episode6 sect105 ”夢見がちなデジュケーション”
辛うじて回る首を目一杯動かして窓から空を眺める。
慣れない感覚で、体ごと動きかけては毎度毎度「びぃぃん」と腕から伸びるチューブに戒められる。
いずれは、この体を外から縛り付ける医療器具の束縛は解けるのだろうけれど、それでも、内側から掴んで放さない不自由に、慣れる日は来るだろうか。
主治医との話を終えて病室に戻ってきた家族と幼馴染みは、ひどく哀れな人間を見るような目をしていた。分かってはいた。胸が痛んだのは、きっと人工骨を取り付ける手術の傷のせいだ。
人工骨は、あくまで日常生活には十分耐えられる強度しか持たされていない。生身の肋骨と比べれば脆弱である。強大なモンスターの攻撃が胸部に当たれば最後、人工骨はひとたまりもない。へし折れ、最悪の場合は肺に突き刺さる。医者は端的に告げていた。もう戦うな、と。
「俺は・・・後悔なんてしてない」
●
「あー・・・ホント、クソムカつく・・・」
あのオイリーな医者のニッコリ笑顔を思い浮かべ、天田雪姫は忌々しそうに舌打ちをした。
もっとも、実際こんなことになっているのは、大体雪姫の自業自得であって、その自覚があるからこそ彼女は嫌々ながらに言うことをキチンと聞いているわけだが・・・。
それで、そんな天下のマンティオ学園の主席サマはなにがそんなに気に食わないのかと言えば、この情けない人頼みな車椅子生活である。
折れた骨を氷で接いだり、傷口を凍結して止血したりと、怪我も無視して無茶苦茶ばかりするもんだから、いよいよ医者に松葉杖すら取り上げられてしまった。治療さえ最低限で済まされて、嫌でも安静にせざるを得ない。まぁ、本来のケアより若干治療費が浮いたらしいから、全部が悪いとまでは言わないが、それだってほとんどは医療保険から出ているわけで大してお得したわけでもないと思うと、やっぱりムカつく。
天田雪姫の容姿は、人の目によく留まる。日本人らしからぬ―――というか人間らしからぬ肩あたりの長さに揃えられた淡い水色の髪や同色の瞳は、彼女の高純度の氷属性魔力から来る突然変異の代物だ。肌は雪のように白く、繊細な造形は見る者すべてに美形かくあるべしと思わせる。
彼女はまた、『高総戦』の事実上の覇者でもある。そして、『一央市迎撃戦』で最大規模の避難所のひとつだったマンティオ学園を防衛した一大戦力でもある。目覚ましいまでの活躍の数々は彼女の存在を人々に知らしめてきた。
だから、どうしても誰もが彼女に注目する。
・・・車椅子姿の雪姫に向けられる、頭上からの奇異の視線も、なかなか癪に障る。
普段なら、誰に見られても気に留めないところだが、今は少し話が違う。彼女とて明確なアルゴリズムで気持ちをオンオフ出来るわけではない。弱っているところを見られるのは嫌な気分だし、医者に対しても立腹している。つられて気にしていなかったことにも妙に苛立ってしまうものだ。
「まぁまぁ、お姉ちゃんってば」
雪姫の時間を巻き戻せばこうなるであろう雰囲気の、妹の夏姫が苦い顔をする。
本人の望まないままに良くも悪くも認知度が順調に上がっている姉は、家を出てからずっと好奇の視線を向けられっぱなしである。あるいは、あの日の学園に避難していて雪姫に守ってもらった人に見つかると感謝や憐憫の言葉をかけられたりもする。
毎度毎度余計なお世話だと追い散らすうちに、すっかり雪姫の目つきは鋭くなってしまった。
「・・・?いや、お姉ちゃんの目つきが悪いのはいつもか」
「やかましい」
「ふぇーん」
夏姫はウソ泣きしてお茶を濁す。
さて、今日雪姫が病院に来たのは、足の骨折の経過観察だ。受付を済ませ、待合室まで夏姫が車椅子を押して移動する。
それにしてもこの妹、姉がしばらく歩けなくなるほどの大怪我をしているというのに、鼻唄でも歌い出すんじゃないかと思うほど上機嫌なのは気のせいだろうか。
ひとまず落ち着いたので、夏姫はトイレに行くと言って待合室から出て行った。
「はぁ・・・。まさかあの子に面倒見させる日が来るなんて・・・」
それが例え身内でも、誰かに頼るのはこれきりにしないといけない。今のままでは、全然ダメだ。ニュースで事務的に計上された犠牲者数を思い出し、雪姫は唇を噛んだ。ただの数字が脳に焼き付いてずっと離れない。
雪姫はもっと強くならないといけない。高校生最強だとか、教師よりも強いとか、そんなドングリの背比べに甘んじるのではなく、もっと圧倒的な高みを。例えるならば、そう―――。
「おや?やぁ、こんにちは。また会ったね」
「――――――はぁ」
噂をすれば影か、と雪姫は一瞬顔を上げて、すぐに目線を床に落とした。
例えるなら、そう、たった1人で街中に溢れかえる炎の化物を蹴散らし、大元であった太陽のように巨大なアグナロスすら一刀両断してみせた、神代疾風のような。
気軽に声をかけてきた彼の隣では、彼の配偶者で、クラスメイトの母親で、暢気そうな女性がニコニコして手を振ってくる。雪姫にどんな反応を期待しているのだろうか。初対面でもないだろうに。
「・・・・・・?」
雪姫は立ち去らずにいる2人を改めて見上げた。―――どこか、疲れている風だ。あまり顔色が良いとは言えなさそう、か。あの日見た、火を噴くマシンで空へと昇る神代迅雷と焔煌熾の姿を想起する。死なずとも、無事ではなかったといったあたりか。
