episode7 sect17 ”こんな文化の違いはいやだ”
皇国の会見が終了して、迅雷は呆然としたままテレビを消した。
言葉がなかった。頭痛がした。今からでも、迅雷は自分のスピーチを改稿してしまいたいほどに困惑していた。こんな民族と相互理解なんて出来るわけがないと思った。元より、魔族には平和を望む心などないに違いない。
「とっしー・・・」
「・・・おかしいよ。絶対まともじゃないって。なんなんだよ、魔族って。俺たちのやることなすこと全部頭ごなしに否定してさ・・・。皇帝もさ、普通自分の娘にあんなこと言わせるか?あんな小さな子に責任全部押し付けようとしてるんじゃないのか・・・?」
あの得意げな顔をしていた幼いプリンセスは、自分がなにを言っているのか理解していたのだろうか。皇帝も、白髪の側近の男も、迅雷の価値観ではとても受け入れられなかった。世界の歪みを垣間見た確信があった。
「嫌な感じだ」
―――死にたくなかったら2日目の夜までに帰ってこい。
エーマイモンとアスモの発言で迅雷が思い出したのは、白銀と狐面のオドノイド、伝楽の忠告だった。千影も、迅雷と同じことを考えていた。
彼女の言っている夜になにが起こるのかは、迅雷にも千影にも見当が付かない。ただ、あの言葉が今は胃に重くのし掛かっていた。
力が籠もる迅雷の手を、千影はそっと握った。静電気の弾ける音がして、迅雷は顔を上げた。また、無意識に魔力が漏れ出していたらしい。
「とっしー、ボクたちは、ボクたちのするべきことをしよう?ここで式典をやめようなんて言っちゃったら、全部台無しになっちゃうよ」
「でも、大丈夫なのか?」
「おでんのこと信じよう」
「なにか手を打ってくれてるんだっけ。・・・あの子のこと信用してるんだな」
「考えは読めないかもだけど、良い子だよ。頭も良いし。だからきっとなんとかしてくれる」
「ふーん・・・じゃあ、俺も信じてみるよ。それに、そうだよな。ここで投げ出すわけにはいかないもんな」
恐がっていては前に進めない。迅雷は、カメラの前で確かに決意を示したのだ。オドノイドとの”相互理解”を目指して、自分になにが出来るのかを考えていくのだと。これは、世界に変化のきっかけをもたらした張本人としての責任でもある。迅雷は、なにがなんでも絶対に最高のハッピーエンドを掴み取るまでやり遂げなくちゃならないのだ。
千影の手を握り返して、迅雷は笑い返した。
外はもう日が落ちていた。迅雷は、そういえば千影に正座させられてからずっと座りっぱなしだった床から立ち上がって学園の制服の襟を正した。
「千影、そろそろ晩餐会行く準備しとけよ?」
「うん!どんなご飯出てくるのかな~?超楽しみ~」
調子が良いことに鼻歌交じりに部屋を出ようとした千影だったが、もう何度目なのだか、またしてもスカートの裾を踏んでずっこけた。今度はキャッチしてくれる迅雷が目の前にいないので、そのままドアに顔面を強打した。くっそ痛そうな音に迅雷は自分まで痛みを錯覚して鼻を押さえた。うずくまる千影にはもうツッコむ気も起きない。
『大丈夫?なに、喧嘩?』
そんな折にドアの向こう側から萌生の声がした。
○
初更のニルニーヤ城の庭園を、千影は迅雷と萌生に挟まれて歩いていた。もう勝手に走って転ばれるのは懲り懲りだからだと、両側から手を繋がれているのだ。
ちなみに、萌生が迅雷の部屋の前にいたのは、ホテルに戻ったついでに千影のお色直しもしてあげようかと思ったからだそうだ。おかげさまで千影のお姫様オーラも、今朝の具合にまで復活させてもらった。
だが、それ以上に迅雷の視線を釘付けにするのが、ドレスに着替えた萌生だった。彼女がホテル戻って来た一番の理由は、このためだったようである。植物魔法が得意な彼女らしいフレッシュグリーンのスレンダーラインだ。ワンポイントの花の髪飾りは魔法で作ったらしい。全身でテーマが一貫していてとても華やかだ。
