episode6 sect89 ” Grab Hands !! ”
『ちっ、千影!?あ、あっ、あしっ、足が!?』
経過報告のために起動した通信機から聞こえてきた迅雷の悲鳴で、浩二は困惑した。
尋常ではない様子だ。足が、一体どうした?
「オイ!!ガキども!!なにが起きてる!!」
返事がない。だが、集音は続いている。初めはマイクの感度が低く状況が不明だったが、次第に感度が上がってより詳細に音が拾われ始めた。恐らく、千影が説明代わりにそうしたのだ。
そして、聞こえてきたのは戦闘音だった。
一体、彼らはなにと戦っている?アルエル・メトゥ?いいや、それはおかしな話だ。なぜなら千影はほんの数分前に、アルエルはもう倒れたと言っていたのだ。倒れたフリに騙されていた、ということか?それとも、別の敵が現れた可能性も考えるべきか―――。
そう考え込む浩二だったが、すぐに通信機から聞こえる音には聞き覚えのある敵将の声が混じった。やはり、新手ではなくアルエルがまだ立っているのだ。
浩二は、千影と迅雷の救援に向かうべきか逡巡した。
「浩二さん、一体なにが・・・?」
「ッ・・・いや」
分からないが、間違いなくマズいことになっている―――などと、貧血で今にもぶっ倒れそうなほど顔面蒼白なヤツに教えられるわけがない。ここで浩二が取り乱したら煌熾の集中を乱すのは確実だ。煌熾にもバレないほどコッソリと、浩二は深呼吸をした。
この作戦に臨んだ心境と現実の齟齬に思うところはあるが、元々、一央市へのリリトゥバス王国のモンスター兵器たちの侵攻を許してしまったのは、浩二の不覚の結果だ。セントラルビルで起きた『荘楽組』とのゴタゴタの事後調査をしたときに、浩二が魔族のスパイたちが施した人払いの魔術なんかに惑わされず、『門』を繋ぐための大規模な魔法陣を発見出来ていれば―――。
だからせめて、今日ここで浩二が落とし前を着けなきゃならない。そのためには―――。
「大丈夫、大丈夫だ。煌熾、このまま『ヘキサフレイム』の準備を続けるぞ。心配すんな。俺が絶対にお前を守ってやる。例えあの女騎士が来ようと、『レメゲトン』を使われようと、絶対に。だから、お前は絶対にその魔法を成功させろ」
「わ、分かりました・・・」
浩二は既に煌熾から『ヘキサフレイム』の概要は聞いていたのだが、その実態は普通に考えて、この一刻を争うよう状況下で扱うには腰の重すぎるロマン砲だった。『高総戦』の学生同士の試合ですら使用を躊躇うほど準備に時間がかかる魔法を、魔族の精鋭たちに向けようなどというのだから、夢が大きくてあらステキ。
だが、本人の発言を考えれば『ヘキサフレイム』の破壊力は理論上青天井だ。ならば、黙ってそれに賭けるしかなかった。この少年が持つ可能性に。
「既に2箇所は陣を設置出来た。焦るな。でも急げ。大丈夫、お前は優秀だよ。お前の仲間も、優秀だ」
「・・・はい」
「さぁ、3箇所目に行くぞ」
敵の姿を探し、警戒しながら2人は管理施設東棟の正門側に広がる大きな花壇の中を進む。本来、この施設は一般公開され、時期が来れば観光客が訪れる場所である。だから、景観作りのためにこうして庭が手入れされているのだ。
背の高い、珍妙な草花は隠れ蓑にするのに適していた。浩二たちは、それを利用した。
「この辺りにひとつ」
出来るだけ足を止めないようにしつつ、煌熾は指先で良い色をした土の表面に触れ、魔力を流し込む。この辺りは、さすがにマンティオ学園の優秀な学生ということもあって手早い。あっという間に中型サイズの赤い魔法陣が地面に刻み込まれた。
「あと3つ―――。陣が見つかって壊されていなければ良いんだが」
天田雪姫との試合を思い出して、煌熾は不安をこぼした。余裕を見せる彼女に対してカウンター狙いで『ヘキサフレイム』を使ったとき、魔法陣を地面ごと破壊することで発動前に封殺されてしまった記憶がある。
しかし、不安だからこそ、煌熾は弱点を隠す努力を怠らなかった。魔法陣の発光をすぐに消す、本命の魔法陣と少しズレた位置にダミーの魔法陣を作っておくなどなど。しかも、ダミーの魔法陣も一応本物であるため、本命が破壊されたとしてもダミーが残っていた場合そちらを組み込んで予定通り『ヘキサフレイム』を起動出来るようになっている。
