episode6 sect100 ”黒幕”
魔界と一括りに言っても、人間界のようにたくさんの国家、人種がある。いろいろ語弊があるが、ザックリ言うと影響力という意味では人間界のアメリカのようなものが、皇国と呼ばれる既に民主主義システムが浸透した特異な貴族政治で成り立つ国である。
そして、言ってしまえば一央市侵攻作戦が起きた元凶はこの国である。
その皇国の王城にある広い議場では、上座に王女とその摂政を据え、立派な木製の長机を多くの貴族たちが囲み、リリトゥバス王国領内で続いている王国騎士団と人間の精鋭部隊(?)との戦闘の次なる経過報告を待っていた。
このとき、圧倒的にさえ見えたリリトゥバスの虎の子とやらは、既に散った後であった。
したがって、今、ここに残っている貴族たちの間には危うい雰囲気が充満していた。
「や、やぁ、しかし―――」
上品に切り揃えられたしなやかな黒髪、白い肌、漆黒の目に浮かぶ満月のような瞳。幼くも美しい皇国の姫君アスモは重苦しい空気に耐えかねたように口を開くと、ひとつの席に視線を投げた。
その虎の子こと『アグナロス』という双頭の火竜の猛威を知って、一度は戦いの結末を知った気になってちょっかいを出す気も失せ、退室しかけたジャルダ・バオース侯爵のむず痒そうな表情が、アスモの黄金の瞳の上に像を結んでいた。
「バオース候の言いたいことも、まぁ、分かるぞ。分かるんだが、もう少し待ってはくれよ」
「えぇ、でぇはじぃぃっくり待ちましょうぞ?」
その、待つべき最終報告は、それから程なくして卓上に届けられた。
「申し上げます!『箱庭』の管理施設に設置されていた『門』の制御装置および同調機の破壊が報告されまし―――」
1人が話を終える前にまた1人急ぎ足でやってきて、初めにいた報告係に新しい報告書・・・と言うには雑把なメモ書き同然の紙切れのようにしか見えないものを押し付ける。
「えぇと、追加の報告です!・・・って、な、うわ・・・」
「なんじゃ、早く申せ」
「はっ、申し訳ありません姫様!王国の所有していた『門』の術者10名全員の死亡が確認され・・・人間は彼らの撤退に用いていた高速ヘリを奪取、『箱庭』を脱出した――――――と、のこと・・・です・・・。また、アルエル・メトゥ騎士団長が重傷、その他の騎士らも負傷により追撃を断念したとのことです。なお逃走した人間たちは恐らく魔力空間内に幽閉されるものという予―――」
「ぬぁぁぁにぃぃ?」
「ひっ」
ジャルダが突然声を張り上げ、彼の傷だらけの顔面効果も手伝って報告員が短く悲鳴を上げた。
しかし、ジャルダはどこを見てもマイナス要素しかなさそうな報告を受けたにも関わらず、どこか嬉々とした表情にさえ見えた。彼は再び席から立ち上がって机を両手で鳴らし、姫君とその摂政に対して勝ち誇るような目を向けるのである。
「要するにぃ?完くの!全くに!待ったなしに!姫様の信じなすった王国騎士団は街ひとつ攻め落とせない!どころか!守るものも守れない無能集団だった!!ということじゃぁ、ございませんかぁぁ???」
ジャルダのアスモに対する無礼にいきり立つ魔姫派の貴族らを御して、アスモは嘆息した。
「はぁ・・・。あぁ、まぁそうだったらしい。せっかく妾が”激励”してやったというのに、情けないものだな。妾の見込みの甘さは認めて陳謝しよう」
「ほほぉ~、そんなぁ、お気に病まれずとも―――」
「だがな、バオース候」
「んん~?」
「やはりお前のところの私兵団は動かすな」
摂政ルシフェルの耳打ちを受けながらアスモは淡々と語る。ジャルダのこめかみがひくついた。
「なぁぜですかぁ。私にお任せくださればぁ?今からでも取り返しを着けて見せましょぉうにぃ」
「だから。取り返さなくて良いと姫様はおっしゃっているのだ」
アスモに代わりジャルダを黙らせたのはルシフェルだった。いいや、特に難しい理論ではない。言われるまでもなく、ジャルダも分かってはいた。
「確かに敗北したというのは最悪の結果ではありますが、我々皇国が得られる利益に大した差異はないのですから、この期に及んで余計な労力を払う必要はないのです」
「・・・まぁ、道理ですなぁ。いずれにせよ王国騎士団は姫様の信頼、恩情に報いられなかった。となればぁ、リリトゥバスには落とし前をつけてもらわなければなりませんからなぁ」
