episode6 sect91 ”クレーマー、無翼飛行する”
薄気味悪いほど静まりかえった無人の管理施設の中で、日本語の会話が木霊した。
「すみません・・・ドジりました」
「それはもう仕方がない。生きてくれているだけで十分さ。コウジも安心するはずだよ」
「でも、これじゃもう浩二サンとおんなじトコには立てそうにないですね・・・はは」
「それは君次第だな」
「いやいや」
流暢に日本語を話す金髪の英国人は、ギルバート・グリーンだ。
そして、目を伏せて話している黒髪の青年は、今まで連絡が着かずにいた浩二の部下、黒川だった。
ギルバートは、千影と浩二に次の作戦を指示した後、浩二からの希望もあって管理施設西棟に残って黒川の捜索を行っていた。そして見つけたのが、その1階だった。
壁面や床面の痕跡を見ても、黒川は完全に敵に敗北したようだった。件の『レメゲトン』だという。
ただ、本当に生きていただけでも幸いである。ギルバートはメインコントロールルームに向かう最中に足止めに現れた騎士の1人の発言を受けて、最悪の場合も想定していただけに非常に安堵しているのは事実だ。
今はギルバートが黒川の止血や骨の折れた箇所の固定を手早く済ませていた。だが、黒川が精神的に参っている理由はその程度の怪我ではなかった。
黒川が目を落とす先にあるのは、彼のひしゃげた右足だった。一体どのような攻撃を受けたのか、右足の膝から下が完全にペシャンコになっていたのだ。足を欠損したわけではないから医療魔法による再生治療が出来ないわけではないが、ここまで乱暴に肉体が破壊されてしまった場合はどこまで元通りに出来るか分からない。肉は良くても、体内で粉々になった骨やズタズタにされた神経の再生が非常に難しいためである。
確かに、黒川の言う通り、今後も一央市ギルドのレスキュー隊副隊長として前線で活動し続けることには支障をきたす可能性も低くないだろう。
ギルバートは処置を終え、ひとまず黒川を肩を貸す形で立たせた。片足で歩かせることになるが、仕方がない。黒川の表情は曇ったままだ。ただ、自分を見捨てろとまでは言い出さない辺り、彼もまだ全部諦めているわけではない。ギルバートはそんな黒川に語る。
「クロカワ。私はもし足を失っても戦うよ。例え義足を着けてでもね。もちろん仕事は妥協しない。今まで通りのことを今まで通りにこなせるように努力する量を増やす」
「そんなこと、可能なんでしょうか・・・?」
「さぁね。分からない」
なんて無責任な発言をするのだ、と言いたげな黒川の視線に気付き、ギルバートはただ穏やかに微笑んだ。やっと黒川の、自分の足を見つめるだけだった顔を上げさせられた。
「分からない、ということは、少なくともまだ誰もそのことを不可能だと決めつける権利を持たないということだ―――と私は思っているが?」
「あー・・・それは、なんというか―――」
「とてもポジティブな屁理屈」
「・・・あはは」
彼我の立場の違いを弁えていると安易に「ですね」と肯定するのも憚られ、黒川は苦笑することで返事をした。
ギルバートの少しも悪びれない目を見た後に、黒川はもう一度自分の右足を見た。考えるだけでも吐き気を催すほど恐ろしい体験だ。とても自分の肉体を見ている気分にはならない。