・・・一方で、だった。
ここまで念を入れて魔法を準備することに、煌熾は薄ら寒さを覚えていた。
なぜなら、自分が使う魔法が、敵とはいえ、誰かの命を奪おうというのだから。
白状すると、煌熾にはそんな覚悟はなかった。言葉も通じずただ人を襲うだけのモンスターを殺すのとは、全く、別のことだ。こんな風にしているのだって、迅雷や千影、そして今も戦っているであろう一央市の人々のための行動だと認識することで、誤魔化しただけだ。
煌熾は、首を激しく横に振った。
「正しさを疑ったらもう動けない。決めただろ。俺は神代の、千影の力になるんだ。それだけだ・・・」
次の魔法陣を設置するために、煌熾たちはこの花壇を抜けなければならない。最初に管理施設に突入したときと同じ、中央棟の前の噴水がある広場の辺りだ。
浩二が先に忠告した。
「警戒して止まっている余裕はない。このまま飛び出すぞ」
「はい!」
浩二は両手の指にそれぞれ2本ずつはめた特殊なリングの間で魔力の共振を開始した。これが空気銃の弾薬である。
まず浩二が飛び出し、指鉄砲を構えたまま周囲を確かめる。ラッキーだ。敵はいない。
煌熾にハンドサインを出す。花の茂みを脱した煌熾はすぐに適当な位置の地面に4つ目の魔法陣と、そのダミーを刻み込む。
「出来ました!」
「よし、良いペースだ」
あと2箇所。4分あればいけるはずだ。
「っていうのは甘かったか?」
何者かの気配を察知し、浩二は素早く指鉄砲を左側、気配の主に向けた。
「まっ、待て!?」
「・・・」
待つ義理はないが、浩二は一応発砲だけは待ってやった。
気配の主は、紫髪に赤茶けた肌、そして青い目の悪魔・・・というか現在は包帯だらけの痛々しいミイラ男、エルケーだった。その手には、迅雷が預かっていたはずの彼の騎士剣があった。少し短めの、エルケーの意思で宙を舞う剣だ。
ボロ雑巾のような状態とはいえ、エルケーも一応は騎士団の1人だ。敵味方の区別は付かない。警戒を解く理由はない。
しかし、エルケーは浩二と煌熾に会話を求めた。
「もう敵意はない!なにより今の俺じゃアンタらには敵わないことくらい分かる!だ、だが、俺は騎士団を裏切った身だ。このままリリトゥバスに居ても粛正される。せっかく拾った命、こんなトコで死ぬのはゴメンだ。だからヘリを奪って、逃げられればそれで良いんだ!」
「・・・目的が競合してるな。悪いが競走はしたくない。諦めて粛正されてくれ」
ある意味、浩二たちとエルケーには縁があると言えなくもない。それも奇縁ではあるが、エルケーはとにかくそこに縋ろうとしているようだった。だが、浩二はそんな縁など微塵も気に掛けることなくエルケーを突き放す。
しかし、そこはエルケーも必死だった。
「まっ、待ってくれ!いや、待ってください!!」
「しつこいな。敬語まで使って気持ち悪い。先を急いでるんだ」
「協力しよう」
「・・・なに?」
「俺は俺でここまで戦況を見てきた。この先、きっと俺の隊が待ち構えてる。一筋縄じゃいかないのはアンタも知ってるはずだ。なんせ、俺とアンタらは奴らに一緒に追われて一緒に逃げたんだから。俺は逃げられるならどこでも良い。今の口振り、アンタらは『門』が閉じる前にヘリで飛び込んで人間界に帰るつもりなんだろ?だったらヘリは1台あれば足りる。俺も一緒に行くからな」
一体、エルケーはどんな物の考え方をしているんだ、と浩二は訳が分からなすぎてこめかみに青筋を浮かべた。
しかし、少なくともエルケーが本気なのは確かだ。それがまた、図々しくて癪に障る。
「なんと言おうとダメだ。信じられるか」
「奪取したらまた縛ってくれて良い。向こうで牢屋に入れてくれても良い。ここにいるよりよっぽど安全だ!」
「逆に、なんでお前は俺たちと一緒にいて安全な保障があるんだ?信用される覚えもないんだよ」
