episode6 sect86 ” LOSE - LOSE ”
「むはぁ・・・」
千影の再生能力を自身に上乗せし、迅雷に負わされた深手を全て塞いでいくアルエルは、心地良さげに大きく息を吐いた。失血も補填されたことで体温が急上昇し、なんだか湯上がりで少し体が火照るような、健全な酩酊感がある。
「もう癒えた。さぁ、我が敵よ、決着をつけるとし――――――ごぶふぅッ!?」
そのときだった。
突如、全身の血液が沸騰するかのような凄まじい激痛が走り、アルエルは膝から崩れ落ちた。体が焼けるように熱くなった。
「なにが・・・・・・!?が、ごふッ」
激しく吐血した。それだけでない。鼻から、目から、毛穴から、血が噴き出した。だが、症状はさらに加速し、全身の筋肉が膨張を開始した。比喩ではない。本当に肉が増えたのだ。膨れ上がる内圧で何ヶ所も皮膚が破れ、圧迫された血管に溜まっていた血液が床にぶちまけられ、生々しい音を立てた。
だが、失血でアルエルがショック症状を起こす気配はない。というより、どれだけ大量に血を流してもアルエルの血色が青ざめることはなかった。血液を失ったそばから再生するせいで血が尽きることすらない。
なんの前触れもなく倒れたアルエルの成れの果てに、千影は息をすることさえ忘れていた。あまりに惨く、濃密な鉄の臭いに中てられた千影は鼻を手で覆った。胃液や排泄物の悪臭まで混じって正気が毒されそうだった。
「ぅ、ぉぇ・・・」
凄惨な光景に吐き気を催した千影は、床にしゃがみ込んだ。
なにがなんだか分からない。少なくとも千影はアルエルの傷が癒えるのを見ていただけで、なんにもしていない。というよりも、こんなに恐ろしい現象を起こせる者を知らない。
生きたまま無限に再生と破裂を繰り返し、無尽蔵に出血し続けるなど、この世の地獄だ。死んだ方がずっとマシなのではないだろうか。
しかし、千影は勇気を出して再び刀の柄を握り込んだ。
すると、アルエルの地獄がぴたりと止まった。酷い出血はまだ続いていたが、再生が止まったのだ。これでもだいぶ良いタイミングでループが停止したようだった。弾けた筋肉や内臓に圧迫されてへし折れた骨など、肉体の損壊は概ね再生し、原型を留めた状態のアルエルが、血の海の中央に残っていた。
その後数秒間、彼の噴き上げた血の雨が降り続けたが、やがて千影はアルエルの浅い呼吸を聞いた。
「今のは・・・一体?」
「お前の・・・」
「!」
「お前のその『再生力』は・・・再生とは、違う。無制限に肉体を作り続ける・・・まるで全身、猛烈な速さで増殖する癌細胞にされた、ようだ・・・。だが、なぜお前はこうならない・・・なにかが・・・足りなかったのか・・・?」
敵の術でも、味方の裏切りでもないと気付いたとき、アルエルはこの苦しみの正体が、自ら望んで自分に上乗せした、正体不明の敵の原理不明の『再生力』だったのだと理解した。再生とは違うのなら・・・強いて言うのであれば、無尽蔵の『生命力』とか、そういうものだろうか。通常の生物がその身に宿せば瞬く間に今のアルエルと同じような地獄へと引きずり落とされるだろう。痛みすら麻痺した虚ろな思考の中で、アルエルは辛うじて残っていた正気にしがみつき、自身の能力を解除したのだった。
だが、こうしてアルエルが今生きているのは奇跡だった。そんな思考状態で解除するタイミングなど意識出来るわけがない。一瞬早いか遅れて『再生力』を手放していれば、アルエルは内臓も骨も丸出しの有機化合物製血液噴水装置のまま再生を停止して死んでいただろう。
そして、このとき千影はアルエルの言葉の違和感に気付いた。
「ボクの?・・・どういうこと?」
「お前は、なんだ?」
「だから、意味が分から・・・」
ザザ、と、耳の中で掠れた音がして、千影は思い出した。
今すべきはアルエルとの決着ではなく管理施設を攻略し、『門』の制御を奪うことだったはずだ。
「ギルさん!?」
『チカゲ、ミスターキヨダ。手こずったが、やっとメインコントロールルームの制圧に成功した!』
「じゃ、じゃあ・・・!」
