episode2 sect10 “一難去って“
現在、5月1日午前4時ちょっと過ぎ。深夜に『タマネギ』大戦争が勃発した地区は、ちょっとした有象無象で溢れかえっていた。
「えーっと、救援を呼んだ私が言うのも変かもしれないけど・・・全員集まっちゃったわね」
萌生が口の端を引きつらせながら、この場に集結してしまった大所帯を見渡していた。というのも、『タマネギ』掃討作戦終了後にも、3班、4班、6班のメンバーたちも全員律儀に必死こいて駆けつけてくれてしまったため、現在教員2人を覗く合宿参加メンバーの全員が一堂に会する形となっているのだ。
「これじゃあ、もうメチャクチャよね・・・」
心底疲れ切った溜息を抑えきれない萌生。このダンジョン実習は先にも言った通り、元々少人数行動で目的地を目指す予定だった。それがこうして勢揃いしてしまったのだから、予定は狂いまくっている。それに、改めてバラバラに班で分かれ直して行動再開、というのは時間の都合上難しい。
ただ、萌生がこの場でおおっぴらに文句を言えないのは、彼女本人がこの状況を作る発端である救援要請を出したことにあるからだ。やむを得ない事態だったとはいえ、合宿を成功させられなかったことには一抹の罪悪感があるのは間違いない。
といっても彼女の判断は間違っていないことも明らかなので、それを根拠にフォローしてくれる人もいる。
「まぁ、仕方ないですよ、あれは。会長の判断は全員を助けたんですからもうちょっとシャキッとしてくださいよ」
「焔君、ありがとう。なんかこういうときにそういうこと言われるとコロッと落ちちゃいそうになるわ、うふふ」
「ち、茶化さないでください・・・。で、これからどうします?」
煌熾は照れたようにポリポリと頭を搔きつつ、集まってきた群衆を眺めて小さく息を吐いた。
フォローのセリフは吐いても、こうして状況がいろいろレールを外れているのは煌熾としてもやるせなかった。一緒にその光景を眺めている他班のインストラクターの生徒たちもそこは同感らしい。6人そろってドンヨリである。
ただ、その一方で、1班や4班に配属されていた魔法医学科の生徒と、他数人の医療魔法の心得がある生徒たちが怪我人の手当を一通り終わらせたようで、この場には安心感が満ちていた。重傷だった生徒は今もまだまともに動ける状態ではないため1人での移動は困難なようだが、それでも全員がこうして間違いなく無事な状況なだけでもありがたかった。
「まぁ、俺としては『タマネギ』みたいな大型危険種が確認されたので全員がまとまって行動した方が賢明だと思っているんですけど、他はどう思っていますか?」
煌熾がそう言って自分以外のインストラクター5人の顔を見回すと、全員が頷いてくれた。萌生も他の4人も、煌熾の意見には賛成だったようだ。それもそうか、とは煌熾も思った。今取り得る手段なんて、まともなものならせいぜいこれくらいのものだ。
「そうね、過ぎたことは仕方ないものね。ここからは全班合同とするわ」
それから、萌生は立ち上がって治療を終えて安堵しているメンバーたちに向けて手を叩き、声を張って注意を自分に向けた。
「はーい、みなさん注目!ミーティングをします!集合してください!」
全員にここからは全班合同で行動する旨を伝えて、合宿講習会2日目のダンジョン探索は開始された。
●
「うーん・・・なんですかね、こんな時間に」
携帯の着信音に目が覚めて、由良は野営テントの中でのそりと寝返りを打った。通知で転倒したスマホの画面には時刻が表示されていて、見ればまだ4時半とかその辺だ。早起きの癖がない由良には少しだけ辛い目覚ましだ。
さて、それでは誰からの通知なのかと思ってスマホを手に取る。