「・・・確かに、そうかもしれない。ヘリに乗った後、俺はアンタに殺されるかもしれない。だけど・・・だけどな、少なくともあの黒髪の剣士は、経緯や方法、思惑はどうあれ、結果的には俺を救ってくれたんだ!自分を殺そうとした敵である俺を!少なくとも俺は一度アンタら人間に『守ら』れた!魔族は貸し借りには拘る。公平かどうかは問題じゃない。俺にアンタらを逃がす手伝いをさせてくれ・・・!」
「だから・・・ッ」
どうせ口八丁だ。良いように現実を解釈し直して、こちらに都合の良い風に言い換えて、体よくすり寄ってきているだけだ。浩二は騙されない。これ以上こんなヤツに足止めされている訳にはいかない。これでもしがみついて命乞いをするようなら、もう殺すのを迷う必要すらない。
浩二は、再び指のリングで共振させた魔力銃をエルケーの眉間に向ける。エルケーの表情が強張る。
「浩二さん!」
しかし、そこで浩二を踏み止まらせたのは煌熾の声だった。
「浩二さん、受け入れてあげましょう」
「お前なに言ってるのか分かってるのか?」
「エルケーさんも、生きるために必死なんです。それくらい、俺にも分かる。そんな彼を見殺しにすることは、俺には出来ない・・・」
「だが俺には出来る」
「確かに!確かに・・・」
死闘、逃避行、そして今現在。魔界で初めて出会った敵に対して、煌熾もエルケーと同じように奇妙な縁を感じていた。
「浩二さんの言う通りかもしれないです。でも、俺は彼を信じてみたい」
「・・・」
若い。
浅はかだ。
馬鹿げている。
・・・。
筋肉をわなわなと強張らせる浩二。
迫られる決断に歯軋りをした。隠すものじゃない。間違いなく不本意なのだから。
「おい悪魔。お前、自分の言葉、忘れるなよ」
「・・・・・・!あぁ、約束は守るとも。悪魔だからな」
そうと決まった以上、浩二と煌熾は現在進行中の作戦をエルケーと共有する必要がある。もちろん、エルケーが通信機等を所持していないことを確かめてからだが。
巨大な東棟を丸ごと焼き尽くそうなどと突拍子もないことを言い出されたエルケーは驚いた顔をしたが、今は感想を語る時間すら惜しい。早くヘリを手に入れなければ『門』はあと7分から8分くらいで閉じてしまう。
「以上だ。分かったな?お前は俺と一緒に煌熾を守り、成功し次第全力でヘリを確保する」
「異論は無いさ」
そう言って、エルケーは3本の騎士剣を自身の周囲に浮かべた。これがエルケーの持つ”特異魔術”、剣を念動力で操る力だ。
浩二は暗い顔をする煌熾の肩に手を置いた。彼はエルケーを見捨てないという自分の選択が正しかったのか、迷っていた。
「余計な心配はすんな。お前は自分のすべきことに集中すれば良い。この先、何人の騎士が待っていたって俺が絶対に守る」
「・・・はい」
残る2箇所分の『ヘキサフレイム』の魔法陣は、広大なヘリポートに設置しなければならない。エルケーの予想通りなら、敵との戦闘は避けられない。
煌熾には自信がなかった。こんな大規模な魔法なんて当然使ったことがない。不安しかない。学校じゃ模範的な生徒と言われる焔煌熾の実戦場での姿はこんな軟弱者だ。エルケーの申し出を浩二に認めさせたのも、なんの狙いもない良識的倫理観による行動に過ぎない。エルケーが裏切ればたちまち煌熾は浩二もろともに窮すると頭では分かっているのに。
だから、浩二が背中を押してくれる勢いに乗り続けなければ、焔煌熾は走れない。
それなのに。
「なんだ今の音は!?」
「ヘリポートからだ!!」
「クソッ!!急ぐぞ!!」
走る、走る。
浩二が唖然とする。
「なんじゃ・・・こりゃあ・・・!?」
それなのに。
それなのに。
それなのに、なんでこうなる。
立ち尽くした。
やっとの思いで動かす足の、その足下が崩れていく音がした。藻掻く足は宙を掻く。もう走れない。
煌熾たちが目にしたのは、ヘリポートに散らばった、無数のヘリコプターの残骸だった。
「一足遅かったな。最終便は今し方出てしまったよ。戦いの火種を乗せて―――な」
燃え盛る炎と黒い煙を背に佇む影が、嗤う。
プロペラの羽音が弾ける炎の音を掻き分けて高空へと舞い上がる。唯一機のみ残された高速ヘリ。『門』を制御していた術者たちが、そこにいた。