episode6 sect50 ”また出会う2人”
もう日は沈んでいた。
学園に戻ってきた迅雷は、1人だ。
途方に暮れ、すぐに慈音や直華たちのところに戻れる気分でもない。行く当てもなく、迅雷は学園の敷地内を放浪し始めた。昼間より静かになったとはいえ空には小型のワイバーンたちが群れを成しており、屋根のない場所をほっつき歩くのは危険だというのは分かっているし、自殺願望があるわけでもない。ただ、誰もいない場所で心を落ち着かせられたら、と思っただけだ。
この時間も外回りの警戒から外れたマンティオ学園の教師たちのうち、数人が敷地内を見回っている。少し外の空気が吸いたかった、と嘘を吐いて見逃してもらい、迅雷はいつ終わるかも分からない散策を続けた。
灯りの消えた食堂の脇を歩く。慈音が写真を送ってきた限定メニューの宣伝用の旗が弱い風に吹かれて重たく靡いている。確かに美味しそうだ。もう、限定メニューどころかまともな食事にもありつけない状況だが。
アリーナを通り過ぎて、体育館の方を目指してみることにする。アリーナ同様市民を受け入れている避難所となった体育館だが、人の声はまばらだ。疲れてしゃべるほどの元気も残っていないのだろう。
「みんな・・・少しでも早く自分の家で、ゆっくり風呂にでも浸かって、テレビ見ながら好きなもん食って、慣れた布団で手足投げ出して寝たいよな」
みんなそうだ。もちろん、迅雷だってそうだ。
そのために、千影は千影に出来ることをしようとしている。
迅雷もそうすべきだ。そして、それがなにかと言えば、きっと今ここに避難してきた人たち―――いや、つまり慈音に直華、それから安歌音や咲乎らと一緒にいてやることだ。両親と別々の避難所になってしまった安歌音と咲乎なんて特にそうだ。元気そうにしていたって本当は心細いはずなのだ。迅雷なんかじゃ親の代わりになんてなれやしないのは分かっているけれど、それでも心の支えになってやる責任が、迅雷にはある。
直華も同じだ。真名は職場から戻れず、疾風も今日帰ってくるとだけ分かっていても結局いつになったら会えるのか不明で、ともすればこの混乱で交通のアクセスが断絶してしまった可能性さえある。だから、今直華が頼れる肉親は迅雷しかいない。健気な直華に甘えてほったらかしにするのは、あんまりだ。
いざというときにほんの少しでも安心感を与えられるように、迅雷はそこにいてやらないといけない。
「・・・のにな」
体育館の裏まで回ってきて、雑木林の中をうろつく。静かだ。でも、少し不気味な静けさだ。
「ここ、そういやあのときもこんな感じだったっけな」
どうして忘れていたのだろう。この場所の印象を。時間が停滞しているようだ。求めていたのとは少し違う静寂が満ちている。喩えるなら、風も沈黙している、といった感覚だろうか。不思議な力なんかが作用しているような気もしてくる。
いつかの倉庫のことを思い出して、迅雷は林の中を歩いた。なぜだかここに来た途端にありありと思い出す。
「あったあった」
なんの変哲もないただの倉庫だ。戸を開ければ雑然とした光景がある。
そこには、もちろん、誰もいない。
でも、いてくれたらな、と感じてしまう。
「せめてお前もいてくれたら、少しは違ったのかもしれないけどな」
迅雷は、自分の前から去ってしまった霧の少女の姿を思い描いていた。もしも千影とあの少女が友達になれていたなら―――。
叶うなら、彼女ともう一度会って、話がしたい。千影のときのように。
「・・・なんて、今はそんな場合じゃないよな・・・」
自嘲気味に笑って、迅雷は項垂れた。ふと、足下に視線を落として、迅雷はそれに気が付いた。
「・・・?なんだこれ、マンホール・・・?それにしてはデカい気がするけど。いやいや、てかその前に普通上に倉庫なんて置くか?てかこんなところにマンホール要るか?」
怪しい。そうだ、なにか怪しい。この雑木林そのものの違和感が、足下の一枚の鉄板に収束していく。見だたずもすぐに存在を忘れるほどくだらない場所でもないこの雑木林は、なんのために存在している?防風林?なにかが違う気がしていた。
きっと、ここには秘密がある。マンティオ学園には、生徒たちが、あるいは先生たちさえ知らなかったかもしれないなにかが隠されている?