「おや、豊園さんからの着信ですね。なになに・・・むむ、志田先生志田先生、これ見てください」
連絡の内容を見て一瞬由良は目を丸くしてから、近くにいるはずの真波に声をかけた。この連絡はすぐにでも真波にも知らせておかねばなるまい。
だが、
「・・・あれ、志田先生ー?」
返事がない。となりの寝袋にいるわけではない。それなら、少なくともテントの外には見張りとしていたはずなのだが、もしかすると居眠りでもしているのだろうか。そう思って由良は野営用テントから這い出て、寝ぼけ眼で外を見る。
朝焼けと霧に潤った淡紫色の深い森が爽やかな風を誘い出すようで、ひんやりと由良の頬を撫でていった。
フルフル、と心地よい冷たさに由良は小さく身震いをする。
そして、ゾワ・・・と背筋をなぞる冷たさに由良は大きく身震いした。
「し、志田先生!?」
彼女の眼前には、爽やかな森とは対照的にどろりと赤く汚れた真波が倒れていた。
まさか、返事がなかったのはただの屍だったからだとかいうつもりだろうか。ゲームみたいに蘇生できるわけではないのだから、そうだとしたら洒落にならない話だ。血の気がスゥッと引いていくのが分かる。
「志田先生!志田先生っ!しっかりしてください!!い、一体なにがあったんですか!?」
真波の体を抱き起こし、由良は彼女の体を必死に揺すり続ける。どうやらまだ心臓は動いているし、息も浅いもののちゃんとある。
しばらく揺さぶり続けていると、真波の表情が少し動いた。
「う・・・・・・、はっ!?」
「あ、志田せ・・・ふがっ!?」
目を開けたかと思ったら突然跳ね起きた真波の頭が、彼女の顔を覗き込んでいた由良の顔面を直撃し、由良の鼻を叩き潰した。怪我人とは思えない跳ね起きアタックに鼻がズキズキと痛む。なんとか出血は免れたようだが、危うく鼻血まみれになるところだった。
とはいえ、これならきっと真波のバイタルにさしたる問題はないのだろう。鈍痛に曲がりそうな鼻を押さえながら由良は、涙目になりながらも恐る恐る真波に話しかける。
「志田先生、今まで気を失って倒れていらしたみたいなのですが、なにかあったんですか?怪我もしているようですし・・・」
真波の体には至る所に裂傷痕や擦過傷が目立ち、出血も少なくはない。
しかし、当の真波は「ふわぁ」と小さくあくびをしている。
「・・・あ、由良ちゃん先生。もう朝か、おはようございます」
「あれ!?暢気に挨拶!?」
きょとんとする真波をとりあえず立たせて、由良は彼女の怪我の手当を始める。水属性魔法で傷口を洗い流し、それから治療魔法で傷口を丁寧に治していく。
これでも由良は天下のマンティオ学園の養護教諭なのでその腕前は病院で働ける程度のものはある。みるみるうちに真波の体にあった傷跡は影も残さず消えていく。
半分くらい手当が終わったところで、真波になにが起こってこんなことになっていたのかを尋ねると、こんな返事が返ってきた。
「あぁ、いや、深夜に見張りをしていたらですね?」
「うんうん」
「なんかでっかくてウネウネしたモンスターがいつの間にか4体も集まって私たちを囲んでいたんですよ」
「うんうん・・・って、えぇ!?というかでっかくてウネウネってなんですか!小並感ですか!?」
小学生並の外見と寝癖のオプション付きの栗毛ちゃんが、長い黒髪についた土を払い落としながら話すきちんと大人っぽい女性の放った感想に全力でツッコむ。
「いやー、暗くてよく見えなかったんですって。あ、でも」
「うんうん」
「電撃飛ばしたときに、その光で見えた分には白くてブヨブヨしていて、とにかく大きかったんです」
「うんうん、志田先生はボキャ貧なんですか?もっと詳しくお願いします」
