episode6 sect102 ” Awareness of Sin ”
「っつかさぁ?マジなの?煌熾のヤツ」
「マジもマジの大マジよ?その場にいたっていう聖護院さんから教えてもらったんだもの」
「・・・あー、そう」
茶髪のポニテ、泣く子も黙るマンティオ学園の風紀委員長の柊明日葉は、清楚な黒髪ロング、才色兼備で人望の篤い生徒会長、豊園萌生のニッコリスマイルに対して心底おっかなそうに眉を寄せた。
今朝、学生寮を出るときに見かけたあの1年生のツインテ魔弓使い(師匠で巨乳な方)は、なんか強姦でもされた後のような目をしていたが・・・・・・なにがあったのかは触れるまい、と明日葉は俯いた。
話をしている間に、2人はマンティオ学園の男子学生寮に到着した。元々マンティオ学園はオラーニア学園と共に日本に2校しかない国立魔法科高校ということで、人気と所在地の関係からそれなりな数の学生たちが親元を離れて寮生活を送っている。煌熾もそのパターンの1人だ。
萌生の言うことには、どうやら彼はこの間の戦いの最中に神代迅雷と共に魔界まで行って戦いの最前線に参加していたらしい。初めは突拍子もない話過ぎて半信半疑どころか8割9割は嘘情報ではないかと疑っていた。今もその疑念は残っているが、しかしながら数日経ってもSNSのメッセージに既読がつかず、電話をかけても応じない後輩のことがだんだん心配になってきて、萌生は直接様子を見に行くことにしたのだ。明日葉はそんな彼女の付き添いだ。可愛らしいことに、1人で男子寮に行くのが心細いと言われてしまい、仕方なく喜んでエスコートさせていただくことにした次第である。
もっとも、2人とも煌熾の部屋番号なんて知らない。まず女子生徒が男子寮を訪問すること自体がほとんどないからだ。細かく拘るのも七面倒なルールだが、学生の風紀というやつだ。よって、まず2人は郵便受けに書かれている名前から煌熾の部屋を確かめながら―――。
「しっかしホント、萌生は煌熾のことんなると必死だねぇ。やれやれまったく」
「ひゃうっ。そそ、そういう動機ではないのよ!?だって・・・そ、そう!焔君はウチの模範的な生徒像じゃない!それがこんな無茶をうんぬんかんぬん―――」
「あー、良い、良い。アタシはちゃーんと分ぁってるからサ☆」
ポカポカ殴られながら明日葉は最下段にあった数字を覚えて立ち上がった。
「ま、なんつーの?アタシもあいつがアタシに内緒で面白そうなことしてんのは気に入らないし。だから会ったら最初に一発ずつぶん殴ってあげようぜ」
「そ、そうよね!うん!」
萌生はともかく、明日葉にぶん殴られたら冗談抜きに死ぬ気がする。
・・・のは置いておいて。
ちょっと軋むエレベーターで上階に登って、整然とした廊下を進み、角部屋の表札を確認してから萌生はインターホンを鳴らした。返事はない。
「・・・もう一度鳴らしてみるわね」
「・・・・・・。出ねぇな。出掛けてんのか?」
とはいえこのまま出直すのも忍びなくて、明日葉は舌打ちをひとつ。それから、ドアを激しくノックした。
「オイコラ、煌熾ィ!!そこにいんのは分かっとんじゃボケェ!!テメーこの明日葉さんと萌生さんをこんな炎天下ずっと玄関前で待たせる気かァ!?早よ表出てこいやオラー!!」
華のない男子寮に舞い降りた美人の生徒会長見たさに窓から顔を出すヤツが6人、ヤクザ紛いの怒声を撒き散らす風紀委員長にビビってチェーンロックをかける音も6件。
そして、全くの無反応が1件。
