episode6 sect78 ”殺意渦巻く森のさなかで”
「・・・事情は分かった」
かくかくしかじか。迅雷から話を聞いた浩二は頷いた。
「だけどお前、常軌を逸してるぞ。いくらなんでも学生2人で魔界に突っ込もうなんて思うか」
「『お前』じゃなくて神代迅雷です~」
ガキみたいな屁理屈をこねて迅雷はそっぽを向いた。不愉快そうに頬の筋肉を痙攣させる浩二を見て黒川がニヤニヤしている。黒川ならこれが笑い話じゃないことくらい分かるだろうに、なにを暢気な。
「ギルバートさんの言うことも、浩二さんの言うことも理屈は分かるんですけど」
「じゃあなんでだよ」
「無理だったんですよ、やっぱり。千影のことが心配で頭から離れなくって、居ても立ってもいられなくて・・・。焔先輩はもちろん、他の人たちからも背中を押してもらったんです」
「それはむしろ手の込んだ殺人行為じゃないのか・・・?大体、俺が千影のことは見とくって言っただろうが」
「・・・」
迅雷は無言でジト目になった。浩二が連れていたのは黒川だけだ。残りの2人はここにいない。苦しい表情をする浩二に黒川が追い打ちをかける。
「信用なさ過ぎて泣けますねぇ、浩二サン。しかもあの子とは墜落したときにはぐれちゃいましたし」
「うぐっ」
黒川が辛辣だ。返す言葉もない。浩二は項垂れた。墜落は事故だったとはいえ、それを言い訳にするほど浩二も甘えてはいない。
そもそも、浩二は迅雷に信用してもらうだけの関わり方をしたことがない。5番ダンジョンの一件で起こした勘違い騒動から始まり、ここに来てからも当時のデジャヴのような遭遇をし、千影ともはぐれ、良いとこなしだ。
とはいえ、だ。それが、たった2人で魔界に突撃した高校生の暴挙を見逃す理由にはならない。命知らずとは正しく彼らのような者のことを言うのだ。ただし、咎めることは出来ても浩二と黒川では少年たちを今すぐ人間界に帰してやる方法がない。曰く煌熾のジェットパックで向こう側から飛んできたとのことだが、所有者の煌熾が迅雷と同意見でいる限りは諭して帰らせることも出来ないだろう。起きてしまったことは事実として受け入れるしかない。この件は一度保留しておくしかない。
「・・・それはそれとして」
ただ、それより、なにより、浩二には今ものすごく気になっていることがひとつあった。いや、あんまりにもバッチリそこにいるものだからかえっていつ聞いたものかと困っていたのだが。
迅雷と煌熾がいるのと向かい側の木にもたれかかっている、縄で縛られたミイラ男に視線を投げて、浩二は話を切り替える。
「そこの悪魔はなんなんだ?」
「人質兼盾?」
「いやそうだがそうじゃなく」
とぼける(本人にそのつもりはないのだが)迅雷に代わって、煌熾が答えた。
「さっき戦闘になって捕えた魔族の騎士です。剣を自在に操る念力のような能力を使っていました。まぁ・・・神代の言うように今後敵に襲われたときに脅しに使えるかもなぁ・・・とか思ってある程度手当てしてから連れて来たんですが」
「ははぁ・・・。で、なにか情報とかは聞けたのか?」
「いや、俺たちは意思疎通魔法が使えないんで会話は出来てないままで・・・名前も分からないんです」
「なるほど。2人で騎士に勝てたってだけでもだいぶビックリだが、まぁ経緯は分かった。えっと、確かマンティオ学園2年の焔煌熾だったよな。やぁ、迅雷、この先輩を見習えよ」
「そのつもりですけど~」
―――このガキ、いつまで拗ねているつもりだ・・・ッ!
