episode7 sect27 ”深刻なホウレン草不足”
ニルニーヤ城の地下牢に静かに座すのは、イノシシの耳を持つ元ビスディア民主連合防衛軍、通称「民連軍」指揮官、テム・ゴーナンである。
皇国による支配から独立後、ビスディア民主連合において初めて組織された軍隊は、今夜をもって消滅した。肩書きに”元”とつくのはそういった理由だ。今の彼はただの罪人の1人に過ぎない。
民連軍の解体が決まったのは、彼らが副首相クースィ・フーリィ暗殺を企てた疑いが極めて濃厚となったためであり、軍計画の提案者たる第2王女ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤの口からその決断が語られた。事件こそ現場に居合わせた人間・神代疾風が早期に察知して対応をしてくれたおかげで未遂に終わったが、未遂だろうと完遂だろうと、もはや「手ぶらの強国」を掲揚するこの国でこれ以上惨めったらしく民連軍などという組織を維持するのは、現実として不可能だった。
さて、ニルニーヤ城で行われていた人間の来賓たちを招いての晩餐会で、城の警備担当と共に会場警備に当たっていた民連軍関係者らは、全員がこの地下牢に連行されてきた。その皆が、テムと同じように、ただ黙って冷たい石の床に腰を落ち着けていた。それはもう、異様なほどに。
「少しは『こんなハズじゃなかったんだ』、『やれと言われて仕方なくやったんだ』、『俺は無関係だから出してくれ』とか、喚くヤツがいたって構わないんだぞ」
テムがなんの気なしに発した軽口には、また軽口が返ってきた。だが、軽口のひとつは牢の外にいる者から返ってきたものだった。
「ホントよね。まるでカルト宗教の狂信者集団みたいで気味悪がられてるくらいよ?誰が聴取に来ても―――それこそアーニャ姉様やザニア兄様のときですら、みんなして黙秘を一貫したそうじゃない」
「・・・ルニア様」
1人で現れたルニアは、牢檻越しにテムを見下ろしていた。テムもまた、居佇まいをさらに直し、彼女のいやに静まりかえった瞳を正面から見据えた。
「っていう調子じゃあ、私がなにを訊いても無視してくれるってことなのかしらん?」
どこか捨て鉢な笑顔だった。どこか不敵な笑顔でもあった。ルニアの問いかけにどう応じるか考えたテムは、そういえば、彼女が来る直前から看守の気配が消えていたことを思い出した。それを知ってか知らないでか、ルニアは構わずしゃべり続ける。
「まぁ、ダメで元々と割り切って、一応、お訊ねするとしましょうか」
「なんなりと」
「あなたたちにとって一番偉いのは、だーれだ?」
そのとき、黒猫の王女は間違いなく"Why"ではなく、"What"でもなく、"Who"をもって発問した。その質問の意図は、テムにはすぐには理解出来なかった。出来なかったが、なぜか、なんとなく分かった。そして、それが分かったとき、王女の前でありながら、思わず嘆息してしまった。
高貴な王族の中にあって極めて異質で、幼く、賢しい。だけれど、彼女のその在りようが疑問を持つマイノリティを惹き付ける。もうそれは、一種のカリスマと呼ぶべきではなかろうか。
「・・・あなたというお方は・・・いえ、元より我々はそのための存在だったのですよね」
「そうよ、悪知恵の働かないおバカさんたち。さぁ、諸君はこれから私というお方にどう報いてくれるのかにゃーん?」
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紺髪冷笑のチンピラ、紺は、とある少女からの呼び出しを受けて渋々、太平洋のど真ん中まで飛んできた。
紺を呼びつけた”とある少女”は、空港のエントランスで彼のことを待っていた。肩に掛かる程度の長さの銀髪、見透かすようなエメラルドの瞳、南の島では浮きまくりの着崩された白い着物、顔の右半分を隠す狐の面、ムダに格好付けた待機ポーズ。まぁ、どれだけ久々に会うのだとしても見間違えるはずがない。
紺は、作り物の薄っぺらい笑顔で彼女に手を振った。
「よォ、なんだよ。わざわざお出迎えたぁイイ心掛けじゃねぇか。えぇ、伝楽チャンよォ」
「ま、そこそこ無理言って呼んだ自覚はあるしな。なんにせよ来てくれて助かったのら」
「感謝してんならもっとこう、なんか形のあるモンで頼むぜ。つかそうだな、今回の旅費はお前宛に領収書切ってもらうとしよう」
「別に構わんが、JCに飛行機代をせびるお兄さんというのはさすがにラサすぎやしないか?」
「イイじゃねーか、IAMO歴で言やぁ俺のがずっと後輩なんだぜ」
滑舌の悪い年下上司こと銀髪のオドノイド、伝楽は、これ以上その話で盛り上がれる気もしなかったので、大袈裟に肩をすくめるだけで話を切り上げた。
それにしても、領収書とはなんとも。紺もこの短期間で意外にもよくIAMOに馴染んだものだ。『荘楽組』の首領であり、紺にとってはそれ以上に育ての親であった岩破の死は、彼に大きな混乱をもたらすものと思われたのだが―――紺とていつまでもガキのままではないということか。それとも、誰かと触れ合って変わったのだろうか。だとしたら、きっとその誰かは紺も呆れるようなバカなガキだったに違いない。
「それじゃ、こんなトコで立ち話もアレらし、移動しながら詳しい話をするとしようか。もう外に車を用意してあるのら」
「俺に運転しろと?」
「わちきが免許持ってるとでも?」
つくづくムカつくガキである。これには紺の凝り固まった笑顔もついつい痙攣しちゃいそう。
対する伝楽―――正直もう作者はいちいち「でんらく」と入力して変換するのが面倒なので愛称で呼ばせてもらうこととして―――おでんは、随分とにこやかだ。用件が用件だというのに、いささか緊張感に欠けるというか、相変わらず掴み所のない少女だ。もっとも、そればかりは紺が言えたことではないかもしれないが。
「コイツやる気あんのかって疑ってそうな顔なのら」
「あらバレた?」
「案ずるな、やる気ならあるさ、割とそれなりに。わざわざレンタカーを使うのは部外者に話が漏れるのを防ぐため、それから時間が惜しいから。移動しながら詳細を教える。ここまでは?」
「OK、ならさっさと行こうぜ」
これより車でIAMOノア支部へ向かう最中のおでんと紺の会話は、酷いネタバレになりかねないので割愛するとしよう。
だが、不敵に振る舞う彼女とて未来の全てを知り尽くしているわけではない。
想定外は、普通に起きるのだ。