episode7 sect6 ”青色”
機内サービスのコンソメスープで火傷した舌を気にしながら数時間の旅を共にした飛行機を降りた迅雷は、眼前いっぱいに広がるオレンジ色のパノラマに感嘆の声を漏らした。洋上に果てしなく覆い被さる夕焼けのベールは、移動時間と時差が用意してくれた圧巻のサプライズだ。
迅雷が現実味のない南国の景色に気を取られていると、疾風に背中を叩かれた。
「みんな待ってるから合流するぞ」
「あ、あぁ・・・うん、分かった」
荷物の受け取りでもベルトコンベアが動いただけで興味津々な息子を引っ張る疾風の苦労たるや。普段は道草食いの千影でさえ呆れる始末だ。
やっとこさノア空港のエントランスまで出てきた迅雷たちは、自分たちの方を向いて大きく手を振る群青色の髪の女性がいるのを見つけた。疾風の部下の一人、冴木空奈だ。
「班長ー、こっちこっち。お~、迅雷くんにチカちゃん、久し振りやねー」
空奈の傍には、彼女と同様にスーツ姿の男性が2人いた。茶髪をツーブロにした若い方が松田昇で、もう片方の経験深さに比例したような凜々しく深い皺の壮年男性が塚田譲太郞、どちらも疾風や空奈と同じ警視庁魔法事件対策課A1班のメンバーだ。彼らもまた、明日から始まる交流式典で警護役として動員されるのだ。
穏和な笑みを投げかけてくる空奈に、迅雷はお辞儀した。千影も気軽な調子で駆け寄ってハイタッチをしていた。空奈には、少なくともオドノイドである千影への悪感情のようなものはあまりない様子だ。
しかし、迅雷が安堵するのも束の間、真の脅威は千影の反応速度をも超えて彼の方へと飛び掛かってきた。
「とォォォォしなりクゥゥゥゥゥン!?」
「でっ、でたぁぁぁぁぁぁ!?」
次の瞬間、みんなの視界から迅雷が消え去った。否、なにかとぶつかって高速で吹っ飛んだのだ。
「うっひゃー!!ね、ねねね、タイチョーこの迅雷クンってリアルですねもしや本物・オブ・ザ・モノホンですかクンカクンカ・・・。このにほひモノホン!!あ”~今私この子と同じ空気吸ってるんだぁぁ、うへううっへっへっっへへへへへへへ・・・スー・・・ハー・・・」
小西李。こちらもまた、A1班に在籍する疾風の部下にして、まさかの副班長を務めるピンク髪の電波女だ。相も変わらず尻尾と耳がついたウサギさんパーカーに身を包む空気の読めない寂しがり屋は、もっと迅雷と空気を共有したくて口をすぼめ、顔と顔を近付け―――。
「いただきまー・・・」
「いぃやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「おのれぇ、とっしーに手を出すなぁぁぁ!!」
迅雷を助けるべく李に跳び蹴りを放った千影もろとも、ショックで弁の壊れた迅雷の魔力が全てを吹き飛ばした。
○
ランク7の戦闘力の全てを注ぎ込んだ疾風のキレッキレの謝罪で空港内に鳴り響く警報やようやくストップした。もちろん迅雷の魔力暴走が爆発物と誤認されたせいだ。明日の『ノア』内で発行される朝刊の二面記事はこれで決まりだろう。なんで一面じゃないのかって、そりゃあ、明日から民連と交流式典があるのだから、それ関連が一番大事な話題に決まっている。
疾風の拳骨を受けた李は床で白目を剥いている。ただ、松田が彼女の頬に指で触れようとすると、触れる直前から既に蕁麻疹を出した李が跳ね起きた。
「いっ、いいきにゃり触んないでください!!」
「あ、まだ元気そうっすね」
李は重篤な人間恐怖症だ。どれほど酷いかといえば、彼女が”人間である”と判定を下した人物が近くに居るだけで錯乱状態に陥り、奇行を繰り返した挙げ句に泡を吹いて卒倒するほどである。松田は李とは警察学校時代からの同期で顔なじみであり、なおかつA1班に配属される程度には突出した技能も持つのでマシな方―――と言って良いのかは分からないが―――すなわち”人間辞めてる”側なのだが、それでも李の中では他の班の仲間たちと比べてかなり”人間”だ。同じ空気は吸えても触れればアナフィラキシーショックを引き起こす。
