episode7 sect15 ” Future Erosion ”
「しかしまったく・・・・・・まさかアーニア様まで抜けだそうだなんて思いもしませんでした」
クースィは深い溜息を吐いた。首相の肩書きに「副」の一文字がついただけでとんだ雑用係だ。世の中にありふれる「副」のつく偉い役職なんて、その実、碌な仕事がないものなのだろうか。それにしたって、今日来ている人間の国じゃ副首相は他の大臣職を兼任することが常らしいじゃないか。
しかしクースィが真性の首相だったら、なんて所詮例えばの話。現首相は知る通りケルトス・ネイであり、彼の経済活性化や軍事力を要しない国防戦略の実績は確たるものだ。
いよいよ自分の立ち位置に感じる歯痒さが強まってくるが、しかし一方で、クースィはある意味ではこの仕事が自分に任されていて良かったとも思っていた。
「うぅ・・・本当にごめんなさい」
「もう良いですよ、仕方ありません。それにどうせこれもルニア様にそそのかされでもしたのでしょう?」
「そ、それは・・・」
「失礼ね。今回は姉様から言い出したことよ、クースィ。私はそんな姉様の貴重なワガママを叶えてあげたかったから協力しただけなのよ」
「・・・本当ですか?」
しおらしく頷くアーニアを見てクースィは額に手を当てた。もう十分過ぎるくらい落ち込んで反省している彼女にこれ以上とやかく言えるほどクースィはサディストではない。むしろ可哀想にすら思うくらいだ。隣でケロッとしている妹君の図太さを少しだけ―――と考えかけて、クースィは首を振った。世の中そう単純な話でもない。
その妹君は、遊び足りない子供のような表情でクースィを見つめていた。年の頃はちょうど神代迅雷や豊園萌生と同じくらいだが、今どきその年齢の子供もそこまで幼稚な顔はしないものだろうに。
「にしても、そうよ、クースィ。いくらなんでも見つけるの早すぎなかった?なんで?」
「先ほども大事な式典期間中だからだと申し上げましたでしょう。そこの彼が丁寧に教えてくれたんです」
クースィは王女らを守るように先頭を歩く軍服の男を示した。イノシシに近い形状のケモミミを生やした、野性味の強い風貌の男だ。
「にゃーんだってぇ?おやおやこれはテム君、オシオキが必要かにゃーん?」
「お仕置きが必要なのはルニア様でしょう。まったく、ルニア様は御身のお守りをして欲しくて軍隊を募ったわけではないんでしょう。巷で私たちが言われているかご存じですか」
「言いたいヤツには言わせとけば良いのよ。いずれ分かる日が来るわ。そうでしょ、クースィ?」
「まぁ・・・ルニア様のお考えについて強く否定はしませんが。しかしルニア様、テムさんの言うことはもっともですからね」
「ま、まさか本当に私にオシオキする気!?」
「ダメよクースィ、ルニアに罰を与えるならまずは私です!この子は本当に私を手伝ってくれただけなんですから!」
「あーもうそっちじゃないですから!」
ピュアな第1王女に、俗世に染まった第2王女―――2人が並ぶとやりづらいことこの上ない。
「どうしたの、クースィ?そんなに疲れた顔をして。まだ式典は始まったばかりよ?目の前に私という癒やしキャラがいるというのに、不思議なヤツね」
「・・・・・・、やれやれ。ご冗談を」
まぁ、これだって立派な仕事だ。クースィは割り切って背筋を正した。移動の車の前では、なかなか戻ってこない姉と妹を心配して顔を青くした王子のザニアが待っていた。彼も彼で王族らしい堂々とした振る舞いが苦手という弱点がある。結局最後まで彼を車内で落ち着いて待ってもらおうと説得を続けていたらしい運転手が、アーニアとルニアを見るなり向き直ってビシッと姿勢を正す。
時刻はギリギリだが、なんとか次の会場には間に合わせられそうで、クースィはホッと胸を撫で下ろす。
