episode6 sect88 ” --- EXTRA STAGE --- ”
ギルバートも、浩二も、そして恐らく煌熾も、みんなが再び動き出した。ここから先はエクストラステージだ。
「・・・千影、ここからどうするんだ・・・?」
迅雷は通信機を持っていない。床に四肢を投げ出した彼は千影とギルバートの会話の様子を窺った上でそう訊ねた。
迅雷は明らかに苦しそうにしている。無理もない。千影が彼の腹部の傷に対して魔法による治療を行って出血を抑制したことで露わになったのは、砕けた肋骨と裂けた肝臓だった。
肝臓と言えば、非常に多くの血液が流れ込む臓器であり、ここを大きく損傷してしまうと失血死に至る可能性が高い。破けた部分を魔法で繕ったところで気休めにしかならない。今も袋の内側では酷い出血が続いているはずだ。今はまだ迅雷の全身に流れる莫大な量の魔力が彼の意識を繋ぎ止めているが、それもあと5分程度しか続かない。もしもそれを引き延ばそうと再度『制限』を解除すれば、その反動に次も彼の体が耐えられるとは思えない。
千影は迅雷の問いに対して数秒の無言を経て、それから彼に寄り添うように屈んで、その汗の滲んだ横顔に静かに語りかけた。
「とっしー。もしも、さ・・・もしもだよ?ボクがさ、君だけを連れて―――ムラコシもギルさんも浩二も黒川も、みんな見捨てて一央市に帰るって言ったら、受け入れてくれる?」
「・・・ごめんな」
「あ、ちょっ」
起き上がった迅雷を案じて千影は手を差し伸べる。迅雷は左の手に伸ばされた彼女の手を握り込み、右の手を千影の頭に重ねる。そうして、真っ直ぐ見つめて、柔らかく笑う。
「それは、受け入れてやれなさそう。だってさ、出来ないだろ?そんなこと。俺も、千影も」
「・・・・・・」
「正直―――千影には今さらだけどさ、大層な信念とか矜恃じゃないよ。たださ、心がモヤッとしたら、それは『そうしたくない』ってことだろ?」
「―――そうだね」
迅雷は煌熾を迷いなく大事な仲間と言えるけれど、浩二とかギルバートはまだ分からない。だって、いろいろ揉めて嫌な思いをしたこともあるし。黒川に至っては、今日まで特に接点すらなかった。
それでも、嫌だと感じてしまったのだから、嫌なのだ。もちろん、悪いが一番大事なのは千影だけれど、だけれど、迅雷はみんなで一緒に生きて帰りたい。そうしたい。
千影は頷いた。本当は迅雷を最優先したい。そうしたい。でも、迅雷の言う通り、千影には自分の胸の内にわだかまる後悔の種を無視出来ない。もう、無視なんてしたくない。
迷いとは、願望だ。我儘を言うのなら、迅雷も、他のみんなも、一緒の方が良いに決まっている。
そして、2人の方針は決まった。
「今からムラコシと浩二が東棟にいる『門』の術者を一掃するから、ボクらはその間に脱出用のヘリを確保するよ」
「分かった」
「・・・って言っても歩けないよね?」
「そんなことは、ない・・・けど・・・しんどいかも」
「向こうまでボクが飛んでいくから、とっしーは運ばれちゃって良いよ」
千影は再び黒色魔力を解放し、背中から黒い翼を生やした。一時は不安定になっていた翼の形状は、今は元の綺麗な蝙蝠の翼型に落ち着いていた。
「そういや、こう落ち着いて千影のオドノイドの姿見るのは初めてだな」
「そう?まぁ、ずっと戦闘中だったもんね。どう?可愛い?」
「今は痛々し・・・ん?・・・あ!やっと分かった!」
「な、なに?」
迅雷はこんなときにつまらないことで感動を覚えて申し訳なくなったが、実は千影の服装について本当にずっと気になっていたことがあったのだ。それは、千影が着ているシャツやパーカーがいつも背中に2本のスリットが入っていたことである。
「それ、翼が服抜けられるように空いてたのか・・・!」
「・・・」
「そんなことかよって目ですね~。はいすみません、じゃあお願いします」