恐怖を引きずっているのかまだパチパチと漏電する迅雷の頭を撫でて慰めながら、空奈が場をとりまとめた。
「ほな、行きましょか。塚田さんもよろしい?」
「私は良いですが、あの子は?」
塚田が見上げた先には、爆風に吹き上げられた千影が、空港の天井特有の剥き出しになっている格子状の骨組みに引っかかってジタバタしていた。
●
疾風と迅雷、千影の3人を待っていたのは、とりあえずこの警察組だけだ。しかし、行事の主な参加者は他にも大勢いる。日本からは内閣総理大臣、他政治関係者が多い。もっとも、彼らは彼らで別の警護をつけて『ノア』まで飛んだらしい。どんな金の動き方をしているのかサッパリ分からないが、行きからA1班を使うよりも、そっちの方が安上がりだったらしい。
日本から来る他の参加者には、国民的人気男性アイドルグループや、活躍が記憶に新しいスポーツ選手、それから政府主導で人間と魔族の平和的関係構築を推進する啓蒙活動のマスコットに選ばれた俳優・女優もいたり、はたまた異世界外交や経済に関わる様々な専門家たちまで、著名人揃いである。当然、報道関係者もたくさん来る。他にも多くの国から首脳や活動家が招待されているが、とりわけ日本人の参加が多い理由には、やはり『一央市迎撃戦』がある。
それから、なんといっても大事なのは、IAMO総長のレオも参加するということか。異世界外交においてIAMOは謂わば全人類を代表する組織であり、必然的にその長たるレオは全人類を代表する個人と言える。彼が異世界との交渉の場に立つことは少しも珍しいことではないが、その全く珍しくない行動のひとつひとつが人間界に生きる市民にとって非常に重要なことなのである。殊に、オドノイドの件が絡む今回の式典では。
後の日本人参加者は、夜の便で来るそうだ。中には出発直前まで収録のある人もいるそうで、それに合わせた結果ギリギリの便に乗らざるを得ないのだとか。もう1人の学生参加者である豊園萌生も、諸用につき、それに同行させてもらうそうだ。よって、迅雷たちはそちらを待つことはせず、A1班と共にIAMOのノア支部を目指すことにした。
巨大な人工島である『ノア』の交通手段は、自動車が主だ。特に、立地の都合上、自家用車を持って入島するのは困難なためバス利用が基本となっている。他にも島を東西南北に縦横断するモノレールが長距離移動を助けてくれる。ただ、最近は絶海の孤島にも上陸した健康ブームで自転車の利用が推奨され始めているようで、島の至るところに青いカラーの共用自転車が設置されている。
もっとも、迅雷たちが使ったのはモノレールだった。IAMO支部は島の主要施設なのでモノレールのステーションが併設されており、空港と直結しているからだ。
ちなみに、『ノア』内に限りIAMOの発行する魔法士ライセンスは交通系ICのように利用可能となっており、割引等のオマケもついている。ただし、あくまで”ように”である点には注意すべきだ。実際の決済方法はクレジットカードの一括払いと同様であり、支払いの明細はIAMOアプリに届くようになっている。要するに、お得だからと調子に乗って使いすぎると破産する可能性がある。・・・余談の余談になるが、かつてこの「ライセンス決済」を導入しようという試みが米国や日本では存在したが、既存のカード決済とはシステムやUIが大幅に異なることから長らく放置され、今日ではバーコード決済等のスマホ決済の登場で再検討の可能性もほとんどなくなっている。実質魔法士専用の決済手段であるが故に、国や地域で極端に利用者数が変わることも一因だろう。
閑話休題。
初めての驚きに満ちた長旅の疲れでウトウトしながら、ビルの中層階と同じ高さにある窓の外を眺めていた迅雷の視界は目的地の駅舎の壁に占領された。傾きすぎた日はそろそろ、そこに見える水平線のポケットに転がり落ちそうである。
疾風の先導で移動する一行の最後尾に千影と2人でついて歩きながら、迅雷はテレビで見たことのあるIAMOのノア支部を思い返していた。英国にある本部に匹敵する規模を持つ、魔法士たちの第二の総本山。