でも、死んでいないなら、それ以上は関知しないし興味もない。
「挨拶以上の用事でもあるんですか?」
「え?いや、まぁそういうわけでもないんだけど―――あぁ、そ、そうだ。今日は?1人?」
「・・・いえ、妹も来てますが」
「そ、そっかー。あのさ、おじさんたち今からお昼なんだけど、よければ、どう?一緒に―――なんて。あ、勿論検査が終わるまで待つよ」
「遠慮しておき――――――――――――いや、そうですね・・・」
別に、厚意に甘える気になったのではない。ただ、これは貴重なチャンスだ。あの”神代疾風”と評される男と話をする機会なんて、次はいつになるか分からない。悪い誘いではないかもしれない。
途中で答えを翻した無愛想な少女に、疾風は顔を明るくした。
「お、来てくれるってこと!?」
「あらやだあなた。女子高生までナンパするのかしら?しかも病院で」
「んなっ、べ、別にそんなつもりじゃありませんけど!?ただちょ~っとお話出来たらなーなんて思っただけで!それにほら、雪姫ちゃんも一緒だぞってサプライズしたら子供たちも喜ぶに違いないし、ね、母さん、ね!?」
「いや、やっぱり良いです。遠慮しときます」
「あぁっ、ほらもう母さんが変なこと言うから雪姫ちゃん怒っちゃったじゃないか・・・」
「えー、私のせいですかー?」
別にそれは関係ないし・・・と呟いて、雪姫は待合室の時計を見た。
子供たちというのは、つまりたまに迅雷と一緒にいるのを見かける妹と、それから旧セントラルビルでの一件で散々やらかしていた金髪のクソガキのことだろう。そんな連中とも一緒なのは勘弁だ。話をするだけだったらここでも出来る。
「あの―――」
「ん?あ、俺のことは気軽にお兄さんって呼んでくれて良いから」
「・・・・・・は?」
「冗談だから!そんな変態を見る目しないで!?傷付くっ!おじさんなり名前なり適当で良いからさ、ねっ?」
雪姫の蔑視は例え百戦錬磨のランク7の鋼のメンタルであろうと一撃で粉砕するのであった。
夏姫も―――まだ戻らない。今がちょうど良い。改めて、雪姫は自ら口を開く。
「魔法士は、ヒーローなんかじゃない」
「え?」
「だったら、あなたはどうしてそんなに強いんですか。どうやって、そこまで上り詰めたんですか」
それは、雪姫の思想の根元に淀んでわだかまる記憶。
どんなに無敵に見えた魔法士でも、死ぬときはあっさり死ぬ。誰も守れず、死に際に一言も残せず、ただ死ぬ。魔法士は、どこにいたって困っている人がいれば駆けつけて、どんな敵でも必ず打ち倒し、最後まで倒れることなく人々を守り切れる理想のヒーローなんかじゃない。雪姫はそれを知っている。
ただ、この男だけは、そんな現実の壁を乗り越えてしまっているように見えた。だからこそ、彼女はそれを問わずにいられない。
「・・・君の場合、手っ取り早く強くなれるトレーニング法とか、なにをどうしてこうすると効率が良いとか、そんなことを聞いてるんじゃあ、ないんだよな」
そう言って、疾風は黙り込んだ。”ザックリした言葉”を吟味するために。
そして、疾風は考えた果てに妻の横顔を見やってから、確信めいた表情で頷いた。
「それについて、俺から君に教えてあげられそうなことはなにもないな」
「・・・なんで?どうしてですか・・・?」
「だってきっと、君はもう全部持ってる」
「そんなはずない!あの時、あなたが駆けつけたとき、みんなが『もう大丈夫』だって言ってた。しかも本当になんとかしてしまった。この街の全ての人にとって、あなたは間違いなく一央市を救ったヒーローだったじゃないですか。そんな人と同じものを、こんなあたしが持ってるなんて、そんなはずないじゃないですか・・・!」
雪姫は聡明な少女だ。とっくに、自分が買い被ったことを言っていることなど自覚していた。完全無欠の強さを持つように見えるこの男にも、きっと守れなかった誰かはいる。
でも、だけど、それでも、認めるわけにはいかないのだ。だって、それでは辻褄が合ってしまう。せっかく、せっかく、矛盾が現れたのに。
「期待に添えなくてすまない。まぁ、そうだな。これはさっきウチの馬鹿息子にも言ったことだけど、君にも敢えて言っておこうかな。無茶は、しないこと」
そう言い残して、疾風は再び歩み出してしまった。真名もまた手を振って、彼に続く。
「あなたは!」
雪姫は急いで車椅子の車輪を掴んで、2人の背中を追った。
「あなたは・・・ヒーローなんでしょう・・・?」
「魔法士はヒーローなんかじゃない。雪姫ちゃんの言う通りだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
それがトドメだった。
肯定され、雪姫は暗い暗い廊下の直中にたった一人、置いていかれた。
なんだか、俄に可笑しくなってきた。
「く、ふはっ、あは・・・・・・・・・・・・ぁぁぁああッ!!」
ガラガラリと車椅子は反動で転がって、廊下の反対側の壁にぶつかり停止した。
雪姫は腫れ上がった左手をもう片方の手で押さえ、食い縛った歯の隙間から震えた吐息を漏らした。
突然力任せに壁を殴りつけた少女の前を人々が恐々としながら通り過ぎていく。
「違ったんだ、結局。あの人も。あたしが目指すべきは、神代疾風なんかじゃない」
求めるものは、得難くて。
「・・・お姉ちゃん?」
「―――あぁ、なんだ夏姫か。戻ってたんだ。もう呼んでた?うん、今行くから」