結局のところ、黒川はやはりこの作戦において役不足だったのだ。追手の騎士1人に敗北するような魔法士を選ぶしかなかったのは、一央市ギルドの力不足としか言いようがない。突然あの『レメゲトン』とかいう謎のパワーアップ魔術を使ってきたと言っても、黒川には分かるが、浩二であればあれくらい十分に渡り合えていたはずだ。本当ならそれくらい腕が立つ魔法士をもう1人呼んで、黒川の代わりに戦わせるべきであった。これは決して黒川の言い訳ではなく、単純に人間側が取れる対応が非常に限られてしまっていたことの問題提起のようなものである。
もっとも、確かに終盤に差し掛かった今になって言い出すことではないのだが。
気の滅入る話で、黒川は嘆息した。
「・・・もし可能だったなら、大変ですね。今まで通りの仕事を、今まで以上の質でこなさなきゃいけなくなってしまいます」
「それは素晴らしいことじゃないかね?ドキュメンタリー番組の取材がありそうだ」
「それじゃ余計に大変ですよ」
「ははは、そうか。クロカワ、出口だ」
「えぇ」
今からヘリを奪取して人間界に帰るという説明は既に済んでいる。黒川は表情を引き締めた。
夜間であるが、屋外はむしろ照明のおかげで比較的明るかった。
頭上からは音がする。まだ迅雷と千影、そしてアルエルの戦闘が続いている。千影との通信は、アルエルが立ったという報告と迅雷の恐慌した悲鳴が最後だった。今はもう通信を行う余裕もないのだろう。
「上のって、アルエル・メトゥですよね?ギルバートさんも加勢した方が良いのではないですか?」
「かもしれないが、どうやらそんな余裕はなさそうだ」
「・・・?」
『箱庭』の森の上に輝く巨大な『門』が閉じるまで、あと幾許の時間も残されていない。既に”とてつもなく巨大”だったそれは”巨大”と表す程度の大きさまで縮小していた。
しかしながら、それとは別に、ギルバートは遠く、2キロほど離れたところにあるヘリポートを注視していた。別に視力が特別に良いわけではない黒川でも、それはさすがに分かった。
ヘリポートが炎上していた。
あの場所には浩二と煌熾が向かっていた。だからギルバートは一瞬煌熾が『ヘキサフレイム』を成功させた可能性も考えた。だが、明らかに違う。破壊するべき東棟が燃えていない。
思えば、なにやら遠くで大きな音がしたような気はした・・・かもしれない。だが、屋上の戦闘音が非常に激しかったために、ギルバートはそれをしっかりと聞き取れなかったのだ。ただ、気付いていたところで打つ手はなかった。その時点で事は済んでいた。
黒川はギルバートを見上げた。しかし、彼の表情にはこれといった焦りはない。
(えぇっ、オイオイ嘘だろアンタ。燃えてんすよ?ここまでやられてそのクールな顔はねぇって~!?)
「焦ることはないよ、クロカワ」
「へっ?」
「大丈夫、心の声は聞こえていないよ」
その発言がむしろ黒川に失礼な発言をしてしまったのではないかという不安を抱かせるのだが
・・・。
ギルバートは2キロ先で動く影を目で追っていた。炎を背景に眺める影絵のような光景だ。陽炎や煙で不良好な視界であるにも関わらず、ギルバートは「ふむ」と頷いた。一体どんな視力をしてんの?アフリカのなんかの部族の人かな?本当に英国出身なんですか、この男?
