episode7 sect9 ”トゥルーエンド求め異世界へ”
着替えを人に手伝ってもらったのはいつぶりだろうか。千影は言われた通りにバンザイしながらまだ眠たい目でしょぼしょぼと瞬きした。なんだか、こんなことまで世話を焼かれていると数年分幼くなったか、それとも逆に凄く身分の高い人になったかのような、不思議な気分だ。
「あのー、その手をどけてもらえるかな・・・?」
「ダメったらダメ」
どうやらスタイリストの女性は千影がいつも着けている赤いリボンを外したいようなのだが、ここは千影も譲れない。スタイリストの彼女としては、千影が人間ですらない化物で生意気なクソガキだとはいえ、外見の良さと金髪の美しさは間違いないので、自分のプロ意識にかけて可愛く仕上げたい。それは分かっているが、しかし千影は唇を尖らせてそっぽを向いた。このリボンとサイドテールはもはや千影の外見的なアイデンティティであり、特にリボンは大事な品なので外すなんてもっての外である。
論争の結果の妥協案として、千影はサイドテールを諦めて、スタイリストはリボンを外すことを諦めたのだった。
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9月4日の早朝、着慣れたマンティオ学園の制服に身を包んで、迅雷はIAMOノア支部にある大講堂にいた。基本的に講演会などに使われる場所だが、今は講堂の舞台裏にあるメイクルームで衣装の着付けなどが行われている。もちろん、これから始まるビスディア民主連合での交流式典のためだ。もっとも、学校の制服で済む迅雷の場合はほとんどなにも手直しされていない。用があるのは、華が大事な芸能人たちが大体である。
それでも迅雷がここにいるのは、ここで待っているように千影に言われたからだ。疾風たちA1班はいかにもVIPの身辺警護をしていそうな黒服に身を包んで(李だけはいつも通りだったが)既に本館の方に向かった。今頃はこれから3日間の警護対象である総理を初めとした政治関係者らと挨拶をしているのだろう。こんなところで人を待っているのは迅雷くらいのものだった。
そんな彼に初めて声を掛けてきたのは、千影ではなく自分と同じ色合いの制服を着た、2学年上の先輩だった。
「あら―――神代君?」
マンティオ学園の生徒会長、豊園萌生である。メリハリの利いたスタイルや日本人としてもなかなか珍しいほど純粋な黒髪が素敵なお姉さんだ。今日は式典だから、薄く化粧をしてもらったようだった。萌生らしく清楚に仕上がっている。誰が見ても文句なしの美人さんだろう。迅雷も思わず、早起きで残していた眠気が覚めるようだった。
「豊園先輩。おはようございます」
「うん、おはよう。ごめんね、昨日のうちに挨拶出来たらって思ってたんだけど、夜遅くなっちゃったの」
「へ?あ、いえそんな!俺の方こそ」
「あら、じゃあお互い様なのかしら」
にっこり笑って、萌生は壁に背中を預ける迅雷の隣に並んだ。ふわっとした香りがして迅雷は少し緊張しつつ、弄っていたスマホをポケットにしまった。
「君はどうしてここに?てっきりもう本館の方にいるんだろなって思ってたんだけど」
「千影にここで待ってろって言われてまして・・・」
「なるほどね。・・・まぁ、色々話したいこともあったけど、とりあえず今回もよろしくね、神代君」
「今回”も”だってぇ!?君はいったいとっしーのなんなのさ、このドロボー猫!」
そのガキっぽい声を聞いて、迅雷は「あーうるさいのが戻って来たぞ」と思い顔を上げた。
しかし、次の瞬間、迅雷は不覚にも千影の妄言にツッコミそびれてしまった。
戻ってきた千影は、フリルが多くあしらわれたクリーム色のドレスで着飾り、いつもの赤いリボンも今日は後ろで髪を束ねていた。オレンジのアクセントや化粧が彼女の金髪やルビーの瞳を一段と際立たせていて、まるでお人形さんのようである。
