episode6.5 sect3 ”追憶と真実の狭間で”
ギルバートは、乱入した迅雷にも生気を取り戻した千影に睨み返されても、一切の不快感を見せなかった。なにか挙動があったとすれば、ただ一度だけチラリと余所見をしたくらいだ。
それから。
「トシナリ。君の選択は感情的すぎる。頭を冷やせよ。異性の嗜好は君の自由にすれば良いが、今はオドノイドの存在と世界の安寧が天秤にかけられている。あまり私情を挟むなよ」
「そういうギルバートは本当に全然私情はないの!?」
噛みついたのは、千影だった。
「ギルバートの奥さんと子供さんはオドノイドによって殺された」
わずかにギルバートの目の色が変わる。
構わず千影は言葉を紡ぐ。淡々と、しかし正義であれば不公平が許される道理などないと糾弾するように。
「でも存在自体がシークレットのオドノイドを裁く法律なんてなかった。今もないまま。全てを失ったのに、書類上の事実はねじ曲げられて、そいつは何食わぬ顔で生かされている。・・・憎いんでしょ?本当は、ボクたちの存在そのものが疎ましくて仕方ないんでしょ?今ならなんとなく分かる。この前の戦いでボクに生きて戻れって言ったのは、ギルバートが自分の手でオドノイドを殺してやりたかったからなんじゃないの?」
「・・・・・・ふ。ハハ」
抑揚のない笑声の後に、ギルバートは自身でも意外であったかのようにその指摘を認めた。
「そうか、そうなのかもしれない。私は確かに君たちオドノイドなんて異物はこの世から消え去ってしまえば良いと、ずっと願っていた。今回魔族が提示してきた終戦条件は、私の手でその願いを叶える絶好のチャンスだった」
「じゃあ・・・ギルバートさん。千影の言ったのことは―――」
「あぁ、事実さ。その件に彼女は関与していないし、下手人も既に帰らぬ人だがね」
ギルバートは、ガラスに蓋をされたアリーナ越しの天空を仰ぎ見て、自身の最も幸福だった時代を回想した。時間を巻き戻せるなら、死者が蘇る禁術があるのなら・・・あの頃を取り戻せるのであれば、悪魔に魂を売っても良いとさえ思ったことだろう。生涯において後にも先にもあれほどの喜びと、あれほどの悲しみはきっとない。
「丁度良いね。トシナリ、君はあまりにオドノイドの正体を知らなすぎる。最後の警告代わりだ。少し、私の話に付き合ってくれたまえ」
●
今から11年前。当時33歳だったギルバート・グリーンはまだ現在の役職には就いておらず、任務で年中異世界を飛び回る一介の魔法士だった。・・・と言っても、彼の実力は当時から高いものだった。既にランク6は持っていたし、数々の大規模な任務でその中枢を担ってきていた。
なんてことはない、普通の快晴だったその日も、彼は仕事だった。特別なことがあったとすれば、その日は妻子の見送りがあったことくらいだろう。前日まで、貴重な休暇だったのだ。休み明けの仕事では、いつも2人は部下を連れた彼が異世界に旅立つところまで見送りに来てくれていた。美人の妻と利口な娘は、部下にも上司にもよく羨ましがられたものだった。
休暇中の家族旅行で買ってやった土産物のアクセサリを自慢する娘を部下たちが可愛がっていて、ギルバートは妻から弁当を手渡されて、その次に娘が「いつかパパと一緒のお仕事に就いてお手伝いがしたいの!」と恒例のワガママを言う。きっと、共に過ごせる時間が少なくて寂しかったから、父親ともっと一緒にいられる魔法士に憧れたのだろう。可愛い我が子にあまり危険な仕事はして欲しくなかったけれど、ギルバートはつい「そうだね」と言い、妻は微笑んで「ならまずはもっとお勉強を頑張らないとね」と娘を励ます。
その日は、海上学術研究都市『ノア』に置かれたIAMOの支部局から出発することになっていた。別れ際に、いつものように妻と娘にそれぞれキスをして、2人に手を振りながら『門』を潜った。
それが、ギルバートグリーンに与えられた最後の家族との時間だった。
○
『ノア』にある病院の遺体安置所で変わり果てた姿の妻と娘に再会したとき、ギルバートは初めにそれがなにかの冗談なのではないかと思った。
縦に真っ二つに裂け、その中身―――臓器も脳も全部なくなった空っぽの女性があなたの妻です、と。
幼い子供の細い右腕の肘から先と、強力に握り潰され失敗作のライスボールみたく変形した頭部があなたの娘です、と。
本当に絶望したとき、人はその心情を言語では表現出来ないのだと知った。ギルバートはそのとき、涙を流すことすら出来なかった。
○
『ノア』は、世界中の最先端魔法学研究が大きな人口島上でところ狭しと行われている、子供にとってはまさに夢と冒険の宝島だった。