「む。まぁそれでですね、あと触手?みたいなのがこれでもかってほどに、それこそ最大で4,50本はあったんじゃないですかね。体液でべっとりと濡れていて、それがうねり狂って襲いかかってくるんですよ。さらに黄ばんだ白皮が剥けて中からは緑色の液体が・・・」
「すみません、やっぱり詳しくはいいです」
八割方の手当は終了している。真波の話に顔を青くした由良は話を切って、水魔法でもう一度傷口周辺を洗い流していく作業に集中する。
●
「そういえばそう、そうですよ!忘れてた!志田先生、これ見てください!」
手当を終えて朝食を作る真波に、由良は起き出してきた理由を思い出して自分のスマートフォンのディスプレイを突き付けた。
「なんですか、びっくりしたぁ。なになに・・・豊園さんから?『想定外の緊急事態により1~6班、全班が集合、これより合同班での移動を開始します』、か。あの子たちもアレに遭ったってことかしら。だとしたら賢明な判断ね。さすが私たちの生徒たち」
「そうですね。それに重軽傷者も多かったとはいえ、全員無事とのことですからね。本当に良かったです」
どうやら魔法医学科の生徒が怪我の処置はしてくれたらしく、緊急時の怪我の手当、それも重傷の手当がこなせたということのようだ。
文末には独断での班の結合を謝る節があったが、これだけやってくれているのだから、判断や実力的にも例年よりもなかなか優秀だったというのが真波と由良の意見だった。
●
「なんか、人多いとオレら出番ないな」
「うん、そうだな」
1~6班合同班、現在地は洞窟内部。洞窟は、元々2班が通る予定になっていた洞窟と同じだ。入る入り口は違ったが、つまりはそれだけ広大な洞窟。まさしくダンジョンといった感じかもしれない。
昨日湖側のルートからこの洞窟を遠望していた2班が期待していた通り、湖はこの洞窟内にも広がっており、さながら地底湖のような感じだった。
薄暗い岩窟の内部。しかし、微かに外から入り込んできた光が湖の水面に反射してそれはそれは幻想的な光景が・・・
見えない。
洞窟の中には例の『タマネギ』に住処を追われて逃げ延びてきたモンスターが、もうとにかくはびこりまくっていた。
地上にいるモンスターだけでも数が多いので、湖の水中からさらに変なのに襲われても困る―――という理由から雪姫が説得されて、面倒臭そうにしながら水面を広範囲に渡って凍らせていた。彼女の方は「出てきたら自分が倒す」的なことを言っていたのだが、やはりさしもの雪姫も多数決の原理という数の力には敵わなかったらしい。
そして、冒頭のやりとり―――――真牙の愚痴と迅雷の相槌に戻るのだが、先述の通り洞窟内部にはとんでもない数のモンスターが生息していた。
もともと変なデカブツに住む場所を追われて碌に自由な行動を取ることすら出来なくなっていたのだ。多くのモンスターが気が立っていて、洞窟内部に新たに入ってきた人間を見つけると襲いかかってきた。
しかし、そんなモンスターを迎撃するために魔法を放つのは中長距離攻撃の得意な、というか専門な生徒たちだ。わざわざあちらから来てくれるのなら、こちらの方が間違いなく接近戦で応対するより安全で確実な方法だ。そして、そんなメンツがガンガン魔法を撃つため人数的に撃ち漏らしなんてほぼほぼないわけで。
とどのつまり、前衛組の迅雷たちや、遠距離専門でもないメンバーはあくびをしながら隊列の真ん中を歩いていた。
「風情もなにもあったもんじゃないなぁ」
「見るに鮮やかな地底湖と、神秘の洞窟に生息する珍獣たちはどこなんだろうな」
景色?魔法の余波で砂埃とかが凄いので見えないけれど、なにか?