完全に皇国が王国より上位にあるとした上での発言であったが、誰もなにも、それに対しては言及しなかった。それが事実だった。
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皇国の技術の粋を集めて生み出した”優れた生物兵器”を王国騎士団に貸与し、アスモの有する他者の力を強化するという極めて特殊かつ可能性に満ちた能力の恩恵を実質無条件で与えたこと。物的にも軍事的にも情報的にも、皇国はリリトゥバス王国に対して破格と言える支援を提供した。今までの両国の仲の悪さからは想像出来ないほどの優遇っぷりで「遂に手を取り合った2大国!!」などと大ニュースになったものだが、それはさておいて、とにかく両国間のパワーバランスはこの事実からとうに明白であろう。
勝てば感謝、負ければ深謝。つまりこれから、皇国と王国は報じられたとおりに”友好的な”関係を築いていけることは変わらない。
というか、もっと前の時点でちゃんと説明しておいたはずなのだ。『士気の話を別にすればこの戦いで敗北したところで戦局を巻き返すのは困難ではない』という考えがこの議場にはあった、と。別に私兵団の力を見せびらかしたくて仕方のないジャルダだけが傲慢だった訳ではないのである。
以上をまとめると、つまりアスモの言いたいことイコール摂政ルシフェルの意図は「敗戦国の尻拭いに時間は割かずに、たっぷり搾ってやって、皇国は皇国のタイミングで兵を動かせば良いでしょ?」といった具合だ。
高みの見物とはまさにこのことである。
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ジャルダも大人しくなったところで、アスモは固まりっぱなしだった報告員を下がらせ、ルシフェルに目配せをした。この場にいる貴族たちにはバレバレの、アドバイスを求める合図だ。戦いは王国の敗北で終わった。差し詰め、この集まりをどう締め括ろうかと悩んだのだろう。
「ルー」
「――――――」
「ふむ、よし、皆の者。初戦で魔族側が大敗を喫するという不測の事態になってしまったが、今後皇国がどう立ち回っていくか具体的に話をしていこうと想う。・・・と言っても妾はまだ戦いには疎いから、頼らせてくれると嬉しいな」
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「ああッ!!全く、肝を潰した!!」
「姫、はしたないですよ」
どうせ決まっている今後の方針についての怠い会議なんて適当に終わらせて、同じ城内にある議場より立派な自室に戻ってきたアスモは、ふかふかの皇族特注ベッドに飛び込んで華奢な手足をじたばたさせた。ルシフェルがたしなめてもアスモはちっとも気にしない。いつものことだ。
「確かに途中の形勢は想定外でしたが、最終的には計画通りでしょう?」
「むぅ・・・まぁ、そうだけど。うん、そうだとも。リリトゥバスが負けてくれて本当に安心した!・・・アグナロスだよ。あいつがかなり危なかった。なんなんだ本当、あんな大戦力だったなんて知らなかった。初めからプランを崩されていたら拗ねてルーに全部丸投げするところだった」
「そうでしたか。それは残念でした。まぁその火竜も死んだのでしょう?神代疾風の手によって。なにをそこまで拗ねてらっしゃるので?」
アスモはむくりと上体を起こし、ルシフェルの実に興味なさげな顔を見て苦笑した。アスモが無理に彼を引き止めるから、仕方なく付き合ってやっている感が隠せていない。
アスモも仕方なく、少しは興味を引けそうな話の切り出し方を選ぶ。
「生きてるよ」
「・・・はい?」
「あのボンボンドラゴンは死んじゃいないと言ったのさ」
「なぜそう思うのです?確かに完全に吹き散らされたはずですが」
「女の勘ってヤツだよ――――――って、おい!途端に呆れた顔をするなぁ、お前ってヤツは!」
今のその顔は、「女の勘」に対する不信感か、はたまたそもそもアスモが「女」扱いされていないのか、どっちなのだろう。いや、多分両方だ。あの長身若白髪ヤローの冷え切った目が語っている。
肩をすくめ、アスモは頬を膨らます代わりに妖しい微笑を作った。こうすると、あどけない顔立ちも随分優雅になる。
「生きているから拗ねているんだって。妾が信じられないか?ルーよ」
「警戒をしておくことに損はないかと存じ上げております」
