episode6 sect71 ”人の道、魔の道、蛇の道”
「・・・なぁ、悪魔さん。どうして俺まで助けたんだ?」
ダルゴーは昴を見殺しにしても良かったはずなのに、そうしなかった。一応、昴はダルゴーを檻から出して救った相手にはあたる。でも、昴が逆の立場だったなら、どうしただろうか。
ダルゴーは昴のくだらない質問を一笑に付した。
「魔族・・・人間が言う悪魔っていうのは貸し借りに拘るのさ。もっとも、等価性には拘らないがな」
「アンタらが変に律儀なおかげで命拾いしたなぁ・・・」
ダルゴーの翼は飛行用ではないらしく、言うなれば大ジャンプを繰り返すようにして階段を飛び上がり、地上を目指している。ひょっとしたら昴が翼を怪我させたせいで自由に飛べないだけかもしれないが。
2人の後ろからは、ダルゴーの従えたモンスターたちが続いてくる。もうあの炎の蜘蛛は殺せたのだろう。やはり、こんな地下に隔離されているだけのことはあって、とんだ怪物の集まりだ。
(・・・で、それを言葉一つで容易く従えるコイツも然り、か)
「人間、俺は実はお前のその妙に現実主義かつ利己的なところを気に入ったよ。人間界より魔界の方が合っているんじゃないか?」
「わぁい、複雑な褒められ方~」
協力して窮地を脱したからかして、昴もダルゴーも互いに軽口を叩き合うだけの気力を取り戻していた。
だが、揚々と屋外への脱出に成功した2人は、直後眼前に広がった紅蓮の世界に絶句した。
「なっ・・・んだ、これは・・・?」
異様なまでの赤、赤、赤。
一央市が、燃えていた。
ほんの少し前まで暗かった空には禍々しい太陽が座し、無数の炎の怪物が舞い降り、我が物顔で地上を跋扈していた。
ここにきて、ようやく昴は自分が極めて重大な勘違いをしていたことに気が付いた。
”なぜピンポイントに地下に現れた?”
馬鹿馬鹿しい。ダルゴーも昴も少々自意識過剰だったのだ。
地下に来たのははぐれ個体。真実は今ここにある光景。
腕の火傷が疼く。昴はさすがに生きた心地がしなかった。
「絨毯爆撃じゃんか・・・」
『これが・・・「アグナロス」の力なのか?』
魔族の言語で呟かれたダルゴーの言葉を昴は解せなかったが、それでも彼の表情に混じる悲劇的な皺を見れば胸中を窺うことは容易かった。信じ奉っていた自国の守護竜の使いに殺されかけた挙げ句、逃げ場の見当たらない灼熱地獄に放り込まれたのだ。人間だろうと悪魔だろうと、感情を持つ限り、”見捨てられた”という、この事実を受け入れがたいのは変わらないだろう。
炎たちが、一斉にこちらを向いた。
そう簡単に生存の道を諦めるわけにはいかない。折りかけた膝に力を込め直し、ダルゴーは目つきを鋭く保った。生きてさえいれば次がある。今は例え神竜『アグナロス』であろうと、抗ってみせる。
「人間、もうしばらくは休戦だ。俺は生き残る。死にたくなかったら協力しろ」
「・・・、アンタ―――そうか、分かった。とりあえずどうしたら良いんだ?」
「正直、あの炎たちの正しい対処法は俺にも分からない・・・が、解放した魔獣たちの力が通用したんだ。精々あいつらには灰になるまで働いてもらうさ」
「おぉ、なんと悪魔みたいな発言」
ダルゴーが再び魔族の言葉で命令を下し、収容棟の狭い出入り口を力尽くで破壊した十数頭もの怪物たちが地上に解き放たれた。
怒濤の如く押し寄せる眷属に地下牢のモンスターたちが特攻する。肉の壁が火を食い止める間にダルゴーは昴に大事なことを確認した。
「人間、どこまで逃げれば安全だと思う?」
「あんまり気は進まないけど・・・仕方ないか。本館の裏口を目指そう。室内はここよりもマシなはずだ。アンタも捕虜でいる以上滅多な扱いは受けないはずだろうぜ」
「そうか」
