episode6 sect70 ”情け有さざる神の使い”
光の届かぬ地下牢の最奥から、悪魔の快哉が響いた。
昴は地上へ上がるべく階段の一段目にかけていた右足を降ろした。
「なぁ、アンタはなにが出たのか、分かるのか?」
「アグナロスだよ、聞いてたんだろう?我らが祖国の守護竜であり、火の神さ」
「悪魔にも神様があるもんなのね」
「当然いるさ。魔族には魔族の信仰がある。もっとも、リリトゥバス王国の国神は、目で見える点で今の神様にしては珍しいかもしれないがね」
まぁ、とダルゴーは続ける。昴はアグナロスが信仰の対象で正しいのだろうと直感した。今の今まで銃弾を浴びて悲鳴を上げていた男が、こうも饒舌に話を始めたのだから、アグナロスの出現が相応の出来事だったのは間違いない。
「俺もアグナロスの力がどれほどのものかは知らない。でも、数万の眷属を連れて一夜のうちに小国を焦土へと変えたという伝承もある生きる神話だ。それが真実なら、当初の魔獣だけによる一央市占拠という表現は怪しくもなるが・・・どちらにせよこの街が地図から消えるのは時間の問題なんじゃあないか?」
「本当、急に元気になっちゃってまぁ。テンション上がっちゃったんすか?」
昴はゆるゆると口の端を綻ばせた。悪魔の男は実に気分が良さげだが、どうやらアグナロスの声は今、”困った”だなどと言っているようではないか。大層な紹介を受けたが、現実は伝説に及ばなかったということではないか?
聞きたい話も聞けた。昴は、自前の石の杖を支えに自傷した足を引きずり、改めて階段を登り始めた。
「それじゃ、これ以上地下に用事はないし俺は帰らせてもら・・・う・・・?」
階段の先を見上げた昴はまたしても足を止めざるを得なかった。上に、妖しい影の揺らめきが見えたのだ。
気のせいではない。肌に、確かに乾いた熱を感じた。火神、と、アグナロスが自称した単語を思い出す。上階が、燃えている。
「さすがに笑えなくない?」
壁を這う炎の蜘蛛の姿が見えた瞬間、昴は反射的に魔法を使用していた。岩の壁を作り、階段を完全に封鎖したのだ。自分の退路を塞ぐような行為でもあったが、単純に脳が「ヤバイ」で埋め尽くされて考えるのが遅れてしまったのだ。
しかし、ものの数秒で昴が生み出した岩石の障壁は溶け崩れた。
「あづ―――っ」
壁が即席で薄くなっていたのは認める。だが、一瞬で溶かされたのはかなりの衝撃だった。コンクリートの壁面は溶けていないのを見るに、上からやってきた炎の怪物は、意思を持って熱を操作している。それも、かなりの高温だ。
昴は痛みで動きにくい右足を無理に動かして、急ぎ階段を下る。ダルゴーはアグナロスは竜と呼んだが、目の前の怪物は明らかに違う姿をしていた。
「悪魔の言ってた眷属ってヤツか」
だが、なぜピンポイントにここに現れた?
昴の思考はすぐに生き残るための手段を考え始めた。再度昴は、さっきよりも格段に分厚い壁を作り、階段の下まで逃げ切った。
結局、頑張って作った壁はすぐに破壊されてしまったが、昴はその短い時間で彼なりに結論を導き出していた。そして、手を打つべく悪魔の牢の前に急ぎ、一度収めた実弾の拳銃を構えた。
炎の蜘蛛が地下階の床に8つの脚を着けた。
ダルゴーは歓喜のまま、檻の前に立つ昴に噛みつくようにして叫んだ。
「ハハ・・・ッ!きっと捕まった俺を助けに来てくれたんだ。信仰心ってのは大事だな、少年も死にたくなきゃ銃を捨てて手を合わせると良いよ!」
「アンタを殺りゃあ助かるかもしんねぇ」
―――焦りだった。ここで昴が自分の銃を使ってダルゴーを殺せば、小細工が無意味だ。そもそもダルゴーを殺さずにいたことの意味さえなくなる。
だが、衝動を止められない。発砲。それは恐怖で飛び退くダルゴーには当たらず床に傷をつけただけであった。構わず引き金に力を加える。そこで昴に、蜘蛛の火の手が迫る。
「くそがッ」
昴はもう片方の手にいつもの魔力銃を取って眷属に向け乱射したが、紫色の光弾は炎をすり抜けて微かに火の粉が散るだけだった。灼熱の体に覆い被さられそうになって、昴は慌てて身を翻した。右の太腿の貫通傷から血が零れる。蜘蛛の長い前脚が、鈍った昴の左手を引っ掻いた。
それだけで。
「ぅぁッ、あ、ああああああああッ!?」
銃弾を受けても表情ひとつ変えなかった昴が悲鳴を上げて床に転がった。のたうち回る彼を見て、ダルゴーは一体どんな高温が少年を襲ったのかと想像し、ぞくりと震えた。守護竜の偉大なる力の片鱗への、畏怖と感動が混ざって起きた身震いだった。
