episode6 sect87 ”火急”
「はぁッ、はぁ・・・。クソッ」
「大丈夫ですか浩二さん?」
「あぁ、ただのかすり傷だ。助かった。悪いな、煌熾」
清田浩二と焔煌熾は、騎士たちとの戦闘から逃走して身を隠していた。
腕に斬り傷を受けた浩二は、『召喚』で止血剤を取り出して患部に打った。包帯も取り出して傷口を覆っていく。まだこの程度なら支障なく戦闘を続けることは出来たが、浩二はこうするのもやむを得なかったと思っている。明らかに不利な状況だった。
初めは良かったのだ。正門から迅雷や黒川と共に管理施設内部へと突入した浩二と煌熾は、その後自然な流れで正門前を警備していた王国騎士たちとの戦闘へと移行したのだが、その時点では浩二が敵を圧倒していた。ギルバートの先制攻撃のおかげで敵戦力が削がれたことで一度に相手取る敵の数もたったの3人で済んでいたことも大きい。
しかし、その後事態は急転した。浩二が2人の騎士を撃破し、窮地に陥った最後の1人が詳細不明の魔術を唱えたのである。その術名は、『レメゲトン』だった。
もっとも、『レメゲトン』という単語は、実は浩二は情報としては知っていた。先月に5番ダンジョンで警視庁の小西李が交戦した魔界七十二帝騎を自称するエリゴスという魔族が使用したという、術者の戦闘能力を大幅に増強する謎の魔術である。しかし、七十二帝騎というのは皇国の組織であり、エリゴスの「我が君の恩寵」という発言から『レメゲトン』は皇国内部でのみ流通する皇族あるいは貴族階級によって新規開発された魔術であるという意見が出されていた。浩二もその意見を鵜呑みにしていた。
しかし、現実はリリトゥバス王国の王国騎士団にも『レメゲトン』が広まっていたのだ。
さらに厄介事は連続した。上空に複数の機影が差し掛かったのだ。それは高速ヘリだった。
それは最悪の展開と言えた。なぜなら、ヘリから降下してきたのは、あのあらゆる攻撃を無効化してしまう女隊長率いるⅦ隊を含む3個小隊―――すなわち森に放たれていた騎士団の残存戦力全てだったのだ。
不幸中の幸いはそのうち2つの小隊が浩二たちではなく西棟、恐らくは突入に成功したギルバートを足止めすべく行動し始めたことだったが、どこまで行っても不幸は不幸と言うべきか、結局浩二の元に残ったのはⅦ隊の連中だった。
まず、『レメゲトン』を使用した騎士についてだが、浩二が抱いた感想は「やってらんねぇ」だった。実際は『レメゲトン』が発動した瞬間のプレッシャーの割には十分渡り合えた。元が自分より格下の敵であれば底上げした能力も想像するほどの脅威にはならないということだろう。だが、それでも雑魚と思っていた敵がいきなり自分と互角以上の戦闘力を発揮するようになれば、もうまともではない。刺し違えてまで倒そうなんてのは、少なくとも今必死になってすべきことではない。
そして、敵の増援。女隊長の能力の厄介さについては語るべくもない。しかも、1人のヒラ騎士すら『レメゲトン』を使用した以上、下手に刺激すれば彼女含めたⅦ隊の3人も門前の騎士同様『レメゲトン』を使用して追い込んでくる可能性が高かった。そうなったらどう足掻いても勝ちようがない。
煌熾もいるから、浩二は無茶な戦闘は行えない。絶望的な戦況であると早々に判断した浩二は、まともな傷を負う前に撤退を決断したのだった。煌熾と協力して魔法による目眩ましを行い、全速力で走って逃げた。本当は煌熾の背負っているジェットパックが使えればもっと素早く遠くまで逃げてしっかりと安全を確保出来ていただろうけれど、迅雷の無茶を聞いたせいでジェットパックは故障してしまっていた。使えないものは仕方がなかった。
今も恐らく騎士たちは浩二と煌熾を探しているだろう。一所に留まって体を休めていてはいつ見つかるかも分からない。2人は周囲を厳戒しながらゆっくりと移動を続けつつ行動をしていた。
「浩二さん、俺たちはこれからどうします?」
「さあな。言ってみれば俺たちは遊撃だからな・・・本当なら敵の攪乱するように動ければ良いんだが、『レメゲトン』は予想外すぎた。まぁ、それが使えるっていう情報を持ち帰れただけ良いか・・・」
「他のみんなにも教えておかないとですね」
「あぁ、そうだな。そうしよう」
浩二は通信機を使ってギルバートと黒川、そして千影に『レメゲトン』の件について報告を試みたが、様子がおかしい。返事をしたのが、ギルバートだけだったのだ。
