episode6 sect56 ”語りて、顧みる”
それから、迅雷は煌熾に事の経緯を順を追って説明した。
まず千影がIAMO直属の魔法士であると同時に『荘楽組』というマジックマフィアの一員でもあったこと。
先の謹慎処分は千影が2つの立場を利用して『荘楽組』とギルド双方の動きを誘導し、ある取引を台無しにするという目的で一般魔法士に対する攻撃に及んだのが原因であること。
しかし魔界からの宣戦布告で、ギルドの召集を受けて一時的にその謹慎処分の停止を得たこと。
IAMOの魔法士部隊を統括する総司令官、ギルバート・グリーンが訪日していたこと。
そして、ギルバートの立案した防衛計画によって一央市内各地区の避難所が統合され、戦力配置も調整されていたこと―――は、ラジオやネットの情報で煌熾も知らされていたようだった。
また、ギルバートは最終目標を平和的解決だとしながら、この街で起こっている戦いには勝利する気でいること。
それから―――。
煌熾は迅雷の話に、一旦は口を挟まずただ最低限の静かな相槌を繰り返すだけだった。
「それから、ギルバートさんは馬鹿なことを言い出したんですよ。防衛に徹すればいずれ増援で切り崩されるから、そうなる前に少人数の強襲部隊を作って一気に敵の本丸を叩くって。そこまではまだあり得るかもしれないけど、でも、その『少人数』が、4人って・・・頭おかしいんじゃないかって。拠点を掻き乱せば今俺たちの頭の上を飛んでる翼竜とか『ゲゲイ・ゼラ』とかの制御が出来なくなって魔界側は一度撤退しないといけなくなるはずだっていう理屈は分かるけど、そんな作戦をたったの4人でやれなんて、狂ってますよ。信頼とか信用とかそういう次元じゃないですって。無茶苦茶じゃないですか」
「あぁ・・・そうだな」
「いろいろ手配は済んでたみたいだけど、問題はそこじゃないでしょうがって。その4人、無事に帰ってこれるんですか?・・・そりゃ、戦争なんだから100パーセントの安全なんてないってことくらい、俺だって分かりますけど・・・でもやっぱ、ちょっと変ですよ。IAMOの総司令なんだったら、もっと確実になんとかする作戦とか考えるもんだろって」
ここまでくると、悩みというか、もう愚痴と思われているかもしれない。事実、そうなのだろう。悩ましい事柄を他者に否定的に説明することが所謂、愚痴ってやつなんじゃないだろうか。
だから、迅雷の話は結局、正しく愚痴であり、そうした意味で悩み相談だった。偉い人の威力で言いつけに従うしかなかった男子高校生が学校の先輩に不満を並べ立てているだけの光景だった。
でも、愚痴というのは厄介で、しゃべっている内に気に入らなかった事柄の中身や自分の感情との関連が整理される。言葉の持つ力だ。元々自己を客観視してきた迅雷だから、なおさらだ。今となっては彼の感じる不満はギルバートだけに向けられたものではない。言葉にしなくても気付いていた胸焼けの正体だった。 でも、言葉にするまではその不満に同調してもらうことも、違うぞと叱ってもらうこともない。口に出してなにかが変わるかなんて知らない。でも、聞いてくれるというのなら。
迅雷は滔々と順序通りに話を進める。
「千影も、その4人に選ばれました。いや、そのために呼ばれたんです」
「千影が、か・・・」
「・・・・・・。そういえば、昼に約束してましたもんね。あいつのことについて、教えるって」
迅雷は話を切り替える。いや、そもそもこの説明が先になければ筋道立った話にはならない。
話すことに抵抗がないと言えば、嘘になる。迅雷自身は少しの迷いもなく受け入れられることでも、それは自分が特殊な例で他の人までそうとは限らないからだ。むしろ大多数が迅雷のようにはならないという確信めいた予想もある。あのときの真牙の反応を見れば分かることだった。話すことで千影とみんなの間に明確な溝を掘ってしまうことを恐れているのだ。
・・・しかし、それでは先に進めない。ギルバートの言っていたように、知らないなら知らないままにしておけば波風は立たない。”今まで通り”、悪くない居心地でいられるかもしれない。でも、そう言われて反論をしたくなった迅雷の気持ちだけは本物だ。
「これ、まだ他の誰にも教えてないし、正直言っちゃうと俺もよく知っているワケじゃないんです。ググったって情報もなんも出てこないです。ただ、焔先輩。俺たちの世界には、『オドノイド』っていうのがいるんです」
『オドノイド』―――聞き慣れない単語だ。インターネット検索万能の現代において、そこに情報が存在しない謎の言葉。人々に訊ねて回っても、きっと誰にも分からない、秘匿された呼称。
難しい顔をする煌熾に迅雷は説明を続けた。
「体に見合わない戦闘力とか見てて、ひょっとしたらもっと前から感じてたかもですよね。千影は俺たち普通の人間とは、身体的特徴が違うみたいなんです。傷はすぐに治るらしいし、見たと思いますけど、翼や爪なんかが生えるみたいだし。それって、千影の体に悪魔と同じ黒色魔力が宿ってるからなんです。見た目は人間だけど、人間の持っている普通の魔力と黒色魔力を併せ持っている存在、それが『オドノイド』―――今の俺が理解している限りの、千影の正体です」