なにはともあれ、一通りの事情は察した浩二は、悪魔の正面に立った。酷いやられようで、かなり弱っているようにも見える。それが演技の可能性もなくはないが、手足はしっかりと縛られているので演技だろうとそうでなかろうと、あまり強烈な抵抗は出来そうにない。これも煌熾がやったであろうことは想像がついた。
それにしても、高校生2人で王国騎士を倒せるものなのかは疑問のままだ。あるいは、と浩二は迅雷を見た。彼は首を傾げる。しかし、騎士の傷は火炎魔法による火傷ではなくほとんどが刃物によるものであることからして、主に迅雷が戦っていたことは明白だった。父親が父親だ。神代迅雷は底知れない可能性を秘めているのかもしれない。
浩二は紫髪褐色肌の悪魔騎士の肩を叩く。すると、騎士は薄く瞼を開いた。
「俺の言葉が分かるな?」
「あぁ、もちろん分かる。・・・ガキどもとは違うようだな。正規の兵士ってとこか」
「魔法士を兵隊扱いする風潮は好かないが、まぁそんなところだ。それで、お仲間はどうしたよ?死んだのか?」
浩二の耳元では小さな魔法陣が光っている。これが意思疎通魔法の魔法陣だ。騎士の耳元にも似たようなもの現れていた。術式は人間と魔族で異なるため詳細な性能は違うが、コンセプトや主な機能は同じ術である。
浩二と騎士が会話する傍ら、黒川は迅雷と煌熾にも意思疎通魔法をかけた。浩二や黒川の本業はあくまで”レスキュー部隊”である。ギルドを通してダンジョンや異世界に派遣した一般の魔法士が遭難するなど予期せぬ事態に巻き込まれた際、救出するための組織だ。そのための技能は一通り習得している。現地人とのコミュニケーションを円滑に行うべく、この意思疎通魔法も必須スキルとして早い段階で覚えた。
もっとも、救助活動の最中にモンスターが現れる可能性はもちろん、ギルド管轄内外問わず危険度の高いモンスターが出現した際に派遣されることがあるように、レスキュー隊の隊員には魔法士としての高い実力が要求されているのは間違いないが。
片耳にイヤホンよろしく小さな魔法陣を詰め込まれた迅雷と煌熾は慣れない違和感にちょっとだけ悩まされた。ただ、これのおかげで2人は、浩二と魔族の騎士―――浩二に要求され、エルケーと名乗った―――の会話の内容が分かるようになった。
違和感さえ慣れれば素晴らしい魔法の効力に目を輝かせる初々しい少年たちを少し微笑ましく思い、黒川は髪を弄った。本当に参ってしまう。こんな連中が好き勝手していてはなにが起こるか分かったものではない。先輩の方はまだしっかりしているにしても、やっぱり神代疾風の息子のやんちゃは手に負えない。
黒川は浩二とエルケーの話に集中する2人の前で手を振って注意を引いた。
「いいか、浩二サンは君ら2人とも守りながら戦わなきゃならんくなった。もちろん俺もだけど。・・・あ、責めてるワケじゃないけどね?今からは4人行動だ」
「あの、黒川さん。2人が無事ってことは、千影ともうひとりも無事ってこと・・・ですよね?」
「だろうな。千影ちゃんとあのギルバート・グリーンの2人だ。どうせピンピンしてる」
迅雷は「もうひとり」の名前を聞いて渋柿でも食ったような顔をした。よりにもよってあの人か、と今から嘆かわしい。合流したときにはなんと言われることやら。
迅雷の露骨な反応に黒川は苦笑した。迅雷とギルバートの因縁は会議室でのやり取りをその場で見ていた黒川は承知している。その上で、黒川はリアクションをそこで留めて話を続けた。
「当面の目標はその2人との合流だけど、もうこのまま―――」
黒川は森のある一方向を指差した。それは、迅雷と煌熾が目指していた方向とも一致していた。
「敵拠点に攻め込む。どうせ2人も同じだ」
元々の計画はおじゃんになったが、現状突撃部隊として派遣されたこの4人以外に目的を果たせる人間はいないと考えるべきだ。時間が経っても事態が変わらなければ、そのときはそのときで別のリアクションもありそうだが、それをアテにして悠長にしているわけにはいかない。一央市の命運がかかっている以上、可能な限り挽回に努めるのは必須だ。
そしてまた、推論になるが、現在の盤面は人間サイドにとってまたとない好機だ。
根拠は、ここにエルケーという騎士がいること、それ自体だ。浩二と黒川は、エルケーを見たときに「敵の指揮官は少なくとも侵入者の正確な数を把握出来ていない」という推測を立てた。実は、この推測は怪我の功名であり、実際はもう少し早い段階で立て、エルケーの存在により確信したという方が近い。空中での巨大火球との接触事故でシャトルが大破し、飛散した結果、敵は例えシャトルの残骸を発見しても何人ほどの魔法士が搭乗していたか推定するのにそれなりの時間を要してしまう。だから、少なくとも初期に魔族側は大勢の人間が攻め込んだものと仮定せざるを得ない。
その仮定による対応が、正しくエルケーたち騎士団による森の捜索だ。拠点が本丸しかない『箱庭』では、その防衛に戦力を固めることイコール最初から本丸に誘い込むことである。敵戦力が未知数の条件下でその選択をするのは勇断とは程遠い。敵の数が多かれ少なかれ、森の中で速やかに発見・迎撃するのが理想的だ。
従って、「大軍の仮想敵」が空中に放り出され、分断された今のうちに森の中で各個撃破するために本丸に集まっていた騎士団の戦力は広大な『箱庭』に分散する。もちろん、防衛ラインを張るべく本丸から一定以内の距離に索敵範囲は絞り込んでいることも考えられる。だが、それでも騎士団の多くが拠点を離れているのは確かだ。
