episode6 sect52 ”タイムオーバー”
紺の姿が黒い点になるのには30秒とかからなかった。
ランドセル型装置の大きさからは想像も出来ないような激しい爆風から顔を守り、立っていられず転がされかけている知子に気付いて支えてやりながら、ただ迅雷は肉眼の世界から消えた紺の行方を虚しく追い続けていた。
見送ってからわずかに間を開けて、迅雷のポケットの中でスマートフォンが数回震え、着信音を奏でた。迅雷は硬直した。すぐに分かった。その聞き慣れた音色は、無情にも制限時間の終わりを告げていた。気のせいであれば良いのに―――半ば朦朧として取り出した機械の画面に浮かぶポップアップは優しい嘘の吐き方なんて知らない。
直後、マンティオ学園の校舎の屋上とは全く別の場所からも、音を超えるなにかが煙の尾を引いて飛翔した。翼竜の群れを蹴散らして真っ直ぐ空の『門』へ向かう銀翼は、夜の闇色に暗く沈んで、なぜだか迅雷のことをジッと見ているような気がした。
「――――――行くなよ・・・行かないでくれよっ・・・く、ぅ・・・・・なん・・・なんだよ・・・!みんな、みんな俺を置いてけぼりにして・・・ッ!!」
画面が滲んだ。顔の筋肉が不自然にひくつく。我慢しようとして、かえって痛くなって、痙攣が酷くなって―――。
「み、神代君どうしたの?なんで泣い・・・」
「っ―――」
「あ、ちょっと!」
屋上から走り去る迅雷を追いかけようとした知子の腕を研が掴んだ。彼は首を横に振った。
「今はそっとしといてやんな」
「で、でも・・・」
「そんなことより、下見てみろ」
「・・・はい?」
研に促されて、知子とそれからエジソンも柵から身を乗り出して地上の様子を見て、顔を青くした。
眼下に広がっていたのは、さっきの爆音を聞きつけて駆けつけた学園の教師陣と避難所にいた魔法士の方々、そして野次馬たちがごった返してこちらを見上げている光景だった。
知子が振り返ると、既に研はなんのためだか分かりたくもないが、走るための準備運動を開始していた。
学園の生徒指導主任を務めている西郷大志がメガホンを構えて叫んだ。
「誰かそこにいるんですか!!今校舎は1階の保健室とトイレ以外は危険だから立ち入り禁止です!!早く降りてきなさい!!」
「ひぃぃぃっ!?な、なんでこんなことに!?」
「まぁ~・・・派手にやっちまったもんなぁ・・・仕方ないよなぁ・・・。というわけで良いか2人とも。ここはバラバラに別れてコッソリずらかるぞ。そして万一掴まっても余計なことは言うんじゃないぞ。良いな、絶対だかんな?」
「いやそれは・・・え、ほ、本気ですか・・・?」
「はい先生!」
「エジソン君!?」
研に従順になってしまったエジソンはビシッと敬礼した。今さらながらだいぶヤバイことに手を染めてしまっていたと自覚し始め、知子はオロオロするのに、研もエジソンも使わなかった機械の部品やその他諸々を片付け、テキパキと撤収の準備を進めていく。そもそもからして逃げなれていないと実現不可能な手際の良さだ。
・・・こんな連中と同類にはなりたくない!そんな知子の心の叫びも、今は虚しいだけだった。
「よし、良いな?散れ!適当な頃合いを見て3番アリーナの避難所内で落ち合うぞ!」
「はい!」
「あ、ちょっ!?マジですか!?」
確認を取ることさえ間に合わなかった。研の合図と共に一目散に屋上から逃げ出す3人。そう、知子も結局つられて逃げてしまったのだ。下からは怒鳴り声と、ドタバタと激しい複数の足音が鳴り響く。知子は、さっきの迅雷じゃないが、もう泣きたい気分だった。健全な学生生活が音を立てて崩れていく・・・。
「もう、いやぁぁぁぁぁぁっ―――!!」
●
ギルド本館より、研究棟を越えた少し先に、主に研究目的で異世界やダンジョンで捕獲されたモンスターを収容しておくための建物がある。大型の生物も対象になり得るのでそれなりに大きな建物だ。4月に5番でダンジョン捕獲された『ゲゲイ・ゼラ』を運び込もうとしていたのも、ここである。
地上階と地下階に分けられたその施設は、特に地上階への立ち入りは一般市民でも可能だ。しかし、ここの存在をよく認知している市民自体があまり多くない。元々ギルドと一括りに言ってもたくさんの施設が集合しており、その敷地面積そのものが広い割にメインで利用されるのが本館とそこから直接連絡通路がある建物だけだ。本館から半端に遠い場所にあるこの建物を意識する機会はそうないだろう。
