episode6 sect90 ”太陽、もうひとり”
人間界に帰る手立てを失った。
しかも、倒すべきはずの『門』を制御する術者たちがあのヘリに乗っている。
そして、相対するは3人の王国騎士。
この意味するところが分からない煌熾ではない。
「そんな・・・」
遠く、背後の西棟でも轟々たる爆音。『黒閃』が空へ向けて何度も迸る。浩二の無線から漏れ聞いた迅雷の悲鳴がフラッシュバックした。
「煌熾、オイ、煌熾!!しっかりしろ!!次の陣を作れ!!」
「いや、もうムリですよ・・・これ以上は無駄じゃないですか・・・」
「ムリじゃねぇ!無駄じゃねぇ!早く!!」
早くしろ?なにを馬鹿な。浩二にはこの光景が見えていないとでも言うのだろうか。もう終わったのだ。煌熾がなにをどうしようと、もうなんの意味もないのだ。
破壊されたヘリの燃料が炎上して厳しく熱せられたアスファルトを、ざり、ざり、と、恐ろしいほど一定のリズムで踏んで、悪魔の騎士たちの足音が近付いてくる。3人とも、顔に見覚えがある。エルケーが居たⅦ隊だ。あの、あらゆる攻撃が勝手に外れるチート能力を持つ女隊長もいる。さっき、足止めすら出来なかった相手じゃないか。速度で強引に振り切ったエジソン印のジェットパックは、無茶に使いすぎてもう壊れてしまった。
「ムリ・・・ですよ・・・」
「チッ、クソったれが!こんなところでへこたれてんじゃねェよ!おい、魔法士、さっさとその図体だけ立派なガキを立ち直らせろ!俺たちはまだ終わっちゃいない・・・死ぬわけにはいかない!そうだろ!!」
ぐずる煌熾に痺れを切らしたエルケーが、前に出た。
女隊長も、ミイラ男と化したかつての部下に気が付いた。途端、隠すつもりなど毛頭ないであろう憎しみがその眼光に宿った。
「―――おや。おやおや。まさか、自分から粛正されに来てくれるなんて思っていなかったわよ、エルケー」
「裏切り者にも死に方を選ぶ権利くらいはあるかと思いましてね」
「殊勝なことだわ」
女隊長は自分の黒い騎士剣を抜き放った。刀身が歪なアルエルの剣や、複数本ある代わり短めのエルケーの剣とはまた異なっていて、彼女の剣は黒い薔薇を象った装飾が柄を飾る美しいレイピアだ。
女隊長はエルケーを睨め付ける部下2人を下がらせた。
「お前たちはヤツの後ろにいる人間をやれ。分かっているとは思うが『レメゲトン』も惜しむな。エルケーは望み通りに私が粛正するとしよう」
彼女は知っている。これから始まる戦いは余剰行為であることを。
人間にヘリを使わせず、国にとってさえ重要な『門』の術者を逃がすという大きな使命は果たした。後は自分たちも退けば良かった。だが、今も同胞たちが、友が、尊敬する長が、戦い続けている。己が手で討ち果たすべき裏切り者は眼前にある。
なんぞここで剣を握らざるや。
「いくわよ、エルケー」
「ッ・・・」
●
魔族同士の剣戟が始まった。だが、煌熾はなおも動けない。浩二にすら―――すらという表現は浩二の実力を考えるとやや不適切だが―――勝てないと自認する手負いのエルケーには、女隊長1人でもあまりに荷が重すぎる。
だが、浩二が煌熾の肩を掴んで激しく揺する。
「煌熾、立て!立ってくれ!!癪だが悪魔の言う通りまだ終わっちゃいない」
「なにが終わってないって言うんですか!!現実を見てくださいってば!!」
「ッの、クソバカ野郎!!」
「バ・・・っ!?」
「終わってないって言ったら終わってないんだよ・・・ッ、考えてみろ!!」
エルケーは隊長に任せたⅦ隊の残りの2人が抜剣し、容赦なく突撃してくる。浩二は煌熾を庇うようにすぐさま前に飛び出した。同時、浩二の体表面を赤いオーラが包む。熱波が煌熾の頬を撫でた。
―――浩二の本来の魔力は、赤、そして黄、すなわち『二個持ち』である。装備品であるリングで風魔法を操ることによって普段は隠しているが、それはフェイクだ。そしてつまり、彼は擬似的に3つもの属性の魔法を同時に操ることが出来るという意味でもある。
体に纏った熱にあてられ僅かに動きの鈍った片方の騎士の剣を、浩二は身を屈めて躱す。そして、もう1人の剣の間合いより内側へ転がり込むように潜って、勢いのまま騎士の胸当てに肘を入れた。インパクトの瞬間、肘の一点に最大限魔力を集中させる。衝撃と灼熱が同時に炸裂し、騎士鎧の胸部が弾け飛ぶ。だが、鎧だけ。騎士本人は健在だ。
1人目の騎士がすかした剣を素早く切り返し、浩二ではなく煌熾を狙う。だが、浩二はその騎士に光速の電撃を放ち、それと同時に炎魔法でターボをかけて騎士に重いタックルを叩き込む。2人まとめて地面に倒れ込む。浩二はそのまま騎士の後頭部に指を突き付け、風魔法のリングに注ぎ込んだ魔力を共振させる。