すぐにどうこう出来るわけもないと分かっていても、調べてみたさに手が動く。鉄の蓋の上に被った土を手で払おうとして、土が新しいことに気付く。以前は倉庫に隠れて見えなかったものが今は見えていて、その上に乗った土は思いがけず新しい―――。
「誰かが、つい最近まで―――?魔族・・・?いや、そんなまさか――――――ッ、・・・?」
考えに耽りかけた、そのときだった。思考を中断して、迅雷はハッと気付いて背後を見た。なにもいない。でも、確かになにか感じた。それが誰なのか、知っているような気がする。それなりに、最近な気がする。でも、誰なのか分からない。
この地面の蓋とは全く関係ない気がした。酷く落ち込んで鋭敏になっていたのだろうか。迅雷自身、こんな感覚に陥ることは滅多になくて首を傾げるしかなかったが、誘われるように、彼は雑木林を出た。来た道をなぞって戻り、夜闇に照らされて灰色になった校舎の昇降口の前で立ち止まっていた。
なにを思ったか、迅雷は靴を脱ぎ捨て、靴下のまま校舎に立ち入り、そのまま階段を駆け上がっていく。
屋上の扉の前まで一息にやって来て、少しの躊躇もなく扉を開け放った迅雷が見つけた「気配の正体」は、多分迅雷と同じくらい変な顔をしていたことだろう。
「・・・おやおやまぁまぁ、研ちゃん待ってたはずなのにビリビリボウズが来ちまった」
すっとぼけたのは、『荘楽組』の狂人、紺だった。短い紺色の髪を闇に紛れて淡く靡かせ、薄汚れた月の双眸がまんまるになって迅雷の顔を見つめていた。
自分と顔立ちの似た殺人鬼を見つけた迅雷もまた、彼の顔を凝視した。それは焦りの気持ちだ。なんだって、こんな危険な男が学校の屋上で1人黄昏れているのだ。
恐る恐る、迅雷は紺に声をかけた。
「ど、どうしてアンタがマンティオ学園にいるんだよ?」
「あぁ?なんだ、いちゃいけねぇのかよ」
「いや、それは・・・いや、やっぱダメだろ。ヤクザでしょうが」
「ヤクザにも市民権をくださーい」
紺は実にくだらなそうにリアクションをした。
それで、紺がここにいる理由だが、昼間に彼自身が言っていた通りだ。空の『門』を目指すための装置は現在調整の真っ最中であり、完成し次第、研がここまで持ってくることになっている。紺はそれを待っていただけだ。
しかし、迅雷は紺の都合云々以前にそもそも彼がこんなすぐそばにいたことすら知らなかったのだ。平気で人を殺せるような男が他でもない自分の学校に現れたなら、それだけで大事件だ。
「殺人犯に市民権なんかあるかよ・・・」
「それを言えば千影もグレーなんじゃねぇのか?」
「・・・」
閉口した迅雷を見て、紺は実に愉快そうに目を細めた。明確に悪意のある一言だった。
「差別はダメだろぉ?」
「だ、だけど千影はアンタとは違うよ!まず本当に殺してはないし、殺してもヘラヘラしてるようなアンタとは―――」
「分ぁってるよ、冗談だっつーの。・・・ところでお前、その千影はどうしたんだ?また一緒じゃねぇのかよ?」
「それは・・・」
迅雷は少し言葉を詰まらせた。どうしてだったのだろうか。紺に気を許していないからというのは違う。聞かれているのは事実だけだ。
紺の薄っぺらな笑顔に貼り付けられた口の両端が小さく動いた。心なしか低くなった声で紺は質問を変えた。
「オイ。あいつ、今どこでなにしてんだ?」
「もうアンタには関係ないことだろ」
「・・・まさかだけどさぁ?お前、千影だけ戦わせて自分は追い返されて泣き寝入りしてんじゃねぇよなぁ?」
「ッ・・・!!」
「え、マジ?」
紺は、自分で言い出したにも関わらず迅雷の顔を見てびっくりしてしまった。一瞬を置いて彼は爆笑する。
「オイオイオイうっそだろ!なにそのイイ表情!だっさ!だっっっっっっさ!!プギャーッハハハハハハ!?」
「なんとでも言えよ!!IAMOの実動部のトップまで出張ってきて身の程弁えろとか言われたしそもそも敵のど真ん中に片手で数えれるような人数で突っ込むとかっ、俺が・・・俺がどうこう出来る範疇じゃねぇし行って死んじまったら元も子もねぇし、千影のあの人の理不尽に折れちまったし・・・!!」
「いやいやいや、なんの言い訳だし」
「俺だって抵抗したんだよ!!行かせたくなんてなかった!!ダメなら俺もって、だけどッ!!」
紺に言われると、紺に大笑いされると、すごく頭に来て、迅雷はまくし立てていた。どの口が言うのか。偉そうなことを言えるほど紺は千影の味方をしていたか?コイツにだけは笑われる筋合いなんてない。嘲られるいわれなんてない。
だけど。だけど、ギルバートの合理性は認めるしかない―――。
そう叫ぶ前に、迅雷は紺に殴り飛ばされていた。
「くっそつまんねぇよ、お前」