episode7 sect29 ”友好の証”
「お帰りなさいませなのにゃあ、ご主人、お嬢様!」
やや本格的なデザインのメイドドレスに、甘ったるい声。そしてなにより着脱不可能なネコミミともふもふしっぽ。入店早々、迅雷は無言のガッツポーズを決めた。
「とっしーさんや」
「なんだい千影さんや」
「とっしーがお昼に行きたがってたお店って」
「ケモミミ天国にまで来てこれは外せないだろ!見ろ千影!ここにはお前がどう足掻いたって永遠に追いつけない”本物”がある!!」
なんかいろいろあって読者諸君もお忘れになっているかもしれないが、迅雷が今回の魔界行きを決めた最初の動機は「ネコミミ天国」である。よって、仮に民連軍がクーデターを起こそうが、それがニュースになって国中で騒がれようが、2日目の夜に帰りたくなかろうが、なんだろうが、ネコミミメイド喫茶だけは絶対に外すわけにはいかないのだ―――ッ!!
「って、にゃにゃにゃ!?ひょっとしてお客さん、に、人間の方でいらっしゃいますか!?」
白い毛並みのネコミミメイドが、昨日テレビで見た気がする珍しい客に仰天して、素に戻ってしまった。・・・が、直後に慌てて手鏡を取り出して身嗜みを整えてから、改めて歓迎の言葉を言い直した。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様。ただいま侍従長に撮影許可をお取りして参りますので少々お待ちくださいませ」
「あ、いやカメラとかないんで」
「え?ないんですか?にゃあんだ、アポ無し取材でついにメイド喫茶も異文化交流の最前線に躍り出るときが来たのかと思っちゃったじゃないですかぁ・・・」
「そんな露骨にテンション下げられるとさすがに凹むんですケド」
「おぉっと、失礼しました。せっかくはるばる人間界からいらしてくれたんですよね!だったら私たちメイド一同も全力でご奉仕させていただくますにゃあ、ご主人アンドお嬢様!(そして当店のサービスに感動した2人のレビューでゆくゆくは交流式典の陰の立て役者として注目されて異世界からもたくさんのお客が来るサブカル界のトップスターにごにょごにょ)」
「あのー、すみませーん」
「はにゃっ。てへ、ちょっと緊張しちゃいましたにゃあ。それじゃお席にご案内しますにゃあ」
そう言うなり、白毛ネコミミメイドは迅雷と腕を組んできた。ケモとかカンケーない女の子の感触で迅雷は当たり前に緊張してしまう。
「あ、ちょっ!とっしーにくっつくな!このエロメイド!ドロボー猫!出会って2秒でおっぱい触らせるとか恥じらいってもんを知らないみたいだね!?」
「やだなぁ、こんなのスキンシップの内ですってばぁ、お・じょ・う・サ・マ♡」
このメイドが嘘を言っているのは他の獣人の客たちの羨望の眼差しからも明らかなのだが、怒れる千影はしっぽもふもふ攻撃によって鎮められてしまった。
席について白毛ネコミミメイドが千影の頬からしっぽを離すと、名残惜しそうに手をワキワキさせる千影にメニューの端っこに書いてある”サービス”のところを指差して、囁いた。
「今のはほんのご挨拶です。もしもお気に召したなら、特別にサービスしちゃいますにゃあ」
「こ、これはクスリと同じ手口・・・ッ!!」
「それじゃご主人、お嬢様。ご注文が決まりましたらこのマオにゃんをお呼び付けくださいにゃあ!」
上機嫌で店の奥に引っ込んでいった白毛ネコミミメイドことマオを見送って、数秒の沈黙の後に迅雷は千影のジト目に気付いた。
「まさかとっしーがこんないかがわしいお店に来たがるなんて・・・ボクという最高にモフりがいのある美少女を連れていながら・・・」
「い、いや、俺だってこんなオプションがあるなんて知らなかったんだって」
「でも心のどっかで期待してたんでしょ?」
「・・・・・・」
ふい、と目を泳がせる迅雷。
「これは罰として『しっぽコース』はとっしーのおごりだからね!」
「千影も大概じゃん!」
それにしても、他国からの移住者を除けば国民のほぼ100パーセントが獣人という民連でも、ネコミミメイド喫茶というのは需要があるものなのだろうか。見る限り、利用者も決して少なくないようだ。
