episode7 sect8 ”それぞれの明日”
「わちきは伝楽、千影と同じオドノイドさ。今後ともどうぞよろしく、命の恩人様」
「あぁ――――――そうだったんだ」
そう言って、白銀と狐面の少女―――伝楽は屈託のない笑みを浮かべた。
彼女の正体を知ったことで、迅雷は新たな実感を得た。差し出された右手を握るこの出逢いは、迅雷自身が引き寄せたものだ。迅雷が救ったのは、千影ひとりだけではなかった。
「よろしく、ツタラちゃん」
「あぁ、因みに”伝える”に”楽しい”でツタラな。たら、わちきのことは気軽に『お伝』と呼んでくれれば良いのら」
「おでん・・・?」
「お前、今別のこと考えたろう?」
「いや、別に。ところでおでんちゃん、好きな食べ物ってなんかある?」
「わちきの好物か?」
「そそ」
「フッフッフ、もちろんじゃぱにーずでりしゃすナベ、おでんなのら!・・・ってオイ!やっぱりなにか余計なこと考えとるな?」
「いや、ノリが良いなーって」
「ホラ見ろ!ちきしょぉ、人の名前で遊ぶな!!さすがにオコらぞ!!」
「カワイイなこの子」
全然反省しない迅雷におでんは頬を膨らませてしまった。
それにしても、迅雷はさっきからおでんのセリフには不思議な「ら」が多いのが気になっていた。千影ほどじゃないがつっつきたくなるほっぺたを見てニヤニヤしながら「ら」について考察していた迅雷は、案外すぐにあることに気が付いた。
『からかった”ら”け』
『良いの”ら”』
『オコ”ら”ぞ』
「だ」が全て「ら」に化けている。まぁ、つまりただの舌足らず。「だ」の発音に失敗しているだけなのだ。
「やん!!マジなにこの子、萌えポイント高い!!」
千影によって歪められた迅雷に琴線にビンビン触れてしまったおでんは、力の限り可愛がってくる迅雷の手を強引に振りほどいて飛び退くように距離を取った。
「ハァ、ハァ・・・。馴れ馴れしいのはどっちなのら・・・」
「ごめんって、おでんちゃん」
「そのちゃん付けもカッコ悪いから辞めて欲しいな。普通に呼んでくれよ、迅雷」
「分かったよ。・・・ところでおでん、その狐の面はなんか意味あんの?」
「コレの下が気になるか?」
おでんは自分の顔の右半分を覆う狐の面を指差した。迅雷は頷く。
その面は口元がにやけているように見えて少し愛嬌がある気はするが、目は瞑って描かれており、当然覗き穴もない。右目がすっかり隠れてしまっていて、一見すると不便そうに思える。
すると、おでんは自嘲気味に語り始めた。
「なに、実は過去の戦いで右目を失ってな・・・傷を隠す眼帯の代わり、みたいなものさ」
「そ、そうだったのか・・・。やっぱりIAMOにいたらオドノイドはキツい戦いを強いられる、んだよな・・・。そうだよ、俺もその扱いは見てきたんだ。・・・なんかごめんな、変なこと聞いて」
「まー嘘らけど」
「ウソかよ!!」
「嘘に決まっておろう、お前も大概可愛いヤツじゃないか。言った通り、わちきはオドノイドらぞ?傷なんて残るワケがないというのに」
「確かにそうだったーッ!!」
左足を千切られても傷痕も分からないほど元通りに再生した千影の、つまりオドノイドの特性を思い出して迅雷は唇を噛んだ。見事に弄び返されたというわけだ。
「まぁなんら・・・この面は特別なものじゃあない。ただのオシャレなのら」
そう言っておでんは狐面の端に指を掛けた。持ち上げられる面の、その下にある少女の素顔に、迅雷は注目し。
「ダメ、とっしー見たらダメ!!」
「うわっ、千影!?」
階段の上から聞こえた声に迅雷が顔を跳ね上げた直後、おでんの小さな溜息と床を強く打つ音が同時に、迅雷の目の前で発生した。
ハッとして、そして迅雷はこの階段には他にも多くのIAMOの職員がいることを思い出した。今まで見えない壁にせき止められていたかのようにどよめく人々の声が押し寄せてきて左右をせわしなく確認した迅雷は、呆然として正面に目をやった。
千影が迅雷とおでんの間に割り込んでいた。千影の立つ足下は少しヘコんでいる。彼女の飛び蹴りが刺さった痕だ。しかし、おでんは背後から銃弾のような速さで不意打ちを仕掛けてきた千影をスルリと横合いへの一歩で避けていて、今はつまらなそうな顔をしていた。
