episode6 sect95 ”刻限”
時間がない。
『門』が閉じる。
正味、迅雷と千影に残されている時間は、8分弱。たったのそれっぽっち。その刻限を過ぎれば、迅雷たちは元の世界へ帰る手段を失い、無尽蔵に投入される援軍によって為す術もなく鏖殺されるだろう。
―――だというのに。
「ッ、千影!!」
「『トラスト』!!」
2人とリリトゥバス王国騎士団長アルエル・メトゥとの戦いは、まだ終わる気配すら見せていなかった。
ノータイムで位置を交換する千影の特殊な魔法によって不規則な動きで連携を取り、千影がアルエルの足を払って、迅雷が上段から兜割の如く力任せに『雷神・風神』の二刀で斬りつける。アルエルの生み出した魔力の槍に剣は弾かれても、刀身を伝う電流がアルエルの身を焦がす。そんな攻防の果てに。
やはり、アルエル・メトゥは立ち上がる。
触れれば顔面が吹き飛びかねないアルエルの鉄拳を迅雷は身を翻すようにしてスレスレで回避し、体勢を整えるより早く次の連携へ。千影もまた、足払いの格好から腕力で小さく跳躍し、そのまま真っ黒な翼をはためかせて飛翔する。
そして、アルエルは続く攻撃に備えて自身の”特異魔術”、すなわち”対象の『力』を自らに上乗せする能力”をなにに対して適用するか吟味する。
乱暴に左足を引き千切られ、動く痕に真っ赤な尾を引く千影。
肝臓に届く裂傷を魔法による治療で表面だけ止血して誤魔化している迅雷。
千影の『再生力』の副作用で肉体を激しく破壊され、全身に負った無数の傷から溢れ出す己の鮮血に身を浸すアルエル。
もう、誰もまともではない、泥沼の殺し合い。
千影は例え足を失っても背中から生えた蝙蝠の翼があるから滞空・飛行することが出来る。『トラスト』を活用した迅雷との連携はまだ可能であり、そして2人の連携はあまりに傷を負い過ぎたアルエルを押し始めていた。
「ぅぅぅううううああああああああッ!!」
絶叫に近い声を上げて迅雷は剣を振るう。
折れろ、折れろ。もう折れろ。
それでも、アルエルは毅然として2人の前に立ちはだかり続ける。千影の『速力』を上乗せすることで、ほとんど壊れた彼の肉体は、無理矢理に迅雷と千影の連携攻撃に追随していく。
剣を弾く漆黒の魔力の槍。肉を刺す雷撃。迸る黒い閃光と、それとかち合う同じ黒の奔流。
もう嫌だ。ふざけるな。なんで立つ。もう折れてくれ。頼むから。さっさと。
「これで・・・ッ、もうッッ、終わってくれよッッッ!!」
アルエルの懐まで潜り込んだ千影と位置を入れ替えて、迅雷の『駆雷』が零距離から放たれ、アルエルを吹き飛ばす。
起き上がろうとして蹌踉めき、膝を突くアルエル。まだ流す血が残っているか。
迅雷は、『雷神』の刃を地面に突き立てる。もう立たないでくれと、強く、強く願った。アルエルよりよっぽどマシな出血を経て既に朦朧としている迅雷の切実な心の悲鳴とは裏腹に、『風神』と『雷神』を握り込む握力を緩められない。膝を突いた敵に少しも衰えない怯えを抱いて、次の一手に備えずにはいられない。
次はなにをしてくる?『黒閃』?分身?超高速の拳?鋼鉄の翼撃?魔力の槍を構えた突撃?分からない。分からない。全然分からない、その恐怖―――故に、アルエルが微かに身体を揺らしただけで迅雷と千影はアルエルに斬りかかっていた。
震える腕で、揺れる瞳孔で、恐怖に引きつった顔で、迅雷は剣を振りかぶる。この男は、ダメだ。もう、ここで殺さないと、ダメなのだ、きっと。首を刎ね、心の臓を貫き、息の根を止めない限り、この男は永遠に迅雷と千影の前に立ち続ける。