「あの・・・さっきからそうまじまじと見つめられるとさすがに恥ずかしいのだけど」
「その衣装でバストを強調してないとは言わせませんよ・・・」
「乳か。結局乳なんか。おう?」
大平原の千影と並べるとなおさら目を引く萌生の女性らしさに反応しない方が難しい。どうしようもない男の子の性なのだ。迅雷からの興味を奪われた千影が萌生(の胸)を睨み付けて猛獣のようにガルル・・・と牙を覗かせる。これは確かにオドノイドが危険生物と思われても仕方ない。
やたら胸の話ばかりされるので、身をよじって萌生は唇を尖らせた。
「パーティーなのよ。少しはそれっぽい格好してみたいじゃない・・・もう」
「制服でOKに甘えてる俺が意識低いみたいじゃないですかそれ」
「そんなことは言ってないわよ」
「・・・ちょっと怒ってます?」
「いいえ?」
千影といるうちに毒されたのかもしれない。これからはもう少しセクハラ発言には気を付けようと思う迅雷なのであった。
広い庭園を満喫して城内に入ると、城門前同様にケモミミの黒服に出迎えられた。
案内されたのは、既に多くの晩餐会招待客たちが集っている大広間だった。エレベーターの時間が長かったように感じたが、なるほど、広間の外には市街地を一望出来るステキなバルコニーまでついていた。式典の開会式に使った城の劇場も十分に広かったように記憶しているが、それ以上に開放的な空間である。
広間には、民連にとってのゲストである人間はもちろん、多くの獣人たちも集まっていた。ここにいるということは、きっとその誰もが輝かしい活躍をしてきたのだろう。迅雷はさっそく王族たち―――というよりもアーニアの姿を探したが、まだいないようで肩を落とした。
開宴を待つ間、迅雷のところにも多くの民連の著名人たちが挨拶をしにやってきた。既にお姫様との話をした後だからか、そこまで緊張することなく受け答え出来た迅雷は、なんだか次第に自分も有名人であるかのように感じ始めた。
「とっしー、とっしー!なにこれご飯スゴいよこれはもはや芸術作品だよ!」
・・・でも千影と一緒にいると、自分が平民だということを忘れずにいられる。やったね、くそったれ。
一方の萌生は早くも社交の場に馴染んでしまったので、仕方なく迅雷は千影と2人で簡単に挨拶回りをすることにした。一応ひとつだけ断っておくと、迅雷も千影もコミュ力がないわけではない。萌生みたいに小難しい話が出来ないだけなのだ。平民だから。いや、萌生も平民なのだが。
そうしているうちに目が合ったのが、ずんぐり太っちょの猫人、ケルトス首相だった。
「やぁやぁ、千影さん。そして初めまして神代迅雷さん」
「初めまして、ケルトス首相」
ケルトスと握手をして、迅雷にはひとつ分かったことがあった。
(はぁー・・・やっぱこの人最高にもっふもふや・・・)
顔に出やすい迅雷に微笑んで、ケルトスは尻尾も触ってみるか?と訊ねた。だが、迅雷の脳内で天使と悪魔が攻防を繰り広げている間に後ろから来たクースィが、行儀が悪いからとケルトスを止めてしまった。ケルトスは軽く笑い飛ばすが、迅雷は割とションボリである。
今日に合わせて人間の若者文化も勉強してきただけあってケルトスの話の振り方は巧妙で、迅雷は次第にケルトスと話し込んでしまった。そうすると拗ねるのは千影である。今日、国会議事堂への移動の際にケルトスと話して以来、千影は彼に対して苦手意識があったので、不機嫌になるのもやむなしだろう。
千影がむくれているうちに、定刻となってケルトスは迅雷との話を切り上げた。今宵の集いの司会は彼がするらしい。
『え~、それでは皆様。これより交流式典開催記念の会を開宴といたします。様々な催しも予定してございますので、どうぞ最後までお楽しみください。それではまずは、ニルニーヤ王家の皆様方の御入場でございます』
