episode6 sect97 ” FINAL ENGAGE ”
その瞬間。
パイロットの彼は目を合わせてはならないものと、目が合ってしまったと直感した。
コンコンコン。
そんなごく自然なノックの音は、高速で飛行するヘリの外からだった。
潤滑油を切らした機械のように不自然な動きで音の方を振り向くパイロットの男の視線の先では、負傷した東洋人を1人抱えた金髪碧眼の男が優美な笑みを湛えて、窓からヘリの中を覗き込んでいたのだ。
「やぁ、失礼。ちょっと良いかい?」
「う、うわっ、わぁぁぁぁぁっぁあああああ!?!?!?」
ここは高度何メートルか分かっているのか!?時速何百キロで飛んでいると思ってる!?どうやって追いついた!?つか翼もないのにどうやって飛んでんだよ!?
・・・となにもかも意味不明すぎてとりあえずパイロットは一気にヘリを加速させた。本来なら出してはならない出力だったため、機体から微かに悲鳴が漏れ始める。だが、それでも、なんとしてもこの男だけは振り切らないといけないと思った。
・・・が。
「おっと、待て待て。まだ使うのだからあまり無駄に燃料をふかさないでくれたまえよ」
「うわぁぁぁぁ!!入ってくるなぁぁ!?」
なんとも丁寧に、ドアを壊すことなくロックを解除して開け放ち、ギルバート・グリーンは高速飛行中のヘリコプターに乗り込んだ。
この緊急事態に、一瞬呆然としていた、術者の護衛役の王国騎士2人が遅れて抜剣する。
だが、この狭隘なヘリの内部空間で彼らの剣はあまりに長すぎる。それに、無理に振るえば彼らが守るべき『門』を扱える術者たちを巻き込みかねない。そもそも、暴れればそれだけでヘリはバランスを失って墜落するかもしれない。いっそわざと落とそうとすれば当然疲弊した術者たちの命の保証は出来ないため、ギルバートの目的を阻止する最も単純な選択肢も封じられているようなものだ。
万事休す。それに尽きた。
しかし、だ。騎士の2人は不敵な表情を浮かべていた。理由は明快だった。
「無闇に攻撃出来ないのは、人間、お前も同じハズ・・・!!我々と一緒に本国まで空の旅でもするか?」
「それはまたの機会にお願いするよ」
ミシミシ―――と、隣から骨の折れる音がして、騎士は驚き慌ててもう1人の騎士の姿を探した。
だが、既に彼の隣で宙に浮いていたのは元が誰だかも分からなくなったサイコロ状の肉塊だった。それでも彼には分かるのだ。辛うじて潰れずに丸いまま頭蓋から飛び出た美しい紫の瞳は、間違いなく、何度となく戦勝の酒を酌み交わした仲間のものだったのだから。
「ぁ・・・あああああッ!!き、さま!!なにをしたァァァ―――あっ?あごぅごぼぁぁぁぁぁぁ!?」
それきり。
ギルバートがしたことは単純だった。無色透明、そこらへんに満ち満ちている空気を魔法で固定して箱を作り、圧縮した。それがちょっと、予備動作なしで行われただけの話である。
瞬く間に金属製の鎧ごと2つのパテを作ったギルバートは、パイロットの男に微笑みかけた。『落ち着いて、そのまま飛ばせ』という合図だった。あまりの恐怖でパイロットはギルバートに従うしかない。
続いて、ギルバートは術者たちに目を向ける。疲弊しているのは一目で分かる。あの『門』を展開・維持するのはよほど高度な魔術だったのだろう。むしろ誰にでもホイホイ使える術だったなら恐ろしいことこの上ないのだが、それはもう別の話としてだ。この者たちがリリトゥバス王国が擁する中でも選りすぐりの魔術師であることは想像に難くなかった。
よって、ここで確実に殺す。このシチュエーションになれば捕えて王国ひいては魔界側との交渉材料にするのも悪くないが、実のところそんなものは重要ではないし、なにより生かしておけば必ず禍根を残す。だから、殺す。
そして。
「・・・私は操縦に集中するよう頼んだつもりだったんだがね?」
「や、やっぱりダメだ・・・!!アンタには従えない!!おっ、俺だって王国を誇りに思う一人の戦士なんだ!!」