後に受けた状況説明では、ギルバートを見送った彼の娘は、なかなか来られない『ノア』を見学してから帰りたいと母親にねだったそうだ。別に、なにも問題のないことだった。ガイド代わりに、その日は特に忙しくなかったギルバートの知り合いのIAMO職員が2人に付き添っていたという。
その昼過ぎの出来事だった。
再生メカニズムの研究用サンプルとして『ノア』に運び込まれたオドノイド3体が、輸送車を内部から破壊して脱走した。環境の急激な変化によるストレスで攻撃になっていたのだろうと言われている。元々、言語も文明も知らないままどことも知れない異界から鋼鉄の島に引きずられて来た野生動物のようなものだ。それもまた仕方のないことだったのかもしれない。
ついでだ。
そもそも、オドノイドがどのようにして誕生し、どこからやって来たのか―――という話をしよう。
○
千影は、その出自―――大元を迅雷には明かしていない。知性を養ったオドノイドの多くは、己の過去を忌むべき時代としている、らしい。
とにかく、ひとつ、初めに大切なことを言っておかねばなるまい。
オドノイドは、初めは正真正銘、人間だった。
オドノイドは生まれたときから異形の化物だったのでは、ない。人間の父と人間の母を持つ、人間の子供としてこの世に生を受けた、れっきとした人間と呼ばれる生き物だった。
彼らのほとんどは生後間もなくから幼児期のうちに、異世界やダンジョンに捨てられた人間の子供たちである。
当然、その年齢の子供たちは普通、親に捨てられれば生きていけるはずがない。事実、ほぼ全ての捨て子たちは猛獣に食い殺されるか、長生きできて餓死、病死が関の山だ。・・・が、ごく一部は奇跡的に生き延びる。
どうやって?単純だ。
食料を自らの手で獲得し続けたのだ。低木になる果実を。新鮮な屍肉を。そして時に行き倒れた同胞の臓物を。
それで、なぜ黒色魔力を持たない人間がオドノイドへと変ずるのか。それについては既に理論が実証されている。
幼年期に黒色魔力を持つ動植物の過剰摂取、または共食い、すなわち人肉食を長期間続けるうちに、その幼児の肉体内部の構造に変化が生じ、黒色魔力を生成、貯蔵する器官が全身の複数箇所に形成され始める。これは、人間が体外に黒色魔力を放出する能力を一切持たないことが原因だ。成長期の肉体は、この増えすぎた黒色魔力に適応するために急激な変化を起こすのである。
また、それと平行して、人間にはあり得ない再生能力も備わり始める。筋骨が損壊してもすぐに元通りに治るようになるにつれ、次第に筋力のリミッターも緩み出す。
さらに変異が進行することでやがて、子供たちは己の意思で黒色魔力を扱えるようになり、このとき眼球が黒く、瞳が黄色く変色し、体中の黒色魔力生成器官のうち、体表付近のものから体外へと魔力が噴出するようになる。
噴出した黒色魔力はなにかしらの生物的な形状の器官を形成する。千影を例に取れば、肩甲骨付近から生じる蝙蝠に似た翼や、先端が鏃になっている尾、前腕部から突き出る長くて鋭い鉤爪がそれである。
これは”体外奇形部位”または単に”奇形部位”と呼ばれ、オドノイドの個体それぞれを最も特徴付ける要素であり、同時に彼らの生活を支える重要な器官でもある。
奇形部位が発現する頃には既に、彼らは自分よりも大きな動物を一人で容易く狩ることすら出来る力を手にしている。
こうして、オドノイドたちは生まれてきた。
それが順当に成長すれば、恐ろしい力を持った人型の怪物が出来上がるというわけだ。しかも、元が人間ということもあって知能も高い。中には幼くして興味から大学レベルの数学や物理学の話を嗜んだらしい千影のような例すらある。
だがしかし、圧倒的な力と知性、常識外れの生命力を持つオドノイドは、それでも完璧な生物ではない。むしろ、生物としては完全に欠陥品であった。
なぜなら、オドノイドには生殖能力がないのだ。
厳密にはほとんど失われているというのが正確だそうだが、結局それが性別を持つ生命体としてあまりにも歪であることは間違いない。
性意識や肉体的欲求は成長過程で人間同様発現するが、彼らは子孫を残せない。
にも関わらず、彼らが生きる上で必要な食性は人間やその他、異世界の亜人種たちにとって危険だった。なにせ、オドノイドに変異後の彼らは体内の黒色魔力が枯渇すると死んでしまう体となってしまう一方で、彼らの多くは自身の黒色魔力生成器官の機能と消費ペースが釣り合っていないのだ。しかもその未完成な状態のまま彼らは年齢を重ね、第二次性徴期の中途頃にはオドノイド特性の成長が急激に鈍化、停滞する。