確かに、普通に外出しているだけかもしれない。・・・が、『一央市迎撃戦』の爪痕は深い。あんな戦いの直後に遊びに行けるような場所も余裕も、ないはずだ。
まぁスーパーマーケットなんかは営業を再開しているので、食材の買い出しだったら仕方がないとして――――――明日葉は思い切ってドアノブに手をかけた。萌生が慌てて止めようとするが、彼女は構わずノブを掴む手に力を込めた。
「邪魔すんよー・・・って、オイオイ」
「鍵が、空いてる・・・?じゃあ・・・?」
すんなりと空いてしまった扉の奥から一体何日間熟成されたのかなど考えたくもない異様な熱気が溢れ出し、呆気にとられて玄関前に立ち尽くした少女たちの肌を汚らしく撫でた。
「うげぇ。換気してないだろコイツ」
「ほ、焔君!?いるの!?」
「あ、ちょ、萌生!待ってよ!」
萌生はらしくもなく靴を雑に脱ぎ捨てて、煌熾の部屋に上がり込んだ。一般的な学生寮と比べるとちょっと優遇されているかな、と思う程度の広さの部屋は、真っ昼間でもカーテンすら閉めきっていて、明かりも点けず、真っ暗だった。
萌生は部屋の明るさをなんとかするよりも優先して、煌熾の姿を探した。
トイレの電気は点いて・・・いない。風呂場から水音はして・・・いない。ベッドの上で寝坊をして・・・いない。
「いない・・・のかしら。はぁ・・・、なんだ。きっとお出かけで鍵を閉め忘れちゃったのね―――」
ドアが開いて暗い部屋を見たとき、初めは不安に感じたが、それは最初から感じていた不安により思考がバイアスされていた結果だろうと萌生は冷静に戻って納得した。しかし、あの煌熾でも意外にお茶目というか、間抜けなこともするのだ。まぁこの時期、こうして訪問したのが萌生たちではなく火事場泥棒だったら、と思うとゾッとしないけれども。落ち着くと、萌生は肩の力が抜けると同時にクスッと笑ってしまった。全く、仕方のない後輩だ。
・・・と。
「―――――――――――――――――――」
「・・・ぇ?」
なんだ。
なにかが。
どこからか、掠れた音がする。
萌生はギョッとして、明日葉がいるはずの玄関側に目を向ける。だが、明日葉はそんな聞き取りづらいしゃべり方をするか?いや、しない。だったら?どこだ、なんの音だ。萌生は微かな音―――声の源を探し始めた。
「暗ッ!!ったくもう昼だってのに」
熱の籠もった部屋といい、もうウンザリした明日葉は一番に窓際に駆け寄って、ザザァ、とカーテンを一息に開いた。快晴の強烈な日光に目がチカチカして顔を背けていると、彼女の背後で萌生がただならぬ様子の声を上げた。
「ど、どうしたの焔君!?」
「お、なんだ?いやがったのかこの野郎」
これはいよいよ煌熾の私生活が案外恐ろしくだらしないということか・・・などと考えて背後を確かめた明日葉は、1秒後にはこれがそんな軽い事態ではなかったことを知った。
そこに。
部屋の片隅に。
猛暑にも関わらず頭から毛布を被って蹲り、虚空を見つめて呪文のようになにかを延々と繰り返し呟く、焔煌熾がいた。
○
「・・・ろしたころしたころしたころしたころしたころしたころしたこ・・・」
○
「焔君、ねぇ!ちょっと、どうしちゃったの!?」
「―――――――――――――――」
「焔君ってば!!」
あまりにも微かな声で、この距離でさえ萌生には煌熾がうわごとのように繰り返す言葉を上手く聞き取れない。
いくら強く揺さぶっても、煌熾は目線を萌生に向けることすらしてくれない。
