら。そして出来れば、チカゲ様以外のオドノイドの方々にも会ってみたいと思っているわ。私はトシナリ様とチカゲ様のお2人と出会って感銘を受けたの。だから私は、この目でもっと広い世界を見て、想いたい」
「姉様は本当にブレないのね」
「当然です。私はなにがあっても、人々の心に愛は必ずあると信じているもの。獣人も、人間も、魔族も、そしてオドノイドも、必ずね」
アーニアは賢く、博識な女性だ。常に愛のみを語り思想に溺れる狂人ではない。しかし、アーニアの根幹を成すものはまさしく”愛”である。父であり王であるエンデニアから平和を愛する心を学び、いずれは次の世代へと繋いでいくニルニーヤ王家の長女としての覚悟こそが、彼女の語る”愛”なのだ。
アーニアの持論は既に結論がついてしまっていて、若干話の流れが滞りかけてしまったが。
「アーニアはちょっと大袈裟に話すクセが抜けないわねぇ。昔のエンデみたいで可愛いけれど」
「まぁ、酷いわお母様。私は至って真剣に言っていたのに」
うふふ、と笑い合う母娘の横で、さりげなく引き合いに出されたエンデニアがばつの悪そうな顔をしていた。普段が威厳たっぷりに振る舞っているだけに、ナーサが可愛いと評したのも分からなくはないというか。
追及される前にエンデニアは咳払いをひとつして、娘の話から次の話題を抽出してみせた。
「魔族と言えば、現時点で『ノヴィス・パラデー友好条約』締結に対するお祝いの言葉を多くの国々から頂いているわけですが、我々は今後さらに彼ら・・・特に皇国には理解を求めていく必要があるはずです。それについて―――」
●
『ノル・トゥーリム』の見学を終えて、さらには夜の港町で新鮮な海の幸まで振る舞ってもらった迅雷たちは、再びバスに乗って首都ノヴィス・パラデーに帰ってきた。
バスの中では迅雷の腕に寄りかかって眠っていた千影も、ホテルに戻ってきてバスを降りた今はハツラツとしていた。
「さぁとっしー!いざ夜の街へ!!」
ご丁寧に頭頂部のアホ毛で街の方角を示しながら、千影は迅雷の袖をぐいぐい引っ張る。
「ちょっと休憩してからにしない・・・?」
「夜は短し~歩けよ乙女~」
気の逸る千影との綱引きに辛勝して、迅雷は千影ごとホテルの自室に戻って来た。せっかくのデートなのだから、せめて昼間の汗くらいは流してから出掛けたいのだ。もちろん、口が裂けても迅雷は千影に対して「デート」なんて単語を言ったりはしないのだが。
「シャワー?じゃあボクも」
「そうそう、それが良い」
千影はそう言うと、シャワールームに向かう迅雷のあとをトテトテついてきて、脱衣所の中までついてきて、迅雷がシャツの裾に手を掛けると千影も―――。
「なぁ千影さんや」
「なんだいとっしーさんや?」
「ストップ」
「ぬぎぬぎ」
「 ス ト ッ プ 」
2回目で、千影は不承不承手を止めた。
「なにしてんの・・・?」
「だってシャワー浴びるって」
「うん。・・・で?」
「?」
「わ、か、る、で、しょ!?首傾げたってムダなんだからな!?」
迅雷は千影を抱えて部屋を飛びだし、彼女の宿泊室に放り込んだ。
●
今日の仕事を終えた疾風は部下たちを連れてノヴィス・パラデー内のバーに来ていた。いくらなんでも民連に来てまで働き詰めでは可哀想だから、今夜くらいは疾風の奢りでパーっと異世界を楽しむことにしたのだ。
「んっんっんっ~~~、かぁーっ!!仕事の後の一杯はどこの世界言っても格別ですわー!しかも班長の奢りやなんて、あーウマーっ」
「多分、冴木がモテないのってそういうとこだぞ」
「うわー、セクハラ発言やー」
現代のなんでもハラスメント社会ほど上司の立場が弱い時代が、人類史上未だかつて一時期でもあっただろうか。
「小西も小西で相変わらずザルだしなぁ」
「そーッスよ!A1班には色気が足りないんスよ!来年度はもっと可愛くて優しくてちょっとお酒は苦手なんですぅって感じの女の子を引き入れましょうよォ!」
一方で早くも酔いの回った松田が疾風に同調した。可哀想に。その直後に愚かな若造の気持ちの良い酔いはスッキリ覚めることになる。どうしようもなく、文句を言う相手を間違えてしまった。
「誰が可愛くのうて、優しくのうて、色気ないてぇ・・・?」
「ヒッ!?い、いやー俺そんなこと言いましたっけ!?むしろ冴木さんは美人で優しくて頼りになる女性と思ってますです!!」
「色気?」
「あります!超ありまッす!!」
今度はセクハラ疑惑で空奈につつき回される松田の健闘を祈り、疾風はグラスに口を付けた。
「ん、美味い」
「香りは強い一方で飲み口はスッキリしてますね。少し日本酒にも似たような」
「確かに。落ち着く味わいですね」
落ち着いているのは疾風と塚田の2人だけだが。
2人が評論したのは、ノヴィス・パラデー特産の穀物酒だ。ニルニーヤ山に濾過された良質な天然水と地元で収穫される穀物のみを原料とし、昔ながらの醸造法で作っているそうだ。
・・・と、先ほどから獣人の客たちと絡んで盛り上がっていた李が、窓の外になにかを見つけたのか、急に椅子をケツでぶっ飛ばした。
「あーっ!!あの2人!!」
「あー?」
疾風もつられて外を見ると、店の前の通りを、迅雷と千影が仲良く並んで歩いていた。李が次になにかする前に、疾風は彼女の首根っこを捕まえておくことにした。
「はっ、離せぇぇい!迅雷クンは私がーっ!」
「お父さんは認めません」
「あんまりだーッ!ポリ公が小児性愛者を容認したら社会イズDEADなんですケドぉ!?」
「確かに千影は子供だけど迅雷は別に変態ってワケはないから―――多分」
不服そうな目で李は塚田の顔を見た。塚田は職歴で言えば疾風以上の大ベテラン警察官である。きっと李の意見を分かってくれるはずだ・・・と思ったのだが。
「考えてみればあの2人の年の差は精々5歳、別に世の中では珍しくもないでしょう。それを言うなら小西さんと迅雷君とは6歳離れているわけですし・・・」
「嘘だッ」
嘘じゃないです。
酔っているわけでもないのに酔っ払い顔負けのオーバーリアクションをして、李は床に泣き崩れた。塚田までロリコンを許したことも、実は自分と迅雷の年の差が千影以上だったことも、イロイロ衝撃的すぎた。
「・・・・・・あれ?でも年の差はむしろモエるような気がしてきたぞーう?」
「次はないからな」
「あ、タイチョー、テレビテレビ!」
昨夜の強姦未遂を全く反省していない様子の李は、疾風の警告をスルーして、半ばアンティークみたいなバーのテレビを指差した。
流れていたのは今日迅雷たちが行ってきた民連観光ツアーに密着取材した番組で、ちょうど迅雷と千影のランチタイムに突撃したシーンだったのだが・・・、そのオチに疾風は思わず頭を抱えた。