『ああ』
事実上の勝利宣言だった。
千影は一気に全身から力が抜ける気分だった。
疑問が残った気がするが、もはやそんなのは大事ではない。アルエルはもう戦えない体だ。ちょっと実感のない終わり方だったが、とにかく戦いは終わったのだ。
千影は迅雷の傍に屈んで彼の手を取った。
「とっしー!やった・・・やったよ!!とっしー!ボクたち勝ったんだよ!一央市を守れたんだよ!」
「・・・そ、そうなの・・・か?」
「そうだよ!」
あとはギルバートが『門』の制御システムを掌握するのを待つだけで良い。
ただ、迅雷の傷は重篤だ。千影はギルバートを急かした。一刻も早く安全を確保しなければ、これ以上は迅雷の体が持たない。
●
切迫した千影の懇願を承諾し、ギルバートは急ぎコントロールシステムを操作する。
だが、どこをどう操作しても全く動かない。
「・・・凍結されたか。まぁ想定内だな」
ギルバートは魔界で使用される電子機器の規格に合わせて自作したハッキングソフトとデバイスを『召喚』しものの1分半という短時間でシステムログの吸い出しに成功した。やはり、凍結はしても完全消去、放棄まではしなかった―――いや、出来なかったようだ。『箱庭』に関する重要な情報などが保管されている管理施設はそれだけリリトゥバス王国にとって大切なのだ。
作業が終わり次第破壊してやっても良いが、そうすると敵側の損害を大きくし過ぎてしまう。ギルバートが目指しているのは痛み分けからの話し合いだということを忘れてはならない。禍根を残すことになっても、今は賠償のバランスを取る必要がある。
さて、ギルバートはログを遡ることで、ある存在を知った。『アグナロス』だ。シャトルを撃墜してくれたあの炎の化身の正体である。
だが、その『アグナロス』はギルバートたちが管理施設に到着した頃には倒されていたという。
・・・もっとも、だ。アルエルの挙言動からギルバートはおよそこのことを察していた。だからギルバートはアルエルに対して『知っているぞ』という言葉を使ってプレッシャーを与えていたのである。
一央市を救ったヒーローも予想はつく。それと、アンディも、戻ったら労ってやらないとだ。
なのだが・・・ギルバートはそれ以前に大きな問題に直面していた。
「どういうことだ?なら『門』はどうやって制御している?」
これだけが見つからない。
どこの世界に行っても、通常は異世界またはダンジョンに行き来するための『門』の制御は機械的に行っている。
まず前提だが、我々が『門』と呼ぶものの正体は、位相歪曲と呼ばれる別の世界と魔力的に繋がって物理的にも境界が曖昧になる現象が起きて、異世界に繋がる「穴」が開いたとき、その「穴」が塞がる前に人が魔法や魔術で固定化し、可搬性付加、開閉自由化を施したものである。そして、数多あるそれらを操作するのにいちいち専属の従者を用意するのが非現実的だったため、現在のシステマチックな制御形態に変遷したのだ。
実は、魔族は唯一、位相歪曲のメカニズムをかなり詳しいところまで解明していた。よって、術式が高度なため一部の者に限られるが、魔族は半自在的に任意の「穴」を用意出来るのだが(一央市上空にピンポイントで『門』を空けた今回の事件がまさしくそうだった)、結局それを『門』に仕立てた場合は前述した手法に帰着するものだ。
だから、制御装置は本来あって然るべきなのだ。だというのに、ことあれだけ大きな『門』の制御に関する操作履歴がなにひとつ残っていない。ギルバートは考え込む。
「そんなはずは・・・、いや、待て。そうか」
常識なら、確かにそうしただろう。だが、常識外れに巨大な『門』をわざわざそのフォーマットに落とし込んだのが誤りだった。
ギルバートはシステムログではなく、指示系統の通信記録を閲覧した。すると、驚くほどアッサリと目的の情報を発見出来た。
「チカゲ、コウジ!ここからは時間との勝負だ」
『ど、どういう意味ですか!?』
『ねぇ、「門」は!?』
「落ち着いてくれ」
アルエルは知っていたのだ。あるいは、彼の部下が。