眠っていないのか彼の目は腫れて、食べていないのか頬はこけ、たくましく強かった印象の少年は見るも無惨な姿だった。もはや彼はこうして揺すられていても、萌生がいることにすら気が付いていないのではいかとさえ思えた。尋常ならざる狂気を目の当たりにして、萌生は目眩を覚える。あの堂々としていて誠実だった彼の身に一体なにが起きればこんな風になるというのだ。
首がまだ据わっていない赤ん坊のように、揺すられるがまま死んでしまいそうな煌熾を萌生は何度も呼んだ。
呼んで、呼んで、呼んで、そして、首根っこを掴まれていきなり後ろに放り投げられた。萌生の頭が追いつかないうちに、痛烈に肉を打つ音が響き、衝撃で床が震えた。
「ぁ・・・え、あーちゃん!?な、なにをしてるの!?」
明日葉が、宣言通りに1発、煌熾をぶん殴ったのだ。
とんでもない威力で殴られた煌熾の体は砲弾のような勢いでキッチンと今を仕切る壁に叩きつけられて亀裂を残しながらバウンドし、そのまま転がって洋服ダンスの角に頭からぶつかった。
「ぁ、がふっ」
だが、そうしてようやく、煌熾の口から呪文ではない声が発せられた。口の中が切れたのか、口から頭からタラタラと血を流す煌熾の胸ぐらを、明日葉は容赦なく掴み上げた。自分よりも20センチ近く上背の煌熾の足が地面から離れるほど持ち上げ、明日葉の三白眼が虚ろな彼の瞳を捉える。
「よォ、おはよう」
「・・・・・・あぇ・・・?」
「お・は・よ・う―――つってんだ聞こえねーのかこの廃人野郎!!」
「ぉ・・・はょ・・・ます・・・?」
フン、と下らなそうに鼻息を吐き、明日葉はベッドに転がした萌生に水を注文した。彼女がわたわたしている間に明日葉は煌熾をベッドに座らせ、それからさっきの続きとばかりに部屋の窓を全開にして換気をした。
スゥ、と一気に空気が浄化される。ジトジトした茹だるような外気だが、それでもこの部屋に充満している腐った空気よりずっとマシだ。明日葉はさらに玄関や風呂場の窓も開け放って、シメになぜか倒れたまま放置されている扇風機を立て直して「強」で始動した。
萌生は大きめのグラスに注いだ水を、ベッドの煌熾に渡した。一応、彼もグラスを受け取るくらいの動作は出来るようになっていた。萌生は彼の目をジッと見つめて、心配そうに首を傾げる。
「・・・飲める?」
「ぅぁ―――」
ゾンビみたく、脳ミソが溶けた後みたいだ。一体いつからこんな風にしていたのだろう。ひょっとしたら、今も朦朧として、自分を構っている萌生や明日葉のことを彼女たちであるとはっきり認識していない可能性すらある。覚束ない煌熾を萌生は補助してやって、ゆっくりと水を飲ませる。
「えっほ、ごほっ、ごっふぁっ」
「大丈夫!?ごめんね、一気に飲み過ぎたね!?」
萌生は優しく煌熾の背中を叩く。
「あーちゃん、一体、焔君どうしちゃったの?どうしたら良いんだろう、私・・・!?」
「落ち着けよ。まぁそーだね、とりあえず休ませてやんないと死んじまうよ。あとメシだね。台所見たけど、ゴミが古すぎて全部腐ってる。多分しばらくなんも食ってないよ」
「えぇッ、そんな!?」
もはや虚ろとはいえ意識があって動けているだけでも不思議に思うような事実だった。煌熾と明日葉の顔をそれぞれ何度か見て、それから萌生はベッドから立ち上がる。
「えっと、じゃあ私ごはんを―――」
「や、いいよ。萌生はそいつの世話してやって。メシはアタシが用意してやっから」
「あ、うん・・・でもそこのコンビニ、お弁当あるのかしら?」
「はぁ?なんでアタシがこんな廃人のために金使わなきゃならんのよ。冷蔵庫にあるもん適当に拝借すりゃ良いっしょ」