すっかり目を丸くした迅雷を見て、千影は得意げな顔をして迅雷の胸を人差し指でツンツンつついた。
「おや、おやおやおやや?どうしちゃったのとっしー?ボクが可愛すぎてなんも言えなくなっちゃった感じかなぁ~?」
「・・・あー・・・このやかましさは千影ですわ。一瞬他人のそら似かと思った」
「とかいって目が泳いでるそこのとっしーさん、そんな照れ隠しはいらないゾ☆」
「ぐぬぬ・・・ま、まぁ、素材の味は生かされていると思いました・・・」
サラダみたいな褒め方をされた千影は、それでもわりかし満足そうだ。迅雷のツンデレ度合いを考えれば、これでも十分褒められていると分かるからだ。そして、千影は勝ち誇ったようにドロボー猫こと萌生に向き直る。生意気な顔も、今はちょっとワガママなお姫様みたいに見える。
「これで分かったかな?」
「えっと・・・よくわかんないけど、多分千影ちゃんが心配するようなことはなにもないかなー、なんて・・・?」
それはそれで迅雷は酷く傷付くのだが、乱痴気騒ぎは千影1人で十分だ。唇を噛んで迅雷は心痛に耐え、ニ”ッゴリ”笑顔を浮かべた。
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支部本館にて、迅雷は混沌を極めるその光景に口をへの字にしていた。
「だァからイヤだっつったんだチクショー!!はやく、もういっそ3秒後には出発しましょうよ!?」
総理大臣が今日から自らの命を預けることになる警視庁魔対課A1班と挨拶をした結果がこれだ。握手を強要された李のストレスパラメータが早くもカンストしてぶっ壊れていた。こんなとき、いつもなら李は空奈を頼るのだが、肝心の空奈は鼻息を荒くして人気男性アイドルグループやイケメンハリウッドスターと写真を撮りまくっているので人間嫌いの李には近付けない。というか空奈のやっていることもオバチャン臭いというか、コイツもA1班に配属されるような人間なんだなぁと再確認したというか、仕事はどうしたんだというか。まぁどれもツッコんだら笑顔で殺意を向けられそうなので言い出せないのだが。
それにしても、総理大臣っていうと後々のストーリーの展開で重要な活躍がありそうだよね。まぁないんですけど。災害復興とか少子高齢化問題とかで大変な現代日本をなんとかしようと頑張っているようだが、社会保障やら自らの主催した宴会の予算の出所やらエトセトラ・・・どう考えても黒なスキャンダルが見つかっては話題を逸らして追求をはぐらかすなんてことが後を絶たないもんだから、仕方ない。実力と経歴はあっても熱量が足りなかったのよ。
・・・で、逃げ場をひとつ失った李が号泣しながら飛びついたのが、迅雷だった。腰にしがみついてきたのが李じゃなかったら良かったのに、迅雷は全然若い女性に密着されている気分にならない。
「鼻水がつく!放してください・・・は、な、せぇぇぇえええい!!」
「はうんっ」
「ねえとっしー、なんかあのオジサンたちボクのことジロジロ見てくるんだけど・・・」
「そりゃお前がオドノイドだからだろ」
「違うもん!きっとボクに対してイヤらしいこと考えてるんだよ!ねぇお願い助けて!」
「ウソつけ騒ぐなくっつくな!!」
せっかくクリーニングに出して新品みたいに綺麗にしてもらった制服が早くもシワと鼻水だらけにされて、迅雷は涙ぐんだ。半ギレでアホどもをぶん投げたところで汚れも悲しみも消えないのだ・・・合掌。
「なんだか・・・大変ね、神代君」
「分かります?分かっちゃいます?そうなんです大変なんです。ねぇ聞いてくれます?」
「うーん、まぁ、そのうち?」
これは聞いてくれないパターン。迅雷が打ちひしがれていると、杖が床を打つ音がした。
