episode6 sect61 ” a Hallcinative Chance”
―――一央市上空の魔界と接続した『門』より、正体不明の火炎状モンスターが出現。IAMOの危険度区分基準ではSS+と予想される。遠距離への攻撃に優れ、被害は直線状に30キロメートルほどと推定。また、被害規模も激甚。今後も同モンスターとの戦闘は続く見込みであり、一央市周辺地域の住民は注意されたし―――
アグナロス出現からほどなくして、日本政府は緊急事態宣言を発令した。
ただし、避難指示は出ていない。避難が不可能だからだ。物理的な意味で。
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英国のIAMO本部や、世界各地の支部にも、アグナロスの情報は伝わっていた。
日本から近く、応援要請を受けていた中国と海上学芸都市『ノア』の各支部では応援部隊を急かす指示が飛び交っていた。
「急げ!!燃料の節約なんて考えるな!!」
「残存したワイバーンが依然空路の障害になっている?もう構うな、そんなもの撃ち落とせ!」
それだけではない。日本はもちろん、周辺諸国を中心に、世界中からIAMOに対して対処の遅さを非難する電話が殺到していた。SNSには不安を煽るような文言が溢れ、まだ平和なはずの国でさえ屋外に出られないほど恐怖する市民が続出している。インド、ペルー、ギリシャ、そして日本―――次は私の国、私の街かもしれない。
だが、これでもIAMOは最善を尽くしているのだ。それでも滞っているのは、日本へのアクセスに陸の道がないせいである。
軍の戦闘機ならまだしも生身の魔法士を乗せた輸送機の速度では中国支部あるいは『ノア』支部からの出発だと日本に着くまで2時間から3時間を要してしまう。しかも、それが着陸出来る場所も限られる。もっとも、一央市は土地の特性上、輸送機による魔法士の派遣を想定されているため専用の離着陸用滑走路はギルドや市の外縁部に備えていたが、今回の問題は空を覆うほど夥しい頭数の翼竜の出現により滑走路への接近が困難だったことである。従って、現地の魔法士たちの尽力によって翼竜の数が減り、そして翼竜の活動が穏やかになった夕方時点で初めて航空機の進入が可能となり、輸送機の発進に至ったため、現状まだ応援部隊は日本上空に到達しようかという地点にいた。
故に、彼らはアグナロス襲来に間に合わなかった。そして、もう一央市には近付けないことはすぐに発覚した。
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アグナロスに向けて放たれた透明に輝く槍を、慈音が指差した。
「氷・・・じゃない?あれ」
氷の槍は、アグナロスの腹に刺さる寸前で溶けて消えた。
「っは・・・はははっ・・・!」
「真牙くん・・・?どうしたの・・・?」
だが、その瞬間になにかが吹っ切れてしまったかもしれない。真牙も、堪えきれずに抑揚のない乾いた笑声をこぼしていた。
「あぁ、やったよ。やりやがったよあの雪女!?イカれてやがる!!でもどうせ逃げ場なんざねぇんだろ、バンザイしたって構わず最後は消し炭にするんだろ!?良いぜ、乗ったよ馬鹿野郎!!こうなりゃ徹底抗戦だ!!」
全身が不自然な震えに支配される中、真牙は刀を抜き放って空に吼えた。
生きた心地がしなくたって、まだ希望があるのはこっちだ。正直、内心、真牙の天田雪姫という少女に対する評価が暴落しまくっていた。ブツブツと「馬鹿だろ」と唱えまくっている。「なに考えてんの?」と今すぐツッコみに行きたいくらいだ。
・・・が。
今はその意味不明に救われた。天田雪姫本人に、そのような意図はなかったのだろうけれど。
そして、真牙のやけっぱちの咆哮が人々を駆り立てた。
沸き立つ地上の人間たちを見たアグナロスは、唸る。
『・・・アレ?オ、オカシイゾコレ?ナンデヤル気ニナッテンノ?話ガ違クナイッスカ?』
