episode6 sect67 ” Heroic Reverie ”
激しい運動を続けたせいで、まだ完治していない左足の骨折が痛みを訴えているが、雪姫はそれを無視した。ここまで来たらどうせ悪化は免れない。それなら今は戦闘に集中するべきだ。
ここマンティオ学園の戦況は芳しくない。疲労から動きが鈍り、殺されかける者が続出している。それを助けるために奔走し続けていては雪姫も思うように立ち回れない。だから彼女は、いっそのこと戦場を丸ごと掌握してしまうことを考えた。元々独りで戦う方がずっと慣れている。
呼吸を整え、全身にうっすらと魔力を浸透させる。極限まで感覚を研ぎ澄ました彼女の両手の計十指はそれぞれが独立した狙撃銃であるかのように魔法を操り始める。イメージの簡単化のために腕を使って『スノウ』を制御し、攻防を両立させる。
まさしく、たった一人の移動要塞。
そのたった1人の、しかもランク1の少女の奮迅により、劣勢だった戦況が目まぐるしく覆されていく。
華麗にして剛勇な彼女の姿は、見る者に『天田雪姫』という魔法士への英雄的幻想を抱かせた。
しかし、あらゆる時代あらゆる場所において、現実が英雄に優しかったことなどない。天から英雄たちに与えられるものは、いつしも試練だった。
「っ」
炎の怪物の様子がおかしい。異変に気付き、雪姫は足を止め、怪物たちの動向に注目した。
そして、思わず口の端を歪めてしまった。
「・・・ハッ。むしろ都合良いんじゃないの?」
9か10ほどいた炎の怪物たちが一箇所に集まり、粘土をこねるように融合していく。命や意思などないと思っていた炎の塊から向けられる明確な殺意に雪姫は直感した。
―――今、この場で他でもないあたしが一番危険だと判断された。
微かに首をもたげ、夜空の太陽に向けて不敵な笑みを浮かべる。そうだ、それで良い!
「来なよ、害獣が」
雪姫は散らす氷の破片に映った自分の顔を流し見て、醜く上がった口角を元に戻した。狂戦士の眼光が氷上に暗く尾を引く。
―――イイ目だねぇ。殺ってる目だ。
・・・殺ってる目だ。
人殺し。
「ッ・・・一緒にすんな、一緒にすんなッ。あたしは―――」
あの不快にニヤついた青年の声が、今もまだ耳に残っている。
事実に反論はしない。・・・だけど、違う、違う、違う!!自分はあんなのとは違う!!
否定するために首を横に振る。雑念だ、こんなもの今は要らない。
「全員、下がって。あとはあたし1人で片付けます」
寄り集まった炎は、一体の巨大な龍―――西洋の伝説にあるような、翼を有する巨大な爬虫類―――に似た姿へと変わった。
これもまた天田雪姫に英雄譚を強引に綴らせるための皮肉だったのだろうか。神話に語られる勇者による邪龍討伐の一節が真夏の日本に具現しようとしていた。
雪姫の放った言葉で他の魔法士が取る行動は二極化した。従うか、否か。
彼女のことを知らぬ者ほど、その絶大な力に彼女を渇仰し、多少なりとも冷静な者たちは彼女の無謀を察知して止めようと、あるいは加勢しようとする。
「だ、ダメだよ。ねぇ、お願いだよ雪姫ちゃん、みんなで力を合わせようよ・・・」
東雲慈音。え、コイツもこんな中で戦ってたの?・・・雪姫の感想はそれ以上でもそれ以下でもなかった。だから相手にもしない。
「天田さん、まだいけるわ。だから、学園の先生たちのことくらい」
「要らない!」
志田真波。本当にしつこい教師だ。同じやり取りを何回すれば気が済む?
慈音の傍らには、阿本真牙や聖護院矢生、紫宮愛貴に、五味涼―――見た顔がおんなじ顔をして並んでいる。真波の後ろには無理に格好つけようとしている先生たちが続いている。
素直に従ってくれない”異教徒”たちを、雪姫は睨み付けた。
「もういい加減、分かってんでしょう?あたしはみんなが邪魔だって、言ってんの・・・!」
雪姫の頬や腕に、白く霜が降り始めていた。
それだけじゃない。あの灼熱の躯を持つ龍と同じ空間にいるはずなのに、急激に気温が低下していく。雪姫の足下にはあろうことか薄氷が張っている。
そのことに気付き、真波は雪姫の腕を掴もうと足を踏み出す慈音の手を、逆に捕まえて引き戻した。他の魔法士たちも、すぐにその異様に気付いて後ずさった。まだなにが起きているか分からない慈音は、自分の担任の険しい表情に怯えた様子を見せる。
「せ・・・せんせ、い?」
「東雲さん、早くアリーナの方に戻りなさい。大丈夫、学校にいた炎の怪物は全部あの1体に合体したわ、避難所は安全なはずよ」
「でも」
「良いから。行きなさい。阿本君も、聖護院さんたちも―――分かったわね?」
真波の指示を受け、真牙は迷わず慈音の手を引いて、真波と、そしてこれから孤独な戦いに臨むのであろう雪姫に背を向けた。それから、まだ足踏みする矢生にも催促をした。
「矢生ちゃん、これは危ない。死にたくなけりゃ逃げるべきだ」
「・・・・・・」
「師匠・・・」
