episode6 sect79 ”突撃開始”
時刻は午後6時半頃―――ギルバート率いる魔界突入部隊が作戦を開始する、一刻ほど前に遡る。その突入部隊の参加者を決定する会議だ。当然ながら、千影も迅雷を先にマンティオ学園に帰らせて、1人こちらに残っている。その他の参加者は、ギルバートの部下であるアンディ以外はギルド局長である安田奈雲やレスキュー部隊の中でも実力のある面々等、ギルド職員が中心となっていた。
もっとも、その場にギルバートはいなかった。彼自身が打ち出した一央市の避難状況の整理のため現場で動いていたからだ。ただし電話で会議への参加はしていた。
スピーカー越しにギルバートの声が本作戦の前提を説明していく。
『先ほどの話でも分かっていると思うが、今回のキーマンはチカゲだ』
「うん。でも、実際のところどういう作戦にするの?持ってる情報が少ないし」
千影の疑問にギルバートは「そうだね」と言う。しかしながら、彼も伊達にIAMO実働部隊の総司令官を担っているわけではない。ここまでの戦況からそれなりに『門』の向こう側の環境については予測を立てていた。
『とりあえず、まずは目的から確認しておこう。簡単に言えば、至上命題は空に浮かぶ巨大な「門」を閉じることだ。ただし、あれほどの規模の「門」を制御するには大がかりな装置が必要なはずだ。従って、突入部隊はその制御装置による「門」の解除を達成することが求められる』
「しかし、その装置の在処は分かっているのです?」
質問をしたのは、ギルド局長の奈雲だ。
「施設の捜索のために時間と人員はかけられない。戦闘は既に6時間以上続いています。市内の魔法士のみなさんはとっくに疲弊していて、長期戦となると、とても」
『事情は承知しているよ。まぁ、それについては後で話そう。なに、心配は要らない』
ギルバートの声は非常に落ち着いている。奈雲はそれで納得した。異論がないことを沈黙から読み取ったギルバートは話を続ける。
『ということだから、先ほどの説明に”迅速に”と付け足すとしようか。それから、この作戦には裏の目的がある。既に一度触れた話だがね。もうひとつの目的、それは”牽制”だ。どうもあちら側は生物兵器のみによる侵攻作戦に拘っていることから、人間の魔法士の実力を必要以上に低く見ている。大方「王国騎士が手を出さずとも人間など容易くひねり潰せる」とでも言いたいのだろう。実際人間の平均能力は魔族に大きく劣るが―――一部の魔法士に関しては別だ』
一部の魔法士、すなわち、千影のような特異な存在のことだ。ただし、別にギルバートはオドノイド部隊を結成しようなどという話はしていない。これは余談だが、どんな状況でも恐らく彼はそういう判断はしない。とにかく、ギルバートが言っているのはこういうことだ。
『人間側の武力をアピールすることで魔族側の一方的な攻撃を牽制する。全面戦争になって人間が勝てる見込みはないからね。尖った戦力を見せて怯んでもらい、戦場をテーブルの上に移させてもらう』
「尖った戦力、ですか」
『そう。ただ、シャトルに乗れるのはパイロットを抜いて4人だけだ。中でも選りすぐりの魔法士が良い。ちなみに、私も作戦に参加するつもりだ。つまり、千影と私の分を除いてあと2人だ』
「理想としては神代さんと、清田さんですが・・・」
奈雲は言い淀んだ。言わずとしれた一央市が誇るランク7の神代疾風と、マンティオ学園の学園長である清田宗二郎だ。しかし、彼らを作戦に参加させることは不可能だ。なぜなら、現時点で2人とも市内に不在だからだ。疾風はそろそろ帰ってくると言っていたような気もするが現在連絡が付かず、宗二郎に至っては市外どころか国外だ。
それ以外と言えば、現在応援を向かわせている警視庁組も挙がる。小西李なら清田宗二郎と同等以上の戦力価値はあるし、冴木空奈も魔族に後れを取ることはそうそうないだろう。ただ、彼らも一央市に未着だ。やはり頼れない。
ふと、奈雲は脳裏にとある人物を思い浮かべた。
「あるいは真名さんなんて―――」
『おいおい、ミスターヤスダ。冗談はよしてくれよ・・・』
「ですよね。しかし、こうなるとね」
