episode6 sect77 ”先輩後輩そして仲間”
魔界でも日が傾いてきた。山の陰に隠れようとしているあの恒星を魔界の人々がなんと呼んでいるかは分からないため、便宜上太陽ということにしておこう。どっちみち、お天道様の概念くらいはどこの世界に行っても伝わるはずである。
少しずつ暗くなる空に少し不安を感じつつ、迅雷と煌熾は捕虜の悪魔を連れて森の中を移動し続けていた。なお、2人の知ることではないが、現在、神代疾風が一央市に到着した頃合いである。
そこそこの時間を森の中で過ごしたが、目的地である建物にはまだ辿り着かないでいる。迅雷の中ではあの場所こそが千影たちが目指しているであろう敵の基地で間違いないだけに、歯痒い思いをしていた。千影の足の速さなら今にも到着して事を起こしていそうなものだ。
迅雷は立ち止まって、背後で息を上がらせている煌熾を見た。
煌熾の背負っている、エジソン作の魔力感応式ジェットパックは長時間の連続使用で放熱モードに入ったところだ。赤いLEDの警告灯が点滅していて、ひょっとしたら爆発するのではないかと不安になる。うまいこと再使用可能になるまで待つ気にさせられたので、しばらくは地道に歩いて移動するしかない。
・・・と、いうよりだ。
「神代、はぁ・・・悪い・・・ふぅ、す、少しだけ・・・」
「・・・ですね。一旦休憩しましょうか」
ジェットパックを動かす燃料は全部煌熾の魔力だ。燃費が悪いわけではないが、使いすぎた。彼には休む時間が必要だった。
煌熾は近くの木立を背もたれにして、湿った森の土に尻を着けた。迅雷は、煌熾がここまで引っ張ってきた”そいつ”の手綱を引いて、煌熾の向かい側に木にもたれさせた。座らせられた彼は迅雷を見上げる。
「ちょっと休憩するから、アンタも楽にしてて良いよ」
「・・・・・・」
黙ったまま脱力するのは、魔族の騎士だった若い男だ。紫色の髪と褐色の肌をしている色男である。現在は傷の応急処置のために立派な騎士鎧を脱がされ、見るからに痛ましいミイラのような格好である。しかも左腕に関しては傷口だけ隠しているが千切れかけている。
なお、彼が言葉を発しない理由としては迅雷にやられたダメージでしゃべる気力が出ないというのもないではないが、一番は単純に迅雷たちが意思疎通魔法を未使用で会話出来ないからだ。逆に彼自身は迅雷たちの言っている内容は理解出来ている。
迅雷は、煌熾の隣に座ってから『召喚』でとある刀剣を持ち出した。もちろん『風神』や『雷神』のことではない。その2本は今でも背負ったままいつでも抜けるようにしている。迅雷が興味深そうに観察しているのは、そこに座らせた悪魔の騎士の使っていた黒いショートソードだ。
「軽いんだなぁ、この剣。見た目よりずっと軽い。初めから能力で操ることを前提に特注した感じか?材質なんなんだろ。アルミ?でも黒いし斬れ味も良かったし・・・知らない金属だなぁ」
騎士を倒したついでに「なんかに使えないかなぁ」と軽い気持ちで拝借していた品だったのだが、重めの剣で力任せに対象を叩き斬る迅雷の戦い方との相性は悪そうだった。とはいえ、『風神』『雷神』の2本を入手した今も常に10本近く備蓄している市販品の『インプレッサ』と比べれば、リーチに不安は残れど強度的には同程度であり、斬れ味はこちらの方がずっと優れている。
と。
く、くぃ―――と手に力を感じて、迅雷は正面の悪魔を見た。彼はニヤついていた。迅雷は面倒そうに舌打ちして、それから。
「えい」
『あー!!』
今悪魔が悲鳴を上げたのはさすがに分かった。迅雷は自慢の名剣『雷神』とかち合わせて真っ二つにした黒い騎士剣を投棄したのだ。悪魔は涙目である。それなりに大事な剣だったのだろう。同じ剣士としてちょっと心が痛むが、自分が不意打ちを受けるよりはマシだ。それに4本あったうちの1本だけだし、大丈夫大丈夫。
「油断の隙もねぇ。あのさ、悪いけど俺たちの隙を窺ってるようならここでトドメ刺すからな?別になにがなんでもアンタが必要な訳じゃないんだから」
我ながら、よくスラスラとこんなことを言えるものだ、と迅雷は落胆していた。実は自分の心は酷く冷たく歪なのではないかと不安になる。慈音や直華が今の発言を聞いていたら恐がるだろうか。
小さく溜息を吐いてから、迅雷はポーチを漁った。
「先輩、残り物ですけどカロリースティック食べます?」
「お・・・悪いな、もらっておくよ」
「どうぞどうぞ」
避難所になっている学校のアリーナで配られた機能食だ。珍奇なポテト味の粉の塊も、疲れているときにはありがたい。食べ物の後は、迅雷はポーチから同じく配給された水のボトルを取り出して、喉を潤した。煌熾も水は持参していたようで、迅雷は要るか尋ねようとしたのをやめて、代わりに悪魔の騎士に飲ませてやった。ただし、口に突っ込む形で。
『もがっ』
「悪いけど食べ物まではやれないぞ」
悪魔は不思議そうな顔をしていたが、迅雷は無視して半分になったボトルを仕舞う。それから、なんとなく周囲を警戒して見渡した。この短時間でも癖が付いた気がする。