しばらく口を開いたまま固まっていた煌熾は、ハッと我に返った。
なるほど―――なんて、言えるわけがなかった。悪魔と同じ力を持っている人間のようななにか?理解の範疇を超えている。そんなものがいるのか?新しくそういう存在がいるのだと頭の中で定義するにも、一度に納得出来る事実ではなかった。「へぇ、ふーん?」の次元だ。
しかし、迅雷は嘘を言っているようには見えない。そういう状況でもない。
―――それに、言われてみれば、実際、煌熾は千影と一緒に行動しているときに奇妙な感覚を覚えたことはある。それを具体的に表現するのは困難を極めるが、例えばこうか。
周囲にいるのは会話も出来る相手だけなのに、心なしかなにか異物があるような感じ。目の前でヘラヘラしているのは人間だと分かっているのに、人間としか見られないし扱えないのに、というよりそんな発想を抱く以前に自覚することさえ普通はありえないのに、千影を前にしたとき「自分は本当に人間と正対しているんだよな?」などという不可解な不安に駆られる現象。仲良くしているから、当然敵意や嫌悪、なんらそれらしい悪感情は自覚しないが、それでも一歩だけ距離を開けて彼女の全身が視界に入るように位置取りたくなる不思議。
一言で言えば、第六感的警戒。どこかで脳が騙されている気がして止まない。
正確には人間ではありませんでした!あなたの感覚は正しかったのです!―――と、証明されてこれまでの違和感が解決することの方が、煌熾にとってよっぽど違和感のある心情だった。
迅雷は再び口を開くまで、幾何かの時間的猶予があった。煌熾の返事、あるいは相槌を待っていたわけではない。煌熾がその事実を、ひとまずの情報として飲み下せるように、ほんの少しだけ時間を空けたのだ。
「千影の高速移動能力も、『オドノイド』の特徴のひとつらしいです。もっとも、千影固有のものって言ってましたけど。だから、そのスピードと生命力をギルバートさんはこの作戦で使いたかったんでしょうね。完全に作戦のキーパーソン扱いでした」
「あ、あぁ・・・」
「でも、俺はあの人に反対したんです。だって、いくらそうだとしても、それじゃ結局また千影1人が戦って傷付くだけになるかもしれないのに。それで、どうしても行かせるってんなら俺も行くって言ったんですけどね」
「そうして、どうなったんだ?」
もう煌熾は多少なりとも結論を予想出来ていた。迅雷の言葉を待つ彼は、そんな顔をしていた。だから、かえって迅雷は安心して話すことが出来た。
「『身の程を弁えろ』って言われましたよ。全く、その通りじゃないですか。俺が魔界に乗り込んだところでなにが出来るんですか。1人じゃ『ワイバーン』も『ゲゲイ・ゼラ』も切り抜けられないのに、どうにもなるわけない。あっという間に殺されても不思議じゃない。そんなことになるくらいなら、千影の力を信じて見送るだけの方が賢いってことくらい、まともだってことくらい」
分かってる。分かってる。分かってる。何度も呟いていた。迅雷は理性的だ。感情的にもなれるけれど、彼の根っこは利口な人間だ。屋上での会話で研が言っていたように、迅雷はなにが賢明かよく理解している。
「これからは千影と一緒に戦うって約束したはずなのに・・・。ギルバートさんは正しいんです。俺なんかじゃ刃向かえないくらい、どうしようもないくらい合理的なんです」
「まぁ、そうかもな」
「さっきの爆音、あったでしょう?あれ、とある死にたがりの馬鹿がマンガみたいなジェットパック背負って『門』まで飛んでった音なんです。4人どころかたった1人で、そのくせ勝つ気満々で、ですよ?しかも俺のこと、情けねぇだのウゼぇだの好き放題罵って、なんもかんも自分の価値観で測って―――。どう考えてもあいつの方が、俺なんかよりよっぽどウザいじゃないっすか」
思い出すとまた目尻が熱を帯び始めた。迅雷は慌てて唇を強く噛んだ。暗いから、きっと気付かれないと思った。
呼吸が、上擦ってしまった。
ダメだった。耐えようにも、吐息に出てしまう。
そうだった。迅雷が本当に気に入らないのは、理を振りかざされたら納得したフリして踏み留まれてしまう、お利口さんだった。そのせいで千影を見送ったことが悔しかった。
煌熾が息を吐く音は、細く、長く続いた。
なんと言ってもらえたものかと思い、迅雷は恐る恐る煌熾の様子を窺った。自分は表情を隠そうとしていたくせに煌熾のは見ようとした挙げ句、それは思いの外明瞭に見えていた。軽く、わななきたい気持ちになった。
そこで、迅雷の話は終わりだった。
で、その長々と垂れ流された悔しさ紛れの愚痴に対して煌熾が返した一言は、迅雷を唖然とさせたのだった。
「そうか。じゃあ、行っちゃおうぜ、魔界」