episode6 sect69 ”マタリキはお前を見ていたよ”
不意に太腿が燃えるような激痛に沈んだ。振り返った頃にはもう右足が言うことを聞かない。見事に大腿骨が砕かれていた。そして、肉の内側に残る鉛弾の感触。
日下一太は、右膝を床について、両手を挙げた。牢の内側にいた悪魔、ダルゴーは、鉄柵を掴むように身を乗り出し、格子の隙間から襲撃者の姿を探す。そこにいたのは―――、一太は困ったように犯人に話を持ちかける。
「おいおい・・・」
一太に向けてこの正確かつ嫌らしい射撃を浴びせたのは、早くにライセンスを取得していることを除けば、魔法士志望生にとって王道のマンティオ学園に通うわけですらない、ごくごく普通の高校生だった。その普通の高校生は、気怠げな声で一太の、仮初めの名前を口にする。
「やっと見つけたよ、日下さん」
「待ってくれよ、安達君。冗談にならないぞ、こいつは・・・」
「それは俺の台詞なんじゃあ?」
通路の端から魔力弾ではなく実弾の拳銃で狙撃を行った安達昴は、抵抗の意志を示さない一太に歩み寄る。ただし、常に銃口は一太の額に向けたままだ。
通路脇に連なるたくさんの檻の中からは、様々な獣の唸り声が聞こえてくる。発砲音で刺激してしまったか、酷く気が立っている。檻越しに飛び掛かられて昴は口をへの字に曲げる。
「おっかねぇ。ひょっとしてここは世界一危険な動物園かなにかだったのか?プロの飼育員が相手するようなやつだろこれ」
ロクでもない状況で、ロクでもない場所に来てしまって、ロクでもないヤツがロクでもないことをしている場面を見つけてしまった。昴だってなにも別に、こんな役回りを演じる予定までは組んでいなかったのだが・・・。
「なん・・・と、だ・・・?」
「日下さん、声が掠れて聞きにくいっす。いつもみたく大きな声でしゃべってください」
「へっ・・・。コッチの台詞だソッチの台詞だって、なんのことだって聞いてるんだ!撃たれる覚えがないな!」
「いやあるでしょうよ」
ぱぁん、と。
左肩から血を溢して、一太が転がる。相手が手負いだろうが同じ『山崎組』の新入り仲間だろうが、昴はこれっぽっちの容赦もしなかった。
「アンタそこの悪魔を逃がそうとしてたでしょう」
2発もの実弾を浴びた一太は脂汗を滲ませ、目元や口の端を苦しげに痙攣させている。
今の一太は、霧の大蛇『アメノウワバミ』と火噴きの翼竜『ワイバーン』の戦闘の余波で起きた大規模な水蒸気爆発から、昴を庇って重傷を負っている身だ。応急的な治療こそ終えているが、頑丈さが取り柄の熊男も、限界が近かった。
だが、一太は昴の追及に対して不敵な笑みを浮かべることで返した。
「なんだ・・・聞いてたのか。じゃあ言い逃れは出来なさそうだな」
「なさそうってか、無理っすね。それともここで俺を殺して口封じしますか?」
昴は、一太が逃がそうとしていた魔族の男―――昴は彼の名を知らないが―――ダルゴーを見た。見る者を誘惑する端麗な容姿に人間ではあり得ない翼を持つ、いかにもな悪魔の姿をしていた。十中八九、噂になっていた5番ダンジョンの件の関係者だろう、と当たりをつける。もっとも、ダルゴーがスパイだろうが向こうの世界の一般人であろうが、それと関与する限り昴は構わず一太を撃っていたはずだが。
ダルゴーに睨み返され、昴は鼻で笑った。
この牢の中にいる限り、彼にはなにも出来やしない。その気になれば牢の外から射殺することも容易いだろう。故にかどうかは知らないが、昴の目には、少なからずダルゴーの怯えが映っていた。
でも、ダルゴーのことは後だ。昴は一太から射線を外さない。そういうつまらないヘマで有利を逃がすのには『高総戦』のときに懲りた。
「しかし、安達君、なんでここが分かった?」
「いや、こっそり後を尾けてきただけっすけど」
「ははぁ・・・将来はダルゴーさんよろしくスパイが向いてるんじゃないか?・・・でもなんで、俺を尾行しようだなんて思ったんだ?」
「はぁ?」
昴は失笑した。
「俺がアンタを信用したことなんざ一度たりともねーんですわ」
「あぁ、なるほど―――」
引き金を引く。無抵抗、額に銃弾を受け入れて、名も無き男が動くことはもう、なかった。
●
初めて出会ったとき。
ほとんどマンティオ学園の行事みたいだった、学生の新人ライセンサー向け講習会で泊まった旅館の1階にある自販機コーナーだ。
ただならぬ事態を思わす悲鳴を上げた学園の養護教諭のもとへ、迅雷と共に駆けつけた直後のことだった。日下一太は、本当は自分らよりも早くそこに駆けつけることが出来たはずだった。なぜなら、一太は、彼が来る前に昴はとっくに銃をしまっていたにも関わらず、昴が魔銃使いであることを知っている口振りだった、すなわち事の一部始終を見てから現れたということなのだから。
そうした目的は未だに不明だ。昴に原因があったのか、それとも迅雷になにか関心を抱いたからなのか。
だが、そのとき昴は、この男は「怪しい」と確信した。気さくで大らかな振る舞いには惑わされなかった。
そして、昴は一太と同じ『山崎組』に入った。将来に向けた打算ついでに、一太を見張れるのであれば「それもアリかも」と思ったから。ついで、と言ったように使命感ではない。ただ、人間というのは不安なことがあると、その近くから離れることにも不安を覚えるようになる生き物だ。昴自身それを自覚している。