さて、その収用棟内部だが、地上部分は比較的無害な生物が占めている。動物園と言うには殺風景な屋内だが、一般の立ち入りも受け入れているだけあってそれに近い雰囲気作りがなされている風もある。
そして地下は―――もう察しが付いているとは思うが、危険度の高い生物を檻に入れている。故に、地下階の檻は魔法模擬戦闘用に設計されたアリーナの壁・床面等に使用される魔力拡散素材と、極めて高い強度を持つ合金で作られている。
だが、その地下の檻は、ごく稀にだがモンスターとは異なるものを収容することもある。例えば想定を超えて巨大すぎる上に扱いにくい物質の塊だったり、毒性の強い植物であったり、そしてまたあるときは―――。
●
「情報提供には感謝するよ、ダルゴーさん」
「なぁ、もう十分しゃべっただろう?もうそろそろ俺をここから出してくれても良いんじゃないか?」
ダルゴーと呼ばれた灰黒い肌の男は、人間ではない。
少し尖った耳、背中に生えた黒い翼、尻尾、白目部分が黒い目を見れば多分簡単に分かることだ。
人の世に紛れるためにミッチリ叩き込まれた異界のとある島国の複雑な公用語を慣れた調子で操って、ダルゴーは調書を持ち帰る女性研究員を呼び止めた。短い尻尾を圧迫しないよう特別にあつらえられた服は、囚人服だ。
今の彼は牢の中にいた。ギルドの本館から離れた収容施設の地下にある、特殊な牢だ。短距離のテレポートすら可能な彼の力でも脱獄は叶わなかった。
やけに短いスカートで太ももを見せつけたいのか、それとも隠したいのか分からなくなるようにその上から白衣を着込んだ女性研究員は溜息を吐く。彼女はすっかり弱り切った声を出すダルゴーを流し目で振り返る。
「まぁ事実、君の情報は確かだったさ。今日これからに関しても期待してる。しかしね、結局、もう戦争は始まっているんだ」
「それは手を打たなかった人間側の落ち度だろうに」
「耳が痛いが・・・やれやれ」
ダルゴーから情報を引き出すきっかけを作ってくれた彼女にも、申し訳ないことだ。女性研究員は残念そうに俯いた。悪魔の言うことを一から十まで鵜呑みにして、慌ててあれこれ準備を整えるほど人間は素直な種族ではなかった。せっかくの捕虜ということもあり全く信じなかったわけではないが、真に受けるだけ悪魔の手の上で踊らされるのではないかという疑心暗鬼だった。
「信じていれば、今頃空に穴が空くこともなかった。まぁ、俺は仲間を裏切った事実が発覚することもなくなって万歳なんだがね」
「ふむ。しかしそれではここから出られんかもしれないぞ?工作員なんて助けが来てきてくれるかも分からないしな。それなら事実の有無など関係なしに食事を届けてくれる人間も絶滅し、君はこの狭い牢の中、孤独に野垂れ死にだ」
「人間を根絶やしになんてするとは思えないね。君らはとても貴重な技術の宝庫だ」
「なら科学者やってる私みたいなのは安泰ということかね?」
「そうだとも。我々にない叡智をもたらしてくれる存在は大切なのさ。そしてついでに俺をここから出してくれるなら、もっと良い歓迎さえある。豪邸を与えられるかもしれないし、一生遊んで暮らせるだけの金だってもらえるかもしれない。研究を続けたいなら是非もない、より整った環境を作って寄越そう」
「それは素敵な提案だな。考えておこう。しかしそうだな、魔族側の戦力配置や勢力状況なんかももらえたらうっかり手を滑らせて鍵を落としてしまいそうだ」
「何度も言っているだろう。俺はただのスパイだ。そこまで把握はしてない」
「スパイは自国の情勢も知らんと見聞きした情報の有益無益を判断出来なくないか?」
「さてね?俺は毎日必死に部屋の床に呪文を落書きしたり、『ロドス』たちの世話で農夫の真似事をしたり、そんな毎日だったけどね?」
「そうかい。まぁもうシャトルも飛んでしまったようだしね―――今さら吐いたところで遅いし、君は用済みなんだよね」
「殺すのか?」
「かもしれん。私は知らん」
どちらが悪魔か分からないようなやり取りだが、本物の悪魔は余裕だった。工作員という職業柄か、それとも魔族という種族柄か。
向こうの地形図を描いてもらった上に拠点の見取り図まで簡単に作ってもらったりしたのだから、事実としてダルゴーのもたらした情報は有益で、ギルバートが打ち出した突飛な作戦もこの情報ありきであった。もし彼を捕虜として確保していなければそれこそ本当に現実味ゼロの机上の空論で終わっていた可能性もある。
今し方飛び去ったシャトルに乗り込んだ4人の魔法士たちは、悪魔が描いた地図と見取り図を手に敵地へと赴いたのである。