珍獣たち?大丈夫、砲撃音とモンスターの断末魔なら聞こえるよ?跡形もなく消し飛ばされるか、世にも珍しい芸術作品になって破片が飛んでくるかするけれど。
「ま、まぁまぁ。私たちも観光に来たわけじゃないんだから」
同じく暇そうな涼が、完全にやる気を消失して怠そうな迅雷と真牙を宥める。それに、昨晩のことがあって2班のメンバーはかなり消耗しているはずなのだから、ちょうどこの時間は体を休めるのにうってつけなのではないかとも思うのだが。特に真牙なんかは目の前で結構ボロボロになっていたので、涼としては前線に出ないでくれると内心安心するところなのだ。
ちょうどそんなやりとりから小一時間ほど歩いた頃だったろうか、ぼんやりと洞窟の中が明るくなってきた。外の光だろうか。見え始めた光明に、やっとこの薄暗くて血生臭い世界から解放されるのだと思うとテンションも上がってくる。
「あ!外が見えてきたね!」
「そだね、解放の時が来ました」
涼が真牙のジャージを軽く引っ張って、ちらと見える外の光の方を指差した。
そのやりとりを見ながら、迅雷が怪訝な顔をした。
「さっきから思ってたんだけど、お前らっていつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
最新の記憶によれば、迅雷の中では虫みたいなモンスターを片手に涼を追いかける真牙と、追いかけられて泣き喚く涼しか情報がない。なにがどう転んでこんなことになったのだろうか?『タマネギ』奇襲作戦による吊り橋効果とかでもあったのだろうか?いやでも、迅雷は矢生との急接近イベントなんてなかった気がするが。
それに、涼の雰囲気が心なしか変わった気がする。良い方向、心構えがしっかりした、という感じだろうか。真牙がなにかしたのしたのかもしれない。
「んー?オレは最初から仲良かったつも・・・」
「どの口がそれを言うのかしら」
いや、やっぱり涼は真牙に辛辣だった。迅雷の中の彼らのイメージは夢ではなかった。安心したような、疲れるような。
と、ようやく外に出られると思ったそのときだった。先頭を歩いていたメンバーが足を止めた。何事かと奥を歩いていた生徒たちから順々にざわめく。
なぜ、止まったのだろうか。その疑問はすぐに解決した。
「で、出た!ボスが出た!!」
――――――ゲームか!?
先頭から飛んできた叫び声に、心の中でツッコんだ人が何人いただろうか。
それにしても、ボス。なにやら不穏な響きだ。どんな大物が洞窟の出口に待っているというのだ?とりあえず、ボスと言うくらいなのだから、前衛も必要になるだろうと思い、迅雷は列の前、洞窟の出口に向かう。そして、件の「ボス」なるモンスターが姿を現した。
それは大きく開いたはずの洞窟の出口を塞ぐほど大きくて、黄ばんだ白い皮がブヨブヨとキモくて、なんか緑色液体が滴っていて。
「・・・またか」
先頭に駆けつけた迅雷たちの目の前には、毎度お馴染み、『タマネギ』が聳え立っていた。なんだか、帰ってくるところに帰ってきた感がある。もうお友達になれるのではないだろうか?ほら、昨日の敵は今日の友、とか言うし。
ただ、1つだけ、普通とは違うところがあった。
「でも・・・それにしてもよ。コイツ、デカいぞ?今までのやつより段違いに」
真牙が目の上に手を当てて、ひさしぶりの外の光に眩しそうにしながらその巨大な『タマネギ』を見上げた。高さは・・・そう、40mくらいはあるかもしれない。昨晩までに出会ってきた『タマネギ』は、大きくてもせいぜいが25mくらいだったはずなのだから、この威容といったら相当心にくる。1回りも2回りも大きい『タマネギ』には、さすがに嫌な汗が握った手の中に溜まっていくのを感じた。
「ど、どうする?先制攻撃を仕掛けた方が良いのかな・・・?」