「もう揃ったようじゃな」
ノア支部の職員を連れてやってきたその白髪の老人に、その場の全員が姿勢を正した。ローマ教皇、または第53代IAMO総長・レオだ。清廉にして清貧な人柄の表れた法衣を纏った翁は日本を中心として全世界からやって来た全ての式典参加者とひとりひとり丁寧に握手とハグを交わした。
緊張で固まっていた神代疾風の息子との挨拶を終え、最後、成り行きではあるがこの世界に生きるオドノイドの代表となった少女と向き合ったレオは彼女と目線の高さを合わせるように膝を地に着けた。
「すまなかった。お前たちの命も平等であるべきじゃった。IAMOは許されないことをしてしまった。―――じゃが、どうか、償いをすることは、許してくれんじゃろうか」
「え?・・・・・・は、はい」
「ありがとう」
組織の長が自ら頭を下げるというのは、ありとあらゆる責任と過ち、その一切を認めて一手に引き受けることを意味する行為だ。どよめきがあった。それは、政治家や、報道記者らのものだった。築いてきた経歴も手に入れた地位も、その一言で一度に失いかねない、自爆スイッチを押すような選択。
だが、これこそがレオの示すリーダーシップの在り方だった。人は誰であれ過ちを犯す。故に、真に大切なことは誠実であること。欲を原動力とする島国の政治家には眩しかったことだろう。
もっとも、千影はレオの言葉が持つ意味はそこまで理解していないかった。ただ驚いている間に抱擁を終えていた。
これで、交流式典への招待を受けた人間が一堂に会した。ノア支部の職員が昨晩にチェックを着け終えた名簿を手に、最終点呼を行う。
IAMOの総長。
日本の総理大臣、外相、その他官僚や秘書ら。
米露中を初めとしたIAMO加盟国の中でも影響力のある国々の首脳陣。
各国の異世界外交や経済学の専門家。
日本では知らない者のいないアイドルグループに、俳優や作家、スポーツ選手。
警備を担う日本警察や、IAMOの魔法士。
報道関係者。
学生。
そしてオドノイド。
さながら人種のるつぼの使節団がここに集った。
全身の殺菌処理を経て、彼らはいよいよ魔界への『門』の前に立った。ノア支部が誇る、英国の本部すら凌ぐ世界最大級の異世界への『渡し場』だ。ステンドグラス越しに鮮やかな光が満ち溢れる大聖堂をも彷彿とさせる広大な空間の中でも特に目立つ場所に、その巨大な魔法陣は輝いていた。
『門』の中からは既に電気のコードのようなものが何本も延び出ていて、大きな装置に繋がれている。その装置にはモニタが備えられていた。
「すげぇ・・・」
画面に映されていたのは、この光の穴の向こうの世界だ。そこでは、とっくに人間たちを迎える準備は万端のようであった。画面越しに熱と圧を感じるほどの熱狂が迅雷の全身にぶつかってくる。
迅雷は、それ以上の感想が出なかった。殺伐とした初めての魔界の記憶とまるで違う、希望に満ちた力の波に気圧される。今日、迅雷は彼らを前にして、世界に向けて、言葉を発信するのだ。
手を握られ、迅雷は下を見る。千影が笑顔を向けてくれていた。肩を叩き、萌生がガッツポーズをしてみせる。異世界での会話に備えて『意思疎通魔法』をかけてくれた疾風に、背中を叩かれる。
「堂々としてろ。迅雷なら出来る」
「父さん―――」
そうだ。出来る。だって、もう既に一度成し遂げたのだ。都合の良い広告塔にされていたとしても構わない。オドノイドとの共存と平和な世界、その両立までの最後の一押しは、迅雷の手にもかかっている。
深呼吸をして、制服の襟を正す。
「―――あぁ。今度こそ正真正銘なにひとつ心残りのないハッピーエンドにしてやろうじゃんか」
『門』の中へ踏み出す。二度目の魔界へ。
今度は戦うためじゃなく、手を取り合うために。