こちらの戦力評価も、取られるであろう戦術も、とうの昔に済んでいたのだ。そして、ギルバートが『門』でつまずくことも、全て見通されていた。
時間稼ぎだ。戦えない施設職員やモンスターの調教師たち、そして―――『門』を制御する術者を逃がすためのなけなしの時間を生むためのブラフ。
・・・だが、それならこの部屋の防衛にあれだけの戦力を割いた理由は――――――いや、今は考うに益無し。
幸い、ひょっとしたら奇跡的に千影と迅雷は生存したが、ギルバートが無駄足を踏む間でアルエルは2人を殺害可能だったと気付くと恐ろしい。
アグナロスを失い、敵の逆襲で身動きが取れず撤退を余儀なくされた騎士団は初めから敗北けていた。だというのに、気付かずギルバートたちは敗北者の強がりによって喫する必要のない負けを喫しようとしている。
しかし、それはまだ確定していない。
焔煌熾を遊ばせていて正解だった。
「良いかい2人とも。よく聞くんだ。東棟に『門』の起点がある。位置は正確に追えてない。時間もない。やむを得ない。よって、建物ごと破壊する」
『ななな、なんですって!?んな無茶苦茶・・・どんだけ大きいと思ってるんです!?』
「コウジ。隣に居るコウシに伝えてくれ。君の切り札、『ヘキサフレイム』が必要だと。彼の協力が今は一番重要だ。残酷な事実を先に言っておくが、これは『門』を制御するための敵の魔術師を殺せという指示だ。でもね、分かるだろう?今討たねば、今日という日はすぐに繰り返す」
浩二サイドに沈黙が生まれる。煌熾はまだ高校2年生の純粋な少年だ。あるまじき頼みなのは重々承知している。しかし、ギルバートは正しい人間だ。綺麗事の脆さを知っている。だから正論を掲げ、時に振りかざすことも厭わない。そして、正しさの意味するところを煌熾に隠さないのも、彼なりの正義だ。
そして、ギルバートは煌熾に拒否権を与えることもしない。
すぐに浩二の方から了承する返事があって、ギルバートは頷いた。
それから、ギルバートは気になっていたことを千影に訊ねた。
「チカゲ。アルエル・メトゥはどうした?」
『よく分かんない・・・けど、自滅?この傷ならもう戦えないハズ』
「分かった。ではトシナリを連れてヘリポートへ行くんだ。東棟裏、見たから分かるな?シャトルがない以上、彼らのヘリを使って帰るしかない」
『うん、分かった』
「それと、コウシが仕留め損ねたら―――」
『・・・分かってる』
「コウジも聞いていたな?」
『えぇ、大丈夫です。・・・それと、黒川のヤツなんですが、その―――』
マイク越しに、ギルバートも浩二も千影が息を詰まらせたのが分かった。
ギルバートは一拍置いて、ただこうとだけ応えた。
「私に任せてくれ」
『・・・お願いします』
ギルバートの前に立ち塞がった騎士たちの1人は、『仲間と同じところに送ってやる』などと言っていた。・・・最悪の場合は、覚悟しておこう。
浩二にとって黒川は最も信頼する部下であり、戦友なのだろう。声色に滲んだ不安に気付かないギルバートではない。だが、浩二には優先すべき戦いがある。彼も分かってくれている。ならば、せめて彼が少しでも安心出来るように計らうのもギルバートの仕事だった。
と。
『ギ、ギルさん!!』
そのとき、轟音が森を揺るがした。
「チカゲ、なにが起きている?」
『「門」が・・・消え始めた!!どっ、どうしよう!?』
―――ここでもか。
悉く先回りされてしまった。
さすがにもう分かった。アルエルたちの狙いは―――。
「慌てるな。あの大きさの『穴』は閉じるのに10分強はかかる」
『えっ』
「さぁ、Scenarioに付き合うのはここまでにしよう。始めるぞ、最後の戦いを」
正論とは、最も多くの人間が不要な不利益を回避することの出来る手段・方法の中でもとりわけ現実に達成可能かつ利益・効率に優れるもののことである。
言ってみたかっただけ。それっぽいでしょう?実はなんも難しいこと言ってないけどなんか難しそうに聞こえてたら「やったぜ」ってなる。でもギルバートさんはつまりこういうのを信条にしているんです。