ダルゴーの僕とアグナロスの眷属が互いを喰らい合い始めるのを合図に、激しい戦闘の合間を縫って昴とダルゴーは必死に足を動かした。本当の生死を前にしたとき、不思議と怪我の痛みを無視して走れるものだ。
モンスターの群れをすり抜けた眷属が次々と襲い来る。灼熱に肌が干上がり衣服の端から煙が上がる。
身を屈めて怪獣映画もかくやというような戦場を横断していると、公園の砂場を渡ろうとする蟻にでもなった気分にさせられる。昴たちがどんなに必死に走っていても、踏みつぶす側はお構いなしだ。見境無く、あるいは気付くことすらなく、そしてぺしゃんこにされるのはほんの一瞬だ。
だが、そうと知っていても抗うことしか出来ない。蟻が頭上に迫る幼児の靴底の影から逃れるには、死ぬ気で足を動かすしかないのだ。
「くそおおお!!」
「マズい、横だ!」
「ッ」
昴は使い慣れた魔力銃の引き金を3度引く。魔法により砂塵へと変換された3発の魔力弾は小さな砂嵐となって、蛇型の眷属の非実体の肉体を内側から掻き乱す。体を構成する魔力が拡散して動きの鈍った眷属を、ダルゴーが呼び寄せた6本足の鳥が羽ばたきで吹き散らした。
風に煽られた瞬間、ダルゴーは昴の腕を掴んで翼広げた。ふわりと2人の体は宙に浮き、眼下で元いた地面が炎の牙に噛み砕かれた。
「た、助かった」
「なんの――――――まだまだ!」
開けた空間であれば、ダルゴーの持つ特異魔術がその力を発揮出来るのだ。特異魔術とは、つまり人間が言うところの魔族が持つ特殊能力のうち、特に個人が有するユニークな能力のことであり、ダルゴーの場合のそれは、『短距離のテレポート』である。移動距離こそ数メートルが関の山だが、繰り返し使えば障害物に関係なく目指すところへ真っ直ぐ高速で移動出来る。
魔術の構築を済ませ、それからダルゴーは前方に見えるギルドの本館の背中、その影の方に見えているただ一点、小さな通用口を指差した。
「あそこで良いんだな!?」
「あ、あぁ」
「少し酔うかもしれないが、我慢しろよ」
なにをする気だ―――と問う間もなかった。
ノータイムで見える景色が切り替わる体験をした。部屋のテレビでドラマを見ているときに場面が切り替わるような感覚とは全く別物だ。場面だけでなく、同時に洋室だった居間が隣の和室に入れ替わって仕舞ったような、記憶の接続を疑ってしまう現象だった。・・・が、昴がそんな感想を抱けたのは、既に5回ほどの空間転移を経験した頃だった。
「・・・わぁい、奇跡体験」
「我らの魔術は物の理には縛られない」
恐ろしかった混沌の戦場が転々と背後へ流れていく。だが、昴はダルゴーの息遣いが荒くなっていくことにも気付いていた。涼しげにテレポーテーションを繰り返しているが、彼にとってはこの魔術とやらは大技であろうことは察しが付いた。
「さぁ、もうじき安全地帯だ!!」
最後のテレポートを行う。モンスターたちの苛烈な攻撃に阻まれ続ける眷属たちは、しかしモンスターたちを押し退けて昴とダルゴーの背後10メートルもないほどにまで迫っていた。揚力を捨てて、ダルゴーは降下を開始する。ギルド本館の裏口のドアの前に落着した昴は、アスファルトの上をゴロゴロと転がりながらも歯を食い縛って立ち上がり、貧相な金属製のドアノブを握って開け放つ。手汗でノブがすっぽ抜けた。半開きで閉じ始めるドアの隙間に腕を突っ込んでこじ開け、背後に叫ぶ。
「早く入れ!!すぐに閉める!!」
「おォ!!」
ダルゴーがリノリウムの床に触れるか触れないか。昴はドアが壊れんばかりの力を込めてドアを閉じた。
●
「ひッ、ふッ、は、はぁ・・・はぁっ・・・ッ!?」
―――生きてる。
昴の感想はそれだけだった。いや、もうそれ以上の感想は要らなかったかもしれない。