森は不思議なほど静かだ。騎士の仲間が追いかけてくることはないし、道中擦れ違ったモンスターたちもいやに大人しく、襲いかかってくる素振りは見られなかった。人間界では恐ろしく凶暴だった大型翼竜『ワイバーン』すら野鳥のように無害なのである。鉢合わせてビビったのが馬鹿みたいだった。
遙かな獣の遠吠えを聴きながら、煌熾が呟いた。
「なにもなさすぎて気味が悪いな。あんなに派手に魔法を撃ったのに。・・・ひょっとしたら見えないところで包囲されてるかもしれない―――なんて考えちまう。まぁ・・・ジッとしてる方が気が休まらないな」
「恐いこと言わないでくださいよ・・・」
「でも気を付けるだけ得だろ?じき夜が来る。今まで以上に緊張していないと」
「そういや、先輩。本当に異世界来るのは初めてなんですか?」
「・・・?そうだって言ったじゃんか」
ここでの異世界は、ダンジョンを抜きにしてちゃんとした一つの異世界のことである。
「ははは、いやまぁ、そうですけど」
「なんなんだよ」
「焔先輩がついてきてくれて本当に良かったです。こっち着いてからずっと先輩には助けられてばっかりな気がします。ずっと冷静に状況を見てくれてるし、フォローしてくれるし」
危なっかしい選択に走りがちな迅雷を、煌熾は先に後にと手を引いて元の道に戻してくれる。彼が気を付けていなかったら、迅雷が死んでいたかもしれない場面はいくつもあった。
しかし、煌熾は可笑しそうに笑った。
「まぁ、お前を見てるとヒヤヒヤするしな。気付いたらフォローに徹してしまう感じだな。でもな、神代だって結構俺のこと助けてくれてるんだぞ?」
「え?」
「あの騎士の飛ばしてきた剣に俺は最初反応出来なかったから、お前が気付いてなかったら貫かれていたはずだ。それに、お前の思い切りの良さには引っ張り続けてもらってる。戦闘はもちろん避けたいけど、やるときはやるって覚悟はついたな」
「それ全部元はと言えば俺が焦って声出したせいじゃ・・・?」
「ははは、確かに。じゃあそういうことで良いや。ただまぁ、神代がいてくれるから俺も気が引き締まってるんだと思う。仲間を守るのは、『DiS』のリーダーである俺の務めだからな」
守る、という言葉が迅雷の中に反響した。迅雷は最近その言葉を使うことを躊躇って別の言い方をしている。それは、かつて千影に言われた言葉を今もまだ気にしているからだ。
煌熾はその言葉を堂々と言える人だ。迅雷は、素直にそんな先輩を格好良いと思った。羨ましくもあり、憧れる。
今、本人同士は絶対に認識していないと思うが、このやりとりを経て、迅雷と煌熾は「仲間」になった。
「だいぶ呼吸も落ち着いた。神代、そろそろ―――」
煌熾が言い終えるとき、迅雷も煌熾も揃って肩を震わせた。物音がしたのだ。しかも、かなり近い。
煌熾の懸念が現実味を帯びた。迅雷は背負った2本の剣に手をかけ、煌熾を見た。
「・・・慌てて逃げると思う壺だ。気をしっかり持てよ」
「はい」
煌熾はにじり寄るようにして魔族の騎士を縛る綱を取る。少し素直に従うようになったと感じるのは、迅雷の脅しが効いたからだろうか。
音がしたのは向かって右側にある茂みの奥からだった。だから、左に逃げることにした。単純な発想だが、素人が奇抜な作戦を狙う方が危ない。
方向としては、目標の建物と正反対に逃げることになるが、やむを得ない。生存第一だ。
「パックはもう少し放熱にかかる」
「いざとなれば『サイクロン』でぶっ飛ばします」
騎士は、比較的余裕のある迅雷が連れることにして、2人はさっそく移動を開始した。だが、その直後、2人の間に何者かが降ってきた。
迅雷が驚きの声を上げるより早く、その何者かは迅雷の首を掴んでしまった。煌熾も反応出来なかった。
「隙を見せたなこのクソ悪魔が・・・ぁ?・・・あっ。あぁ~~~ッ!?」
殺意を感じる握力で首を絞められた迅雷は、その2秒後に地面に落とされた。
犯人は迅雷にも分かる言語で話していた。
「ゲ、ホッ、がほっ!?な・・・なにが・・・」
「お前、なんでこんなとこにいるんだ!?」
「その声・・・浩二さん・・・?」
実にこれで2度目である。誤って迅雷の首を締め上げてしまったのは、一央市ギルドのレスキュー隊隊長でありランク6の凄腕魔法士、清田浩二だった。
今の彼はギルドのロゴが入った、機動隊の防具のような服装をしていた。ただ、ヘルメットだけは着けていない。こんなときでも髪型が崩れるのを嫌っているのだ。ツーブロックを入れたり後ろに流したり暗めの茶に染めてみたり、スポーティーで若い印象を受ける。千影にオジサンと言われてヘコんでいたのは割と本気だったのだろう。
浩二の顔を見て一応の安心は得た迅雷はそんなどうでも良いことを思いながら、首を押さえたまま体を起こした。ワンテンポ遅れて事態に気付いた煌熾に背中を支えられる。煌熾はその乱入者が乱入者だったために困惑を隠せずにいた。敵ではないせいでかえって言葉がまとまらない。
一方の浩二は焦って迅雷に謝罪しつつ、向こうに手を振った。
「す、すまん!おい黒川、戻れ!敵じゃない!」
ガササっ、と、初めに音のした茂みから浩二の部下でありレスキュー隊の副隊長の黒川が出てきた。
「敵じゃないって、じゃあなんなんすか・・・って、あれまぁ」
迅雷と煌熾を見た黒川は「あーあ」とでも言いたげな目を浩二に向けた。これはまた事案になりそうだ。