アーニアとルニアがザニアを挟んで後部座席に乗り込むと、テムが外からそのドアを閉めた。窓から顔を出したルニアが、テムの鼻先に指を突き付ける。
「良いかいテム君。世間の評価が気になるなら明日の公開演習でお遊びじゃないってところを見せるのよ。私は期待してるからネ☆」
アーニアも、テムから見て一番奥の座席から、テムに声を掛ける。
「テムにも迷惑をかけてしまいましたね」
「いえ、滅相もございません」
「・・・これから、また訓練ですか?」
「えぇ。もっとも、今はもう明日に向けての最終チェック程度になりますが」
「そうですか。頑張ってくださいね」
優雅に微笑むアーニアにも、テムは鳩尾のあたりに右手を、尻尾の付け根に左手を当ててお辞儀をした。獣人族流の敬礼だ。
●
時刻は少し戻り、交流式典でのスピーチを終えた人間の学生たちが、まだ民連の王女たちが控え室を訪ねてくるなどつゆとも知らずにテレビを見ていた頃。
場所も少し移り、民連と隣接し、同じ大陸の北東部に位置する魔界最大国、皇国の皇城へ。
あっちもこっちも広い国なので隣と言ってもある程度の時差がある。よって皇国のこの時間はお昼時だ。それは皇族とて例外ではない。ただ、この日の皇家はいつもほど優雅にランチを楽しむ様子でもなかった。
両親と共に食卓を囲む魔姫アスモは、柔らかい肉料理をナイフで切り分けながら、テレビをまじまじと見つめていた。いつもなら行儀が悪いからダメだと言われるところだが、民連で人間と獣人族の交流式典が行われている今は別だった。
元は被支配階級として魔界に連れ込まれた民族が自分たちの国を得て、経済力という現実的な「力」をもって諸大国にも劣らぬ存在感を示し、そしてあまつさえ魔界を代表する国の一角として振る舞い始めた。魔界に来てまだ3世紀も経たないような獣人族風情に対等であるかのような顔をされて気に入らない魔族系国家は多い。
しかし、民連が皇国やリリトゥバス王国にすら比肩する経済大国であることも、彼ら獣人族が既に魔族の支配体制への革命を一度成功させた民族であることも、紛れもない事実だった。それがなおのこと魔族たちにもどかしい思いをさせていた。
皇国の皇帝エーマイモンによる警告を無視して執り行われた、この交流式典。魔界において注目しない者などほとんどいない。魔族系国家に尻尾を振ることでなんとか存続しているような多民族国家は、これを契機にさらに必死で魔族に媚びを売る国と民連の動向に自由と希望を見出そうとする国とに分かれようとしている。
しかし、殊その支配階級たる皇国のツートップが注目していたのは、今から始まるIAMO総長レオによる会見であった。自分たちの提示した終戦条件の履行、すなわち現在確認されている全てのオドノイドの殺処分に猶予を求めてきた直後のことだ。一体、なにを語るというのか。
「―――お父様は、どうしてこの式典が中止されるべきだと仰ったんですか?妾はなかなか面白いと思うのですけれど」
アスモは、夜空に浮かぶ満月のような瞳をエーマイモンに向けた。裏表のある彼女のことだから、またなんか純真無垢ぶっているんだろ、なんて思うかも知れないのだが、ぶっちゃけこの疑問は素直なものだった。というか、親としても政治家としてもアスモのことをこれ以上ないくらい知っているエーマイモンの前で必要以上に無知な幼女でいる必要がない。
エーマイモンは、異国産の甘い茶で舌を湿らせてから、娘の問いに応じた。
「今や人間は優れた武力をもつ民族といえる。アスモ、民連の理念はお前も知っているだろう?」
「『手ぶらの強国』、軍も兵器も持たず、経済力だけで大国と渡り合うっていう」
「そうだ。ケルトス首相の手腕も確かだ。人間界などから工業技術を積極的に輸入しつつ魔界の需要に合わせてリデザインし、その上で中小国家との工業的連携を拡大したり異世界との貿易を活性化させたり、出来上がったパイプラインで娯楽文化の発信と吸収を行ったりとね」