「やれやれだね。ちなみに言えば上着の裾口を広げてるのも爪出したときに干渉しないようにするためなんだよ。ま、言わなきゃ確かに不思議ファッションだったかもね」
全くもって今さらの解説をしながら、千影は迅雷の体に自分の腕と、それから尻尾を巻き付けた。あくまで迅雷の傷をいたわりながら、しかし絶対に手を滑らせないようにキッチリと。
千影は翼を広げる。
「飛ぶよ」
「あぁ」
相槌を打つ迅雷。2人の体が緩やかな浮力に包まれる、そのときだった。
「ぅあああッ!!」
揚力を失って墜落した迅雷の前で千影が左足を抱えて蹲っていた。
違う。
抱えてなんていない。
抱える足が、太腿から先が、なくなっていた。
「ち、千影・・・・・・?」
激痛に汗ばみ、血走った眼で千影は自分の左足を奪った敵を睨み付けた。
「しッ・・・つこいなァ・・・!!」
すなわち。
アルエル・メトゥの手には太腿の半ばで千切れた子供の左足が掴まれていた。
既に千影の再生能力の実態を体感したアルエルは、掴んだ足を魔術によって焼き尽くした。
しかし、かの王国騎士団長は、静かに佇立するだけだった。誤解のないよう、改めて言っておく。アルエルの肉体は、千影の再生能力らしき「なにか」を自身に上乗せした影響で既に破綻寸前である。今は千影の速度を上乗せして動いたが、健常時でさえ高負荷のかかる速力を発揮した結果、さらに何ヶ所もの筋肉や血管、腱や骨、神経までもが断裂した。
「直に『門』は閉じる。あと、7、8分といったところか?フッ・・・我がリリトゥバス王国の象徴であるアグナロスが人間の手により倒され、騎士団長である私でさえこの無様。認めよう。この戦いで我々は敗北した。だが、だがな。だからこそ、放心するなよ、人間・・・!!」
己の限界を超克え、騎士団長アルエルは咆哮する。
「この私が生きているうちは絶対に貴様らを逃がさない!!ここが己が尸所と思えェェッ!!」
彼はこの国を背負って立つ者の一人として、揺らぎ始めたリリトゥバスの威信を守るために立った。
人間共を討ち滅ぼすも良。『門』が閉じるまで足止めして『箱庭』に幽閉するも良。なにがなんでもコイツら、特級の危険因子は確実に排除しなければならない。
●
車両庫からは管理施設の職員らを詰め込んだ車が次々の脱出していた。
ネテリ・コルノエルは非戦闘員を乗せた輸送車全てを見送り、振り返る。
「さぁ、次は貴方たちの番です」
彼女の後ろに並んでいるのは、手負いの騎士たちだった。言うまでもなく、ほとんどがギルバートに返り討ちにされた手合いだ。
―――ネテリは分かっている。本当は彼らをここで切り捨てるべきだ。もはや戦えぬコマに時間や労力を割くなんてナンセンス、愚の骨頂。
かつてのネテリであれば、そうしていたのは間違いない。ただの効率の話だ。魔界の国々にあっては特段珍しくもない、常識的な判断だった。
だけれど、気が付いたらネテリは負傷した仲間を動ける者たちと協力して回収していた。思わず溜息が出た。
「あの方の影響ね。魔界の大国で騎士団長なんてやっているくせに、魔族的じゃないんだから」
地鳴りが始まった。『門』の術者たちが”装置”を脱出した証拠だ。彼らを逃がすためのヘリは、ネテリが特に信頼するⅦ隊の女隊長に任せた。全ての手筈は整った。後は全力で敗走するだけで良い。
これで、アルエルの補佐官としてのネテリの仕事は終わり。
「もう私たち王国騎士団の戦いは終わりよ。負けたものは仕方ない。速やかに逃げることも戦い方のひとつ。さぁ、早く車に乗りなさい」
騎士団のために取っておいた輸送車に、連れて来た騎士たちが乗り込んだ。そして、ネテリは外からその扉を閉め、運転手の騎士に合図を出した。
「行きなさい」
「・・・!?お、お待ちください!!副官殿もご乗車ください!!なんのおつもりですか!?」