「『門』を閉じ、ヘリを潰して私たちを『箱庭』に閉じ込める、か。悉く先手を打たれたな。憎らしいほど優秀な軍師だ。だが、まだヘリは1機残っているはずだ」
「な、なんでそう言えるんです?」
「3人の騎士が残っているのが見える。それが証拠さ」
「え、いや・・・え?」
「良いから、急ごう」
歩行に不自由がある黒川を抱えるようにして、ギルバートは移動ペースを大幅に上げた。動きながらギルバートは黒川に対して今の説明不足を捕捉してやった。
その内容は、つまるところ煌熾と浩二がこの直後に立ち会うこととなる事態を正確に言い当てるものだった。ザックリ言えば、すなわち『門』の術者を逃がすためのヘリが残っている、それを守るために騎士がスタンバってる、ということだ。
その残されたヘリというのが、ギルバートたちに残された最後の希望であり、同時にこれを奪取し損ねれば完全なる詰みである。
事態は急を要する。
「あの・・・ギルバートさん。俺はここに置いていってください。今の俺じゃ足枷にしかなりません・・・」
ここにきて、結局黒川の頭には諦めがよぎることとなった。自分が邪魔になって誰も人間界に戻れないようなことになってしまっては元も子もない。その後例え全員が無事だったとして、そして人間界に戻れることになったとしても、黒川は申し訳なさと恥ずかしさで真っ当では居られないだろう。別に見殺しにしろと言うわけではない。黒川は黒川で出来ることはする。だから、今はギルバートに自分を置き去りにしてすべきことをして欲しいと願った。
だが、ギルバートは黒川を抱える力を緩めたりなどしない。彼の側近であるアンディは、自身のボスを評して、こう言っていたはずだ。”意外と感情論派”である、と。
ギルバートはただ黒川の戯言を鼻で笑い飛ばし、広い広い管理施設を風のように駆ける。
数秒の後、ギルバートの視界には浩二と煌熾の姿が入ってきた。ちょうど良い。合流出来れば不安要素も減る。彼らと同時にもう1人魔族の者が増えたようだが、なにやら様子がおかしい。騎士らしい鎧姿ではないが、騎士剣を複数本も帯び、かつなぜか人間サイドに立っている風に見えなくもない。
「例の捕虜か。なるほど、寝返ったな」
「ギルバートさん、なにが?」
「1人味方が増えたらしい。今に限っては信用出来るだろう」
「というと・・・まさか!?」
所詮、魔族は魔族、仲間意識は薄弱か――――――と言いたいところだが、恐らく人間でもそうする者は一定数いるだろう。ギルバートは裏切った騎士の目的や動機にはおおよそ想像がついていた。
それから、もう一点。その音に気付いたことで、ギルバートは浩二たちと合流するという選択肢を放棄せざるを得なくなった。
一度後手に回ってしまうと、分かっていても追いつけずに翻弄されるようになる。まるでバッドエンドの小説を読み返すような歯痒い状況である。
「ギルバートさん!あれ!ヘリじゃないですか!?先を越されたんですよ・・・!!」
「そうらしい。やれやれ、またしてやられた。しかし、まだ想定内だ」
ギルバートは通信機のマイクを起動した。
「私だ。逃げたヘリは私とクロカワで手に入れて戻ってくる。返事は要らない。恐らくしばらくは通信圏外に出てしまうから、最後にこれだけ言っておく。私が戻るまで無事でいてくれ。では、健闘を祈る」
通信を終了し、ギルバートは強く地面を蹴り跳躍、さらに、魔法による空気の壁を空中に作り出し、それを踏み台にして水平方向の初速をつけ、三角跳びで空へと飛翔した。
『エアロストリーム』
魔法の詠唱があった。
人が生身で空を飛ぶ時代が来たのだ。少なくとも、ギルバートには。
神代疾風のように自分の体を帆にして風を受ける力任せな飛行方法とは根本的に違う。ギルバートは自身の周囲の空気を流体としての気体として極めて緻密に制御することで、謂わば気流に乗って流されるように空を舞うことを可能とした。
身体への負担が少なく、それでいて魔力の燃費も良い、現状ギルバート・グリーンだけが到達した風魔法の極致である。『その気になれば太平洋も横断できる。まぁ飛行機があるのにわざわざそんなことをする理由もないんだけれどね、ははは』とは本人談である。
ただし、ソフトな加速を行う代わりに、『エアロストリーム』は瞬発力に関してはさすがに疾風らが扱うような飛翔法に劣る。
しかし、実際はギルバートも彼ら同様の強引な加速方法も持ち合わせており、そうして加速した後に『エアロストリーム』による飛行に切り替えることも可能だ。今回それをしないのは、単に負傷した黒川への配慮である。
滑らかに、なおかつ急速に加速する。翼も突風もないままあまりに自然に飛行している事実に黒川が目を白黒させた。
「こ、これなら・・・ヘリも追える・・・!」
「私はね、必要に迫られれば一度読んだ小説のストーリーを変えろ、と出版社や著者に脅しをかけられる人間なのさ」