迅雷は、もう分かっているはずだ。千影は言ったぞ。気にしない?違うだろう、もうそんな話ではない。こいつを殺す。血で手を染めることを、恐れてばかりではダメだ。なにが大切で、それ以外に慈悲など要らない、そんなものを注ぐほどの力なんてないことを。
「あ、あぅッ、うあああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!!」
――――――だけれど。
踏み込んだ一歩で、刃に纏う風がアルエルの真紅の髪を揺らす最中で、迅雷は留まり、剣を降ろした。
「おい・・・なぁって」
思い願っていた決着は、思いがけない瞬間に訪れた。
アルエルは、もう立たなかった。倒れ伏した。あべこべの信じられない状況というものに、迅雷は戸惑いを覚えた。
それを呑み込むために約5秒。5秒間にアルエルが迅雷の上擦った呼び声に応じることはなく、消え入るような3人分の呼吸がゆっくりと偽の間隔で時を刻んでいた。
恐々として、迅雷は千影を見る。揚力を放棄した千影は、足を失い立つことが出来ないので、血潮に汚れたコンクリートの地べたに尻餅をついていた。その少女と目が合って、半開きの小さな口が迅雷を呼んだ。
「と、とっしー・・・・・・」
「俺・・・たち・・・」
「なのかな・・・?」
いいや。
千影の目が再び険しくなった。
「と、とにかく早くみんなと合流しないと!」
「あ、あぁ!そうだな!!じゃないともう『門』が―――」
ザリ・・・・・・・・・。
「・・・・・・なん、なんだよ」
背後で、塵を掴む音がする。
「ふざけんなよ・・・もう」
「・・・とっしー。やっぱり、ダメだよ。トドメを刺すしかないんだ」
千影は再びオドノイドの力を解放し、先端が鏃のような形状の尾を生やした。尾の先に黒色魔力が凝集されていく。迅雷は伏し目がちに頷いた。もしかしたら、と、一瞬思った。でも、アルエルを生かしたままでは、千影も迅雷もここを離れて仲間の元へは向かえない。例えもう立たぬ敵と知っていても、呼吸が聞こえるだけで不安を煽られる。背中から撃たれるような恐怖が残る。だったらもう、殺すしかない。それでしか安心が得られない。
彼の命を絶つのが自らの剣であるか否かは関係ないと知った。迅雷は、今度こそ誰かを殺すという選択を自らの意志でした。その意味を、その結果を、噛み締める。
「千影」
千影は足で体を支えられないため、刀を地面に突き立てて杖にして、『黒閃』の反動に備えている。迅雷は、そんな彼女の体を横から抱き寄せるようにして支えた。千影は一瞬迅雷の横顔を見たが、すぐに唇を引き結んでこれから消し飛ばす、恐ろしくも敬意に値する信念の敵に注意を戻した。
そしてそのまま、容赦なく最後の一撃を見舞った。
○
「・・・どういうつもりなのかな?」
轟々と、『黒閃』の余波が空間を暗く濁らせている。
千影は、真正面に佇む”彼ら”を、どこか不審さすら感じながら睨み付けた。
結論から言うと、千影はアルエル・メトゥを仕留め損なった。殺害する覚悟が揺らいで迅雷が邪魔をしたわけではない。彼は今も千影の体を支えたまま、彼女と同じものを見つめていた。
介入者がいた。それも、複数。彼らが肉の壁となって、アルエルを千影の『黒閃』から守っていた。
それが、不可解だった。
だって、こいつら、魔族だろう?仲間意識と書いて利害関係と読むような、そういう文化圏に生きる連中だろう?例え替えの効かない強大な力の持ち主の騎士団長だとしても、何人もが命を賭して死にかけの兵士を守るような行動原理があり得るだろうか?
