episode6 sect53 ”マルチキャラクター”
元サキュバス族の工作員、そして今は囚われの身のダルゴーは、牢の中から色っぽい女性研究員に尋ねた。
「ところで、今シャトルと言っていなかったかい?それはなんだい?・・・ひょっとして、空の『門』から兵隊でも突入させたのかね?」
「ダルゴー君。それは、君は知らなくて良い。終われば結果だけは教えてあげるさ」
「ははぁ・・・そうかい。そら恐ろしいな、人間っていうのは」
ダルゴーは恐がって見せた。いや、「みせた」のは五分だ。もう半分は本心である。
悪魔をして恐怖せしめる人間族の性格とは、一体どう歪んだものなのか。へりくだって無力を装い揉め事の解決から害獣駆除まで買って出て雑用に専念する弱小種族のように振る舞って、気が付けばダルゴーは手も足も出せぬまま彼らの1人に捕縛された。彼もここにぶち込まれるまでは人間の力なんて、と見くびっていたからだ。でなければ、こんな恐怖は感じ得ない。
確かに、人間に化けて彼らの中で過ごすうちに見た多くの魔法士はダルゴーがその気になれば簡単に殺せてしまいそうではあった。
ただ、例外が混じっていた。ダルゴーを打ちのめした少女は、もはや人ではないのかもしれないが、それ以外にもだ。魔界において国土、経済力、軍事力、政治的権力どれを取っても最大といえる皇国が擁する精鋭部隊七十二帝騎の1人、エリゴスとの一騎打ちを無傷で制した魔法士がいるというではないか。直接の面識はないが、かの七十二帝騎の戦闘力が、本来戦闘は専門外のダルゴーと同じなんてことはない。それだけに、その話を聞いたときは戦慄したものだ。
噂ではダルゴーの故郷、リリトゥバス王国最強の騎士団長をも超える人間の剣士がいるとも聞くし、それが本当ならそいつらは既にホモ=サピエンスに分類すべき生物じゃない。
こうして捕虜の身に落ちた今だからこそ分かるが、ダルゴーは魔族が易いと踏んだこの戦いはそれほど甘くないのではないかと思っていた。少なくとも、当初のなめきったプランに拘ってはいられないはずだ。
持てる力を全て出して短期決戦に持ち込まねば、人はすぐにでも対策を立てて潰しに来る。もはやこの戦争、人間が「自衛(笑)」するための口実を敵側からわざわざ持ってきてくれるのを待っていたのではないかとさえ感じられた。
ただ、一方でそれだけのことではある。魔族という大きな括りで見ればその勢力は人間のみならず他のあらゆる世界を圧倒する。手段を選ばなくなった時点で魔族の勝利は決まっていることだろう。1人の国民として願わくば、この戦いを仕切る騎士団長アルエル・メトゥがその判断に辿る着けることを。
人間の研究員は、ダルゴーに軽く手を振った。
「それじゃ、私はもう行こうかな」
「あぁ」
「んっ、そうだった。ときにダルゴー君、人間が研究している禁忌っていうのはなんのことか、知っているかい?」
女研究員は大事な用事を思い出して、立ち止まった。「禁忌」とは、アルエルが宣戦布告の際に発した表現だ。なんの比喩なのか、当の人間である彼女には分からなかったのだ。
ダルゴーは、彼女がダルゴーがそれを知っているものと思って試すように聞いてくるのだろうと感じて、皮肉げに口元を歪めた。
「世界ひとつ容易く滅ぼせる生物兵器」
「・・・へぇ、世界を。人間って恐いんだねぇ」
「あぁ」
女性研究員は今度こそ地下牢から、いつもより早足に立ち去った。
ダルゴーは再び鉄柵の内側で孤独となり、ベッドに腰掛けた。自身の正体が発覚した際の戦闘で切断された腕は治療されて目が覚めればくっついていたこと始まって、捕虜の身とは言え人権―――いや、悪魔権は保証されているのだろう。極端に居辛いこともなく、宗教的な慣習も牢内の制約を除けば特に不自由はない。もっとも、ここを出たいという気持ちに変わりはないが。