さっきまでの威厳はどこへやら。ぽかんと口を開けて、アグナロスは現代の若者のような口調で軽いショックを表現していた。その落差に人々は笑い出す。ますますおかしなことになった。
アグナロスは2つある自分の顔同士で見つめ合い、相談し始めた。一声一声が大きいせいで、それは彼の下にいる人間たちの耳にも届いてしまっていた。
『ドウスル?諦メナイミタイダケド?』
『デモサッキデカイノ1発ヤッチャッタシ』
『シバラクハチカラヲ蓄エナイトダヨナ』
『ソウナンダヨナァ、耐エルシカナイノカ?』
『困ッタ困ッタ』
「聞いたかよ、なんだよくそ、いよいよオレたちにも希望が見えてきたんじゃないの?」
アグナロスが再度あのブレスを撃てるようになるまでの「シバラク」に全力を懸けて、この一瞬でヤツを叩き潰せれば、生き残れるだけでなくこの戦いに勝ったようなものだ。真牙が舌舐めずりをするより早く―――アグナロスの言葉を聞くや否やマンティオ学園の教師も、他の魔法士も、そして学園の生徒たちも、空に向けて魔法を放ち始めた。
真牙は、直前まで絶望に膝を折っていた矢生に手を差し伸べた。
「矢生ちゃん、立てるかい?」
「・・・お見苦しいところをお見せしてしまいました。えぇ、当然立てますわ。こんな希望でアッサリと立ち直れることに浅ましさを感じますけれど・・・」
「師匠は浅ましくなんてありません!最後まで諦めないのは美点じゃないですか」
「愛貴さん・・・。ふふ、ありがとうございます。あなたも、一緒に戦っていただけますか?」
「もちろんです・・・もちろんです!師匠が戦うんだったら、私だって!」
ツインテ師弟も、それぞれの魔弓を手に取った。頷き合った2人は共にアグナロスへ魔力の矢を放つ。
そして、群集を掻き分けて、また1人、仲間が合流する。声を上げた彼女を見て、真牙はニッコリ笑って手を振った。
「真牙くん!!」
「お、涼ちゃんお帰り」
「お帰りじゃないよ!!」
怒っているような言い方だったけれど、涼は生気を取り戻した真牙を見て安心しているようだった。一度冷たく突き放されたものの、それでも真牙のことを気に掛けていたのだ。・・・そんな程度で嬉しそうにしていて良いのか、真牙どころか今は街の一大事だというのに。いいや、でも、もはや涼の原動力は街の平和よりも真牙なのかもしれない。
「私も、できる限り手伝うから・・・!!」
「いいね」
「それと!東雲さん、ほら、迅雷くんの妹さん見つけたよ!」
涼が手を引いて連れて来たのは、直華だった。たまたま騒ぎより先にアリーナの外にいた涼が、パニックになった避難者たちに揉まれて弾き出された彼女を見つけてくれたのだ。実際はほんの短い時間はぐれただけなのだが、目まぐるしく移ろう状況を孤独に過ごした直華の土くれのような顔色をしていた。
慈音の顔を見るなり、直華は目を潤ませて彼女の胸に飛び込んだ。慈音は直華にとって姉のようなものだ。よほど安心したのだろう。
「し・・・慈音さん~!!」
「あぁっ、なおちゃん!良かったぁ・・・心配したよぉ。ありがとね涼ちゃん!」
「安歌音ちゃんにさくやんも・・・恐かったぁ・・・」
「はぐれるなよぉ、バカぁ・・・!」
「もう放さんからなー!」
直華は安歌音と咲乎の2人ともハグをしてから、真牙の方を向いた。アリーナから押し出される前に見ていた真牙とは明らかに表情が違っていることに気付いたからだ。薄々、彼の考えを直華は分かっていた。周囲の魔法士たちの様子を見れば火を見るより明らかだった。だから、確かめるように訊ねた。
「あの、真牙さん。これからどうするんですか?」
「戦うぜ、あのバケモノと。今頃迅雷も魔界に着いた頃だろ。オレも負けてらんねぇよ」
「だったら、私も手伝いたい!私も決めたんです、お兄ちゃんが頑張ってるみたいに、私も頑張らないとって」
「え?」
詰め寄る直華に、真牙は困惑した。そういう事を言い出す子だっただろうか。迅雷の変化に触発される少女がここにもいたかと、ちょっとだけ嫉妬したくなる。迅雷の存在は、真牙の中でそうあるように、彼女たちの中にも大きく食い込んでいたのだ。
直華の殊勝な心がけに、真牙は感心して短く笑った。