「あぁ、そっか、そうね・・・・・・・・・・・・ん?え、ウソ。あーちゃんお料理するの?」
「オイ、サラッと失礼だな!!」
異臭の塊と化した生ゴミを一旦バルコニーに置いてあった大きいゴミ箱に移して、台所のゴミ箱に新しい袋をかけながら、明日葉は舌打ちをした。
「一応ひとり暮らしだし、自炊はたまにすんの。・・・つっても、そんな状態じゃまともな食事させても吐くのがオチだろうし。今回はテキトーにお粥ぐらいで済ませるつもりだけど」
「そう・・・ありがとう。なら任せちゃうね」
勝手に人の家の米を量ってとぎ始めた明日葉からは視線を外し、萌生は水を飲み終えた煌熾をベッドに寝かせた。
「なにがあったのか、私には分からないけれど、ゆっくりで良いわ。1人で抱えず、後で、私にも話して頂戴ね。さて、まずは傷の手当てをしてあげないとね。あーちゃんもさすがにやりすぎよ。えっと、うーん・・・救急箱とかあるのかしら。ちょっと探させてもらうわね」
変なモノ(詳細への言及は避ける)が出てこないか内心ビビりつつ、萌生は適当にいくつか分かりやすい戸棚を探して、消毒液とガーゼを発掘した。やはり元は真面目な煌熾なので、しっかりしたものが揃っている。濡れタオルも別に用意して、萌生は煌熾がタンスにぶつけて出来た頭の傷の血を拭き取った。スキンヘッド同然レベルに髪を刈り上げているから拭きやすい。
「腫れも酷いなぁ。仕方ないわね」
萌生の魔力は紫色魔力、ただし土属性魔法の極めて特殊な亜種属性、植物魔法であり、彼女はそのスペシャリストだ。『高総戦』での活躍などが専ら有名でランク4の強力な魔法士というイメージがついて回るが、彼女の魔法は戦闘用ばかりではない。
萌生は魔法で季節外れなヨモギを急速に成長させる。元来、ヨモギはなかなかの万能薬としても知られている植物だ。消炎作用が今の目的なので、萌生は意図的にその成分が強まるよう成長を弄り、その葉を摘んで塗り薬と口内の傷用に煎じ湯を用意した。
湯沸かしのためにコンロの半分を空けた明日葉は、作業に勤しむ萌生を感心したように見ていた。
「萌生の魔法は便利だよなぁ」
「そうね。お花好きで良かったわ。それが高じて他の植物のことも色々知ってこられたし、この魔法は私にはピッタリだと思ってるの」
「しっかし薬草に詳しいのってさ、なんかこう、萌生って田舎のばーちゃんっぽい――――――」
「おばあちゃん?」
「な、なんでもない。ないからね!?なんでもないっつってんだろ!!背後で蔓のムチをワキワキさせんな!!」
「・・・はぁ。むしろこのご時世こそ魔法士なら野草の特徴を勉強しても良い気がするの。ダンジョンで見かける草花の専門書なんてのも出てるんだから」
愚痴りながら、萌生は出来上がった特性の薬と元々あった消毒液で、未だ心ここに在らずな煌熾の怪我の手当をする。表情からは伺えないが、煌熾の肌を覆う気持ちの悪い汗は次第に引いていった。効果はあるようだ。
「さてと・・・」
「萌生、体も拭いてやんなよ」
「・・・ぶふっ!か、かか体を!?えぇ~、えぇーっ!」
明日葉のあの表情。絶対に萌生の反応で遊んでいる。・・・が、確かにその通りだ。今の煌熾はさすがに不潔で不健康に過ぎる。男性の体に全然耐性のない萌生は、覚悟を決めたのであった。
「でもう、上だけね!」
「フツーそうでしょ。・・・なに?ひょっとしてアタシが当たり前そうに下も脱がせって言ってたら―――」
「あああああああああああッ!!」