ドアを閉めた瞬間から、昴たちを囲む空間はとても静かだった。燃え盛る戦場が嘘のようだ。
昴の背後では汗だくの悪魔が翼を弱々しく垂れて大の字になっている。翼も含めたら、夫の字かもしれない。
魔術か、と昴は思考する。魔法ではなく魔術だ。口の中で呟いた単語に、人と魔族の違いを見出す。魔法とは、まさしく「法」。自在に見えて、実際は火や水、土といった既存の物質を物理的概念の範疇で操る程度でしかない。決められたルールそのもの。比べて、魔術は恐ろしくも、素晴らしい能力だった。物の理に縛られないとは、言い得て妙だ。物理で語れる「法」と対を為すように、物理で語れない現象を引き起こす「術」、人間の魔法とは根本的に違う技術体系なのだろう。
今回はその魔術に助けられた。ダルゴーがいなかったら昴は確実に焼け死んでいたはずだ。
「・・・・・・・・・・・・」
タァン、タァン、タァン、タァン。
そして。
昴は、無言のまま、命の恩人の腹部に4つの穴を空けた。
「・・・・・・・・・・・・は?」
「恨んでくれて良いよ。俺は魔族じゃないから貸し借りは気にしないんだ」
「なん・・・がはっ、ごほっ、ごぼっ」
「あんま無理すんなって。痛いだけだぜ」
いかに戦闘訓練も受けたダルゴーとて、重度の火傷に加えて複数の銃創を負い、その上で連続でテレポートを行って体力を消耗してしまった体では、人間のガキ1人すら殺せなくなっていた。抵抗すら出来なかった。
―――いや、違う。
ダルゴーは昴の瞳を見て、ゾッとした。こいつ、最初からこうするつもりだったのだ。
少なからず、ダルゴーの中には冷酷で生への執着を見せる昴に対するある種の信頼のようなものが芽生えていた。そして昴からの信用と言えるものも感じていた。・・・つけ込まれたのだ。
人間とはかくも残忍な存在だったのか?悪魔と呼び恐れる敵となにも変わらない自らの生き方に疑問を抱かなかったか?それとも開き直っているのか?
後悔した。
もっと早く切り捨ててしまえば。
ほんの些細な興味の結末がこんなじゃあ自嘲の笑みすら浮かばない。
この扉を潜る前に、後ろから殺してしまえば良かった。
「ひゅ、ぉ、れはま・・・、おま・・・捕虜・・・て・・・それ、に、眷属だって・・・俺・・・た、だ、見境、ごぼェッ・・・はぅ、ひゅぅ」
「・・・それなんだけどさぁ。さっきから思ってたんだけど、アンタさ・・・まだなんかひとつ勘違いしたままなんじゃないの?」
昴は銃を仕舞って、頬についた返り血を手の甲で拭う。
「アンタ、見捨てられたんだよ。自分とこの神サマなんだろ?あの炎の怪物は別にただ見境無く暴れてるわけじゃないことくらい気が付いてんじゃねーのかよ?」
「ぅぞだァ・・・!」
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。そんな訳がない。そんな筈がない。確かに、魔獣どもには目もくれず、眷属たちはこの少年と自分ばかり執拗に追ってきていた気もするが、それはこの少年がいたからであって―――あれ、そうじゃない、それなら自分まで顔の半分を焼かれた理由をどう説明したら良いんだろう?
「ぁぁぁぁぁぁああああああああああッ!?!?!?!?!?」
「だからもうアンタには人質としての価値すらないんだろうし、牢から出しちまった以上野放しにしてたら危険すぎるだろ、どう考えても。誰だって背中から刺されたくはねぇ。まして、ここは避難所だ。・・・でも、まぁ・・・同情するよ、こればっかりはさ」
絶叫だった声は急速に萎んでいく。
遅かれ早かれこの魔族の男は死んでいた。そこにある差は、同胞に殺されるか、昴に殺されるかでしかない。
「・・・さて、と」
痛みを思い出した右足を押さえて、昴は壁に背中を預けたまま座り込んだ。