メニュー(ちゃんとした料理メニューの方)を広げると、その内容は案外、真面目なものだった。むしろ写真を見る限りでは格式張ったものに見える。愛情を込めたケチャップは望むべくもなさそうだ。
ところで、よく考えたら魔界の文字が読めないことを忘れてメニューを見ていたこの2人。テーブルにメニューを広げて写真をじっくり眺めてあれこれ料理の考察をしていると、今度こそ本当に撮影機材を携えた珍妙な客が、メイド喫茶に来店した。
もっとも、珍妙と言ってしまったが、彼らは迅雷のツアーに同行していた民連のテレビ局だった。
「にゃあんだ、やっぱりテレビ取材だったんじゃないですか。ご主人たちもイジワルだにゃあ」
シックなグラスでお冷やを持ってきたマオが取材に来たテレビ局の取材班に対応をする同僚メイドの様子を見て、迅雷と千影をたしなめた。
「ちがうもん。ボクたちはホントにプライベート。お昼までカメラ持って巡回するなんて聞いてなかったし」
「そうなんですか?フーン・・・ま、ビスディア放送ですし、予告ナシなんて大して珍しくもないんじゃないですか?」
迅雷たちがマオとしゃべっていると、店の奥からネコミミ喫茶の店長らしいブタ型獣人の中年男が出てきて、テレビ局の取材班を交渉を始めた。
すぐに話が済んだのか、今度は店長が取材班の人たちと一緒に迅雷と千影のテーブルに来た。
「初めまして。店長のプーです。それでなのですが」
「突然ですみません。今、他の人間のみなさんのところも回って、食事風景を撮らしてもらってたんですよ」
「・・・ということらしくて、当店の方は自由に撮ってもらって大丈夫ですので、あとはお客様次第なのですが、どうでしょう?一応、もしよろしければいくらかサービスをお付けする準備もあるのですが」
店の宣伝にもなるから、店長としてはむしろ撮影の協力をお願いしたい立場なわけだ。
「サービスって?」
念のため、迅雷は確認を取る。
「例えばですが、サービスコースをお安くご提供させていただくとか―――。一応、彼女たちの尊厳もあるので無料とはいきませんが」
「あらやだとっしーさん、やっぱりいかがわしいお店でしてよ、ここ」
とか言いつつ、千影は鼻息を荒くしてマオのしっぽを目で追ったのが承諾の合図になってしまった。そうと決まれば、取材班はさっそく店内の撮影を開始した。
マオに注文を取ってもらって料理が運ばれてくるまでの間、迅雷と千影はカメラの前で様々な質問に答えた。2人ともテレビ出演なんて慣れていないので上手に受け答え出来ているかは分からなかったが、なんだか旅行番組で観光の傍ら自分のエピソードなどを語る俳優になった気分だった。
出てきたのは上品な盛り付けの肉料理と、なにかの穀物粉を棒状に練って焼いたらしい、恐らくは白米やパンにあたるのであろう主食料理のセットだ。迅雷も千影も、付け合わせのスープだけ違うものにして、同じ料理を注文していた。
「いやー、すみません2人とも同じので。どうせ撮るなら違うメニューの方が良かったですよね」
「いえいえ、お好きなものを食べてもらって結構ですよ。あぁ、でも食べる前にお料理だけの画を撮らせてくださいね」
料理を持ってきたマオの説明によると、この店の料理は所謂”なんちゃって宮廷料理”だそうだ。見た目は高級感を出しつつ、味付けは庶民向けにアレンジしているとのことだ。確かに雰囲気は昨日の晩餐会で食べたものと似ていたが、肉にかかったソースなどは大味で、むしろ迅雷と李が回った屋台の味の方が近しい感じだ。
料理だけの撮影が終わったので、迅雷と千影は手を合わせた。
実際に食べてみて具体的な例えをしてみると、肉料理の方は食感が上カルビのようにとろけて、しかし味はデミグラスハンバーグといったところか。口に入れた途端に溶け出す脂の旨味、そして肉の内側に凝縮されていた肉汁が特製ソースに合流して旨味の第2波がやってくる。このしつこいくらいの味が、若者の舌を唸らせる。
「なんだか、人間界のメイド喫茶とはだいぶイメージが違っていてビックリです」
「ご主人たちの知ってるメイド喫茶がどんなところなのかは知らないですけど、民連のメイド喫茶は気軽に高貴な気分を楽しめる空間をみんなにお届けするのがモットーなんですにゃあ」