肝心のメンバーが集まらない。しかし、ここで清田浩二が挙手した。
「なら、俺に行かせてください。一央市がこんな目に遭っているのも、責任の一端は俺の甘さにあります。ギルバートさんは千影に”挽回のチャンス”だと言いましたね。でしたら、俺にもそのチャンスをください!」
「そうだな。ギルバートさん、私の方からも浩二を推薦します。というより、私としては彼を最初から推薦するつもりではあったのですが」
「え、そうなんすか?」
「だって神代さんも君のお父様も不在なんだから、次に市内から出せる候補としては君くらいだろ?」
先の会議で、奈雲が浩二に街の防衛ではない別の任務に就いてもらうと言っていたのは、こういう意味だ。ギルバートもそれに賛成した。彼もそのつもりではいたようだ。浩二の実力なら申し分ない。
そして、問題のあと1人だが、浩二の推薦で彼の部下でありレスキュー隊の副隊長である黒川が入る事になった。彼に関しては及第点といったところだが、他に戦えそうな魔法士がいない。
『メンバーが決まったところで、これから向かう場所について私の予想を言っておこうと思う』
「分かるの?」
千影は電話の向こうの相手に向けて首を傾げた。
『だから予想なのさ。ただし確度は高いと踏んでいるよ。その場所というのは沿岸部に位置する広大な森だ』
「森?」
『そうだ。「箱庭」―――魔界ではそう呼ばれている場所さ。人間の価値観とはちょっと違うが、自然保護区だ。リリトゥバス王国は「箱庭」で例の「ワイバーン」等のモンスターを生物兵器として飼育・調教している』
「ですが、森ということは敵の拠点については?」
『安心してくれキヨダジュニア。さっきの話の続きさ。私は多少魔界の土地勘もある。「箱庭」は今言ったように半天然のモンスター飼育場だ。ここにはそのための巨大な管理施設がある。「門」の制御装置はここに設置したはずだ』
「じゃあ―――」
『目的地はそこだ』
そして、作戦はこうだ。
後に千影たちが乗り込むこととなるシャトルで魔界へ突入後、目的となる『箱庭』の管理施設上空までシャトルで一気に突っ込み、4人が降下する。
着地後は管理施設内部での行動に移る。最優先は『門』の制御を行っているであろう管理施設のメインコントロールルームだ。これを可能な限り高速で奪取するため、施設突入後は千影を先行させる。ギルバートとてさすがに施設の正確な規模や構造、部屋割りまで網羅しているわけではない。施設内の探索は総当たりにならざるを得ない。従って、ここで千影の足を生かし強引に時間問題を解決する。ギルバートの知る限り、管理施設は軍事目的では建設されておらず、研究施設および観光資源としての特性が強いため、屋内探索自体は単純な方法で解決出来るはずだ。
敵との戦闘はギルバート、浩二、黒川の3人が中心となって対応する。敵が相対的に極めて多くなるため、こちらも可能な限り速やかに各個撃破が求められる。以降、メインコントロールルーム奪取後の妨害行為を防ぐため施設内の魔族―――恐らくは施設職員と王国騎士団が主体と思われる―――全員を無力化する。大胆なことを言うようだが、このメンバーならそれも可能であるとギルバートは踏んでいる。
しかし、問題は王国騎士団長アルエル・メトゥである。彼の持つ特殊能力については未だ不明であり、純粋に脅威となる「最強の騎士」だ。ギルバートが参加する理由のひとつは彼と言っても過言ではない。ギルバートは明言していないが、実は”牽制”を達成するにはアルエルの撃破が極めて肝要であったりする。「アルエルが勝てなかった敵」になることで彼我のパワーバランス図は激変する。
理想的にはアルエルを中心とした脅威を完全に取り除いた状態で『門』の解除に取りかかる。ここは臨機応変に行うべき作業だ。戦闘の次第では安全に解除を行えない可能性もある。また、装置の破壊で解決するとは限らない。勿論最終的には破壊するが、それは解除が完了してからだ。
『門』を解除後、シャトルにより再度『門』を通って人間界に帰還する。順序がおかしいと思うかもしれないが、あれだけ大きな『門』、正確には『門』の術式による固定が外れた位相歪曲となると、消失するまでに時間がかかる。そのラグを利用するのだ。
