episode6 sect104 ”愛と勇気のお値段”
「よう、迅雷。久し振りだな」
「お帰り、父さん」
真名が看護婦さんと協力して持ってきた人数分のパイプ椅子に腰掛けて、疾風はとりあえず、そんな挨拶から息子との会話を切り出した。
「父さんは大活躍だったんだって?」
「さぁ?良いトコ譲ってもらっただけのような気もするけど。お前の方こそ、なんか頑張ったんだって?ギルバートから聞いたぞ」
「へ、へへ・・・」
ずっと憧れてきた父親に褒められると照れ臭くて、迅雷はにやけながらもぞもぞと動いた。本当は寝返りを打って表情を隠すなり、頬を掻くなりしたかったのだが、生憎と全身のほとんどが自由が利かないせいでちょっと蠢くくらいが精一杯なのだ。
「なにいっちょ前に喜んでるんだか。父さんが手放しで喜ぶわけないだろ。お前が死んでたらなんのために頑張ってるのか分からなくなるんだから」
「・・・」
「まぁでも、お前はよくやったよ。あのギルバートにお前が反抗したって聞いたときはビックリした。見ないうちに強くなったなぁ」
千影も疾風と一緒に何度も頷いている。
実際、疾風としては感慨深いものがあったのだろう。彼も、迅雷の抱えていた虚無―――なにもないものを抱えていると表現するのも些か違和感があるが―――を理解していた。でも、唯という少女がかつて迅雷に托した想いや言葉を覆して、本当に大事なものがなにかを考えさせるには、疾風では力不足だった。仕事の都合で一緒に居られる時間も少なく、なにより迅雷から疾風に向けられる憧れの形は、皮肉にも唯に対して向けていたものに似ていたから。
―――千影を迅雷に引き合わせて、本当に良かった。疾風は、自分の行動は正しかったと確信出来た。荒療治にはなってしまったらしいが、意味はあったのだ。
・・・あと、ちょっとだけ、ギルバートのやつが自分で面食らったと証言したものだから、本当にちょっとだけ胸が空くような思いをしたっていうのもウソじゃない。いや、別に疾風はギルバートにそこまで不満があったわけじゃないのだけれど・・・なんというか、そう。イタズラが成功したときのような気分だ。
それはそれとして。
「つっても、それはそれ。父さんもいろいろ持ち上げられてるけどな、なにより前に俺は迅雷の親なんだ。母さんとなにも変わらない。生きてるんだから良かったって話じゃないのを、分かってくれよな。知らないだろ?お前を助けるために千影がどんなに頑張ってくれたか」
「ちょっ、待って―――」
「いいや。千影が言わないなら俺がお前の代わりにお前の恩を売ってやる。迅雷は知らなきゃいけない。いいか、迅雷。こいつは文字通り命懸けでお前を人間界まで連れ帰ってくれたんだぞ。本当に、命を落とす寸前まで魔力を使い尽くして」
「・・・え?」
「迅雷、もう一度自分の命の重みを考えてくれよ。大切な人を作るのは良いんだ。でもな、無茶は、しないでくれ」
「ごめん・・・なさい。でも、待ってくれよ、千影が?どういうこと・・・?知らないうちに、俺は千影を死の危険に追いやってた・・・?」
迅雷は本当に疑問だった。魔力が枯渇して疲労感や脱力感に支配されることはあっても、死ぬことはあり得ない―――はずだ。聞き捨てならなかった。
言われたことについては反省するし、必死に助けてくれた千影にも感謝はする。・・・するが、それ以上にその真相が気になった。まだ迅雷は千影について、オドノイドについて、なにか、決定的に知らないことがある気がした。
迅雷のせいで、理解が足りなかったせいで千影を失うのは、なによりも恐ろしいことだ。一番あってはいけないことだ。
だが、千影は椅子から立ち上がって必死に否定した。
「とっしー、違うの!あれは他にどうしようもなくて―――!」
「千影、ちゃんと教えてくれよ!俺、まだお前のこと全然分かってないんじゃないのか?黙ってることがあるんじゃないのか?」
「そ、れは・・・」
「頼むよ!俺、ちゃんと気を付けるから・・・もうそんな危険にお前を晒さないように頑張るから、そのために教え」
突然迅雷の言葉が切れた。
短い呻き声がした。迅雷のものだった。ベッドからほんの少し身を乗り出そうとした迅雷が突然もんどり打ったのだ。バケツで水をかけられたように一瞬で迅雷の全身が汗に濡れる。胸部に痛みがあるのか、繋がれたチューブを引き千切りながら、痙攣する腕で患部を押さえている。
「ぁ・・・ぅぐ・・・!?」
「とっしー!?どうしたの!?」
「触らないでください!」
あまりの苦痛からか目の焦点が合わなくなった迅雷を見た千影は思わず駆け寄って彼の体を揺すろうとしたが、その手を看護婦に止められた。看護婦は割れ物を扱うように迅雷の姿勢を戻しながら、深呼吸するように大きな声で呼びかける。