一太とツーマンセルで行動するようになったのは偶然だったが、そういう心理的に、好都合な不都合だった。一央市でも1、2を争うほどに高い人気を得ている魔法士パーティー『山崎組』の信頼される仕事として、昴の人生でも1、2を争うほど信用出来ない男と一緒に魔族が現れたことで不穏な空気が漂う市内を巡回した。
スキンシップが鬱陶しくて、声もうるさい、一緒にいて良いことなんてなんにもないオッサンとの朝デートから逃げ出さなかったのも、結局は一太の動きを常に警戒していたからだった。車に轢かれかける少年を助けようが、大荷物の老婆を手伝って歩道橋を渡ろうが、そんな優しさは不審感となんの関わりもない。市民に優しい犯罪者なんて世の中ごまんといる。
町に現れた怪獣たちの戦いから昴を救い重傷を負った一太は、治療のために昴と別れた。離れれば、不安が募る。昴は一太から目を離せなかった。
するとビックリ。治療を終えた一太はどこかへと向かってしまう。避難所はそっちじゃない。だから、尾行した。
そして、現在に至る。
●
「オイオイ・・・同士討ちか?殺人だろうそれは」
ダルゴーが引きつった声でご丁寧に日本語で話しかけると、昴は無言で檻の前に立った。
昴は『召喚』を唱えて軍手を取り出し、それを着けて一太のズボンを物色し始めた。彼も結局素性は分からない男だったが、魔銃使いが集まる『山崎組』のメンバーだ。ピストルのひとつくらい持っているはずだった。
故人の小銃の残弾を確かめる昴を見て、ダルゴーが牢の中で後ずさる。
「オイオイオイ、待て、なにする気だ?俺は捕虜だぞ、勝手に殺すようなことをしたら―――!?」
「あぁ、だからね」
昴は一太の手に彼の小銃を握らせ、一太の手ごとダルゴーを狙った。
本気の目だった。話術の出番は最初からナシ。ダルゴーが飄々とした態度でこの人間の少年を丸め込める可能性は皆無だった。後ずさり、壁に背中をぶつけたダルゴーは首を横に振る。
「やめ―――ッ」
テン、と軽めの発砲音が鳴った。
牢の中で血滴が散る。ダルゴーの荒い息が木霊する。彼の背の立派な黒翼に小さな風穴が空いていた。
昴はさらにもう一発、一太の指を使って小銃を発砲した。ダルゴーの悲鳴が響く。次の弾は彼の耳を掠めたのだ。
「チクショウ!!人間が調子に乗りやがって・・・!」
「そう怒んなよ、殺してないんだから」
そう言って、昴は小銃を握らせた一太の手により、再々度の発砲を行った。
自分自身に向けて。
「――――――ッ」
牢内の悪魔が表情を驚愕に染めていた。
昴は、悪魔のインチキなおまじないにかけられたのではない。自分の意思で、自分を撃ったのだ。
裂けて赤々と線を引く自分の右頬に手を当て、昴は深呼吸する。
そして、もう一発。
太腿を貫通した銃弾が床に落ちた。
「・・・・・・ふぅ。『捕虜に銃を向ける場面に出くわし、止めようとしたところ撃たれたので、やむを得ず応戦しました』」
「お前・・・軽くトンでるな」
「そーかもな」
「そうだとも」
顔色ひとつ変えずに同族を殺め、事実を歪めるため自傷行為すら厭わない人間の少年に、ダルゴーは関心を覚え始めた。眠たげな瞳から少年の感情を読み取ることは出来ないが、それがかえって彼の内側に潜む冷たい闇への想像を掻き立てる。
自分の命が危機に瀕しているというのに、悪魔の性か、ダルゴーにはこの人間がとても魅力的に見えてしまった。興味を引かれた。なんて味わいのある歪んだ人間性だろうか。
「ホントはここまでしなくたって、ありのまま見聞きしたことを報告すれば信用してもらえたんじゃないのか?」
「かもしれない。ま、過ぎたことだろ」
2箇所もの銃創の激痛があるはずなのに、昴はあくびをした。ダルゴーはいよいよこの興味深い少年を気味悪く感じ始めたが、さすがに勘違いだったと気付く。
「ハァ・・・ふぅ」
昴は一太と同じようにギラギラと汗を滲ませて、檻と檻を仕切る分厚い壁に背を預けて座り込んでしまった。
痛みがないはずがなかった。表情に出にくいだけの、ただの性格の話だった。昴は犯行に用いた軍手を『召喚』で元の場所に戻し、出来るだけ自然な格好に戻した一太の遺体を見る。
さすがに、何度も会話した相手が物言わぬ死体になってしまったと思うと不思議な違和感がある。背中が手形に腫れるような気がした。
後悔はない。
手段が間違っていたとしても、結果に間違いはないのだから。
「・・・それにしても、外が騒がしいみたいだな。面倒なことになる前に本館に報告に戻らねぇと」
自業自得だが、右足が痛すぎて力が入らない。一応、ギリギリ歩ける程度には加減した場所を狙ったつもりだったのだが。
壁に体重を預けながら、昴は辛うじて立ち上がる。どうしてもふらつくので、昴は魔法で石の棒を作り、杖代わりにした。
昴が上り階段に嫌そうな顔をしていたちょうどそのとき、怪物の咆哮が地下にも届いた。
だが、果たしてそれは咆哮というべきものだったのだろうか。昴は眉を顰めた。
―――アグナロス?火神?なにが現れた?一体全体なにがどうなっている?