episode6 sect80 ”シナリオデッド”
管理施設を鳥瞰したところ、建物は主に4つの部分に分かれていた。
中央の4階建ては、中心が吹き抜けとなっていて中庭を有している。外観は、人間の文化に従うイメージだと古い洋館を想起させる。
その東西には、それぞれ3階建ての横長な建物がある。外観は中央の建物と合わせて焦げ茶の煉瓦造りだ。単純な土地面積なら、どちらも中央の建物より広いだろう。便宜上、それぞれを東棟、西棟と呼ぶことにしよう。
また、北西には以上の主な施設群とは少し趣が異なる倉庫のような大型の建築物がある。森の一旦の終端点にあるこの施設においては、恐らくは車庫として利用されているのだろう。
そして、車庫の隣だが、これはヘリポートだ。先ほどのヘリもここを発着場としているはずだ。現在も数機のヘリが駐まっている。
他に目立った施設はない。小さな物置のようなものがいくつかあるのと、手入れの行き届いた花壇ぐらいのものだ。日没に伴い、外はいくつもの照明が点灯されて十分な明るさは確保されているようだった。恐らく侵入者対策だ。
施設に近接する高木の頂点から、施設の様子を簡単に確認したと同時、千影とギルバートは樹上からの大跳躍を敢行した。
ジャンプの最高到達点にて、ギルバートは100を超える中型魔法陣を半球面状に展開する。その全てが同時に翠の輝きを放っている。その光は、まるで宵の口に地表で浮かぶ星々の瞬きであった。
だが、忘れてはならない。そこから生み出されるのは無慈悲なまでの破壊だ。槍と化した空気の塊が地表を嘗め尽くす。まさしく空襲と呼べる絨毯爆撃だった。
もっとも、これは乱雑な面制圧攻撃のようで、実際は異なっている。ギルバートは100ある矛先の全てを特定の目的にそれぞれ振り分けていた。
「屋外にある通信機材、監視カメラ、小さな倉庫、歩哨兵―――には一部防がれたか。まぁ良い」
施設警備のため屋外に待機していたほとんどの騎士が今の奇襲で倒れたことで、むしろ騒ぎすらまともに起こっていない。辛うじて攻撃を凌いだ騎士たちも混乱して2人には気付かないだろう。派手な攻撃で注意を逸らすことで、確実な潜入を実現したわけだ。
落下を始めながら、千影はギルバートにうっすらと寒気を覚えていた。この男は、これだけの複雑な魔法制御を、放物線軌道の頂点部でZ軸方向の速度ベクトルが反転する、その僅かな間隙の中ですら可能としてしまう。しかも、涼しい顔だ。
いくらスピードに自信がある千影でも、こんなにも荒唐無稽な芸は真似出来ない。というより、恐らく70億に迫る全人類の他の誰も真似出来ない。さらに彼の異常さは速度に留まらない。小型魔法100個の同時制御でも通常の人間なら脳が焼け焦げそうなところを、中型魔法の100個同時制御だ。しかも、その全てが極めて正確な照準によって指向性を与えられている。事実、的を外して飛んだ風の槍はひとつとして存在しなかった。
機械以上に機械的な”最高効率最大効果”の魔法運用技能こそ、ギルバート・グリーンを次期ランク7候補たらしめる要素のひとつである。
「チカゲ、西棟だ」
「分かった」
通信機材の配置を見て、ギルバートは中央の建物ではなく西側のそれこそがメインコントロールルームを有する敵の本部であると理解した。推測ではない。理解したのだ。
そうと分かれば、やることは簡単だ。可能な限り速やかに――――――。
しかし、そうなにもかも都合良く話は進まないようだった。
こちらの着地を待っていたかのように姿を現した敵を見て、ギルバートは苦笑した。
「おいおい、御大将自らお出迎えかな?」
「貴様もその”御大将”だと見受けるが?」
《異翼》のアルエル・メトゥ。
真紅の髪、闇色の中に浮かぶ蒼玉の瞳。そして、今や彼の代名詞となった、本来ただの奇形である左右で大きさの異なる黒い蝙蝠の翼。鎧の下にもう一組の鎧を着込んだかのような、鬼のように屈強な肉体を持つ男だ。鬼と言えど、サキュバス族の血も引く故、色香漂わす造形も兼ねている。
改めて紹介するまでもない。この男は、リリトゥバス王国騎士団長にして、人間界2016年8月13日土曜日に実質奇襲という形式で開戦された魔獣による一央市侵攻作戦の最高指揮官である。
実に奇妙ながらも、実は当然の展開。ただ、想像以上に早かった。
異形の翼で飛翔したアルエルは酷く歪な黒剣を抜き放ち、ギルバートと千影に斬りかかった。
ギルバートは千影の腕を掴んで自分の背に隠し、魔法によって板状の空間中に存在する気体分子を固定することで、透明な盾を作り出した。アルエルの剣がなにもない空間と衝突して火花を散らす。
「最高指揮官が真っ先に司令部を離れて良いのかね?アルエル・メトゥ騎士団長殿?」
「私は知っているぞ、ギルバート・グリーン。だから来た。ここはまだ渡せない」
魔の剣と虚空の盾のせめぎ合う中、ギルバートにもアルエルも余裕の笑みを浮かべていた。己の底を教えないためのポーカーフェイスの一種でもあるが、それ故にどこで限界が来るのかは他の誰にも分からない。