玉のような汗をシーツに滲ませながら、迅雷は次第に呼吸のペースを落としていく。緊張は3分もの間続いた。千影は、ぐったりとした様子の迅雷を呼んだが、彼の反応は薄かった。ただうっすら「大丈夫」とだけ呟いて、迅雷はそのまま気を失ったように黙り込んでしまった。まだ痛むようで表情筋は痙攣しており、眠っているわけではないようだが、これ以上会話を続けるのは少々難しいようだ。
看護婦だけがテキパキと行動する中、見舞いに来た全員は騒然としていた。急に部屋の中の酸素が減ってしまったかのように息苦しい。
そのとき、病室のドアがノックと共に開いてがらりと換気がされた。
「やぁ、失礼しますよ?・・・っと。あぁ、あぁ、もう、なになに、どうしたんだいこりゃあ・・・」
冷房で適度な涼しさになっているはずの病室で汗だくの患者と、青い顔をする見舞客の少女を見て、恰幅の良い迅雷の担当医は頬を掻いた。実は彼は、今の状態を知って駆けつけた訳ではなく、迅雷の病室に来客があったらしいと知って様子を見に来ただけだ。それだけに、病室の惨憺たる雰囲気に若干ビックリさせられた。
入り口で突っ立っていてもやりようがないので、彼はそっと扉を閉め、看護婦に適当な指示をしながら迅雷のベッドの足下側に立った。
「まぁ・・・君も毎度毎度シャレにならない怪我して担ぎ込まれてるけど、今回は特に酷かったワケだしね、大切な話の邪魔しちゃったのかもしれないね?・・・っと。まぁそのね、でも、こっちも一応大事な話だから勘弁してくださいね・・・っと」
半分独り言の格好で言い訳をして、医者の割には不摂生そうな外見の担当医は一応持ってきたカルテに目を落とした。困ったように眉を八の字にして、彼は疾風の方に挨拶をする。
「やぁ、どうも。今更自己紹介は要らないですよね・・・っと。ということでね、今回の治療の内容とかについて、以前にも簡単にはお話させてもらいましたけど、改めて説明しようかと思いましてね?でもこの様子だし、あとはこちらに任せて一旦診察室の方、来て頂けます?・・・っと」
「えぇ、分かりました。じゃあ迅雷、また後でな」
無言の迅雷にそう伝えて、疾風はみんなを連れて病室を後にした。
●
無人の廊下を歩きながら、小太りの主治医はもう話を始めていた。
「今回のあの子の傷ですけどね、正直失血性ショックで死んでいてもおかしくなかったよ?・・・っと。正直言うと僕があの子を助けてあげられたのなんてほとんど偶然だよ。まぁ、助けられた理屈も一応あるんだけども、それにしたって助かったのは奇跡以外のなんでもないんだね・・・っと」
深刻な面持ちになる親族とその他をあまり広くはない診察室に所狭しと並べられた椅子でもてなして、主治医は自分専用の回転椅子を軋ませた。
筆記用というより、口元が寂しくなった喫煙者と同じ心理でボールペンをつまみ上げ、主治医はバックライト装置に貼り付けられた写真をペンの先で示した。生々しい画像で直華と慈音が目を覆う。それは、施術前に撮られた、迅雷の脇腹の傷の写真だった。一応の配慮か白黒で現像されていたものの、血は拭き取られ、内部の損傷の様子がつぶさに見えている。普通に生きてきた女の子が直視して平気な画像とは言い難かった。
「恐いもの見せてごめんね?まぁ、まず手術前の状態がコレですね・・・っと。この部分がね、肝臓なんですが。これがもうグシャグシャでしたよ。誰がやったか分からないけど、一度破れたのを半端に治した痕もありましてね?それで、その後更に何ヶ所か破裂した痕跡も見られましてね・・・っと」
とはいえ、モノクロマーブル模様の写真では、医者にここがこうでそこがどうなどと言われても、素人ではぱっと見で理解なんて出来ないし、想像もしにくいものだ。
そんな中、千影だけが生唾を飲んだ。
「それでなんだけどねぇ・・・その、歪なまま再生が進んでしまうと危険と判断したので・・・」
そう繋いで、主治医はバックライトに透かされたレントゲン写真を提示した。
「肝臓の半分を切除しました」
その2枚を比べれば、さすがに一般人でもその違いは一目で分かった。なにかがあるべき場所の半分に、なにもない。
「半・・・分?そ、それ大丈夫なんですか!?」
直華が口元を手で覆った。とはいえ、主治医はこういった反応は織り込み済みだったのか軽く鼻から息を吐いた。
一方で、もう1人、青い顔をする少女がいた。
「ボクだ」
「うん?」
「ボクのせいだ・・・」
「それはどういうことだい?」
「先生、その半端な治し方したの、ボクなの!血がすっごい出てて、恐くなって、なんかもう―――」
今思い返せば、千影は迅雷に対して恐ろしい処置をしたと思う。血管の繋がりとか、そんなものは一切合切無視して、ただ見た目だけ、血を止めようと臓器を袋の形に整えてしまったのだ。千影のイージーゴーイングのツケを、迅雷が払うことになってしまったということだろう。つまりは。