ただし、それが叶わずとも前段階までが十分に達成出来ていた場合、リリトゥバス王国が保有する人間界に繋がる『門』を使用して帰還させてもらう手もある。休戦状態に持ち込めていれば不可能ではないはずだ。
●
という作戦――――――だったんだけどなぁ。
千影はもうどうにもならないことを思い出して嘆息した。
耳につけた通信機は、依然浩二や黒川と繋がらない。2人とも通信可能圏外だ。
迅雷と煌熾がその浩二・黒川ペアと遭遇した頃。
一方の千影&ギルバートペアはというと、迷いなくとある一方向を目指し、驚異的な速さで森林地帯を駆け抜けていた。
彼女らは途中、リリトゥバス王国騎士団と思しき鎧姿の敵小隊と3度、そして騎士ではないと思われる魔族の武装集団と2度、計5回ほど敵と衝突したが、擦れ違い様に無力化してブッチ切っていた。
返り血すら置き去りにする怪物少女、千影は、並走するギルバートに確認を取った。
「このペースならあと3、4分で『箱庭』管理施設に着くよ。ギルド組との合流は待たなくて良いんだよね?」
「あぁとも。時間が惜しい。2人とも考えて動いているはずさ」
「了解。・・・それと」
「動きからして遊撃隊かな?」
「―――先行するね」
言うより早く、千影はギアを上げて左前方に飛び込んだ。最初からオドノイドとしての力は解放している。千影の眼球は真っ黒に染まり、美しかった紅玉の瞳もまた、鬱蒼とした日没の森林の中でさえ正確に獲物を捉える二眼のスローモーションカメラのレンズへと変わっていた。
彼女が一度悪魔のような翼をはためかせれば、ほら。
「見っけ」
「・・・!?」
目が合い、隊長らしき者が指示を出そうとして口を動かし始める。しかし、なんと言おうとしたのか、千影には分からない。だって、あんまりに遅すぎて、なにか言う前には終わってしまうのだから。
隊長がやられたことに気付いたことに対する反応なのか、それともまだその前の敵襲に気付いたことによる反応なのかは判別しかねるが、やっと仲間の魔族の恐らく傭兵が驚きの声を上げ始めた。しかし、もはや千影は彼らが向いている視線とは正反対、彼らの背後。誰も反応なんて出来ちゃいない。
翼を使って身を翻し、千影は近くの木の幹に着地し、すぐさまリターンした。千影の世界での”すぐ”だ。例え2撃目だろうと、敵にとっては不意打ちも同然である。
千影は前腕部から3本生えた黒く長い鉤爪で残り3人いる敵のうち1人の頭部を綺麗に4等分した。
それからやっと隊長の首が本体から離れ始め、2人目が顔面ダルマ落としを開始する。
このとき既に千影の爪は3人目の首を狙っていた。
しかし、さすがに敵も手練れということか。早くも千影の攻撃を認識して反応し始めた。なにか魔術を行使するつもりなのか、手を動かしている。
とはいえ、それも遅い。もう千影は4人目を詰みにかかっていた。
「ごめんね。しっかり恨んで」
脛に頸椎をブッ壊す感触を得て、千影は地面に足を着けた。
絶対時間にして0.5秒。ただし、相対時間にして10秒の間、千影は自ら手を下した敵兵たちの亡骸に手を合わせた。
無力化と言えば柔らかいが、結局のところそれは「殺害」を意味する。
人間の戦争には、地雷に代表されるように死者ではなく負傷者を増やすことで敵軍を疲弊させることを目的とした非人道的な兵器が用いられることがある。実際、それは極めて効果的に機能している。
しかしながら、地雷が背いているのはあくまで人の道である。邪道を行く悪魔に人道は通じない。
味方の死になにも思わないことはないだろうが、彼らの多くは迷わず使えない兵隊を捨てる。よって負傷兵は足枷にならない。
だから、千影は彼らの命を奪うことで完全に無力化する他に、確実な対抗手段を持たなかった。
千影は黙祷を終え、ギルバートが合流するのを待って再び走り出した。
「いやはや、さすがに速いな、チカゲは。さっきから出番がなくて欠伸が出そうだ」
「・・・総指揮官殿の考えるベストを尽くしてるだけだよ」
「殺しは不本意かい?」
「・・・・・・」