「浩二さん?」
「黒川と千影が応答しない」
「そんな、まさか・・・?」
「・・・マズいかもしれない」
浩二は唇を噛んだ。戦闘中でしゃべれないという可能性はある。実際、ギルバートは浩二の予想通り森から回収された部隊と交戦中のようだった。もっとも彼は声に余裕が滲んでいたから、やっぱり心配は要らないのだろうけれど。千影も、一応戦闘の様子らしきノイズは聞こえていた。あちらは迅雷と共にアルエルと交戦中だ。余裕がなくても仕方がないとは思える。だが、本人の声が一切しないのは不可解だ。そしてなにより、黒川に関しては全くの無音である。
煌熾は顔を青くした。ここは『高総戦』のようにルールがある戦場ではない。ここまでの経験だけでも煌熾はその現実を実感させられていた。
「た、助けに向かった方が良いんじゃないでしょうか?」
「・・・そうしたいのは山々だが、俺たちも正直下手には動けない」
浩二は、煌熾が焦る分、冷静でいられた。今は逃げているが、女隊長たちを仲間たちのところへ向かわせないためにも浩二たちが釘付けにしておかなければならない。少なくとも、ギルバートがメインコントロールルームを掌握するまで浩二たちは今の仕事に集中するのが最善である。
ギルバートのことだから、過信するわけではないがもう少しすればメインコントロールルームに到達するだろう。それまでの辛抱だ―――と浩二は自分自身に言い聞かせた。
それに大体、黒川だって一央市ギルドが誇る優秀なレスキュー隊の魔法士だ。大抵のことなら彼一人でなんとか出来る。他でもない隊長の浩二がそう評価しているのだ。自分が信じる相手を信じないのは、自分を信じないのと同じことだ。そんなメンタルでここは生き残れない。
「・・・シッ」
ちょうど、浩二と煌熾がこれからの動きを確認しあっていた折に、あからさまな足音が近付いてきた。挑発だ。浩二は煌熾に息を殺させて、周囲を警戒した。すぐに見える範囲には敵の姿は見えないが、間違いなく近い。そこの角を曲がった先だろう。
足音は1人ではない。少なくとも、2人はいる。しかも、なかなか歩調が速い。小走りと言っても良い。今し方逃げたばかりの浩二たちだ。こんな風に足音を聞かせれば焦って逃げるものと予想したのだろう。そうなれば、雑音でこちらの位置がバレるわけだ。
しかし生憎、浩二はそこまで彼らの力に恐怖しているわけではない。だからそんな安易な誘いには乗らない。ただし、そこまでは予想出来ても次の手は分からない。現在浩二たちを追っているのは、門を守っていた騎士とⅦ隊の合計4人である。あの足音が2人以上の可能性もあるが、2人ピッタリだったなら残りの2人はどうしているかが問題だ。挟み撃ちを狙っているか、あるいは別々に行動して虱潰しにこちらを探してくれているか。前者の場合、かなりマズい。
「どっちみちまだ真正面からは戦うべきじゃない。でもノーリアクションだと飽きられる。さて、どうすべきだと思う?煌熾」
「えっ」
「ピンポンダッシュ戦法でいこう」
「ピ、ピンポンダッシュ、ですか?」
「ちょっかいかけて逃げるんだよ。やったことないか?」
「え、まぁ・・・ないですけど」
浩二はせっかく緊張をほぐそうと思ってジョークを言ってみたのに、かえって収まりの悪い空気になってしまった。確かにコイツは子供の頃から悪戯とか全然しないで育ってきていそうな顔をしている。
よほど千影と迅雷の安否が気になってしまっているのだろう。煌熾は今にも過呼吸症状に陥りかねないところだ。このまま次のアクションを起こせばまず間違いなく煌熾は失敗する。そうなってはいけない。
浩二は煌熾の背中をさすって可能な限り穏やかな口調で諭した。
「良いか、俺は黒川を信頼してる。アイツは一央市ギルドが誇る優秀なレスキュー隊の魔法士だ。大抵のことなら自分一人でもなんとか出来る。他でもない隊長の俺がそう評価してる。それなのに俺が信じているアイツを信じなくなったら、俺が俺を信じねぇのと一緒だ。そんなじゃここは生き残れねぇ」
「・・・俺にとってのそれが、千影と神代、ということですか」
「まぁ、黒川とアイツらではまた事情も違うかもしれないけどな、やっぱり信じる側の取るべき態度ってのは一緒だと思うんだ」
「そう・・・ですよね」
煌熾に語る浩二の顔は、台詞に見合わぬほど血色が悪かった。
本当は浩二も煌熾と一緒なのだ。