矢生の表情は苦々しいものがある。真牙の動きに、既に涼は同調している。愛貴が不安そうに目を見つめてくる。僅かな沈黙の後、矢生は弓を構える手を下ろした。
矢生は、真牙が慈音にそうしたように、愛貴の手を握った。自分のことを信頼してくれる愛貴の期待には応えられない。矢生は雪姫じゃない。年相応に優秀なだけだ。
・・・だが、唇を噛む矢生の手を、愛貴は強く握り返して踏ん張った。
「師匠、良いんですか、師匠!?弓使いなら遠距離から天田さんの援護だって出来るじゃないですか!本当に逃げちゃうんですか!?し、志田先生も!私たちだってまだやれますからっ・・・」
「愛貴さん!!」
「ひっ・・・!?」
矢生は、愛貴を無理矢理自分の方へ引っ張り寄せた。抱え込むように愛貴の頭を胸に抱き寄せ、彼女の綺麗な紫の髪を撫でる。まだ納得がいかない顔をする愛貴に、矢生は期待に添えないことを小声で謝った。でも、聖護院矢生は愛貴を守ることこそ、彼女の信頼に報いる選択だと確信していた。
矢生は愛貴を抱き留めたまま雪姫の方を、気の毒そうに、見やる。
「違うんです。・・・危険なのは、彼女の方ですわ。だから・・・」
え、と聞き返す愛貴を連れて、矢生は真牙と慈音の後を追った。涼が、待ってくれていた。
結局、雪姫と共に戦場に残ったのは、真波を初めとするマンティオ学園の教師、数人だけだった。だが、彼らも今いる位置から1歩たりとも雪姫に近付けない。
「あなた、なんのつもりなの?」
真波が問う。
雪姫の体を覆い始めた霜、気温の急降下。その意味するところが分からない人は、単に彼女が本気を出したときの余波・・・くらいにしか思わないのかもしれない。だが、誤解を正すために言っておくと、これは断じて違う。
魔力の漏出だ。夥しい量の凍てつく魔力が空間を満たしていた。明らかに雪姫の魔力コントロールが鈍っている証拠だった。この氷の魔力空間に人間が踏み入れば、足先から凍り付き、最後には凍死してしまうだろう。
そして、こんなヘマは天田雪姫という稀代の天才には決してあり得ないはずだった。
故に、真波は”なんのつもり”かと訊ねた。
「これじゃまるで私たちまで殺す気じゃない」
「さぁ?そこに留まってれば良いんじゃないですか?」
「あなたねぇッ!」
雪姫の従える吹雪が渦を巻き始める。
炎の龍が完成したのだ。『ゲゲイ・ゼラ』と同等の6メートルに達する体高、雄々しい翼、触れるだけで重度の火傷を負う灼熱の体、火を噴く大きな口、全てが雪姫に対する排除の意思表現だった。
龍が炎を吐く。熱波が走る。
直後、トラックにでも撥ねられたように雪姫が弾き飛ばされた。
爆音が遅れて響く。
「あ・・・天田さん!?」
「チッ・・・!!」
雪姫の舌打ちが聞こえてきたのは遙か後方だった。真波が振り返った明るい夜空の中、雪姫が腕を薙ぐ。その念に呼応して、吹っ飛ぶ雪姫の進路の先に氷壁が現れる。雪姫は魔法で氷壁を空中に固定し、それに衝突する形で飛ばされる勢いを殺した。
龍は首をもたげ、間髪を入れずに火球を吐き出した。
雪姫は氷壁を蹴って逃げる。1秒後、氷壁は火炎の大爆発によって跡形もなく蒸発した。
空中に留まるのはマズい。雪姫は新しい氷を頭上に作ってから身を翻し、それを蹴って素早く地上に戻った。しかし、地上で戦うと火球を躱したらその射線上には避難者でいっぱいのアリーナや体育館、そして負傷者を運び込んでいる校舎がある。ただの余熱で腕や脚の皮膚がジンジンと痛む。この熱量をそこにぶつけられたら、大炎上は免れないはずだ。
「まぁ・・・予想してなかったわけじゃないけども」
ダダ漏れの魔力はそのための準備でもあった。大規模な魔法を使うために予め広範囲に自分の魔力を散布していたのである。
雪姫は地面を強く踏みつける。その瞬間、全高10メートル、厚さ5メートルほどの氷壁が雪姫の背後に隆起した。氷のシェルターはぐるりと円を描いて、遂には一人と一頭だけがその中に隔離された。さらに、氷は分岐して校門を閉ざし、校庭のフェンスのように乗り越えられそうな箇所も閉鎖していく。
避難所も、邪魔者も全て向こう側だ。この戦場には何者も立ち入らせない。雪姫は最後まで名前を呼び続けるだけの真波らの声も、氷が突き出す轟音の向こう側への葬り去った。
「やっと2人きりだね・・・?」
雪姫は首の骨を鳴らし、やや腰を落とす。
生みの親であるアグナロスのように子である龍までもが言葉を解しているのかは知らないが、龍は返事の代わりに揺らめく口から荒い呼吸のように、短い間隔で火を噴き出した。
雪姫が大型魔法を発動するのと、龍が火球を吐き出すのは同時だった。
やっと2人きりだね(殺意)♡
台詞のテンションの上下が激しいから今回の雪姫ちゃんはいつにもまして情緒不安定感がある風に見える・・・?でもやっぱり一途というか、全然ぶれてないです。
去年はエイプリルフール投稿したけど明日はどうしよう・・・超悩む。とりあえず投稿されてたらその内容が全部ウソだっていうことは承知しておいてください。