昴が倒れ、もはやダルゴーを脅かす敵はいなくなった。彼は鉄格子を掴み、身を乗り出して炎の蜘蛛、アグナロスの眷属に懇願する。
「わっ、私はここです!!このダルゴー、人間共に囚われた後も王国の勝利のために戦い続けて参りました!なので、どうかその偉大なお力で私をお救いください!!」
ダルゴーの声に応じるように、蜘蛛は牢の中を見る。
昴は激しく揺れる視界の中でその様子を知り、無我夢中で銃を握り直した。両手で出鱈目に鉛と魔力の弾丸を撒き散らす。
「みすみす逃がすかよッ!!このクソ悪魔が!!」
「ほざけ、狙えてないぞ人間!俺はもう助かった!人間なんかに頼る必要なんて、初めっからなかったんだよ!!」
牢の外に打ち捨てられた一太に唾を吐きかけ、ダルゴーは中指を立てて高笑いする。蜘蛛は灼熱の脚で牢の鉄格子に触れた。あの熱なら、魔力を弾く材質だろうが耐熱性の高い合金だろうが強引に溶解してしまいかねない。
ここでダルゴーに逃げられたら、ギルドに避難してきている多くの民間人が背後から襲われる結果になるかもしれない。いや、それ以上に人間側が魔族に対して切れるカードを失うことになる。一太の話からするに、あの男はスパイのはずなのだ。人質としては十分に価値がある。そして奪還されたときの情報漏洩が恐ろしくもある。
実弾銃が弾切れを起こして、昴はそれを投げ捨てる。こうしている間にも蜘蛛の脚は鉄格子を溶断してしまう。魔力弾でダメならと、昴は魔力銃の銃口に魔法陣を展開する。大きな石礫の魔弾だ。しかし、それを乱射しても蜘蛛を止められない。効いていない様子ではないが、集中力がないせいで威力が全然足りていないのだ。
足掻いていると、ジュウワッ、と肉の焼ける匂いがした。
・・・肉?
「うぎ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あああぁあああああぁぁぁあ!?」
・・・なぜだ、あのバケモノの目的はあの悪魔をここから救い出すことではなかったのか?
顔面の半分を赤く爛れさせたダルゴーを見て、昴の思考はすっ飛んでいった。
だが、そこに声が飛び込んだ。ダルゴーだった。深くまで到達した火傷は痛覚すら失う。彼の顔の半分を多う火傷の大部分はそれだった。失い損ねた意識が生きるために昴に語りかけたのだ。
「俺のォォォ!!人間ンン!!俺、おっおっ、俺の牢を開げろォォォォッ!!俺は魔獣のぢ、調教もじでいだんだッッ、お前も焼き殺ざれだぐながっだらァァッ、俺を出ぜええっぇ!!」
「ぁ―――ぁ、ぁ、ぁっ」
気が付いたら、昴は一太の手に握られたままだった鍵束を奪い取っていた。雄叫びを上げて、岩の壁を盾に蜘蛛に体当たりして、ダルゴーの牢の前を陣取る。蜘蛛が立っていた場所に立つだけでスニーカーの底のゴムが異臭を放ち始める。
鍵を取りこぼしそうになりながら、そして二、三度、鍵穴に鍵を入れ損ねながら、昴はダルゴーの牢を開け放った。顔を押さえて蹲るダルゴーを昴は怒鳴りつける。
「もう壁が持たない!!早くしろ!!」
「助がっだ!!」
ダルゴーが翼をはためかせて牢を飛び出し、直後に昴も飛び退いた。溶岩と化した岩の壁が地面に薄く広がる。
昴は、さらに鍵を別の牢の扉に挿す。
「開けるぞ悪魔!!」
「早ぐっ!!」
幸い、鍵束は順に並んでいる。ダルゴーの檻の隣や向かい、昴は片っ端から収容棟の地下階に押し込められた猛獣たちを解放していく。
その一方で、ダルゴーは昴には分からない言語でお伽噺に出てくる魔法の呪文ようななにかを詠唱する。すると、あれだけ獰猛そうだった猛獣たちがダルゴーの指示に従って蜘蛛に立ち向かっていくではないか。
「すげぇ・・・」
昴はほんの一瞬、恐怖にも勝る異様な光景に見入っていた。これが魔族の力・・・人間を劣等種族と見なす者たちの術なのか。
「『ロドス』に慣れてればコイツらなんて犬っころみたいなもんだ!!それより早くこっちに来い!!」
「ぁ、あぁ」
「跳ぶぞ、掴まれ!!」
ダルゴーは、昴に撃ち抜かれた翼を大きく広げた。昴はダルゴーの手を握る。次の瞬間、不思議な浮力を感じた。
2人の体は宙に浮き、巨獣を格納するために高くされた天井を生かして炎の蜘蛛の上を飛び越え、上への階段側へと抜けた。
「このままここを脱出するぞ。さぁ魔獣たち、暴れろ!!炎は敵だ!!他の連中の檻も壊してやると良い!!」
飛び去る際、生きているとは思えないが、昴は置き去りにされる一太を顧みるのだった。