ケルトスの進行に合わせて、広間の扉が開かれて、王族の5人が現れた。すると、示し合わせたように彼らを迎えるための割れんばかりの拍手が巻き起こった。つられて迅雷と千影も拍手をしたが、そうしながらもまだ近くにいたクースィの方を見ると、彼は彼でちょっと困ったように微笑んだ。
「民連はこういう風習なのですよ」
こういうものと言われたら、そういうものだと納得して終わるのが普通である。基本的に普通の少年の迅雷は「そうなんですね」とだけ返した。
広間の上手にある一段高くなったステージに王族の5人が並んで正面を向いたところで、今度はまた合図もなかったのに、ぴたりと拍手が止んだ。
『続きまして、エンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ国王陛下からの御言葉でございます。エンデニア国王陛下、よろしく、お願いいたします』
民族衣装の意匠を取り込んだ白い燕尾服と艶めく黒毛のコントラストが目を引く、精悍な猫人の国王がマイクを受け取った。
『本日はお集まり頂き、心から感謝します。人間の皆様も、今宵はどうぞごゆるりとお楽しみください』
エンデニアの言葉が続く中、獣人のウェイターたちが参加者たちに飲み物を配り始めた。未成年の迅雷と千影はフルーツジュースの入った器を受け取って、乾杯に備えた・・・のだが、突如として周囲の獣人たちは先にその中身を飲み干し始めて仰天した。
『念願叶って、民連と人間界の交流がいよいよ本格化しようとしております。ここに至るまで尽力してくれたケルトス首相始め国民の皆と、我々の想いに答えてくれた人間の皆様には、平和の象徴である王として、深い感謝を。そして今後のますますの発展を願い―――』
遂には、王様とその後ろの他の王族の4人までもが渡された飲み物を空にして、その器を頭上高くに掲げてしまった。
『乾・・・杯!!』
獣人たちが歓声を上げて空の器を打ち鳴らす中、迅雷と千影はキョドりながら満タンのグラスをチ~ンと合わせた。
「あーあ、やっちまったなお前ら。民連じゃ乾杯する前に飲み干すんだぞ」
目を点にする2人に、背後からイジワルな声色で話しかけてきたのは、疾風だった。
「父さん・・・見てたなら教えてくれよ・・・」
「悪いが今の父さんは子守じゃなく総理のボディーガードなの。乾杯で手を挙げる瞬間ってのは一番無防備になるからお前らのことなんて相手にしてらんなかったの、ごめんなぁ?」
「絶対ウソやろ。そんな顔じゃねぇよ今の父さん」
「はやチンのイジワル!大人げない!」
「はっはっはー」
見やれば、日本の首相も疾風の近くにいた。乾杯の後は、もうさっそくエンデニアのところへ話をしに行こうとしている様子だ。疾風もそれに付き従わなければならない。
「それじゃ、まぁ楽しめよー。細かいことは気にせず、な?」
適当な調子だが、さすがに父親か。迅雷と千影が、先ほどあった皇国の会見のことを気に掛けているのではないかと心配していたのだろう。それだけ言って、疾風は首相について向こうへ行ってしまった。
それから、迅雷はまた千影と2人で一緒にビュッフェ形式の料理を見て回った。千影が背が低くて上や奥の方の料理が取れないので、迅雷が代わりにとってやる。
「『爪』を出せばすぐにでも取れそうなのにな」
「したら行儀悪いじゃん・・・ボクからしたら手掴みとおんなじだからね、それ」
「千影から行儀という言葉が出るなんて・・・お、この魚(?)料理、美味いぞ」
「というかおいしくないものがない」
2人が異世界の美食に夢中になっていると、不意に背後から声が掛けられた。
「君たち―――」
黒猫の第2王子、ザニア・ノル・ニーア・ニルニーヤだ。
迅雷は近付いてくる彼と周囲を見比べたが、疑いようもなくザニアが声を掛けたのは迅雷であった。
迅雷に向かい合ったザニアは、眼鏡越しにも分かる厳粛な面持ちをしていた。