episode6 sect49 ”正しいんだもの”
「では、気を付けてな。くれぐれも勝手なことはしないでくれよ」
「・・・・・・はい」
ギルバートを乗せたバギーは迅雷をマンティオ学園の校門前に降ろして、すぐに走り去ってしまった。
「・・・・・・くそが」
迅雷は、地面を睨んで、そう吐き捨てた。言葉は地面に染み込んで、どこへも届かない。
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迅雷はギルドの2階の、共用スペースにあるベンチに座っていた。千影はギルバートが提示した無謀な突入作戦のための打ち合わせがあって、ここにはいない。会議の前にほんの少しだが話をするだけの時間はあったが、千影は思い直してくれる気はないようだった。一度決めたなら、きっと彼女はやるのだ。
千影はあんな立場に追いやられていても、人のことを好いている。友人たちと、そして迅雷と共に暮らすこの街を愛している。その街、国、世界のためとなれば、やると答えてしまう。贖罪になるのなら、自分に出来ることなら、自分にしか出来ないことなら、千影はやると決めてしまう。
―――それは、良いことだと思う。でも、そうだとしても、迅雷は覚悟を決めた千影を見送ることしか出来ない。ただ、それが無性に苦しいのだ。
分かっている。
『身の程を弁えたまえ』―――何度も何度もギルバートの言葉を反芻する。反抗したい。反論したい。しかしあのとき、迅雷はそうしなかった。出来なかったのだ。だって、そうじゃないか。『ワイバーン』の襲撃を乗り越えた。『ゲゲイ・ゼラ』の脅威も剣を手に取り突破した。・・・だからどうした。それは千影が一緒だったから、ようやく、だろうに。
非情なようだが、ギルバートは正しい。迅雷の身の安全も配慮していたに違いない。ギルバートは、正しい。冷静じゃないのは迅雷で、ギルバートは、正しいのだ。
「Hey!」
「・・・?」
―――誰だコイツ?
にこやかに挨拶をしてきたのは、赤茶けたドレッドヘアーの黒人男性だった。見れば分かる。外人だ。
「はっ、はろー・・・?」
声がひっくり返って、迅雷は赤面した。日本人の多くが持っているであろう外国語アレルギーの症状だ。大まかに分けて、このように素っ頓狂な声を出すか、もはや声が小さすぎてなにを言っているか聞き取ってもらえないかの2通りの症例がある。なんにせよ、急に英語で話しかけられてスムーズに受け答えが出来れば、日本の高校生としてはもうそれだけで相当立派なものだろう。勿論迅雷はそっちではないが。
「Oh,sorry. I frightened you! HAHAHA!」
「ふ、ふらいでー・・・?」
全くなにをおっしゃっているのか分からない。ギルバートの流暢な日本語の後ともなると、ついつい焦りが顔に出てしまう。
「ソーリー、俺、びっくりする・・・させる?」
「あ、『させる』です」
「サンクス。日本語ひさしぶりだから、ちょっとね」
ドレッドヘアーの男はサムズアップして、今一度日本語の文章を組み立て直す。
「びっくりさせたね。Hmm...話は聞いてた」
話とは・・・さっきの会議のことだろうか。男は遠慮なく迅雷の隣に腰掛けた。
男の服装は、IAMOの実働部隊所属を示す制服だ。勲章なんかもちらほらある。それを見て迅雷は馴れ馴れしい外国人が何者なのかを察した。
その男はしばらく喉の調子を確かめるようなジェスチャーをする。日本語の発音でも思い出そうとしているのだろうか。一度咳払いをして、男は自己紹介から始めた。
「俺はアンディ。ユーは?」
「神代、迅雷です・・・」
「知ってるけどね!HAHAHA!」
じゃあ聞くな!・・・と、危うく声に出しかけた。いけない、やはり気持ちが落ち着かないから衝動的なことを言ってしまいそうだ。迅雷は首を横に振った。荒みすぎて人に八つ当たりまでしたら格好悪い。
が、迅雷の面倒臭そうなジト目にアンディはピタッと笑うのをやめて不安そうにし始めた。
「ジョークだよ・・・?」
「あ、すみません」
・・・空気が重くなった。あまりにも気まずいファーストコンタクトだ。じっとり気色悪い沈黙が立ち込める。