また、森の木々は背が高く、茂る枝葉が天井となって空中からの索敵はほぼ不可能に近いことが人間側に味方している。魔族側が以上のような対応をせざるを得なくなった理由のひとつだ。
これらから、シャトルが墜とされたことで図らずも絶好の攻め時を掴むことが出来たのだ。
その実、本当の人間軍はたったの4人(アホなガキどもが2人ほど増えてしまったが)しかいない。少人数を予測されても、まさか4人とまでは思われないはずだ。なにしろ「あの弱小種族」が強者である魔族と戦うための軍隊なのだから。だから、隙を突ける可能性はまだまだ高いままである。
黒川が一通り説明し終え、煌熾は納得して頷いた。
「・・・つまり、当初の作戦では”スピード”の犠牲にしていた”隠密性”、”戦力詳細不明”というアドバンテージが復活したことで魔族側の混乱を誘えている、と解釈しても良いんですよね?」
「混乱かは分からないけど、少なくとも万全な対応が取れずにいる。ま、でもその通りだ」
一方、黒川の説明で頭痛を起こしていた迅雷は煌熾の噛み砕いた換言でようやっと意味を理解しました。
「もう、最初からそう言ってくださいよー・・・」
「神代はもう少し目先のこと以外についても考える練習をするべきだと思う」
「んなっ!?これでも締め切り直前で忘れてたってならないように提出物は早めに仕上げる派だし、天気予報見て洗濯物を外と中どっちで干すか決めたりもするんですよ!?」
「お前はそれで反論出来てるつもりなのか・・・?」
煌熾に憐憫の眼差しを向けられ、迅雷は膝を抱えた。彼だって薄々気付いていたのだ。「あれ、俺ってなんか的外れなこと言ってるんじゃね?」と。・・・薄々だけれども。
ともかく、話が済んだあたりで浩二はリリトゥバス王国の若き騎士エルケーに確認を取った。なにについてかは、言うまでもない。
「・・・って予想だったんだが?」
「・・・・・・」
「黙秘は概ね正解ですってことだよな?よし黒川、裏も取れた。すぐ動くぞ」
しかし、ここで迅雷が屈み込んだまま挙手した。
「あの、今の会話って通信機とかで盗聴されてたりしませんよね?」
「・・・多分大丈夫だ」
「あ!?今の間は!?ねぇ、浩二さん!?」
「うぅるせぇ!!善は急げだ、ついて来い!」
「そんな無茶苦茶なっ」
―――どの口が言うか。
それはさておき、このときの迅雷はまさか少し後の自分があんな怪物と正面切って戦う羽目になるとは、夢にも思っていないのであった。
●
「おい」
移動を開始する直前だった。
「そうだ、お前だ。黒髪の剣士」
エルケーは迅雷に話しかけた。
「なんだ?」
「今はもう、言葉が通じるんだな」
「まぁ」
「ひとつ、聞きたかったんだ」
「えぇ・・・俺たち先を急いでるんですが・・・」
「良いから聞けよ!?」
実はこの男、結構元気なのではなかろうか・・・と迅雷は疑る。まぁ、それはそれで良いのだが。盾にしたとき元気に悲鳴を上げてくれる方が役に立ちそうだし。
「・・・なんであのとき俺を殺さなかったんだ?さっきだってそうだ。それだけでなく、傷の手当てをして、水まで与えてくれた。なんでなんだ?」
「いや、だって人質だし・・・勝手に死なれても困るんだよ。死体じゃ盾としての価値が薄まるだろ」
そう言いつつ、迅雷は少し目を背けた。
「本心からそう思っているのか?」
「・・・・・・」
「どうなんだ、答えてくれよ。・・・俺はあそこで死ぬはずだった。隊の仲間を裏切った上に敗北したんだ。動けないまま放置され、野垂れ死ぬか仲間に見つかって粛正されるしかなかった。だが、お前たちの行動で結果的に俺は生き延びた。ある意味じゃ守られたようなもんだ。建前の理由はもう何度も聞いて分かってる。だが―――」
「・・・分からないんだ、本当のところ。確かに、人質にして盾にしようとか言ってるのは本心じゃないかもしれない。俺は単に目の前で人が死ぬのが恐いだけかもしれない。それが、例え俺を殺そうとした相手であっても」
”みんなを守ってあげてね”
”そっか、なにがしたかったのかも・・・分かんないんだ”
”約束”
・・・『約束』。
そうだとしたら・・・まるで本当に呪いだ。
「もしかしたら、アンタの言う通りかもしれない」
目を逸らすことをやめて、迅雷はエルケーの目を真っ直ぐ見た。
「エルケーさん。俺は、アンタを『守ろ』うとしたのかもしれない」
迅雷はもう空っぽではない。少なくとも、千影に対する想いに駆られてこの地を踏んだのは迅雷自身の意志だ。それでも、あの日の『約束』は迅雷の精神に深く根付いている。
この『守る』は、果たして煌熾が口にしたあの単語と同じ意味だっただろうか。考えるまでもない。エルケーの目には「甘さ」に見えるだろうけれど、本質はそうではない。これは迅雷が未だ抱える自己矛盾の残滓だ。
「・・・ま、斬った張本人がこんなこと言い出すと頭オカシイんじゃねぇかって思っちまうけどな」
「まったくだ」
浩二と煌熾が急かしてくる。これ以上ゆっくりはしていられない。迅雷はエルケーの縄を握り込んだ。ここから先、彼を引くのは迅雷の役目だ。
「―――引きずるなら優しくしてくれよ、頭のオカシイ剣士さん」
「・・・」
迅雷は無言でエルケーを縛る縄をキツく締め直した。