でも、真牙は首を横に振った。
「直華ちゃんに戦わせたら迅雷に斬られそうだから、ダメ。後ろでオレの応援してくれてると嬉しくてパワーアップ出来そうだから、そっちでお願い」
「そんな・・・」
俯く直華は、しかし食い下がったりはしなかった。この辺りはやっぱり素直で良い子だ。確かに、半人前でも戦力が増えればなにかが変わるかもしれない。だが、まだ中学1年生の女の子に争いの手伝いをさせるのは筋違いだ。いつか直華が父親と同じ魔法士を目指すとしても、今はまだ早い。
慈音にも促されて、直華と、それから安歌音と咲乎も、真牙の後ろに隠れた。
「さて、と」
「戦うって言っても、どうすれば良いと思う?真牙くん」
「敵さん、高空だしな。オレたちに可能な攻撃手段も限られるな」
まず、火属性魔法が効くとは思えない。
また、水魔法はアグナロス自身の高熱で蒸発してしまい届かない。雪姫の放った氷魔法を見て分かったことだ。
地属性魔法と風属性魔法は、可能性はあるが重量や拡散といった問題で射程が伸びにくい。あの高さまで届かせるには相応の技量や魔力量が必要だろう。真牙たち一行の中にそれが可能なメンバーはいない。
真牙の場合、魔力色は紫だが、亜種である重力魔法を扱える。しかしやはり、射程が届かない。慈音に至っては結界魔法専門で攻撃自体が不得手だ。
よって、攻撃力に期待出来るのは弓使いの矢生と愛貴、そして器用に全属性の魔法を使える涼の3人。
―――となれば。真牙は苦笑した。
「えっと、スマン。結構イキっといてアレなんだけど、オレたちじゃ手も足も出ない!だから今は3人―――特に矢生ちゃんをアテにさせてもらうしかない!」
「私ですか?えぇ、お任せくださいな!」
長大な和弓を構え、矢生は大見得を切った。
魔力で弓に強力な弦を張り、紫電の矢をつがえる。
「矢生ちゃん、今ちょっと強がった?」
「えぇ、見栄でも張っていないと今でもまだ手が震えてしまいそうですもの!」
「結構。いい?とりあえず雷魔法だ!それが有効か確かめる!ダメなら消火方法を考える。それでも無理なら諦める。オーケー?」
「あら、そうなったら私は1人でも抵抗を続けますわよ!」
「上等!」
個人の能力では無謀でも、一央市の魔法士全員がなにかの策を講じ続ければ、あるいは。真牙たちは真牙たちに出来ることをするだけだ。
この流れは、たった一人の少女の愚挙によって作り出されたものだ。だからきっと、なにか手を打つだけでも意味はある。
地上から天へ向けられた魔法の数々は無数の光を生み、逆さ降りの豪雨を思わせる怒濤の勢いを見せている。
矢生にばかりけしかける真牙に対し、気に喰わんと言わんばかりに愛貴がアーチェリーの弦を引き絞った。
「阿本さん、ひとつ訂正ですよ。弓なら、白色魔力の一撃でも届かせられるんですから。・・・まぁでも、あの高さまで届かせられるかは不安ですけど」
「でも、挑戦するだけの価値はあるよ」
真牙の代わりに涼が答えた。彼女も彼女で、今の自分に出来る精一杯を考えていた。白色魔力は、自在に他の色の魔力に練り直せる。つまり、あらゆる基本属性が扱える。難点は、どうしても魔力の性質は白に寄ってしまい魔法の強さが中途半端になりがちなことだが、それはそれで、やりようはあるはずだ。
涼は、今こそ真牙の前で良いところのひとつくらい見せてやりたかった。
「地属性魔法で作った岩に、火炎魔法をくっつける―――!」
火炎魔法の爆発で飛ぶ岩石弾。即席ながら、地味に精度の高い火炎魔法の制御を要求する一面を持ち合わせる高度なアイデア魔法だ。1発目は、途中で制御を失って不発に終わったが、真牙は涼に親指を立てていた。涼はニッと笑い、次の弾を生成した。次は届かせる。
「――――――?」
みんなが狂ったようにアグナロスを攻め立てる中で、慈音はそれに気が付いた。
「・・・し、真牙くん、アレ」
「え?」
腕をつつかれた真牙は、慈音の指差す場所に目を凝らした。
「変だよ、あそこ・・・ううん、なんか、どんどんおかしくなってくよ・・・!?」
『アァ、本当』
『困ッチャウナァ』