だが、アンディが突然笑い出した。今度はどんなジョークだったのか、などと迅雷は目を白黒させたが、別にアンディは新しく冗談なんて言っていない。というかなにも言っていない。
「総司令に冷たいこと言われたんだろ?」
「いえ・・・その、どのみちあの人の言ってることは間違ってないですし」
「うん、そうだな」
アンディは少しも遠慮しないで首肯した。それから。
「あの人はいつだって『正しい』人なのさ」
そう呟くアンディの目はどこか遠い。それは憧れといえるものだろう、と迅雷は推測した。
ギルバートは正真正銘のカリスマだ。風格というか、雰囲気というか。短い時間をあの広くはない会議室で過ごしただけでも迅雷にはそれが感じられた。秘書か雑用かそれともまた別か、関係はともかくアンディが彼の部下だというなら、上司に憧れを抱くのも自然だろう。
「でも、本当にソーリー。トシナリだってやっぱり悔しいだろ?あんな風に言われたら」
「・・・いや、分かってるんです。俺だって・・・分かっちゃいるんです」
「Hmm...」
悔しい、と口にすることすら、身の程を弁えてしまうと出来ないものなのか。
アンディは気を遣ってくれている。ひょっとしたら彼は迅雷を探してわざわざここまで来てくれたのかもしれない。
でも、アンディはギルバートと同じ意見のはずだ。初めに上司の正しさを強く認めたように、理解して励ましてくれても、それ以上はない。
煮え切らない返事をした迅雷に対して、アンディは敢えてそれ以上は問わなかった。代わりに―――と言ってもそう話題は変わらないのだが―――彼は自分の身の上話を始めるのだった。
「実はね、俺も総司令に引き回されて困っているんだ。今日もそうさ。やると言えばやるんだから止めようがなくてね」
「はぁ・・・?」
「一央市に来たのは、本当はこの前の―――そう、セントラルビル。あの事件の真相を確かめたい、と。きっと大事なことだからって言って聞かないでさ。報告書だってあるし、誰かを派遣すれば済むことだろって言ってやったのにゴリ押し、それで今はこの有様さ」
「えっと、つまりなんですか?」
だんだんアンディの話が愚痴のようになってきた。元のレールに押し戻されてアンディは咳払いをする。
「どうか悪く思わないでくれよ。あの人は君が嫌いで冷たくしたんじゃない。むしろ逆さ。総司令は仕事熱心で私情を挟むような人間には見えないかもしれないけど、あれで意外と感情論派なんだから。きっと心のどこかじゃ悪かったって思ってるんじゃないか?」
「それってやっぱり、俺が父さんの・・・神代疾風の息子だから、でしょうか?」
「まぁ、多分そうじゃないかな」
アンディは素直な男だ。別に迅雷も文句は言わない。分からない心情ではないからだ。もしも迅雷が大人になって、慈音や真牙の子供が無茶を言い出せば、他所の子に対してそうするよりもずっと厳しく叱るだろう。ギルバートにとっての慈音や真牙は、疾風なのだ。
迅雷は小さく笑った。
「別に悪くなんて思わないですよ。ギルバートさんだってこの狂った状況を打破するために頑張ってくれてるんだから」
「あぁ。―――正義の人なんだ、総司令は、本当。最善を尽くして、最大数を救いたいんだって。それにね、普段はもっと優しいんだ」
ここまで見てきたアンディの人柄を思えば、確かにギルバートは温厚な男なのだろう。
革靴の凜々しい足音がした。
「アンディ、ここにいたのか」
「あ、総司令」
もうじき作戦が始動する。準備は着々と進んでいる。
アンディも矢面に立って戦うのだろうか。席を立ち、彼はもう一度だけ迅雷を振り返った。
「ソーリー。行かないとだ。なんだか最後の方の話は関係なかったな。気にしないでくれ」
「いえ、ありがとうございます」
「Your welcome」
アンディを迎えに来ただけのギルバートは、迅雷を見つけると、早くギルド内の避難所に移動するよう言った。
迅雷はなにも言わず俯いたが、そんなとき、彼のポケットのスマートフォンが小刻みに振動した。
ギルバートは肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「分かったよ。せめてマンティオ学園までは送ろうか。ついてきたまえ、すぐに出発するよ」