episode7 sect19 ”ポストモナキズムの光と影”
ルニアが去ってからもうしばらくの間、アーニアはもう少し、迅雷と千影の出逢いだったりこれまでの話を聞いたあと、実に名残惜しそうにしながら他の参加者とも話をするために行ってしまった。第1王女として、あまり迅雷と千影ばかり贔屓にするわけにはいかないのだ。
政治家に混じれば政治の話を、スポーツ選手に混じればスポーツの話を、音楽家に混じれば音楽の話を―――と、博識さを少しも鼻に掛けることなく披露するアーニアに、迅雷は感心した。
「同じ金髪でも千影とはえらい違いだなぁ」
「失礼な!ボクだっていろんなこと知ってるもん!ゴクドーのオキテとかモンスターの倒し方とか夜のテクニックとか・・・とにかくいろいろ・・・?」
「無理しないでいいのよ千影たん」
所詮、迅雷や千影のような子供には、漫画とかゲームとかお笑いとか・・・世俗の話題の方が性に合うのだ。悲しむことはない。大体の場合はそれが普通である。言ってしまえば、今そこでアーニアと語り合っている人たちだって自分の職業以外の話はからっきしかもしれないのだ。
気を取り直した2人は、また物珍しい豪華な食事を楽しみ始めた。
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・・・が、なかなかありつけないご馳走に没頭出来たのも束の間だった。
突然、千影が方々から引っ張りだこになって、迅雷は置いていかれてしまったのである。多分だが、みんなさっきまではアーニアに遠慮して声を掛けてこなかったのだ。
スピーチ以外には学生生活と将来の夢と、あとは父親のことくらいしか話のネタがない迅雷は、有識者ら相手では結局生産的な話が出来ずじまいだった。目まぐるしく展開される専門的な話に頭が痺れてきた迅雷は、外の空気を吸いたくなって広間のバルコニーに出た。ちょうど、予定されていた獣人・人間両種族の歌唱パフォーマンスが始まる頃だった。
「街でもお祭りしてるみたいだなぁ―――」
バルコニーから一望した夜景の明るさに、迅雷は嘆息した。なんだか日本の縁日を思い出す。そういえば、『一央市迎撃戦』のせいで今年の夏は夏祭りも花火大会もなんにも出来なかったのだった。
感傷的になりかけた迅雷は、視点を近くに戻して、ライトアップされたニルニーヤ城の庭園を見下ろした。
「・・・ん、人がいる?俺と同じで外の空気が吸いたかったのかな?」
それなら俺だって、と思った迅雷は広間を出た。
しかし、廊下を歩いていて、迅雷は背後から視線を感じて、ふと足を止めた。
「・・・・・・?」
気になって振り返ったが、誰もいない。城内も、雰囲気のために照明の輝度が調節されているだけで、別段暗いというほどではない。長い廊下の奥まで、迅雷の視力であれば十分見えている。
気のせいか―――と口の中で呟いて、迅雷は正面に顔を戻した―――ら。
「ヘイ、迅雷クン」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
目の前に小西李の顔があって・・・本当に額がくっつくほど至近距離だったので、迅雷はあまりの恐怖に素っ頓狂な悲鳴を上げてしまった。
すると、次の瞬間、李に口を塞がれ、脇に抱えられ、いずこかへ連れ去られ―――。
○
「むぐぅ・・・ッ!!ん、むぁ!!」
やっと解放されたときには、皮肉にも迅雷は城の庭園の隅にいた。千影もかくやといったくらいに刹那の出来事だった。
「ちょっとぉ!?なにすんですか!?」
「ひぃっ、すすすすすみません!!ちょっと広間から出てくるキミを見かけてトイレに行くのかなぁとか思ってビビらせてやるぜしめしめと思って声を掛けたらなんか大声出すからビビって逃げてしまいましたのでありまして別に拉致監禁の目的などは微塵ほどしかございませんことをここにお誓いいたしますので許してください!」
「すみませんなに言ってるか聞き取れなかったので許せません」
つくづく、なんでこんな人間が警察に、それも尊敬する父親と同じところにいるのか解せないという顔をする迅雷。しかもこの電波女、この華やかで上品な社交場においてまだウサミミパーカーを着ているときた。空気が読めないにも程がある。
さっきまで自分がいたバルコニーを見上げて、ここまで届いている誰かの歌声を聴きながら迅雷は大きな溜息を吐いた。
「変な声出しちゃったから今頃騒ぎになってるかもですよ・・・」
戻れない空気が漂い始め、李がここぞとばかりに手を叩く。
「よし、このまま街へ繰り出すとしましょうか!」
「いや待って李さん、仕事は?」
「良いんですよぉ、別に。A1班は総理大臣さえ守ってれば。その総理にはYOUのFATHERがついてるからオッケーオッケー。さぁ、そうと決まればいざゆかん、夜のデートへ!」
迅雷には断る暇も与えられなかった。手を握られたかと思えば、瞬きのうちに迅雷は李にお姫様抱っこされて、砦時代の名残である高く聳える城壁を垂直に駆け上がっていた。
「や・・・やっぱ頭オカシイってアンタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――」
憐れな少年の悲鳴とクレイジーガールの高笑いは夜空の星と消えた。
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「・・・・・・問題ナシ。このままいけるか?」
誰かの(迅雷だとはまだ気付いていない)悲鳴を聞いたテムは、無人の廊下で顎に手を当てた。廊下にいるのは、広間の周囲を見回っている黒服の獣人たちと、人間の魔法士だけだ。