「良いから、『行きなさい』」
「なッ・・・!!に、を・・・!?」
「分かっているでしょう?これが私の”特異魔術”―――貴方は私の言葉に絶対服従しなければならないのよ」
心に従うことなくアクセルペダルが踏み込まれ、魔術的に駆動する大型輸送車が唸りを上げて発進する。
「私はこれから団長の応援に向かうわ。参謀としてではなく、副官としてでもなく、私個人の望みとして」
黒地に金の刺繍を施された騎士であることを示す外套を、禍々しい金彫刻をあしらったケピ帽を、脱ぎ捨てて、堅苦しい意匠の下から紫金のグラデーションによる半長髪と小さな黒羽の翼が露わになる。
彼女には戦場でアルエルの隣に立てるような力なんてなにもない。その貧弱な腕では、騎士として、その象徴たる黒剣を振るうことすら出来ない。
それでも彼女は戦い続けることを選んだ。
なぜなら、ネテリ・コルノエルはアルエル・メトゥを愛しているから。
ただそれだけで十分であった。
戦う力に乏しく、憧れた王国騎士団の入団試験では幾度も門前払いの屈辱に枕を濡らし、誰にも見向きもされず荒んだ自分に手を差しのばし、ここまで連れ添ってくれた魔族の「魔」の字を疑いたくなるような、それでいて全く「魔」の意の通りに自分を惑わすあの人に尽くしたい。
自分が彼を誇りに思う以上に、彼からも誇られるような側近になりたかった。
でも、騎士団は負けた。たった6人の人間、たった1個の都市に、国の心を揺すぶられてしまった。ネテリの読みが甘かったのだ。生涯恥じ、辱めを受け続けることになろうとも仕方のない、ネテリの失敗だ。それにあの人まで巻き込んでしまった。
きっと国と共に、アルエルの名も地に墜ちる。
今さら助太刀に向かったって、なにかを挽回出来る訳ではない。もう誇られるべき側近の夢は、諦めよう。
でも、その代わり、ネテリは最も恥ずべき側近になろう。英雄から死地を奪い、みっともなく生き延びさせる、そんなとことん恥知らずな側近に。
部下の騎士たちを乗せた車は車庫を出た。
迷いはない。ネテリは踵を返す。
・・・が。
すぐ外から爆音がしてネテリは振り返った。
敵襲かと思ったが、すぐに違うと分かった。
でも、それは敵襲よりも、もっとネテリを驚かせた。
そこには。
「・・・どうしてなの・・・!?」
そこには、自分たちで車を破壊して無理矢理ネテリの呪縛から逃れた手負いの騎士たちがいたから。
「副官殿・・・いえ、コルノエル殿。我々もお供します」
「わ、私も騎士団長の力になりたいのです!」
「水臭いマネはよしましょうよ、ネテリさん」
車の爆発で、破片なんかを浴びて余計な傷まで負って。
「貴方たちは・・・ッ!そんな体でなにが出来ると言うの!?」
「こんな体だから運転をすることも逃げることも出来んのです。アルエル・メトゥ騎士団長のいない王国騎士団じゃ拒絶反応が出てしまう、こんなボロボロの体では」
屁理屈をこねたのは、ネテリが逃亡を命じた運転手の騎士だった。
なんと愚かしいことか、嘆かわしい。・・・が、ネテリはもう、自分の命を優先することすら出来ない魔騎士の出来損ないたちに『足で逃げろ』と命じ直すことは出来なかった。
アルエルの影響を受けていたのは、ネテリだけではなかったということだ。
「・・・ますますあの人への誇らしさばかりが大きくなってしまう・・・。えぇ、貴方たちの気持ち、よく分かったわ。でも、これだけは忘れないでちょうだい。私たちはどんなにらしくないことをしているとしても、決して人間なんかじゃない。私たちは誇り高き魔界の、リリトゥバスの民よ。その力は、己が欲望を満たすためだけに振るいなさい!!」
同時、Ⅶ隊の女隊長からヘリを破壊し終えたとの連絡が入る。
本国で準備の進んでいた援軍も、敗走を決めた今、絶対に来ることはない。
退路は断たれた。ならば、望む道を往くのみ。