でも、だからこそ煌熾は浩二の言いたいことがよく分かった。心配しすぎるくらいだったら、一緒に戦ったりしないで安全な場所に避難させて、全部自分一人で背負い込んだ方がずっとマシだ。でも、それでは違うだろう、と。その通りだ。迅雷と千影は仲間であって、煌熾が一方的に心配して庇護するようなヤワな奴らじゃない。
煌熾は深呼吸をする。
「大丈夫です。もう、落ち着きました」
「よし」
「で、つまりはヒットアンドアウェイを狙うってことですよね?」
「う・・・まぁそうだけど」
わざわざ茶化した言葉を真面目に言い直されるとなんだか恥ずかしい。
「だが、もし挟撃の様子がなければアウェイを遅らせて擦れ違い様になんとか1人くらいは無力化したい。あの女騎士がいたら絶対即逃げるけどな、他の連中だったらなんとか出来るはずだ」
「分かりました」
そこからは早かった。タイミングを合わせて頷き合った直後には、2人とも足音がする曲がり角から飛び出して、魔法をぶちかました。その直前に見えた敵の中に、Ⅶ隊の女隊長の姿はない。
「『フレイム』!!」
煌熾の放った炎は激しく拡散して、騎士たちを襲う。威力だけでなく、このまま逃げに移行する場合には目眩ましとしても有効に機能する良い一撃だった。
浩二もまた、魔法の指輪で共振させた空気弾を乱射しつつ、彼は彼で背後に警戒をしていた。
「挟撃無し!分かってるな!?」
「はい!!」
『フレイム』により遮られる敵と煌熾たちは互いの行動を目視で確認出来ない。一方的な有利ではないが、敵は煌熾たちが逃げるか応戦するかの2択で迷わなければならないのに対して既に行動方針が決定されている分、2人の方が僅かに時間的アドバンテージを獲得出来ていた。
それを使い、煌熾は無数の小型魔法陣を並べて巨大な魔法を組み上げる。
「『ガーベラ・ラジエート』!!」
内側から円状に解放されゆく炎はひとつひとつが橙色の花弁となって、その名の如く灼熱の菊の花を咲かせた。その巨大な菊は瞬く間に散華し、激熱が放射され、『フレイム』の炎を掻き消す勢いで騎士たちを覆い尽くす。
「うおぉ!!」
その、煌熾が生み出した灼熱空間に飛び込んでいく浩二。
炎をものともしない浩二は、焼け付く痛みに喘ぐ騎士の片方―――結局敵は2人組で行動していたらしいことは今分かったのだが―――の懐に飛び込み、鎧の胸部に指を押し付けて空気弾を連射した。
その騎士は、浩二に『レメゲトン』を披露したあの騎士だった。彼は胸板に受けた重い衝撃で血を吐き、倒れた。熱を吸引して弱った気管にダメージが入ったのだろう。さらに心臓にもショックが伝わった。・・・本当は硬い鎧の上から攻撃なんてせず、顎にでも指を突き付けて脳天まで空気弾を貫通させてやるべきだったんだろうな、と浩二は舌打ちした。
学生である煌熾の前では、行動が甘くなってしまう。どれだけ偉そうなことを言っていても、遠慮が残ってしまう。
とはいえ、結果として騎士の意識は刈り取った。成果としては必要最低限は満たせている。
そして、もう炎が晴れる。
「貴様ァァ!!」
「チッ」
Ⅶ隊の騎士の攻撃が飛んでくる。浩二は身を屈めて回避し、しかし、追撃は行わずに退散した。このままこの騎士とやり合うのも手ではあるが、攻撃が派手だったからもう2人いる敵に位置がバレた可能性があるし、とにかく『レメゲトン』の相手は可能な限り避けたい。覚えのある雰囲気の変調を感じた浩二は、騎士が『レメゲトン』を唱える前に一度行方を眩ませた方が良いと判断した。
煌熾の『フレイム』の第2波が到達する。それに乗じ、浩二は炎から飛び出して煌熾と合流し、騎士の真横を素通りする形で逃走。滑り込むように建物の陰に隠れた。あの騎士は2人がどちらに逃げたのかは見えていない。だが、方向としては西側と東側の2択でしかない。足を止めず、しかし他の敵の目も警戒して移動を続け、2人は束の間の安全を確保する。
だが、正直こんな立ち回りは長くは持たない。次は最初から『レメゲトン』状態で襲いかかってくる可能性は高まったと思って良い。強化状態になると今のレベルの攻撃で怯ませられるかどうかは分からなくなる。
そう感じ、浩二が歯噛みしたとき、事態は動いた。
『チカゲ、ミスターキヨダ。手こずったが、やっとメインコントロールルームの制圧に成功した!』
「ッ!!」
―――やっと?いやいや、やっぱり速すぎるぜ、最高だな!