「あははっ、全く素敵な答えだ!ルーは騙されない人というより信じない人だな」
「滅相もない。ところで、拗ねている理由というのはそれだけなのですか?でしたら我はそろそろ・・・」
「まぁ待て。ルー。もうちょっと妾はお前と話がしたいんだ。分かっているくせにすぐ帰ろうとしないで欲しいな」
皇国民なら誰もが一生に一度は恋い焦がれる(本人評)美しいお姫様の愛くるしい上目遣いにも摂政は全く動じない。面倒そうに返しかけた踵を元に戻すだけだ。
「理由ならまだあるさ。ところでルー。今日の戦いでリリトゥバス王国騎士団から何名の死者が出たか覚えているか?」
「はぁ。確か・・・12人でしたか?」
「惜しい。13人」
そして。
「・・・・・・たったの13人だ」
突如、アスモは天井を仰ぎ、嘆くように、腕を大きく広げた。ぞぞ、と彼女の背に生えた小さな小さな翼が不自然に蠢く。
「もっと死ねば良かったのに!死ぬべき場面だったのに!面白くない!!面黒い!!」
「姫・・・?急にいかがなされました?あまり穏やかでないことを大声で叫ばれると外の者にも聞こえかねませんぞ」
立ち上がった王女の地団駄と甲高い叫びが広い部屋に木霊する。さすがのルシフェルも、豹変した主に困惑した。以前は殺害された自国の騎士や工作員らを気遣うような発言をしていただけに(まぁ、それも所詮は1人の為政者として国民への誠意を示すために上辺だけ取った態度でしかないのは知れたことだが)、他国の騎士にまで同じだけの気持ちを向けることはないにしても、かなり意外な発言だった。
・・・が、アスモも言われて気付いたのか、ハッとして動きを止め、赤面して咳払いした。
「ん・・・すまない。妾としたことが取り乱してしまったな。まぁ、その、なんじゃ」
「負けてもらうついでに主戦力も失ってもらいたかった、という意味でしょうか?」
「はは、さすが取り繕うのが上手で助かるが、それは半分かな。もう半分は完全に妾の私怨みたいなものでな。特にアルエル・メトゥとⅦ隊の隊長をしていたあの女には、ここいらで殺されてくれていれば良かったのに、と」
「そう・・・でしたか」
アスモは無邪気に笑ってこそいるが、その眼光は歳に見合わぬ研がれた刃物の反射のようだった。ルシフェルでさえ背面に冷気を感じるような悪意がそこにある。なにが恐ろしいかと言うと、その悪意が「悪意」である以上の具体的な感情が全く読めないのである。
深く、暗く、底の見えない悪意という魔姫アスモの本質(と思しき内面の様相)こそ、他者に等しく関心の薄いルシフェルが己の主人を蔑ろにしないことの一因であるのは、確かだ。
一応、本当に一応、ルシフェルがアスモになぜその2人に死んでもらいたかったのかを訊ねる。すると、アスモはルシフェルに興味を持ってもらえたのが嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべて、案外あっさりとこう答えた。
「気になるかの?気になるかの?うふふ。だってな?あの肉達磨の騎士団長はルーのことを見て随分とナメた目で見ておったんだぞ?気に入らんよな~、マジ許せぬ」
「言葉遣いがはしたないです」
「だ、か、ら!それくらい不愉快だったのだ!お前なら分かるだろ?自分のお気に入りを馬鹿にされることの苦しみが」
「・・・・・・。それで、あの女騎士とはなにかあったので?」
「ん?あぁ、あいつは妾が力を与えても使うつもりはないという顔をしておったからな。なんかムカついた。しかも結局使ったんだぞ!?」
「そうでしたか」
「あぁ、そうでしたよ」
ひとしきり愚痴をこぼして落ち着いたアスモは、さて、と呟いた。ルシフェルはまだ話が続きそうなのでうんざりした目をしている。
「大事な話だぞ?この戦争は次のステップに移っただけで、なにも終わってはいないだろう?」
この戦争は、アスモの持つ権力を預かるルシフェル・ウェネジアが始めたものだ。舵取りは概ね彼が行っている。アスモもそれなりに噛んでいるが、それも彼の言う通りに立ち回るのがほとんどだ。
しかしながら、アスモとて首謀者―――否、行使される名と権限がアスモのものである以上、アスモこそが首謀者である。
故に、彼女は己が摂政の突き進まんとする修羅の道の導き手となろうとしている。
ここからが面白い。アスモは頬を紅潮させる。
「面白い2人組を見つけた。人間の少年と、『禁忌』の少女。近いうちにまた盛り上がるぞ?」