episode6 sect60 ”来寇する太陽信仰”
「行きやがった。マジに行きやがった・・・!別にッ、誰もそこまでやって欲しいだなんて思わねぇだろ・・・」
「真牙くん・・・」
爆音の余韻も消えた。意地になって見送りにも行かず、ざわつく避難所の中に留まった真牙の顔は見るに堪えぬものだった。恐れと焦りと、後悔だ。五味涼は彼の肩に手を置きかけて、止まった。涼には、真牙を救える力がない。彼よりもずっと置いてけぼりだった。同情は容易で、しかし送り出す言葉も見つけられないままだ。
「ごめん・・・私、わかんないよ」
「だろうな」
走り去る涼の方なんて見ずに、真牙は横になった。直華の友人である安歌音と咲乎というまだ幼い少女たちは、疲れて眠りこけている。次に目が覚めたとき、帰ってくると聞いていた直華の兄は事もあろうに魔界へと行ってしまったなんて知ったら、一体どんな反応をする?迅雷は2人のことを、彼女の親たちから頼まれていたのだ。
紫宮愛貴が、安歌音と咲乎の髪を撫ぜている。せめて、今だけでも安眠を促しているのだろう。
走り去る涼の方を心配そうに見たまま、愛貴はぽつりと言う。
「阿本さん、さすがに冷たいですよ・・・」
「でも愛貴ちゃんだってオレと同じ意見なんだろ?」
「・・・そうですけど」
―――違う。同じなんかじゃない。
真牙は目を瞑る。どうせ、愛貴と同じ意見なのは上っ面の部分だけだ。・・・危ない、馬鹿げている、死ぬ気か?みんながすぐに思いつく、反対意見だった。勿論、本心でもそう思う。それに、IAMOの総司令官であるギルバート・グリーンが立案した、謂わば人類の存亡を懸けた一大作戦だというのに、身勝手に介入なんかして、それで全部パーになったらどう責任を取れるのだ?死刑とかじゃ済まないぞ。
・・・、・・・・・・。
「悪かったネ、阿本真牙。アレは2人乗りが限界なんダヨ。目的の都合もあったガネ」
「・・・あーそう」
見送り組が、帰ってきていた。急にそれを謝ってくるエジソンに、真牙は無性に腹が立った。いつももっと傲岸不遜だと聞いていたし、今はそうしてくれる方がまだ穏やかな気分でいられたというものだ。
「あーあ、分かんねー!あぁ、確かに言ってたよ?あいつ、やりたいようにやるって。それ自体は悪いこととは思わねぇけどさ!なんであんな短い説明で納得して送り出せるんだよ!!みんなどうかしてるっつーの!!」
「そうかもだね。しのも、としくんも、煌熾先輩も、どうかしてるのかもしれないね」
「してるよ」
避難所の、個人に与えられる極めて狭いスペースで出来うる限りのだらしない格好で仰向けになった真牙の頭上で、彼の顔を覗き込むように屈んだ慈音が苦笑していた。今までなら、いの一番に駆け出そうとする迅雷の袖を掴みそうなこの少女の心境の変化が、真牙には俄には理解出来なかった。なんでさっき、慈音はそうしなかったのか。そうしてくれなかったのか。
「でもね、真牙くん。きっとしのはね、としくんが千影ちゃんの立場になってたら、としくんと同じことを考えたんじゃないかな?」
「―――オレだってそうするよ・・・」
でも、千影のポジションにいるのは千影だ。断じて迅雷ではない。―――真牙だって千影のことは、可愛い女の子だし、賑やかな子だから、好きだ。例え人外の姿と悪魔の力を見せられても、彼女が味方なのは分かっている。彼女のことは信じたい。信じている。
・・・分かるか?考えてもみて欲しい。信じたい。信じている―――なんて考えがある時点で、そこに「疑う」ことの選択肢があることに気付いたか?本当に信頼しているなら「信じる」だなんて言うか、普通?・・・そういうことだ。
「でもさぁ・・・でも、千影ちゃんは違うだろうが・・・」
「違わないよ。少なくとも、としくんにとっては」
「だけど、迅雷のヤツから話は聞いたんでしょ、慈音ちゃんだって」
慈音は頷いた。彼女も、既に千影が自分たちとは違う存在だということを知っている。煌熾に話した以上、少なくとも今、『DiS』のみんなは千影について知っておくべきだと、迅雷が判断したことだった。かけがえのない仲間として、そしてこれからも一緒にいるために、敢えて彼は語ったのだ。個性の違いなんかでつまらない面倒を引きずりたくなかった、と彼は言っていた。
でも、その迅雷自身もまだまだ『オドノイド』なるものについてはほとんどなにも知っちゃいなかった。説明が説明になっていない。真牙が迅雷のそれを妄信だと感じたことも、だからなんら不自然なことではない。親友として、迅雷の言動を危惧しただけのことだ。
慈音は困り顔と笑顔の間で彷徨っている。
「・・・」
真牙も、慈音と同じ思いを抱いているのは自覚していた。結論の違いの原因は、もはや迅雷との付き合いの長さか、感情に表れる性差か、納得するとしたらそこくらいのものだった。
「オレはたださ、アイツの友達として、よく分かんねぇ千影ちゃんなんかのために命を張って欲しくはないし、それでも行くってんなら・・・だから、せめて、オレもついて行きたかったんだ。背中を守ってやるくらいのことは、仲間としてやってやりたかったんだよ」