千影はなんとも返さなかった。変に加減しながら戦って良い相手ではない。こうするしかないのは分かっている。
ただ、こんな一面を迅雷にはもう見せたくないと望んでいるのは確かだ。迅雷は、目的のために一央市の魔法士たちを斬りつけた千影の手を取ってくれた。なのに、まだ怖くて堪らない。二度目があるだろうか。望む望まざるとに関わらず、千影はこんなにも手際よく人を殺せてしまう、真性の悪魔、いや《鬼子》だ。
この期に及んで後ろめたい心の闇を抱えたまま迅雷の側に居続けたいと願う自分自身の浅ましさに吐き気さえ催す気分だ。今だって、内心迅雷が一緒に来られなくて良かった、とホッとしている自分がいる。
―――嗚呼、誠意のない己がただひたすらに恥ずかしい。
ばばばば、と、聞き慣れた音がした。
「これは・・・ヘリ?」
「敵も対応し始めたな。かなり早い」
ヘリの音はあっという間に背後へ流れていった。千影たちの移動速度が速いこともあるが、ヘリ自体のスピードも相当のものだ。ギルバートは、広大な『箱庭』を網羅するための移動手段として配備されているものだろうと言う。
魔界なのにヘリがあるのかよ、と思った読者もいるかもしれない。少し話が逸れるが、ここらで軽く解説しておこう。実のところ、魔界でも人間のように機械文明は発展している。便利なのだ。仕方がない。そりゃ使っちゃうよね。
多くの異世界転生系小説を読み漁ってきた諸氏の思うほど、現代の異世界の文明は魔法一色ではないのである。一般市民が転移先の世界で身近な技術をひけらかしてドヤ顔無双する時代は終わったのだ。殊に魔族なんていうのは人間並みに科学に明るい種族だ。科学と魔術の融合技術含め非常に発展している。彼らもきっと、我々のようにスマホがない生活には耐えられない部類に違いない。哀れだ・・・。
そんな話は置いといて、だ。
幸い、頭上は木の枝で覆われているので今のヘリに捕捉された心配はなさそうだ。2人は頭上を通過したヘリコプターに構わず管理施設を目指した。
そして、ギルバートが先に視界にそれを捉えた。
「チカゲ。見えたぞ」
管理施設だ。
ここに至った千影とギルバートの取るべき方針は、数段飛ばしてメインコントロールルームの制圧だ。そして『門』の解除に取りかかる。とにかく『門』の制御権さえ掴んで離さなければこちらの勝ちなのだ。
次点の目標を挙げるとすれば、敵の通信設備を破壊することか。連携を崩せば多少は安全に目的を遂行出来るだろう。もっとも、魔術的な通信を行われれば妨害は困難だ。あまり積極的に狙うことではないし、そもそもメインコントロールルームを占領してしまえば通信の掌握も可能だ。
気配を殺して2人は施設に近付き、様子を探る。当初は電撃作戦を想定していたが、状況が変わった。スピードは依然重要だが、侵入するまでは出来るだけ隠密に動きたい。侵入ポイントを特定されるのとされないのでは動きやすさが違う。
「警備は?」
「門前は当然だが見張られているな」
正門前は長い舗装路があるが、門前からその路上にかけて計4人ほどの騎士が常に立っている。塀や柵は高く、施設の敷地内の様子は見えない。
そして、大きな問題が1つ。
デカい。極めて広大な自然保護区である『箱庭』をこの1箇所で統括制御しているだけあって施設規模は財閥の豪邸もかくや、というほどだ。千影は「こんなのを2人で攻略するんですか」と言わんばかりの顔をした。あまり自信が持てない。
しかし、考え込む前にギルバートは「よし」と手を叩いた。
「仕方がない。少し方針を変えよう」
「時間が惜しいから?」
「Exactry」
今この瞬間に突入すれば敵が対応し切れないのは確実。足を止めることへの不安・抵抗感があるのもまた事実。
あちら側でも対応が始まっている。
今ギルバートと千影がいるのは、狭間の時間だ。捨てるには惜しいボーナスタイムの終わり間際である。
―――故に。
●
「・・・?」
正門を守る騎士たちが、不審な木々の揺れに気付いた。舗装路の脇にある森と管理施設敷地の境目付近だ。だが、なにもないし、誰もいない。
管理施設が空襲を受けたのは、その直後だった。