「どうかね、テム君?」
テムを呼んだのは、ケルトスだ。
「いえ、見たところ特に異常はありません」
「フム、確かに・・・」
ケルトス自らも広間から首だけ出して異変の痕跡がないのを確かめ、頷いた。
幸い、今は音楽パフォーマンスで会場は盛り上がっているから、晩餐会参加者の多くは今の悲鳴には気付かなかったようで、不要な騒動は避けられそうだ。
安心したケルトスが首を引っ込めると、ちょうどクースィと疾風も様子を気にしてやって来たところだった。テムが2人にも異常がなかったことを報告すると、2人は揃って首を傾げた。
「声がしたのに人がいない方が変でしょう。とりあえずカメラの映像でも確認してみませんか?」
疾風がそう提案すると、クースィが意外そうな顔をした。
「神代さんはカメラに気付いていたんですね。景観保護のために念入りに隠して配置してあったはずなのですが、いやはや」
「こういうスキルには少し自信がありまして。まぁ大した話ありませんが」
「なるほど。えぇ、分かりました。それが良いでしょう。モニタルームは一応、部外秘ですので私が直接確認して参ります」
元より疾風の仕事の範囲外なので、ひとまず疾風はクースィの言葉を了承した。ただし、介入する許可は得ている、と付け足しておく。・・・というのも、なんとなく悲鳴が息子の声と似ていた気がしたからだ。賑やかな中で確信は持てないので、今から広間に迅雷の姿を探すつもりでいた。
「クースィ副首相」
さっそく行動を開始するクースィを、テムが呼び止めた。
「城内に何者かが潜んでいる可能性は否定出来ません。私も同行します」
「いや、テムさんはどうぞ残ってください。そろそろルニア様が舞台に上がられるでしょう?城の方にお願いしますから」
「こ、こんな時にそのような・・・ルニア様のステージをお守りすることこそ私の使命であります」
断腸の思いで言っているのが見て分かるので、クースィは苦笑した。
「じゃあルニア様の出番が終わる前に戻れるように急ぎましょうか。なに、確認すべき映像なんてほんの10分前後で足りますからね」
クースィとテムは早足で広間を出て行った。
見送った疾風に、ケルトスが髭を触りながら話しかけてきた。
「いやぁ、お気を煩わせてしまって申し訳ないですな、神代さん」
「いえ、むしろ私どもにお手伝い出来ることがありましたらなんでも仰ってください、ケルトス首相」
「これはこれは、ありがとうございます。あぁ・・・あと王族の皆様にはなにかあったかと問われましたら心配ないとだけお伝えするようにお願いします」
「・・・はい、承知しました」
疾風に釘を刺して、ケルトスはすぐにエンデニア国王とナーサ王妃の元へと戻っていった。手を揉んで語るケルトスを見て、疾風は鼻で小さく溜息を吐く。
「王族への忖度、ね」
本当の意味で「忖度」するなら状況を細かく教えてやるのが最善だろうが、生憎、部外者の口出しできることではない。
疾風に出来ることがあるとすれば、それはこの晩餐会の終わりに「本当になにも心配なかったでしょう?」と笑って言えるよう動くことだ。耳に装着した無線のマイクをオンにする。
「Aー1、会場周辺に異変はないか?」
『こちら冴木、大丈夫そうです』
『こちら塚田、特に異変なし』
『こちら松田、こちらも異変はなし』
「・・・・・・・・・・・・おい、小西は?」
なんとなくイヤな予感がし始めた疾風の裾を引いたのは、寂しそうな顔の千影だった。
「とっしーがいないの・・・。テン長もお姫様も見てないって。いつの間にいなくなっちゃったんだろう・・・?」
「そら来た」
事案発生、青少年誘拐の疑い、容疑者はピンク髪のクソアマ。
ただまぁ、迅雷と李の2人が勝手に起こした騒ぎなら危険はあるまい。
「とはいえ確信は出来ないか・・・。2つの件が同時進行している可能性もある」
空奈と塚田で李の穴をカバーするように指示を出し、疾風は自分も一度廊下に出てみた。先ほどはテムとケルトスから状況を聞かされただけだったので、再度自分でも確かめておこうと思ったに過ぎない。
―――だが、疾風は大広間から一歩外に出てこの”空気”に触れたとき、自らの判断が正しかったと確信した。
いや、多分、迅雷と李には何事もなかったという予想は当たっているのだろう。だから、それではなく、この気配は―――。
『みんな~、今宵はルーニャちゃんセレクトのスペシャルメドレーをお送りするにゃあ!おしとやかにしてるばかりじゃつまんない!この一瞬だけでも盛り上がってくのにゃー!』
疾風は第2王女が歌い始めて賑わう広間に戻ると、千影に目線の高さを合わせて、彼女の肩に手を置いた。
「千影、俺の代わりに少しここを頼めるか?」
「・・・へ?いや、良いけど・・・どうして?」
「城内の空気が異様に澄んでる」
ジケンノニオイガスル。
―――勘だ。根拠なんてない。ただ、多くの現場を駆け抜けてきた疾風の洗練された直感がそう告げていた。
疾風の目の色が変わったことに気付いた千影も、表情を険しくした。
「なにが起きてるの?」
「分からない。分からないが・・・」
そして、この几帳面なまでに穏やかな危険臭は、それが綿密かつ周到な計画性を感じさせた。テロか暗殺かは判別がつかないが―――前者なら9.11、後者ならケネディ大統領の一件・・・いずれにしても成れば時代の分水嶺となること請け合いだ。
「とにかく、千影はここにいてくれ。多分迅雷は大丈夫だから心配すんな」
「・・・うん、分かった。ここは任せて」
そして、神代疾風は動き出す。
後ろは仲間に預けて、いざ静寂の闇中へ。