ステーションと支部本館は直通通路があるので、夕焼けに聳える人類の牙城を拝むことは叶わなかったが、迅雷が一時眠気を忘れるには、一央市ギルドとは比べものにならないほどの巨大なロビーをIAMOの職員証を着けた魔法士たちが行き交う光景だけでも十分だった。SFチックながら、どことなく空港と似た雰囲気を感じさせるのはやはり、ここが数多の異世界と繋がる”港”であるからか。
「あ、疾風さん、グッドイブニング」
不意に疾風に声が掛けられた。くすんだ金髪の好青年、ジョンだ。彼はしばしば日本から呼び出された疾風の下につく形で、疾風と共に仕事をしているランク6の魔法士だ。かつては疾風の管理下にあった千影ともチームを組んでいたことがある。
同じような関係の、エミリアという女魔法士もいるが、今日はジョンと一緒ではなかった。元々、常に同じチームで行動しているわけでもないのだが。
「おー、久し振りだな。元気そうでなにより」
「まぁ、おかげさまで。千影も一緒ですか」
「いるよー。最近はどう?エミリアにはスコア勝てそう?」
「やかましい」
「だよね~」
ケラケラ笑う千影。悔しさで顔を赤くしたジョンは、舌打ちをした。疾風はオドノイドである千影と競争するだけ無意味だと言い聞かせているのだが、ジョンはどうにも同格のエミリアはともかくランク4の千影にまでスコアで負け続けたトラウマで、千影が苦手なのだ。実際、こうやってからかってくるし。
大人げない反応を見ていた迅雷と目が合って、ジョンは苦笑して誤魔化した。迅雷の会釈に応じて、忙しいからと言ってジョンは早足でどこかへ行ってしまった。
さて、なぜ支部に来たかと言えば、交流式典の参加者は今日中にここの受付で『ノア』に着いたことを報告して、それからいくつかの検査を受けないといけないからだ。
ご丁寧に日本語で「交流式典参加者の受付はこちら」と日本語で書かれた立て札に従って受付のカウンターを選んだら、日本語が喋れない職員が現れて一同揃ってズッコケた。
結局、一番ノリノリでリアクションをした関西人の空奈が一番英語が出来るので、彼女に一連の手続きを任せることに。
「そういや冴木・・・小西は?」
「心配無用ですよ、李ちゃんなら、ほら、ここに」
そういえば人が多い場所にも関わらず静かなことに気付いて疾風が辺りをキョロキョロし出すと、空奈がキャリーバッグを開けた。そこには・・・。
「ムゴォッ、ムギィ~!!」
「誘拐犯の手口じゃねーか!」
「こうでもせんとまた暴れますでしょ。ウチは円滑な手続きのために良かれと思て事前に、ね☆」
警察官の風上にも置けない方法で余計な手間を回避した空奈はA1班と迅雷、千影の名前がチェックされたのを確かめて、それからいくつかの封筒を受け取った。
カウンターでの作業を終えた空奈は、疾風から順に受け取った封筒をひとつずつ手渡していくが、迅雷にだけはもうひとつ、別の封筒も付け足した。
「・・・?俺だけ2つあるんですけど、誰かの重なってません?」
「オマケや。それ持ってちょっとウチと来てな」
迅雷は首を傾げた。まず1つの封筒は全員共通の資料や問診用紙のセットだった。空奈に連れられて別のカウンターに移動しながら迅雷は2つ目の中身を取り出して「あっ」と声を出した。その一番上に入っていた紙には”おめでとうございます”の文字が。
○
10分後。
手続きを終えた迅雷はみんなに拍手で迎えられた。
「ねね、とっしー見せて見せて!」
「良いぜぇ・・・。じゃーん!!」
迅雷の手にあるのは、右端に青いラインが入ったライセンスカードだ。
すなわち、ランク2の身分証である。
「おぉ~!やったじゃんとっしー!」
「いやぁ~、まだまだこれからだしぃ?」
「まーたケンソンしちゃってー、このこのー」
千影に肘で小突かれ、迅雷はニンマリ。
疾風も、息子のランクアップを祝って背中をペシペシ叩いた。
「おめでとさん。つっても戦闘はお医者の先生に止められてるけどな!あっはっは」
「父さんそれ今言う・・・?」
「調子乗るといけないから釘を刺したんだよ。ま、今後も無理なく頑張りたまえ」