「とっしー、大丈夫?なにもされてない?」
「・・・え?い、いやなんもされてないけど・・・」
「ホントにホント!?」
「いやホントにホント」
「―――のホントのホントのホント!?」
「ホントだってば」
恐らく4階の感染症検査を終えて3階に降りてきたのだろう千影は、果たしてなぜおでんとしゃべっていただけの迅雷をここまで心配するのだろうか。迅雷の証言だけでは確信を得られないということか、千影はバッとおでんを振り返った。
「ちょっとおでん!ホンっトーになにもしてないの!?余計なこと刷り込んでないよね!?」
「そんなにヤキモチ妬くなよ、ちょっと挨拶したらけで危害を加える気まではなかったさ」
「じゃあなんでお面取ろうとしてたの」
「迅雷がわちきの素顔を見たそうにしてたから?」
おでんがそう言ってモジモジしてみせると、千影からビキッと不穏な音がした。ジト目で振り返る千影に迅雷もジト目を返す。
「とっしーさん?」
「2つ誤解があるようですね、千影さん」
「ひとつ」
「俺はたらしてません」
「ふたつ」
「俺と千影はそういう関係ではないです。盗るとか盗られるとかありません」
千影から向けられる警戒が薄まったのを感じてか、小さな女狐はクスクス笑った。
「マジの仲のようで良かった。オドノイドのことを心から愛してくれる人間なんていないと思っていたからな。それが確かめられたらけでも僥倖なのら。千影、安心しろよ。本当に大したことはしてないから」
「やっぱなにかしてたんじゃん!」
「らから”挨拶”らと言っておろうが。ま、積もる話もあるとは思うがそりゃまた今度。忙しいんじゃろ?わちきはもう行くのら」
ケラケラ笑いながらおでんは迅雷と千影に背を向け、手を振った。・・・が、そのまま立ち去るのかと思えば彼女は急に立ち止まって振り返った。
「そうそう、そうなのら、これを言いに来たのに忘れるところらった。いいか迅雷、千影」
「「?」」
「ビスディア民連に行くなら、忠告しておく。死にたくないなら2日目の夜までに帰ってこい」
今度の言葉は嘘でないと、迅雷は肌で感じた。
「死ぬって・・・どういうことだよ」
「言葉通りなのら。ここらで命の恩は返しておこうと思ってな」
「い、いやでも、だって―――」
―――式典は3日目まであるじゃないか。
迅雷がそんなことに拘泥する前に、千影が口を開いた。
「おでん、なにが起きるの?」
「教えても良いが―――せっかくの異世界観光、しっかり楽しんだ方が良いに決まってるのら。・・・ま、そうならんようにわちきも色々手を打ってやるから、あまり気にするなよ」
結局、おでんは2人を脅したかったのか安心させたかったのか、それすら判然としなかった。彼女と付き合いのある千影でさえ、迅雷と揃って首を傾げるだけだった。
おでんはそのままどこかへと去り、迅雷はその姿が見えなくなると、まるで今まで夢でも見ていたような気分になった。式典は3日、疾風らA1班の警護、2日目の夜までに帰らなければ死ぬ―――頭が追いつかないまま、忠言だけが耳にこびり付いていた。
・・・と、呆けていた迅雷の脳天に稲妻が落ちる。
「剣聖チョップ!!」
「ぐぉあああぁああああぁぁぁぁぁッ!?」
ダサさMAXの技名を叫んだのは、男子も4階での感染症検査を終えたにも関わらずなぜかまだ3階から上がってもこない息子を探しに来た疾風だった。ちなみに《剣聖》というのはIAMOが勝手に疾風につけた『二つ名』である。
「こんなとこでなに油売ってんだ。内科終わったらすぐ感染症って言われただろ。さっさと来い、先生がイライラしながら待ってるぞ」
床に倒れてのたうつ迅雷の首根っこを掴んで、疾風は千影を残し上の階へと戻って行ってしまった。
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「未来は変わる。いや、そも”未来”なんてものは存在しない。存在するのは”予測”でしかないのら」
カラン、コロン。今の台詞は絶対カッコ良かったな、と思いながら、おでんはエレベーターのボタンを押した。