パイロットが、操縦桿を握る手の片方を離して、ギルバートにありふれた拳銃の銃口を突き付けていた。魔界にヘリがあるように、魔族の文化でも銃器は生まれた。そして、騎士たちのような磨かれた武術を持たずとも、銃は簡単に敵を殺せる。
ギルバートは自分のことなど見向きもしない。パイロットは今まで碌に引いたことのない引き金にかける指を小刻みに震わせて、唇を引き結ぶ。人間は魔族をいっしょくたに悪魔と言い換え恐れるけれど、初めて誰かに銃口を向ける恐怖と覚悟に果たして彼我の違いがあっただろうか。
「アンタの好きにはさせない・・・その人たちは殺させない・・・!!」
「ならば撃つかい?その震える指で」
「あぁ、撃つ・・・撃つぞォ・・・」
「分かった。なら安心だ。良く狙うんだよ」
そう言って、ついぞギルバートはただの一度も後頭部に向けられている銃口に怯むことなく魔法を行使した。空気の流れにそれを察知したパイロットが涙と共に引き金を引く。
結局、術者たちは一瞬で碾き潰され、そしてギルバートは無事であった。
銃は内側から弾け、機内にはただ独りのこされた哀れで無力なパイロットの慟哭が席巻していた。
もうこれ以上このヘリを浮かばせている意味なんてない。悲鳴はどこかで狂って壊れて、笑声へと変わっていく。
ヘリが揚力を失い始める。
「へっふふへへへ!思い通りにはさせないんだァッはハハハハハハハハハ!?地獄への水先案内人は任されてあげるからさぁぁぁぁ!?」
●
「・・・さすがに惨いですね。やむを得なかったのは理解してますけど」
「あぁ、本当に悪いことをしたと思うよ」
どこまで本心から罪悪感を覚えているのか、ギルバートの口調からは聞き取れない。黒川は扉から外へ投げ捨てられたたくさんの死体が『箱庭』よりかは密度の薄い森の中へ消えるまで目で追って、それから手を合わせた。
ヘリに追いついてから奪うまで、まるで虫でも殺すかのように呆気なく、あっという間だった。
本来のパイロットが居なくなったヘリは今も問題なく飛行を続けている。その操縦席には、ギルバートが座っているからだ。ヘリは大きく旋回して、管理施設に向けて空路を戻り始めた。このヘリは本当に速いから、すぐに到着するだろう。
●
「させない・・・。もうこれ以上、とっしーを傷つけさせない・・・」
迅雷の魔力を抑制する『制限』が効力を取り戻してしまった。息はあるが、目に光がない。千影の声が届いているのかも分からない。
アルエル・メトゥという、千影でさえ未だかつて戦ったことがないほどの強敵相手に迅雷はこんなになるまで必死に喰らい付いて、千影と共に立ち向かってくれた。あまつさえ、命懸けで千影を救ってくれさえした。恐ろしくも無上の幸せだった。
だから、これ以上彼に戦わせちゃいけない。ずっと前から既に限界を超えて、本当にこれっぽっちも動けなくなるくらい頑張ってくれたのだ。もう休ませないと死んでしまう。今度こそ千影が彼を守る番だ。
アルエルと正対すると、巨大なドラゴンの鼻先に立たされているような重圧がかかる。どう見ても瀕死の重傷だというのに―――異常極まりない。
それでも千影はやるのだ。例え力では勝てないとしても、覚悟だけは負けてはいけない。
なんとしても、迅雷と一緒にあの街へ帰る。
「皆がそれぞれに守るべき者を持っている。残酷なものだな、戦いというものは」
ネテリたちを背に守るアルエルは『レメゲトン』で増幅した魔力を惜しみなく使って高密度の魔力の槍を作り出した。だが、それが精一杯だった。強化された上乗せの能力も、今のアルエルは自分が2本の足で地面に立つためだけに使い切っていたから。
そこで力尽きている迅雷が倒れる寸前まで叫んでいたことも、きっと正しい。きっと多くの人間にとって魔族の行動は理不尽で純粋な悪に見えただろう。
皇国の王女アスモの命で軍を動かしたアルエルも、きっと正しい。かつて垣間見た”禁忌”とやらの片鱗は忘れ難い。それが再びと知りせば、他国からの命令だとしても理不尽な暴挙を決断したのだって、きっと道理の内だろう。
