episode6 sect63 ”異界の森”
長い長い『門』を抜けると、そこは森だった。より厳密に言うと、頭上にはどこまでも続いていそうなほど広大な森が広がっていた。
・・・いや、というか逆だわ、これ。
むしろこっちが頭から地面に向かって全力で落下しているんだわ。
「「うぁぁぁあああああああああああああああああああッッッ!?」」
気付いたときにはもう遅かった。今までは全速力で空の上を目指して飛んでいたのだから、そのつもりで『門』を抜けてしまった。次の瞬間には地面に向けてそのスピードで突撃していた状況だ。残念なことにブレーキをかける方法がない。
迅雷と煌熾は森の木々の中を、枝をベキベキへし折りながら魔界の大地に墜落した。
「ヴェッ!!」
びったぁぁぁぁぁぁぁん!!
というシュールな効果音を伴って、迅雷は地面に愉快な人型のクレーターを作った。
「ぐっぞぉぉ・・・痛えぇぇッ」
あの高さからあのスピードで墜落しておいて、生きているだけ儲けものと考えた方が良いのだろうか。鼻血が噴き出る顔面を片手で押さえながら、迅雷は湿った土の上に手をついてひとまず四つん這いの格好まで起き上がった。口の中が青い土の香りで満たされて最悪の気分だ。繰り返し唾と一緒に土を吐き出すが、どうしても若干砂粒が口内に残ってしまう。
こうなるんだったら先に『門』を出たら上下反転するから気を付けるんだぞ、と教えてくれよ・・・などと遅すぎる文句を垂れる。
「・・・あれ?焔先輩?どこですか?」
迅雷は辺りをキョロキョロ見渡して煌熾の姿を探したが、一緒に落ちてきたはずの彼がどこにもいない。
「え、ちょ・・・嘘でしょ先輩。おーい、おーい!・・・・・・。ま、まさか、いきなりはぐれちゃったパターン?」
サァっと顔色を青くする迅雷だったが、それはさすがに杞憂だったようだ。
地上ではなく頭上から煌熾の声が聞こえ、迅雷は表情を明るくした。
「あぁ~、いたんですね良かっ―――」
「神代よけろぉぉ!?」
「ぎゃああ!?」
頭上から大の字で落ちてくる煌熾の鳩尾が迅雷の脳天に直撃した。ちょっと胃の中が戻って来そうになって煌熾は悶えたが、強引に持ち直す。それから煌熾は、早くも魔界に来てから2回目の床ペロを達成して伸びている迅雷を抱き起こした。
「ぷぇぇ・・・」
「おいしっかりしろ!早く移動するぞ!」
今の騒ぎで敵に勘付かれたかもしれない。煌熾は目を回している迅雷の頬を叩く。・・・しかし白目を剥いている後輩にビンタをかましていると死体殴りをしているみたいな気分になる。
「・・・・・・ハッ、ね、寝坊!?」
「どこからツッコんだら良いんだ?」
枕元に目覚まし時計がないことに気が付いて、迅雷は自分が魔界にやって来たことを思い出す。
異世界ファンタジーなどとタグ付けしておいて、なんとビックリ、連載開始から2年以上3年未満もかけて遂に初めてのちゃんとした異世界転移である!!いっそ逆に珍しい!!これはすごい!!新ジャンルの開拓だ!!
ニュースや教科書で当たり前のように異世界の情報が耳に入ってくる時代になって、さもそこは身近な場所のように感じていた。だが、神代迅雷16歳、および焔煌熾17歳、人生初の”異世界”である。―――よりにもよって、人間界と敵対的な魔界だから、観光どころではないが。
とはいえ、物珍しさはある。まず、空気の味がまるきり異なる。呼吸に不自由はないので、酸素濃度は少なくとも地球のものに近いのだろうけれど、いろいろと組成の時点から異なるのだろう。
迅雷は改めて周囲の風景を眺めた。あるのは木々と高い火山。聞こえるのは透明なせせらぎと、耳に残っている翼竜たちの喧々とした鳴き声。正直、地球の大自然を特集したドキュメンタリー番組で見る森林と色合いはさほど変わらないように思えた。しかし、迅雷は今、自分の踏む土が物理とは違う法則で隔絶された異郷のものであると肌で感じられる。
雰囲気に浸る迅雷の肩に煌熾が手を置いた。
「いいか神代、感慨に耽っている暇はないぞ。さっきも言ったが、敵に見つかったら厄介だ。それに先行した千影を探さないといけないしな」
「そうですね」
魔法のジェットパックを背負ったまま歩き出す煌熾の横に並んで迅雷も歩き出す。2人は互いに前後左右を警戒しながら森の中を進んでいく。いつ襲われても最低限対応出来るように、迅雷は『雷神』だけ背負った。煌熾は素手で魔法だけ扱う派なので、そういう武器は必要ない。
「最初の目標としては、千影と合流したいですね。あいつと浩二さん以外のメンツが分からないからちょっと不安なところもありますけど」
