episode6 sect99 ” Escape for Re:Life ”
「・・・逃げられた。貴重な、『門』を扱えた術者たちをもみすみす失い、その制御装置も破壊され、挙げ句13人もの騎士たちまで犠牲にしてしまったというのに・・・私は遂にたった6人しかいないはずの奴らを足止めすることにすら失敗したッッッ!!・・・・・・・・・私は、王国騎士団長失格だ。もはや国王に合わせる顔がない・・・。私は国の恥だ・・・」
ただ、ただ、ひたすらに、最強と呼ばれた騎士団長は己の無力を呪った。アルエルさえもっと強ければ、ギルバート・グリーンだろうが、あの少年少女だろうがものの数秒でねじ伏せられるだけの絶対的な力さえあれば、こんな、なにもかも失うような結末にはならなかったはずだ。
嘆いても、全てが手遅れだった。
ネテリや、彼女と共に自らのところへと駆けつけてくれた多くの騎士たちに申し訳がなくて、もうどうしようもなかった。言い訳の一つも思いつかない。
「団長・・・」
「なぁ、すまない、ネテリ。ひとつ・・・頼みがあるんだ」
「―――、なんでしょう?」
数々の深手を負い、管理棟の屋上で寝かされたアルエルは、弱々しい笑みと共にそう言った。
対する、紫金の髪、小さな翼の女軍師ネテリは厳かに次の言葉を待つ。
「ただ一言、私に『死ね』と、命じてはくれまいか・・・?副官であるお前が、失態を犯した私をその能力で粛正し、新たな団長となってはくれまいか・・・?」
ネテリ・コルノエルが有する”特異魔術”は言葉による絶対服従の力である。彼女がその術を乗せて命じれば、誰であれそれに逆らうことは出来ない。アルエルは、それを知ってそう言った。
「・・・やっと魔族らしいことを言いましたね」
「・・・?」
今度は、ネテリが若干の軽蔑すら込めて微笑した。
「つまり団長はこう言いたいのでしょう?私は恥ずかしいので死にます。後始末は頼むぞネテリ。私の分も汚名を背負って生きてくれ―――と」
「な・・・い、いや、違う!そんなつもりは・・・!?」
「フフ・・・。冗談ですわ、団長。でも、やはりあなたは今、初めて私たちに酷いことを言いましたわ」
ネテリはそう言うと、アルエルの大きな体を、そのか細い腕で頑張って持ち起こし小さな黒羽の翼で包むようにそっと抱き締めた。
「私が貴方に死ねなんて、言えるはずがないじゃないですか。今も、こんなにも無様な貴方ですら、これほどまでに愛おしいのに」
「ネ・・・テリ?」
アルエルは困惑した。
慌てて他の騎士たちの顔を見たが、誰もなにも言わなかった。
「団長はなにがあっても私が守ります。絶対に死なせたりはしない。貴方はこれからもずっとずっと、私たちの騎士団長として恥辱に塗れ、醜く生きてゆくのです」
「・・・・・・、・・・あぁ・・・。なんて最低の部下を持ってしまったんだろうな・・・私は」
「はい―――本当に」
アルエルは困り笑いと共に目を閉じた。気持ちの良い絶望なんて初めて経験した。お先真っ暗でも、こんなバカ部下連中とならそこそこには生きていける・・・かもしれない。
だが、安らかな表情で眠りに落ちようとするアルエルを、ネテリは呼び戻した。
「それでなのですけれど、団長」
「どうしたんだ?」
「人間たちの乗ったヘリですが、このままいけば人間界には辿り着けないでしょうね。いえ、それどころか魔界に留まることすら出来ず、世界の狭間に消えるのでは?つまり、私たちが行った足止めは十分、意味があったのです」
「・・・なに?待て、その話詳しく」
「えぇ。あくまで私の見立てではありますが―――」
●
迅雷たちを乗せた高速ヘリは一央市と魔界を繋いでいた『門』の中へと突入した。
魔界の夜空が消えて色鮮やかな光の奔流の直中に放り出されたヘリは、環境が変わって起きた速度平衡点の変化に乗じて更なる加速を続けながら遠くに見える出口を目指していた。
「ギルさん、『門』はあとどれくらい持つの?」
ようやく足を休ませられる千影は、意識不明ながらも苦しげな呼吸だけはし続けるの迅雷の手を握り込んでいた。彼がこうである内は千影に安心なんて出来るはずがなく、とにかく少しでも早くまともな治療が出来る場所へ連れて行かねばならない焦燥感に駆られていた。
「正確には分からないが、20秒程度かな」
「・・・間に合う?」
「このままいけば、ね」
含みのある言い方だった。だけれど、それは決してギルバートが千影に対して今の発言を考察してもらうための言葉遊びに興じているわけではなかった。言わねばならないことを言わないでおけるほど、今のギルバートたちに時間は残っていないのだ。
位相の狭間、つまり世界と世界の間を繋ぐ魔力空間は果てしなく広がっているように見えるけれど、その出口は着実に狭まっていく。
それでも確かに”このままいけば”ヘリはこのトンネルを脱出出来たのだ。
「すまない、チカゲ」
今ばかりは、ギルバートの背中が小さかった。
短い警告音がコクピットの方で鳴って、急激にヘリの加速力が失われた。機体全体を襲う鋭い慣性に揺すられた浩二が顔を上げた。
「今のはッ!?」
「燃料が足りない」
「は!?なッ、じゃあまさか・・・!?」