よって、オドノイドはその後も生命を維持するために定期的に黒色魔力摂取を意識した食事等が必要となるのだが、それが問題なのだ。
その目的を最も効率良く達成するために、彼らは生きた獲物を欲する。その行き着くところはモンスター食、そして、人肉食。
○
それが、オドノイドの正体。オドノイドの起源。
確かに、親に捨てられ、それでも過酷な世界を生きるために必死だった子供たちの境遇は同情を誘うものだろう。それを知れば保護を主張する者が現れるかもしれない。今の迅雷のように、彼らに対して好意を抱く者も。
でも、現実はそう単純ではない。まだ確認出来ていないだけで、オドノイドの絶対数は相当のものになる。その大量のオドノイドたちに、必要な食事を人間界で安全・安定供給するのは難しい。では異世界に協力を仰ぐのは?・・・残念だが、それは出来ない。原初の魔力実験で世界間の位相均衡を乱して以降ずっと異世界に対して立場の弱い人間が、異世界に捨てられた怪物たちの面倒を余所に押し付けるなどもっての外なのだ。その事実を知られることはむしろ、さらなる立場の悪化を招く重大案件ですらある。だから、もしもオドノイドを受け入れようとするなら人間界で全てを受け入れるしかないのだ。
しかし、並みの魔法士では彼らが暴れても抑えられない。しかもオドノイドに人間の道徳や倫理観など期待は出来ない。万一、教養のないオドノイドが人間の街に紛れ込めば、どんな事件が起こるだろうか。
そして実際に、万が一は起きた。いや、万に一つという計算がちゃんちゃら可笑しかったのだ。
保護管理の目的が生体実験の被験体だろうが、家族同然の仲だからだろうが、そんなものは関係ないのだ。そのような、おぞましい生態を持つ異物を社会の中に持ち込めば、必然的にあの悲劇は起こったのだ。
どれほど憐れな存在だったとしても、もはやオドノイドなどというものはいてはならなかったのだ。どんな価値があろうと、絶対に存在してはならなかったのだ。よもや理性を持ち道徳を学んだ良識ある個体であろうと例外は許してはならない。全てのオドノイドは生みの親に異界へ放逐されたそのときにきちんと死んでおくべきだったのだ。
――――――と、33歳にして全ての幸福を奪われた男は、オドノイドという生き物そのものを憎悪した。
そして遂に、そんな人類史上最大級の汚点たる捨て子の成れ果ての怪物の存在は、他でもない魔界が気付き、その特性や危険性を認知してしまった。
もはやオドノイドは数多あるあらゆる世界全てにとって生存が許容されない究極の異物なのだ。
●
「これが現実だよ、トシナリ」
「・・・・・・」
「だから私は君がチカゲに向ける親愛は否定しない。それもきっと間違ってはいない。でもね、許されないんだよ。例えチカゲのように賢くて理性的なオドノイドであっても、一つの例外もあってはいけないんだ。1人でも生きていれば恐怖は残る。さながら害虫のようにね。・・・もう分かっただろう?後でいくらでも償いはするから、チカゲのことは諦めるんだ」
全てを語ったギルバートは、迅雷の返事を待った。
彼は、正しい。彼は今自分がしようとしている所業が怪物退治ではなく本質的に殺人であることも理解し、その罪も正しく認めた上で、オドノイドを排すべきと主張している。
彼の話は確かに、迅雷が知らなかったことばかりだった。千影を見ればそこに偽りがなかったこともすぐに分かった。境遇への同情より危険と恐怖に傾いた世界の天秤も、分かった。
そして、迅雷は。
「関係ない」
世界の均衡と秩序の番人と相対して、少しの怯えも、欠片ほどの迷いもなく。
「ギルバートさんの事情も、人間のメンツも、魔界や他の異世界の反応も、オドノイドの真実も、関係ない。どうでも良い!俺は千影と一緒にいたい!千影を失いたくない!謝罪なんて要らない!諦めるのは、ギルバートさん!あなたの方だ!!」
迅雷は一歩踏み出す。
「ギルバートさんがやろうとしてるのはあなた自身が知っているはずの絶望を俺に押し付ける行為だ!!分かってるはずだ!!認められるはずないって!!正しさを盾にして理不尽を振りかざすな!!」
迅雷の背に庇われていた千影も、今度こそ彼の隣に並び立ち。
「ボクも、生きたい。ボクは生きたい!叶うのならっ、ボクだって幸せを掴みたい!!」
「そんな理屈で俺から幸せを奪うなら―――」
「幸せを夢見ることすら許されないなら―――」
2人は手を固く繋ぎ、刃を正面にかざして、全人類全世界に宣言する。
「俺はそんなクソッタレな世界に挑戦する!!」
「ボクはそんなクソッタレな世界に挑戦する!!」
さぁ、覚悟は良いか。
世界に、抗え。