これで行動を変えられる。浩二は小さくガッツポーズをした。
そして、通信には千影が参加していた。これを煌熾に教えたときの、彼の見せた安堵の表情と言ったら、羨ましいくらいだった。・・・黒川の声が、聞こえない。
一度通信が切れる。ギルバートは今から操作を開始するという。浩二は魔界の森の空に浮かぶ『門』を見た。一央市へと繋がる、巨大な『門』を。遂に、アレが閉じる。
「・・・・・・」
これで良いのだろうか。いや、良いはずなのだが―――浩二は心に痼りを感じた。『門』が閉じるのが嫌なのではない。自分以外の誰かがそれを為すことに、微かな心残りというか、引け目というべき感覚を抱いた。しかし、そんなものは責任感故の不遜な活躍欲求だと断じて、気にすることをやめた。浩二にはギルバートのような言語スキルや機械の知識はない。適材適所だ。
だが、浩二の沈黙を再度繋がったギルバートの通信が掻き乱した。
『チカゲ、コウジ!ここからは時間との勝負だ』
「ど、どういう意味ですか!?」
ミスターキヨダ、ではなく、コウジ、と呼ばれた。浩二はそれだけでギルバートが緊急事態にあることを察知した。
細かい話は抜きにして、ギルバートは滔々とこれから取るべき行動を提示した。しかしその内容が問題だった。なんと、今そこに見えている東棟を吹き飛ばせ、とのメチャクチャなオーダーだったのだ。東棟はざっと見積もっても幅500メートル奥行き200メートル高さ10メートル以上はあるのだ。浩二はギルバートが焦りで壊れたのかと思ってしまった。
『コウジ。隣にいるコウシに伝えてくれ。君の切り札、「ヘキサフレイム」が必要だと―――』
その魔法がどれほどのものかは分からないが―――浩二は煌熾を見た。
ギルバートの言うことは正しい。それが出来るなら、させるべきだ。だが、だが・・・浩二は、この少年に敵兵の命を奪わせる作戦を、良しとすべきなのだろうか?
いいや、べきとか、べきではないとか、そんな次元で語るべきではないのだろう。浩二自身、煌熾の存在に甘えていたのだと自覚した。思い出す。これは戦争なのだ。ぬるいことを言ってはいられない。
「・・・分かりました・・・・・・」
●
「・・・と、いう作戦だ。悪いが、俺にもお前にも拒否権はない」
「そんな・・・いや・・・戦い、ですしね」
「すまん・・・本当に」
黒川の件についてはギルバートに任せることになり、浩二は煌熾と共に次の行動を開始していた。
分かってくれたような発言をする煌熾も、顔は青い。恐いに決まっている。なんと重い責任を負わせてしまったのだろうか。一瞬でその作戦を思いついたギルバートの残酷さを恨めしく思うが、それはとんだお門違いだ。浩二だってその選択をすぐに受け入れた点でギルバートと同じであり、なにより道徳に甘えて勝ちを逃せばここまでの全てが水泡に帰す。それは、今のギルバートよりずっと残酷な選択をしたことになる。
「でも『ヘキサフレイム』って魔法、そんなに強力なのか?」
「その魔法は俺の最大威力の魔法なんです。対象を囲うように6つの魔法陣を配置して、その内側に火柱を立てる魔法なんですが、一応攻撃範囲なら配置する魔法陣の間隔を変えることで調整出来るんです。・・・けど、正直あんな大きな対象に試したことはないから・・・」
「いや、出来るなら良いんだ。・・・信じるぞ」
「はい・・・やってみます」
信じるというのは、今は少し、卑怯だったに違いない。
●
「千影?・・・千影ッ!?」
「しッ・・・つこいなァ・・・!!」
欠損。血飛沫。悲鳴。怒声。
まだ、終わっていない。終わらない。あの男が立つ限り。