「なるほど」
メイドの服装もそれほど派手ではなく、あからさまな萌え萌えサービスがあるのでもないことも、今のマオの説明で全て合点がいった。この国の民衆がニルニーヤ王家に対して抱く尊敬の念や憧れが、メイド喫茶という形で具現化しているのだ。
(その割にしっぽサービスがあるのが気になりすぎるんですけど―――)
「ふむ、じゃあマオにゃん。おさわりサービスって実は高貴な気分になれるの?」
「ちょっと千影さん!?」
せっかく迅雷が我慢した質問を、千影は容赦なく投げかけた。しかしマオもまたこの道のプロ(バイトだけど)である。彼女は笑顔を1ミリも崩さずに。
「あ、ソレ訊いちゃいますぅ?テレビで?」
「OK、高貴。超高貴な気分。イエーイ」
「イエーイ♪」
マオと千影は謎のハイタッチを交わした。
「・・・今の下りオンエアしませんよね?」
迅雷が恐る恐るテレビ局の面々に確認すると、彼らは揃ってニッコリした。わーおテレビ業界マジわーお。
○
完全に迅雷の偏見ではあったが、まさかメイド喫茶の食事に舌鼓を打つことになるとは想像しなかった。聞けば店長は昔、城でシェフをしていたのだとか。
デザートに魔界産の彩り豊かなフルーツを持った氷菓まで付けてもらって心ゆくまで食を堪能出来た。
「「ごちそうさまでした」」
「ねぇ、人間って食事のあとにも手を合わせるんですにゃあ?」
「そうだよ。おいしいご飯を作ってくれた人と、そしてボクに食べられて、ボクの血肉になってくれる食べ物に、感謝するんだ」
「感謝ですか。料理人へはともかく、食べたものにまでなんて、文化の違いですにゃあ」
「そだね。・・・それでぇ、マオにゃぁん」
千影の視線が再びマオの白くてふわふわの長いしっぽに向いた。それに気付いたマオが、しっぽを艶めかしくうねらせる。
「もう、お嬢様はせっかちですにゃあ」
「速い、巧い、安いがウリだからね☆」
「人間界の子供がみんなこんなだと思わないでくださいね」
間髪入れずに迅雷は人間という種族そのものの品位をフォローした。
「分かってますにゃあ、ご主人。お嬢様は他の多くの人間と多少事情が違うってことも承知してますしネ。で、それはそれとしてご主人はどうされますにゃあ?」
「え?」
マオは色っぽい声色で、迅雷の耳元に口を近付けた。
「(今回だけトクベツに『ミミ&しっぽコース』を『ミミコース』のお値段で提供しますよ?)」
「ネコミミ・・・」
迅雷はマオの頭頂部に目をやった。マオはわざとらしく猫の耳をパタパタと震わせ、迅雷は思わず生唾を呑んだが、少し悩んで千影にアイコンタクトを送った。首を傾げた千影に、迅雷は店長と話してからずっと気にしていたことを打ち明けてみた。
「なぁ千影、その・・・やっぱこの一線は越えるべきじゃないんじゃないかな。店長さんも言ってたじゃん、尊厳がどうって」
迅雷がなにを伝えたくてあのスピーチをしたのかを思い返そう。そうすれば、彼がなにを気にすべきなのかがよく分かるはずだ。彼の問いに千影も少し反省の色を見せ始めた。
だが、マオは違った。
「お嬢様たち―――オドノイドでしたっけ?その尊厳を取り戻して、共存する。素敵なことだと思いますにゃあ。でも、ご主人。私はこうしてご主人たちにご奉仕するのが楽しいからここで働いてるんです。ご主人たちはみんな優しいし、一応対価だって頂いてますし、私たちメイドはみんな耳や尻尾を触られたくらいで尊厳を蔑ろにされてるだなんてこれっぽっちも思いませんよ」
それに子供が出来るわけでもなし、とコッソリ付け足して、マオは赤面した迅雷に悪戯っぽく舌を出して見せた。
「それにね、ご主人。獣人同士でもミミとかしっぽ気になっちゃうし、実は仲良しさん同士ならモフりあうのも全然変じゃにゃいんですよ?」
都合の良いように誘導されているような気がして千影は周囲の様子を窺ったが、どうやらマオはそれほど非常識なことは言っていないようだった。事実、文化の違いで語弊は生じるが、獣人の耳や尾に触れる行為は、日本人の感覚で言えば頭を撫でたり頬をつついたりする程度のスキンシップに近かったりする。