「くたばれ!!」
「ッがぁ!!」
この騎士は浩二の風魔法の威力を間近で見て知っている。喰らえば本当にくたばることになる。必死に浩二を振り払い、騎士は飛び退く。2人の騎士は再び並び立ち、戦況は振り出しに戻った。
「浩二さん・・・」
「頼むから立ってくれ、煌熾。・・・ホントはさ、これは俺が1人でつけなきゃならない落とし前だったんだ。なのに俺にはお前みたいな魔法がない。出来ないんだ。せめて、だからせめて、俺にお前の力を貸してくれよ・・・!」
「え・・・?」
「こんだけランク6とか5とかがゾロゾロ揃えといてこんなこと言うと情けないけどな、お前に懸かってるんだ。作戦の成功も、そして俺だけじゃなく迅雷や千影、ギルバートさん・・・そして黒川の命も。だから、頼む・・・俺たちを救えるのはお前だけなんだ・・・」
煌熾は唖然とした。自分より遙かに実戦経験豊富な清田浩二が、最もあり得なさそうなことを自分に頼み込んできたのだ。今だって、守られているのは煌熾なのに。
「――――――っ!」
でも・・・そうだ。
迅雷も。
千影も。
今、もっともっと強大な敵と戦っているんだ。
浩二とエルケーだってそうだ。きっと、ギルバートも黒川も同じ。生きている。みんな、まだ生きているんだ。
浩二の言う通りだ。まだ、なんにも終わっちゃいないんだ。
反省終了。覚悟完了。煌熾は歯を食い縛る。誓ったはずだ。
「仲間を守るために、戦う・・・。すみませんでした、俺―――」
「煌熾・・・!お前!」
「やります!なんとしても。・・・もう術者は逃げてしまった―――でも正直、逃げてくれて良かった。これで心置きなくやれそうです!」
「ははっ・・・本っ当に甘ちゃんだな」
建物ごと人を焼くはずだった。その恐怖が消えた。まだ不安はある。だけれど、仲間たちのためならまだ煌熾は立てるはずだ。救いを求められて戦えないヤツなんて魔法士にはなれない。
煌熾の瞳に光が戻る。
そして、Ⅶ隊の騎士たちは互いに目配せをした。彼らも人間たちの企みを警戒していた。
「やはり一筋縄ではいかないな」
「だから最初からそうしときゃ良いってさぁ」
2人の騎士の纏う雰囲気が一層禍々しく淀む。いや、これは魔力の変化だ。
来るぞ―――浩二は短く告げ、腰を深く落とした。
皇国の魔姫アスモより”激励”と称して与えられた新たなる力。騎士たちは、呼び起こす。
―――『レメゲトン』
術者の魔力を限界を超えて底上げし、特殊能力を強化する正体不明の新秘術。少なくとも人間界でその存在が初めて確認されたのは、先の7月。極めて情報に乏しい。
ただひとつ、分かったことがある。『レメゲトン』を解放した魔族は魔力だけでなく外見にも変化が生じる。頭上に黒い天使の輪のようなものが浮かび、リリス族やサキュバス族の場合は元々白かった眼球が黒く染まるのである。
先ほどは脅威として判断して逃げたが―――浩二にはもうそのような選択肢はない。
「煌熾!」
「行けます!!」
「突っ込むぞ!!!」
煌熾だってそうだ。怯んでなどいられるものか。
浩二が力を解き放った悪魔たちに正面から突撃する。
「血迷ったか!!」
数段上がった騎士の攻撃速度に翻弄される。2人の連携を捌くのはあまりに困難だ。爆炎を生み出す拳も届かない。たった一言のおまじないでこうも世界は浩二を置き去りにしてしまう。躱したつもりでいた刃が肉を裂く。
それでも構わない。浩二は叫ぶ。
「走れェェェェェ、煌熾ィィィィ!!」
「おおおおおおお!!」
浩二の両肩を騎士たちの剣が貫いた、その危機を見逃さない。煌熾は全力の『マジックブースト』と爆炎ターボで最速のスタートダッシュ。
「なにかする気だ!取り押さえろ!!」
「まぁ待てよ。もう少しここにいろって」
「・・・、!?!?コ、コイツ、剣を・・・!?くそ、放せ!!」
浩二は自分を追い越し走り抜ける煌熾の背中を見送り、ギラギラと歯を剥いて嗤った。敵の得物は自分の体に溶融してやった。追い込まれた人間の狂気の沙汰に、さしもの悪魔どもは驚異を隠せない。だが、浩二はこれで良い。
「自己犠牲の精神か?無為だな!!」
「結果は変わらないぞ。俺たちが貴様を殺せばな」
騎士たちが浩二に『黒閃』を向ける。至近距離なら躱せない。それで良い。そうしていろ。浩二は気に介さない。最後まで、浩二は少年の背中を目で追い続けた。
「そうだ、そのまま走れ焔煌熾!!」
5つ目の魔法陣。十分離れた。それを確認した直後、浩二の体から閃光が噴出した。
今度こそ明らかに恐怖した悪魔たちの顔を見られて、浩二は勝ち誇った顔をした。
「『サンバースト・エクスプロージョン』!!」
そして、彼は光の中へと消えた。