エジソンの言葉を認めて、口にした。迅雷がああいう行動を取ってしまうのは、いつだって理ではない。真牙は大きく溜息を吐いた。
「・・・・・・ところで慈音ちゃん、今日は水玉なのね」
微妙な表情のまま慈音が固まった。
○
さて、場面は切り替わっ、わっ、わわわわわわわ―――――――――れない。
それはもはや我々に余所に目を向ける余裕なんて与えてくれなかった。
まさしく、災厄、ただし此れ、人災につき。
昼夜逆転(物理)。
一歩の移動さえ伴わない時差ボケ。
時計の針を置き去りにして降臨した夜明け。
他ならぬ有形なる拝火信仰。
一央市上空に頓に顕現した大いなる夜の太陽は、烈火で出来た巨躯を夜空に広げる。
双頭の竜―――否、尾を持たず、代わりに身体の両端に顎を持つ、奇怪な姿をしていた。
「なんだよ、アレ!?」
灼光に目を焼かれ、弾かれるように上体を起こした真牙の第一声は、それだった。それ以上の感想が浮かばなかったのは、一種の絶望感によって、光の速さで恐怖が脳髄に浸透したからに他ならない。
マンティオ学園が3棟保有する模擬魔法戦訓練用アリーナの天井はほぼ全面が強化ガラス製である。より具体的には―――いつか似たような説明をごくごく簡潔にしたような気もするが、ここで念のため再確認しておくと―――巨大な透明のドーム型天窓の外枠と、アリーナの舞台は同直径である。そして、観客らの安全のため、舞台から魔法が飛び出さぬよう天窓の外枠部分から真下へ垂直に、つまり観客席の最前列と舞台を仕切る形で、天窓と同じ材質の透明な防護壁がある。
つまりなにが言いたいのかといえば、ここへ避難してきていた人々は、みな舞い降りた威容を抗いようもなく目の当たりにしてしまったのである。
本能的恐怖に幼い子供たちが泣き喚く。あやす親の声もどこか上擦っている。
当然だ。だって、あの炎のモンスター―――生き物かどうかも判別しかねるのだが―――は、一央市の少なくとも現在人口が集中している中心部全域の空を覆い尽くすほどに巨大だったのだから。今となっては、巨躯という表現さえ、渺たるものに思われた。
炎の竜は地上を睥睨した、後、灼灼たる息吹を細く漏らした。
直後。
音と認識するには、いささかの時間を要した。
同時刻。
一央市および近接する10の都市を一筋の熱線が縦断した。何百―――いや、何千の人間が、その瞬間に昇華、消滅した。
焼け跡の大気が過熱により膨張、爆発を起こし、その衝撃波は暴風という形まで衰えつつ、マンティオ学園にも吹き荒んだ。地揺れの如き暴風と、この世のものとは思えぬ地獄の炎を見せつけられた矮小な人間たちの取る行動は、単純だった。
”逃げる”・・・どこへ?知るか。ここではないどこかへ。煉瓦の家をも吹き飛ばす狼が現れた。ならば次は鋼の家だ。―――悲鳴に紛れるFM放送で、一央市から数十キロ離れた山脈に新しく天井のないトンネルが開通したというニュースが流れていた。
人の濁流に押されるようにしてアリーナの外へ漂着した真牙たちは、いよいよもって火竜の全容を目撃した。初撃を終えた火竜は一息吐くように体を丸める。太陽フレア。火竜の背から妖美なる翼が生まれる様子はそれに等しかった。
輝く魔の光紋を背に、フレアの翼を広げ、火竜は神々しく双頭で咆哮した。そして、咆哮は言葉へと置き換わる。
『吾名ハ「アグナロス」、火神也。王ト将ノ請ヒヲ受ケ、来ル』
しゃべった。それもわざわざご丁寧に日本語で。・・・違う。一種のテレパシーのようなものだ。咆哮が脳内で意味のある情報に変換されていた。日本人である真牙たちには、それが日本語の形になったのだ。
ただ、正直もうそんなことどうでも良い。
さっきまで自信満々に学園内で爆音騒ぎの犯人捜索をしていた教師たちに、アレもなんとかやっつけてくれ、などと泣きつく輩の多いこと多いこと。・・・本気で言ってんの???
真牙はもう叫んじゃった。
「勝てるワケねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?!?!?」
人の濁流は渦潮のように荒れ狂う。なんとか真牙に身を寄せ続けていた慈音が涙を浮かべて真牙に詰め寄る。
「ど、どうしよう!!なおちゃんがいないよ!!はぐれちゃった!!と、としくんに任されてたのに・・・どうしよう真牙くん!?」
「んなこと言われても・・・!!クソ、クソクソッ!!」
こんな状況で直華の姿なんて見えない。安歌音と咲乎だけなら愛貴が連れていた。ワケが分からなすぎて頭痛がして来た。真牙は髪を掻き毟ってひたすら現実に罵倒を浴びせまくるしか出来ない。
ドサリという痛そうな音は、聖護院矢生が膝から崩れ落ちる音だった。
「し、師しょ・・・」
「ふ、ふふ・・・ふふふ・・・・・・うふ・・・ふ・・・」
壊れたように涙と笑いを両立する矢生に愛貴がしがみつく。まるでこの世の終わりに立ち会った人間の姿だ。
『恐レルカ?戦ヒタカ?其レデ良イ、兵ヲ引ケ。吾炎、本来敵ヲ滅スル為ニ有ラズ。過ギタル破壊ハ望マヌ』
―――過ぎたる破壊、もうしてるじゃん。ダメだよ、なんの説得力もありゃしない。
火竜改めアグナロスの忠言の直後、意外なほど真牙たちに近い場所から、アグナロスに向けて煌めく氷の巨槍が飛んだ。