しかし、主治医はふむと小さく溜息を吐くだけだった。
「そうだったんだね・・・っと。まぁ、君がそう気負うことはないと思うんだよね・・・っと」
「ど、どうして?だって実際こんなことになってるのに!ボクが余計なことしなかったら、とっしーだって肝臓を切除しないで済んだかもなんでしょ!?」
「さっき、あの子が生きてるのには一応理屈があるって言っただろう?ひとつは彼自身の異常な魔力量が生命力を維持していたこと。そして、もうひとつが応急処置による止血。まぁつまり、君の懸命な治療のおかげってことだね・・・っと」
「本当?」
「もちろん本当だとも。うん、半端って言ったのは謝るよ。むしろああしてなきゃ絶対にあの子は助からなかっただろうね。君のおかげで僕もあの子を救えた。ありがとうね・・・っと」
それと、と言って主治医は直華と慈音に対して、脂ギッシュだけれど少なくとも好意的で人の良さそうな笑みを作った。
「肝臓ってね、勝手に治るんだよ。100パーセント元通りとはいかないけど、それなりにね・・・っと。さて、それじゃ次なんだけどね」
今度は、主治医は骨格の小さいモデルを引き出してきて机上に乗せた。
「問題はこっち。特にあの子にとって」
そう言って、彼はその標本の、ちょうど肝臓に近い辺りの肋骨をごっそりへし折って破片で机を散らかした。
目を点にする親御さんらに対して、主治医は、ともすればおどけた様子にもとれる顔をして、破損した標本を全員に回した。手元に帰ってきた標本を、主治医は改めて机に飾る。
「こんな感じだったんだね・・・っと。いや、そんな疑った目をしないで?本当だから。これは、自然には元通りにならないね」
「医療魔法でも修復出来ないんですか?」
骨となると内臓ほど致命的な傷のイメージはないからか、さっきより落ち着いた様子の妹が質問した。しかし、主治医は首を横に振った。彼が解説をするより前に、疾風が口を開いた。
「直華、医療魔法っていうのは大部分を損傷した怪我は治せないんだ」
「うん、疾風さんの言う通りだね・・・っと。医療魔法っていうのは傷で空いた空間を想像で埋め合わせていくものなんだ、ザックリ言えばね?」
「だったら―――」
「ただその実ね?」
「っ」
「異物なんだよ。極めて自分の細胞に近い、魔法で作った異物の肉や細胞を埋め込んでるの。ほら、臓器移植の拒絶反応、分かるよね?魔法で再生してもそれは起こり得るんだよね・・・っと。小規模なら良いんだけど、大規模になると確率が跳ね上がっちゃうから、他に治療法があるならそっちにするのが一番なんだよね・・・っと」
それ以前に、そもそもこれだけの大きな損傷の再生なんて、まともな技量と集中力では挑戦すら不可能な領域であるのだが、そこについて不可能とは言わないあたり、この医者の矜恃のようなものが見え隠れしている気がしないでもない。彼の表情には、少なくとも悔しさが混じっていた。
「と、言うわけでね?・・・っと。こんな風に―――」
主治医は、標本に新しいパーツをくっつけた。それは、骨とは色違いの、清潔なプラスチックの肋骨だった。
「今のあの子の肋骨は、損傷した部分を人工骨で補っている状態だね・・・っと。実際はこのモデルより少し人工骨の範囲は小さいけど。さっきの様子からして、急に動いたせいで実際の骨の断面とコレが擦れちゃったのかもしれないね。まだ着けたばっかりだから・・・っと」
そう言って、主治医は人工骨装着後の迅雷の胸部レントゲン写真も指し示した。白黒の濃淡は骨と人工骨とですっかり違っていて、境目はくっきりしていた。
「手術の内容は以上だね・・・っと。それで、今後気を付けることなんですが・・・っと。えー、まず、しばらく激しい運動はダメだね。まああの子も若いから肝臓の再生はそれなりに早いかもしれないけどね?やっぱり負担のかけ過ぎは良くないね?退院後も定期的に検査はしないといけないね・・・っと。で、ね―――」
黙って自分の話を聞いてくれる千影たちの前で気まずそうに主治医は天井を仰いで、ペンを弄んだ。彼がなにも言わないせいで妙な無言が続く。
主治医の彼も、何度となく面倒を見てきた腕白少年のなりたい職業は理解していた。それ故に、その現実を告げるのが心苦しくて仕方ないのだ。これが初診の、特別将来の夢を思い描いていたわけでもない患者なら、どれだけマシだったか。
結局、それでも医者として事実を隠すことなんて出来ないのだが。
意を決して、主治医は骨格模型に取り付けた人工骨パーツを、指で強く弾いて強引に外した。呆気なく吹っ飛んだ人工骨パーツは机の上をバウンドして、床に落ちた。
「・・・・・・言いにくいんだけどね?・・・あの子はもう、魔法士として戦うのは避けるべきだよ」