大体、そうでもなければ昨夜迅雷と初対面だったケルトスが、首相という立場でありながら冗談めかして「しっぽを触ってみるか」などと言うはずもなかったか。
「どうしてもイヤならもちろん構いませんが、この巡り会いもなにかのご縁。人間と獣人のお近付きの印にマオにゃんの毛繕いをお手伝いしてくれませんかにゃあ?」
「・・・って言ってくれてるけど、どうする?とっしー?」
千影に見つめられ、迅雷はばつが悪そうに頬を掻いた。マオにここまで言わせておいて、据え膳を食わねばなんとやら、か。
尊厳云々などと妙にスケールの大きい話をした後で素直に「じゃあモフらせてください」などと言うのはかなり恥ずかしかったが、迅雷は意を決した。
「じゃ、じゃあ・・・せっかくなので『ミミ&しっぽコース』、2人分」
「はいですにゃあ!」
「ただそのっ!」
「はい?」
「友好の証ということで―――」
●
『友好の証といたしまして、両代表は条約書に署名をお願いします』
午前から行われていた『人間界とビスディア民主連合間に於ける友好連携条約』の締結式も大詰めだった。民連副首相のクースィの進行で、まずは人間界代表、IAMO総長のレオが署名を行い、そして民連首相のケルトスに席を譲った。2人の名前が確かに記され、その後、両者は互いの手をしっかりと握り合った。
これにて、無事に人間と獣人の間には正式な友好関係が結ばれた。立ち会った人間界各国の首脳たちと民連のニルニーヤ王家の面々や大臣たちが、レオとケルトスの握手を拍手で讃えるのだ。
今まさに効力を発生した『人間界のビスディア民主連合間に於ける友好連携条約』―――署名がなされた土地の名前を取って後に『ノヴィス・パラデー友好条約』という通称と共に語り継がれる条約の内容は、大まかに分けて4つある。
第1条要約、ひとつ。人間界と民連は相互尊重・相互内政不干渉とする。
第2条要約、ふたつ。人間界と民連の間で貿易自由化を推進し、互いの文化的・経済的関係の発展に努める。
第3条要約、みっつ。人間界と民連の間でヒトの往来制限を緩和し、留学や旅行等に関する諸制度を整備する。
第4条要約、よっつ。人間界と民連は互いの困難に対し、適切に資源や技術を共有することで支援しあう。
―――実は、この『ノヴィス・パラデー友好条約』はある点にいて歴史上極めて先駆的な意味を持っていた。異世界外交の知識に富んでいなければ気付きにくいことだが、その”ある点”とは第3条に掲げられた内容である。
「世界間でヒトの行き来を活性化する―――今までありそうでなかった”第一歩”さ」
金髪碧眼の英国紳士、ギルバート・グリーンは自らの執務室で交流式典のテレビ中継を見ながら、感慨深そうに語った。
そして、語られた銀髪の少女は興味深そうに来客用のソファで足を組んだ。
「今まで他のどの世界もしてこなかった異世界への移動制限緩和に史上初めて踏み切ったのが、他でもない人間界と、一応魔界に属する民連らからな。よその連中へのインパクトの大きさは想像に難くない」
分かった風に語った銀髪の少女こと、嘯く狐面のオドノイドは、堂々たるIAMO実働部総司令であるギルバートが淹れた紅茶を無視して、持参した水筒のほうじ茶で舌を湿らせた。
「ま、吉に転ぶよう祈っとくとするのら」
「やれやれ、オデンが言うと意味深長だね」
「さてなー?わちきはなんも知らないのら。あまり買い被るなよ。合理主義もそこまでいくと気色悪いぞ」
「それで?ランチタイムにまで押しかけてきて、その気色悪い合理主義者になんの用かな?」
「おっと、そうらったな。ちょっとお前のサインが必要になったのら」
おどけた口調でおでんは着物の懐から1枚の書類を取り出して、ギルバートのデスクに放った。紙はヒラヒラと舞って、絶妙な軌道を描いてデスクに着地する。
たったA4両面のスペースでこの上なく分かりやすくまとめられたその文面に目を通したギルバートは、再びおでんの顔を見て苦笑した。
「やはり君は恐い子だ」
「そんなに褒めるなよ」
ギルバートのサインが書き加えられた書類を受け取り、おでんは彼の執務室を後にした。