一度は引き千切られた自分の右腕を撫でながら、ダルゴーは回想に耽る。自らを徹底的に打ちのめした少女のことだ。
「あるいはあれこそが人間の最終兵器だったなんてこと―――は、さすがにないよな」
魔族と同質の強大な黒色魔力、ダルゴーの固有能力である瞬間移動魔術に追従する埒外の運動能力、幼く華奢な体からは想像もつかぬ重撃、戦闘慣れした余裕、どれを取っても魔族の、それも本業の騎士と同等、あるいは凌駕し得る。
文献上のみの存在と考えられていた人魔混淆、「禁忌」。あの金髪の少女に声を掛けられたとき、その実在を確信した。
人間のみがそれの正体を知っている。
だが、完全に見える兵器にも弱点はあるはずだ。なぜなら、あれには理性があった。
奴らが前線にはびこる前に手を打つ必要がある。
足音が地下に響いた。女性研究員が戻ってきたのではない。体重を感じる、男のものだ。
「―――来たか」
ダルゴーは小さく笑った。彼がこの牢の中で余裕を保っていられたのは、この日が来ることを随分前から分かっていたからだ。
ダルゴーが人間に情報を明かしたのは、生きるためだ。信用を得て役に立つと思わせねばすぐにでも処分されかねない。工作員をやっていたって、死にたくはない。潔く死ぬスパイなんて魔族にはいない。利害が合わない。
でも、それは魔族に限った話じゃない。人間だって、生きるためなら人間を裏切って魔族に媚びを売ってでも食い扶持を稼ごうとする。
「やぁ、すまない。少し手間取った」
「なに、来てくれただけでも感謝さ」
暗い地下牢に声を木霊させたのは、鍛え抜かれた鋼の肉体に包帯を巻いて間に合わせのシャツ1枚を着た、毛深い中年男性だった。人が彼を見つければ、なんて似合わない、抑えた声でしゃべるのだろうと思ったかもしれない。だけれど、これが本当の彼だ。いいや、実際は本当も真実もない。ただ、それが彼だ。
この町の人々は彼を「日下一太」と呼ぶ。その男はいつもバカみたいな大声でしゃべっている。
前の町の人々は彼を「前田良太」と呼んだ。その男はいつも料理のことばかり考えていた。
その前の町の人々は彼を「堀田光太」と呼んだ。その男はいつも商店の店先で客引きに勤しんでいた。
さらにもっと前の町では、そしてその前の町では―――。
「そら、さっそく助けておくれよ、日下一太」
「その名も今日で聞き納めだな。明日から俺は誰になるのだろう。まぁ待ちな魔族のダンナ。鍵束のまま持ってきちまったんだ。少し探す手間がかかる」
「分かった」
牢の鍵を敢えてローテクにしたのは故障対策か、あるいは物理的破壊対策の徹底か。
一太という名の寿命も尽きかけた男は数十もの同じような形の鍵から、ダルゴーの牢のものを探す。
「その怪我」
ダルゴーが尋ねる。
「我々の魔獣に負わされたか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるな。まぁ気にするな。体の丈夫さには自信があってね。それに、こうもボロボロなら裏切りのカモフラージュにもなるだろう?」
人間とはいえ協力者だ。機嫌を損なわせてここから出られなくなるのは御免だ。ダルゴーは一応、一太の体を気遣う素振りを見せた。
「ところで悪魔さんよ。この仕事をやり遂げたら『渋谷警備』のこと、保護してくれるんだろうな?」
「もちろんさ。悪魔はちゃんと契約を守るって教わっているだろう?」
「思いもせぬ代償を払わせることもな」
「皇国の姫様が直々に依頼したんだろう?今の世の中信用の時代じゃないか」
「信用ね。俺と一番縁遠い言葉だよ」
ダルゴーの言葉に一太は皮肉な笑みを浮かべた。その信用の時代に、こんな仕事ばっかりしているのだから。