初めから満タンには程遠い燃料で定格値を大幅に超える速度を出し続けたことが原因だった。想定されていない使い方をして、元の燃費が保たれるはずなどなかったのだ。
『門』が閉じ切るまで、あと15秒。
出口はまだ遠く、減速し始めたヘリであそこに到達するのは絶望的である。
果たしてこのままこの奇妙な世界と世界の隙間に取り残されたら、彼らはどうなってしまうのだろうか。
かつてそんな実験もあったらしいが、結局確かなのは、もうあの場所、あの日常には戻れないことだけ。
「クソ、なにか手はないのか・・・!?」
浩二は咄嗟に機体後方で魔法による爆発を起こして推進力に代えようとしたが、そもそも魔法を組むことすら出来なかった。
この空間に満ちているのは、超高密度の魔力である。人間の魔法程度の貧弱な魔力場など、どう足掻いたってその場で圧潰するのがオチだ。
―――そう、ここは魔法の使えない世界。
ここでは、浩二も、黒川も、エルケーも、そしてギルバートでさえも、無力だった。念じても、不可能を可能にする奇跡は起こらない。
ギルバートの平静が静かに崩れ去っていた。
彼の方から、ぎちりと歯を食い縛る音がしたとき、皆が言葉を失った。
「浩二、それちょうだい!!」
―――たった一人を除いて。
「えっ」
動いたのは、千影だった。
彼女は浩二から、迅雷の血液が大量に染み込んだ使用済みのガーゼをふんだくって、躊躇無く喰った。
「チカゲ、それ以上力を使えば―――」
「でもやらなきゃみんなが・・・とっしーが死んじゃう!!」
初めてこの力の現実を知ったときから、千影はずっとビクビク怯えていた。親しかった人の血肉を啜るときがいつまた来るかも、と、ずっと恐がっていた。
でも、千影は強かった。なにかのきっかけがあれば、トラウマもジレンマも乗り越えられる強さを持っていた。
「君のためなら、君の血だって啜るから」
自分に言い聞かせ、そして千影はヘリの扉を開放して外に飛び出した。果ての見えない、光の地獄へと。
血相を変えて煌熾が手を伸ばしてくれたが、今はその手を取るわけにはいかない。
「ごめん。これはボクにしか出来ないことだから」
異物を呑み込むことを拒絶する喉に、早く通せよ、と怒鳴る。
そして、千影の背から朧気な黒い魔力が染み出す。だが、翼を形成するに至らない。もう黒色魔力がないのだ。無理な力の行使に意識も遠退いてきた。
通れ通れ通れ通れ通れ。
口の中に広がる鉄の味を噛み締めた。絶対にやり遂げなくちゃいけない。千影はヘリの脚部に掴まり、その細い鉄棒を伝って機首を目指す。
体にうまく力が入らない。手を滑らせれば一巻の終わりなのに、ヘリを包む残酷な強風が弱った千影を払い落とそうと襲い来る。
早く、血が通ってくれないと、もう千影は限界だ。
出口が消えるまであと12秒。
全員の未来が千影に懸かっている。
絶対に間に合わせなくちゃダメなのだ。
なのに。
「ぁ――――」
なのに。
片手が、スキッドから外れた。
そして、風に吹かれた千影の小さな体は、瞬く間にヘリから引っ剥がされ、彼方へと吹き飛ばされた。
「待って・・・」
みんなを乗せたヘリが遠くなる。みんなの呼ぶ声が離れていく。もう、手を伸ばしても届かない。
「待ってッ!?!?!?」
―――ボクを置いていかないでよ、とっしー。
・・・?
・・・『待って』?それは違うよ。待たないで。待っちゃダメだ。そんなことをしたらここを出られなくなるんだから、だから、そうじゃなく―――。
「ボクが・・・追いつくんだ・・・もう一度」
―――あと10秒。
「ボクの体はどうなったって良いから!!お願いだよ!!早く通って!!ボクに力を貸してよ!!ボクは喰べたんだ!!生きるためじゃなく、生かすために!!」
喉が裂けるほど絶叫し、千影は自分の体をきつく抱き締め丸まった。まるで、ボロボロの雑巾を力一杯に絞るかのように。
千影の想いは、願いは、我儘は、こんなところで果てたりなんて絶対にしない。千影がそうはさせない。欲しい未来がそこに待ってる。
「ボクが――――――掴むんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
千影の背中で、闇が爆ぜた。
その瞬間、千影の肉体は音速すら突き放した。
派手に金属板がひしゃげる音が魔力空間に響く。
千影がヘリに追いつき、命すら削るような加速力を生み出し続けるままヘリの機体後部に激突した音だった。
煌熾が、浩二が、黒川が、パイロットの男が、エルケーが、ギルバートが。
振り向き、目を見開いた。
―――嗚呼、叶うなら、迅雷にも今の千影の頑張りを見せて上げたかった。
あと7秒。
ギルバートが、千影の衝突で乱れた機体の制御を一瞬で取り戻し、頷いた。
あと5秒。
千影も頷く。絶対にやってみせる、と。
加速力を失いゆくヘリに、千影の持てる全身全霊の推進力を注ぎ込む。軋む機体。暴れる操縦桿。抑え込むギルバート。
目指すは、あのちっぽけな光の出口。
あと3秒。
きっと、届く。
あと1秒。
そう、誰も欠けることのない―――。
「行っけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――――――」
あと、0秒。
人間界と魔界を繋いだ巨大な『門』は、完全に消滅した。