とっくにアルエルはギルバートの作り出した空気の箱に閉じ込められていた。前兆などなかった。箱は内容物を潰すために縮小を開始する。そして、それを分かった上でのアルエルの不敵な笑みだ。
敵の力も底知れないことを察し、千影は身構えた。
だが。
魔の将の言葉。
「ギルバート・グリーン。お前こそ一央市を離れるべきではなかった」
「ほう?」
「そうだろう?見ろ、既にアグナロスは街を火の海へと変えてしまったぞ」
浮かび上がる情景。
「ぁ・・・!?」
動揺したのは、千影だった。
アグナロスという名は知らない。だが、まず間違いなくシャトルを撃墜したあの巨大な炎の塊の仕業だった。
言葉だけなら、千影は戯れだと耐えられたはずだった。
しかし、アルエルが指を鳴らすと魔術によって空中に映像が映し出されたのだ。燃え盛る一央市の現在の光景が。
「そんな・・・ウソだ・・・」
「自分の目で見たものが信じられないか?」
「信じない・・・信じない!!」
だって、そうしたら迅雷はどうなった?みんな・・・燃えた?だったら、千影は一体なんのために―――。
ギュウ、と、手首に加わる力。ギルバートだ。意識が揺り戻される。
「チカゲ。心配は要らないさ」
なにをどこまで見通していれば、ギルバートのような余裕が身につくのだろう。守るべき街が目の前で燃えていようと、彼の精神は水を打ったように静かだった。
「アルエル・メトゥ。私は優れた指揮官を残して来たよ。そして、最も優れた魔法士も」
「・・・」
「今の私は指揮官じゃあない。ただの1人の魔法士だ。なに、人間相手だと遠慮することはない。本気で来たまえ」
違う。
ギルバートも高揚しているのだ。
高鳴る闘争心に呼応して、碧眼が輝きを増した。
だが、それすらも演出。敵対者へプレッシャーをかけるための行動である。
そう、演出。
対して、ギルバートは知らない。この戦場は闇だ。
本当は、勝てるかどうか分からない。一手間違えれば死ぬ。殺される。そんな確信だけがある。
だからこその”Be cool...”、英国生まれの紳士は穏やかな微笑を絶やさない。
ここが正念場だ。
「チカゲ。君は先に
「ギルさん」
千影は、ギルバートの命令を遮った。
「ここはボクが捨て駒るから、先に行って」
ここが正念場・・・分かっている。そして、ギルバートがアルエルに隠す焦燥も。
だが、アルエルと対峙した今も変わらない。あくまで第一目標はメインコントロールルームの掌握だ。
「機械の使い方はギルさんにしか分からないでしょ。主役交代の時間が来ただけだよ。ほら、早く」
「・・・必ず生き延びるんだぞ」
「言ったはずだよ」
「フッ」
ギルバートは、空気の壁で閉じ込めたアルエルの横を走り去った。千影は再度、黒色魔力を呼び起こし、その姿を変貌させた。
だが、次の瞬間に千影は目を疑うこととなる。
アルエル・メトゥは、さっき剣で斬りつけても破壊出来なかった空気の壁を、ただの拳で全て叩き割り、そしてギルバートの倍近い速度で彼を猛追していたのだ。
「行かせると思うか」
人間よりも屈強な魔族の肉体をさらに磨き上げた肉達磨であることを加味しても、明らかにデタラメだ。身体能力強化系の能力だったのか?
だけど、問題ない。千影の能力であればまだ、速度では余裕で勝る。
「思わないからやるの!!」
「速い!?」
アルエルの正面に躍り出た千影はそのままアルエルの喉を狙って鉤爪と突き出した。アルエルもこのスピードには驚愕している。この速度域で会話が成立している時点で完全に異常だが、千影の方に分があるのは確かだ。
それなのに。
千影は突き出した右腕を掴まれた。握力で前腕骨があっさりと砕けた。
アルエルは千影と掴んだままギルバートに向かっていく。手を放せば再度先回りをされると分かっているからだろう。
しかし、それで止まる千影ではない。
「させないって・・・ば!!」
『召喚』。左手に聖柄の小刀、『牛鬼角』を掴んだ。
最近知ったことだが、この剣の刀身は全て、あらゆる世界で採れるあらゆる金属の中で最硬のレアメタル『オリハルコン』で出来ているそうだ。
その最硬の刃で、鎧の隙を突く。
それなのに。
それなのに、だ。
「なんで!!」
刃が通らない。姿勢の関係で力を入れにくかったのはあったかもしれない。でも、だからって、アルエルの皮膚がこんなに頑丈なはずはない!!
直後、千影は床に打ち捨てられた。
掴んでおく理由がなくなったからだ。
すなわち。
広い西棟の屋上にて、再びアルエルとギルバートが相対す。
「その特異魔術、想像以上に厄介そうだ」
足を止めざるを得なくなった。ギルバートは微笑を苦笑に変える。個の戦力として王国最高峰というのは伊達ではないか。
狂っていくタイムテーブルは、最後の歯車が動きを停めた。
・・・あと2人もいれば。ギルバートはその思考に至った時点で自らの焦りを認めるしかなくなってしまった。
だが、だからといって余裕は絶対に崩したりはしない。
「私は知っているよ、アルエル・メトゥ。《異翼》の騎士団長。どこまでついて来られる?」
否。
もう一度言っておく。
ギルバートはなにも知らない。アルエルの能力の正体も、そして取るべきだった選択も、これからなにが起こるかも。
この戦場は闇である。