「となると、例のシャトルを探すべきだな」
着地点を特定すれば、多少は千影たちの行動も予想出来るようになる。ただ、この方針には2つほど問題がある。煌熾はスマホを取り出してIAMOのアプリを開いたが、数多あるダンジョンの地図は見る機能はあっても魔界の細かい地図は出てこなかった。世界地図くらいなら見られるようだが、それでは役に立たない。
「まず、俺たちの現在位置が分からない。それで、この森の規模も分からない。まあ、要は地理的な情報がゼロってことだな」
「・・・改めて自分の無謀さを実感しますねぇ。どっちに行けば良いかすら分からない、と」
迅雷は苦笑した。しかし、後悔しているわけではない。そもそも事前に必死に準備をしたとしても、この森のマップなんて手に入らなかったはずだ。
「高いところから見れば分かりませんかね?」
「まぁ、そうなるよな。・・・警戒はしろよ。木の上に翼竜の巣があるかもしれないからな」
「了解です」
迅雷は近くにあった木を何度か蹴って様子を見た。特に反応がないのを確かめてから、スルスルと上までよじ登る。最初のまともな枝に手が掛かるまで6、7メートルはあった。枝に手が掛かれば、もっと速い。途中で扇のような尾と長い前歯が可愛い小動物を見つけたが、今はスルーだ。
「・・・なーんて思ってて実は監視カメラみたいな能力持ってたらどうしよう」
一瞬、電撃で焼き殺してしまおうか、という考えが浮かんだが、やっぱりやめた。別に、迅雷は「ここで下手に手を出して逆に動物たちに警戒されたり群がられたり、魔族に発覚する可能性も―――」という考えに至ったわけではない。単に道端で見つけた愛らしい野良猫を次の瞬間に感電死させられるほど心を病んでいないだけだ。
高木のおよそてっぺんまで登って、青々と繁る葉から半分顔を覗かせると、果てしなく広がる樹海が最初に目に入った。
「とはいえこれは落ちながら見えてたしな。まだよく分からないのはもっと向こうだ。・・・高いな、あの山。富士山くらいはあるんじゃね?てかもっと?それと、反対に見えるのは湖だな―――対岸は見えない。目的地があの向こうとかになると1日2日じゃ済まないかもしれないぞ」
それから、迅雷は真上を見上げた。
「『門』が覆ってるのは・・・よく分かんねぇけど一央市と同じくらいの範囲なんだろうな。今は『ワイバーン』が入っていく様子はない・・・」
つまり、今のところ一央市に新しくモンスターたちが流れ込んでいくようなことはない。
「・・・・・・」
ここにくる直前に擦れ違ったあの巨大過ぎる炎の怪物を思い出し、迅雷は首を振った。大丈夫だ、きっとみんなが力を合わせてなんとかするはずだ。それに―――。
「父さん・・・頼むから早く帰ってきて、一央市を救ってくれよ」
視線を下に戻そうとして、迅雷は明らかに不自然なものを、少し離れた場所に見つけた。湖や火山と比べると、異変はずっと近い。
「・・・煙?」
空に向かうにつれて薄まっていくコロイドの色は黒く見える。位置的に、火山活動とは無関係だろう。森が燃えているわけでもない。むしろその周囲だけ木が少ないようにも見える。なにかしら破壊力が生じた爪痕のようだ。戦闘でもあったか?だとすると?
それから、煙と同じ方角、これは遙か遠くだが、人工物らしきものが見えた。建物だ。双眼鏡が欲しくなるほど微かにではあるが建物が見える。ギルバートの話を考えれば、あれがゴールと考えても良いのではないだろうか。
思いの外収穫の多い木登りだった。ある程度位置感覚を頭の中に叩き込んでから、最後に迅雷はスマホを取り出した。煌熾のもだが、幸いなことに、さっきの落下の衝撃で壊れてはいなかった。むしろギョッとするほどの耐久性だ。それから、カメラを起動した。パノラマ撮影を行い、地図代わりにしようと考えたのだ。
・・・だが。
「ッ!?」
ぴぴっ、というカメラの起動音がした直後、近隣の木々から一斉に鳥が飛び立った。ビックリして、迅雷は枝から足を滑らせてしまう。なんとか太めの枝を掴んで耐えたが、今のはかなり目立ってしまったのではないだろうか?楽天的な考え方が出来ないわけではないが、今それをするのはただの怠慢だ。
迅雷は木の幹に背を押し付けるようにして、ほとんど落下同然のスピードで地上に戻った。幹のささくれに引っかかって来ていたシャツがほつれるが、服なんて多少破れたところで困らない。
「神代、なにがあった!?」
「詳しくは動きながらで!」
「わ、分かった―――!」