「皇国での自動車シェアもほとんどが民連製といったほどでしたっけ」
「その民連が、しかし本格的に人間と同盟を組んでしまうと話が変わってくる。それは間接的に、莫大な戦力を確保するのと同じこととも取れてしまう。しかもこれと合わせたように第2王女が軍隊を設立したという噂もある。それはこれまで民連のスタンスを評価してきた国々からの信用を失い、経済活動に支障をきたしかねない。そして経済力に打撃を受ければ民連という国自体が傾きかけず、そしてそうなれば我が国にも少なくない影響が出る。しかも、力が弱まれば民連と人間界の協力関係も結局は見切りを付けられかねない」
「魔族というのは、約束は守る民族ですものね。確かに、それで一度武力を持とうものなら約束と違う、信用に値しない、と判断されてしまうかもしれない、と」
なるほどなるほど―――とアスモは頷いた。
テレビでは、ちょうどレオが映った。それと同時に、アスモの摂政兼側付きのルシフェルもまた、皇族一家のダイニングルームにやってきて。
「お食事中に失礼いたします。姫、ジャルダ・バオース侯爵がお見えになりました」
「えー・・・。見ろよルー、今ちょうど良いところだぞー?これ見てからじゃダメか?というかアレと話すのメンドイからルーが適当にやってくれないか?どうせ妾はお前の意見を聞いてしゃべるだけのお人形なんだし」
「我はそれでも構いませんが、そうですね・・・・・・その皿の端によけてあるお野菜も全て召し上がっていただけるなら我が一人でバオース候とお話をしてくるとしましょうか」
「んな、なんたる卑劣・・・ッ!お前それでも妾の従者か!?」
「なればこそ。姫の健やかな成長を思ってのことでございます」
口から出任せを言いやがって、とアスモは心の中で毒づいた。アレもアレで、多分ジャルダと一対一で話すのが面倒なのだ。なにせ、ジャルダ・バオースといえば皇室派とは政治的に対立する貴族派の重鎮で、特に攻撃的な性格の男だ。あと口調がムカつく。
アスモは皿の上に残された黄緑色の宿敵とにらめっこする。アスモもジャルダと会うのは面倒だ。野菜か、ジャルダか。
「ル、ルー。もし妾がこやつらを食べれば・・・」
「えぇ、誓いましょう」
「ぐぬぬ・・・」
魔族は約束を守るもの。ルシフェルとてそれは同じ・・・ハズだ。なに、簡単な話じゃないか。それを口に突っ込んで水で流し込むだけ。たかだか野菜を食べるだけ、なにを迷うことがあるのか。もうガキじゃあるまいし。
「アスモ・・・」
「頑張れアスモちゃん・・・!」
父と母に見守られながら大地の恵みと格闘すること30秒。アスモはフォークを置いて勢いよく立ち上がった。ただし、彼女の食卓の光景には未だに緑が生い茂ったままである。
「姫?」
「ま、まぁ元はと言えば妾が奴を呼んだわけだしな!あー仕方ないな、やれやれ。生産者には申し訳ないなーもう少し奴が遅く到着していれば残す必要もなかったのになー。ということで行くぞ、ルー!」
これを聞いた料理長が気を利かせて、残った野菜を温め直して夕食に出してくるだなんて、今のアスモには知る由もなかった。後に彼女はこの出来事を人生で犯した大きな失敗トップ3に数えたという。
ルシフェルと連れ立ってダイニングルームを後にしようとするアスモを、エーマイモンが呼び止めた。
「待ちなさいアスモ。バオース候とは一体なんの話をするというんだ?こんな折に彼の名が挙がるというのはいささか・・・」
「ご心配なく、お父様。妾は皇国に不利益をもたらすようなことは絶対にしませんから。ただまぁ、先ほども言ったように妾は交流式典がなかなか面白いと思いましたので―――」
そう言って、アスモは可愛らしく微笑んだ。
「是非楽しみにしていてくださいな」
人生最大級の失敗が「残したお野菜が夕食にまた出て来てしまうような発言をしたこと」の女