互いの正義を掲げ、互いの愛する世界を、誰かを守るため、味方からさえ《鬼子》と呼ばれる化物少女と最強と名高い王国騎士団長は、正真正銘、最後の決着に挑む。
○
ボボボボボボバダダダダダダ。
○
短い聖柄の刀と漆黒の槍が触れたそのとき、肌を打つ空気の振動の接近に、千影とアルエルが示した反応は全く対称的なものとなった。
「この音・・・な、なぜだ!?なぜここにいる!?」
飛来するのは、一度はこの『箱庭』から抜け出したはずの――――――。
「なぜヘリが戻って来ているゥゥ!!」
「来た―――スゴい、ホントに来てくれた・・・!」
千影に表情が晴れやいだとき、アルエルの脳を埋め尽くす「なぜだ」が一気に解けた。
「ッ、ま・・・さか・・・そ、そんなことが・・・」
だけれど、このことが信じられない気持ちでいたことだけは、千影も一緒だった。
「千影ェェェェ!!迅雷ィィィィ!!来ォォォォいッッ!!」
「浩二・・・!」
ヘリから身を乗り出して、清田浩二が地上へと手を差し伸べた。千影も手を伸ばす。跳べばすぐそこだ。 だが、ダメだ。
「ギルバァァァト・グリィィィンン!!貴様よくもッ!!殺したんだな!?彼らをッ!!」
アルエルがギルバートへの怒号を放ち、荒れ狂う。
「くっ―――邪ン魔ッ!!」
千影は気を失った迅雷を連れて飛ばなくてはならない。そんなのどう考えたって無茶だ。迅雷を守りながらアルエルの猛攻に耐えるので精一杯なのだ―――。
「―――精一杯?精一杯だからなに?こんなトコで止まるなッ!!今しかないんでしょ!!」
そうだ、鼓舞するんだ。千影は強い。千影は速い。千影なら出来るはずだ。
遠くの空にある『門』はもう当初のものとは別物の小ささになっていた。管理施設の屋上からでは、もはや紫に光る点ほどにしか見えない。その光が消えてしまうまで、あと1分半。この機を逃せば迅雷が死ぬ。そんなのは絶対に嫌だ!!やるしかない、打て、打てる手全部をこの刹那でぶっ放せ!!
「73パー・・・!!やってみせる!!」
肩甲骨回りの肉を裂いて千影の翼が爆噴する。体中が震えて、理性まで吹き飛びそうだ。これが今の千影の全力、全速力。
「ごめん、とっしー」
心苦しいが、それでも千影には迅雷を抱えてアルエルから逃げ切れるだけの力はない。だから、こうすることも仕方がない。迅雷の望むような結末は迎えられないかもしれないけれど、それでも。
千影の変調を見たアルエルの渾身の一撃を、千影は目で追えるはずもない超速度ですり抜けて、そして闇の奔流と化した翼で大きく羽ばたく。
ダン!!と、音を立てて揺れたのは空中の高速ヘリだった。手を伸ばしていた浩二が、背後の音に驚いて目を丸くしていた。
機内には、煌熾と黒川の姿も見えた。
そうか、黒川も生きてて、良かった―――そう千影は安堵した。
「おい千影!迅雷置いてく気か!?」
「ギルさん!!このまま全速力で!!」
「おい!だからッ・・・ぅくっ!?」
迅雷を心配する浩二を無視してギルバートはヘリを加速させた。
「まさか本気ですか!!こんなこと・・・!!」
「浩二」
「!?」
「ボクがそんなことする?」
ほんの一瞬の出来事ではあった。浩二の目を見据える千影の顔は、酷く強張っていた。そこでようやく彼も気付いた。
ここまで逃げ果せたのが千影ではなかったということに。彼女はまだ戦っているという事実に。
『トラスト』
浩二が次の言葉をかける前に、千影の姿はヘリの中から消え、その代わりに彼女のいた空間には傷だらけの迅雷が横たわっていた。
「あのガキ―――!?」
浩二は急いでヘリの外に首を出し、管理施設を振り返った。一瞬前まで機内にあった闇の翼が遠くに見えた。
そんなのアリか?それで良いのか?迅雷が逃げられても、千影が取り残されては元も子もないじゃないか。彼女はここに来る前、絶対に一央市に帰ると言っていたはずなのに。
「浩二サン!迅雷の怪我がヤバイっす!」
「・・・ッ、くそ!!くそ!!くそッ!!」
浩二は、機内に体を引っ込めて、黒川と共に迅雷の救命処置に取りかかるしかなかった。