・・・だが、千影のそんな疑問は、彼女ら、彼らの声色によって容易く吹き飛んだ。
「させない・・・・・・!!この人は、この人だけは!!私たちが絶対に殺させはしない!!」
軍服を纏う、紫金髪の女性悪魔と、彼女が率いる手負いの王国騎士たちは、自分たちのリーダーであるアルエルを庇い、千影と迅雷に憎悪とは違う強い意志の籠もった眼差しを突き付けていた。
鎧すら装備していない女性軍官は、立ち方が既に武人らしからず、手足の線も細い。
千影は目を細め、口の端を歪め、無謀にもこの戦いに割り込んできた馬鹿な女たちを嘲笑した。
「なに?殺させない?・・・戦い方も知らないモヤシと、手酷く痛めつけられて退散してた雑兵なんかがイキがらないでくれる?今さらなにが出来るの?」
―――マズい。
千影は、だが、そう思っていた。
まさか、本当に馬鹿にして、取るに足らないなどと思うはずがない。
あの女、有翼である点からサキュバス族の血統に見えるが、肌が黄色人種的であるため、恐らくリリス族との混血である。それに加え、明らかに彼女の位は騎士団の中でも上と見て取れる。かなり高い確率でなにかしら固有の特殊能力を有していると考えて良いだろう。そして、手負いの騎士連中も『黒閃』を防ぐ程度の余力は見せてきた。
コイツら、完全に一戦交えるつもりでいるじゃないか。ふざけろ。よりにもよって、このタイミングで。
「それより、魔族ってそんなに仲間思いだったの?聞いていた話と違うんだけど」
「貴女の言わんとしていることは分かるわ。でも、これが我々リリトゥバス王国騎士団の在り方、これが我らがアルエル・メトゥ騎士団長の作り上げた新しい姿なのよ」
「・・・オッケー。じゃあ全員仲良く騎士団長サマと同じトコに送ってあげる」
とにかく、弱ったところは見せられない。千影は努めて強い口調を意識した。それに、あの紫金髪の女悪魔の能力次第では十分に覆りうる程度とはいえ、千影の力なら例え片足が無くたってこのくらいの手合いには単独でも勝ちの目はいくらでもある。問題は―――。
「とっしー」
「千影・・・マズい。『制限』が・・・」
もう一刻の猶予も残されていなかった。空の『門』だけでなく、迅雷に課せられた20分のタイムリミットもすぐそこまで迫っていた。
もしもこのまま『制限』が切れたら、迅雷の魔力量は一気に常人レベルまで落ちる。そうなってしまえば、王国騎士相手に戦闘の続行はままならない――――――どころの話じゃない。このままだと、魔力によって誤魔化していた肝臓にまで及ぶほどの傷の激痛と失血のショックが急帰して失神するかもしれない。
一刻を争う事態に邪魔立てを挟まれては堪らない。千影は、憤りにも似た焦りを覚えていた。様子を見ている余裕なんて、あらゆる意味でなかった。千影は地面に刺していた短刀『牛鬼角』を雑に引き抜き、翼を広げた。
小さな体には似付かない生々しい害意に中てられた騎士たちが表情を強張らせた。だが、死を直感してなお、それも既に覚悟のうち。捨て身でもアルエルを守るために彼らは騎士剣を握る。
そのとき、アルエルたちの背後で巨大な火柱が上がった。距離を感じさせぬ灼熱の波が駆け抜ける。燃えているのは、この管理施設の東棟だ。煌熾たちが『門』を維持するための設備の破壊に成功したのだ。これで、大勢は決した。決して、決して、決した。
だというのに。
なんで。
なんで、動じないの?
そして、女軍師ネテリ・コルノエルは手を前に放ち、決死令を発した。
「こいつは例の『速いヤツ』よ。一瞬たりとも目を離すな!後ろの剣士はデータがないが、恐らくパワー型!まともにかち合うべきじゃない!!分かった!?」
『了解!!!!』
「よろしい!!さぁ、行くわよ。あなたたち!!」
「グ・・・ぉあ・・・んぬっォ、ォォォォォオオオオオオオオオオ・・・・・・!!」
千影と、騎士が、交差する直前で。
地獄の底から、奈落の蓋を押し開けるような雄叫びが、千影と、迅雷と、そしてネテリたち騎士の腹の底まで震わせた。
「『レメゲトン』!!」
その男は、立ち上がる。何度でも、何十度でも、何百度でも、その命燃える限り・・・。