涼が悩ましげにそう言う。確かに、戦いを避けて通ることはほぼ不可能と考えて良いとは思うのだが、それにしても敵が大きすぎる。
「いや、やるっつってもオレとか迅雷もあの高さまで跳んで『舌』を根元から斬り落とすってのはちょいと無理臭いんじゃないの?」
真牙も困ったように頬をポリポリと搔いて班から息を吐く。彼もこの『タマネギ』を倒さずに素通りすることが出来ないであろうことは分かっているので、なんとかしなければいけないという使命感と、有効打を打ち込むことの困難さの板挟みでもどかしくなっているのだろう。
立ち尽くしていると、後方でモンスターを掃討していた矢生が迅雷たちのところにやってきた。
「なにをしていますの?攻撃は?しますの、しませんの?私はもう万端ですわよ?」
そういって矢生は矢を構えた魔弓を、天に向けて掲げるようにして立った。さすがは矢生、物怖じしないというか、お嬢様然としている割に好戦的というか、頼りになる。
ギリギリと弦を引き絞る音が力強く鳴る。矢生は既にあの敵を倒す気満々なようだ。
そして、矢生が待ちきれずに矢を放とうとしたとき異変に気付いた。「やっと」と言う表現が足りなかったかもしれない。大きすぎる体躯ばかりに意識が持って行かれていたから気付くのに遅くなった。
「・・・いや、聖護院さん、待って。なんか変だ」
「な、神代君!?なにをしますの?」
迅雷は矢生の手を掴んで彼女の動きを制した。
真牙が怪訝な顔をして迅雷を見る。
「おい迅雷、どういうことだ?」
「おかしいだろ、普通こんなに接近したら『蔓』で攻撃されてるはずだ。そうだろ?でも全然動かない」
言われてみれば、そうだ。今迅雷たちは『タマネギ』の胴体からほんの十数メートルのところにいる。普通に『蔓』の鞭の射程圏内だ。実際、通常の『タマネギ』もこの間合いに入ればまず間違いなく苛烈な攻撃を仕掛けてきた。
「つまり、死んでいるとでも言いたいんですの?でもコイツは消えていませんわ。間違いなく生きているということではなくて?」
「いや、そうだけどちょっと違うんじゃないか、矢生ちゃん。迅雷、つまりこういうことか?この『タマネギ』は気絶とか瀕死とかで動かないんじゃなく動けない、と」
真牙が解釈の確認を取り、迅雷は頷いた。
原因は分からないが、この巨大な化物は死にかけたまま放置された状態にある。
そう確信を得たときだった。
山のように大きな『タマネギ』の体が、グラリ、と傾いた。
たったそれだけで、激しい地響きが巻き起こる。周辺の木々を易々とへし折りながら、その巨躯は完全に横転した。
「な、なな何事ですの!?」
「ぼーっとしてんな!!」
巨躯の横転が巻き起こしたのは地響きだけではなく、凶悪な暴風圧。
迅雷は唖然として固まる矢生の腰に右腕を回すようにしてがっちりホールドし、左手で『雷神』を突き立てて踏ん張る。その横では真牙と涼がごろごろ転がりながら飛んでいったが、手が回らなかったので諦めることにした。命の選択とはいつだって突然に訪れ、いつだって残酷なのだ。あぁ、2人にはご冥福を。
「まぁ、死にゃあしないしな、どうせ」
「ぃいゎけきこぇてんぞおぉおぉお!」
「うゎあぁあぁ!?」
回転しているから軽いドップラー効果が働いていてまったく真剣味を感じない。
やがて、風は吹き止んだ。ようやく『タマネギ』転倒の大嵐が収まって、迅雷は安堵の溜息をつく。飛んでいった真牙と涼もきっと大丈夫だろう。飛んでいったのも、まだみなが残っている洞窟の中だし。
「ふぅ、危ない危ない」
「・・・あの、いつまでこうしているつもりですの?」
「ん?あぁ、ごめんごめん」
迅雷は矢生に声をかけられて、彼女の腰に腕を回して捕まえていたことを思い出した。なんだか恥ずかしそうに顔を赤くしていた矢生から左腕を外して、彼女を解放する。