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豊園萌生が『ノア』に上陸したのは22時だった。ただし『ノア』の時計は日本より3時間早いから、体感で言えば19時辺りだ。どっちみち暗い時間なおかげであまり時差は感じない。それとも就寝時に眠気がこないところで時差を実感するものなのだろうか。それも長旅の疲れで気にならないかもしれないが。一緒に空を飛んだ有名な芸能人たちと挨拶させてもらったときはすごく緊張したし、すごく興奮した。
IAMOのノア支部でひと通りの手続きを済ませて、23時半。その後、バスで予約していたホテルに向かい、チェックインしたのが24時。翌日のスケジュールを考えるとシャワーを浴びて眠る以上のことは出来なさそうだった。
「せっかくだから今日のうちに神代君に挨拶出来ればとも思ったけど、仕方ないわね」
煌熾に頼めば今からでもSNSの連絡先をもらえそうだが、いずれにせよこっちは夜も遅いから迅雷への連絡は遠慮すべきだろう。日中に思いつかなかった萌生のミスだ。煌熾に心配された通り、少し予定をすし詰めにしすぎてしまった感はある。
ただ、日本はまだ夜の9時か、と思い、萌生は自宅に電話をして両親に無事に『ノア』に到着したことを伝えた。庭の花壇の世話をくれぐれも欠かさないように念を押して通話を切った後、SNSのチャットで明日葉と煌熾にも今日の報告をしてみた。2人ともすぐに既読がついて、少し盛り上がりつつもそろそろ眠らないといけない。煌熾にはゆっくり休むように、それから明日葉には自分が不在の間煌熾のことを助けてやるように伝え、萌生は惜しみながらも「おやすみ」のスタンプで話を切り上げた。さすがに異世界ではスマホも繋がらないだろうから、少しの間彼らとはお別れだ。
部屋の灯を消し、萌生は瞼の裏に明日の景色を思い描く。寂しい分、楽しみもある。それに、学生のスピーチは明日の予定だ。萌生の言葉が、ひょっとしたら明るい未来に少しは貢献出来るかもしれない。
「さ、頑張れるようにしっかり休まなくちゃ・・・」
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「夜更かしは乙女の天敵やで」
李が夜風に当たっていると、探しに来た空奈にたしなめられた。
「乙女っていうのは合いませんねぇ」
「ウチからしたら乙女やわ」
日中は触角でも生えてるみたいに束ねていた前髪は解かれて、李の目を覆い隠している。口調もいくらか落ち着いたもので、普段の素っ頓狂でトンチンカンなイメージとは打って変わってどこかミステリアスな色気すらある。
「安いホテルの屋上からでもキレイな夜景は見えるもんでしょう?」
「さぁ。ウチは夜景に感動出来るほどピュアやないからなー」
「かぁ~。ヒトに乙女力を説く前にやることあるんじゃないですか、空奈さん」
1センチ横は断崖絶壁の手すりの上に立って綱渡りをしながら李は空を仰ぐ。落ちることなどまるで恐れていないように軽やかな足取りだ。
「で、李ちゃんは夜風に当たりながらなに考えてたん?外におるん、珍しいやん」
「私、人間は苦手でも、人間界は結構好きなんです。知ってました?」
「初耳」
「・・・滅ぼされたくないですねぇ」
李の隠された双眸の見据えるものは、空奈には分からない。蒼黒の水平線か、煌びやかな空の果てか。空奈には、分からない。
「・・・・・・戻ろか。寝坊したら迅雷くんに呆れられるよ」
「それはそれで・・・そそりますな」
「ええから、はよ」
「ヒッ」
李は、空奈の笑顔に観念した。少し名残惜しそうに人工島の夜景を顧みて、明日を憂う。
おでんもオドノイドなので、千影の超高速運動のような特殊能力があります。
あと、おでんの台詞で「だから」「○○だろ」「○○なのだ」とか大体分かりそうなところは「ら」=「だ」で最初から書いちゃってます。コレ分かりにくいんじゃねって思ったときだけルビ振っていきます。
例)A氏 :「腕によりを掛けて作ったわ。口に合うと良いんだけど」
おでん:「たらの煮付けじゃないか!」
→「ただの煮付け」なのか「鱈の煮付け」なのか分からんのら!