やけにしおらしく恥じらう矢生が妙に可愛く見えてしまったので、迅雷は内心ドキドキしながら圧倒的平常心を装う。きっとお嬢様だから、異性とのスキンシップにはあまり慣れていないのだろう。
「へ、平然と・・・!?くぅっ・・・(豊園先輩のときは見ただけで鼻血をフルバーストしていたくせに、私には触ってもさしたるリアクションはなし!なんかよく分からないですけれど、腑に落ちませんわ!)」
別に、矢生が迅雷に好意を抱いているから、とかいうピンク色な理由ではなく、純粋に迅雷のノーリアクション(彼がそう装っているだけだが)が彼女の自尊心を引っ掻いた。
正直プロポーションなら矢生と萌生はレベル的に変わりなくて、迅雷が年上耐性が低いだけなのだが。
ともあれ、なんだかプリプリしている矢生を見て、迅雷はなにかまずったかと思って慌て出す。
「な、なんか怒ってます・・・?」
「ええ、そうですわ。セクハラをしておいてケロッとしていることに憤っていますわ」
フン、とそっぽを向く矢生。ドキドキしたなら、そのまま表現するのが正解だったらしい。となれば弁解あるのみ。迅雷は彼女の機嫌を直すためにポケットを漁った。そして取り出すのは3つほどの飴玉。それを矢生に差し出して、
「ごめんなさい」
「なめてますの?」
「飴だけに」
「・・・」
さっと魔弓を取り出す矢生。迅雷は慌てて飴玉をポケットに戻して姿勢を正す。なるほど、矢生は飴玉では許してくれないらしい。迅雷の常識が通用しない世界がそこにはあった。正直になるしかあるまい。
「・・・。ごめんなさい。実は凄くドキドキしてました、どんくらいドキドキしたかって言うと、マジドキドキしました」
「程度がよく分かりませんわね、それ。弁解になりませんわよ?」
「はい!具体的には押さえる指先が、浅く聖護院さんに食い込む感触が、やっぱり女の子の体に触れているのだということを実感して無性に興奮しそうでした!本当ならもう少し上の方を抱えてみたかったです!」
「・・・」
もっと具体的に言うことを強要され、迅雷は恥も堪えて内心の劣情を吐露したというのに、それを聞いた矢生は無言で迅雷に弓を向けた。理不尽だ、という反論はきっと自分の脳天に風穴を開けるだろうからここは我慢して、悲鳴と共に土下座をした。背に腹は代えられない。
土下座という和の心を通じてやっと許しを得た迅雷は起き上がる。
「でもなんでダメだったんだろう。ナオとか千影ならお菓子でもあげといたら許してくれるのになぁ・・・」
「もし。そのナオさんとか千影さんって、神代君の妹さんではなくて?」
「そうだけど?」
迅雷は「なにを当たり前のことを」とでも言い出しそうな様子になる。あと、慈音あたりも割とこの方法で許してくれたりするので、迅雷は怒った女の子の機嫌を直す方法を学習していたつもりだったのだが。
「・・・。あなたはもう少し同年代の女子の扱いにも慣れておきなさいな。別段お詫びになにかして欲しいわけではありませんが、お菓子で許してなんて言われたらさすがに誠意を感じませんわよ」
――――――マジか!?
このとき、迅雷の世界に雷が落ちた。常識を根底からひっくり返すような矢生の発言に、劇画調で固まった迅雷。よく見ると周囲からの視線が痛い。間違っていたのは迅雷だったらしい。
と、そのとき。迅雷は誰かの足音がしたのを聞いた。音のした方向には、まだ誰もいないはずなのに。
「オヤオヤ?騒がしいなー・・・と思ったら。へぇ。へぇぇー?どもー、お嬢ちゃん方アンド野郎共。遠足かなぁ?」
元話 episode2 sect24 ”先生方の寝起き” (2016/8/29)
episode2 sect25 ”静けさの前の嵐” (2016/8/31)
episode2 sect26 ”薄ら笑いと死” (2016/9/2)