episode6 sect47 ”英雄の狂気”
ギルバート・グリーンに戦力的協力を得られることとなって、ギルドの役員たちがざわめいた。”あの”ギルバート・グリーンが矢面に立つとなれば、防衛で手一杯となり磨り減る一方となった体制を立て直すことも十分可能だ、という歓喜の声である。
迅雷は息を飲んだ。これが、ギルバート・グリーンという人間1人に向けられる期待の大きさなのかと思い知った。父親である神代疾風に匹敵するほどの影響力が、あの英国紳士にはあった。彼に集まる視線が、まるで本当に物理的なエネルギーを持っているかのように熱い。
迅雷は時々購読している魔法士向け雑誌に定期的に掲載されるIAMO公式の魔法士ランキングを思い出した。ギルバートの名前は、常に上位5名のどこかにあった。ギルバートはただ作戦本部で適確な指示を飛ばすだけの、ただの名司令官ではない。彼は、魔法士としての実績と経験で総司令官の地位を掴み取った男なのだ。
そんな英雄は、どこまでも落ち着いた態度のまま会議の場を取り仕切る。
「というわけで、だ。一央市防衛戦のための作戦会議を始めよう。・・・と言っても私もここに着くまで時間があったからね。実はもう大まかなプランは考えてあるんだ」
ギルバートは立ち上がってホワイトボードに図を描いて、そのプランとやらの説明を始めた。さすがに日本語を書く方には不慣れなのか、文字による説明は可能な限り簡素に済ませている。
「第一に、一央市全域をこのようにエリア分けし直し、避難計画を再編成する」
一央市は俯瞰すると円状の区画分けがされている。中世ヨーロッパにおける教会を中心とした放射状の構造と、日本らしい入り組んだ路地構造が複雑に入り交じったようなイメージを持ってもらえるとおおよそ近いものになると思われる。もっとも、都市の規模が大きいため地上にいるうちはそれを意識することはないだろう。
ギルバートは、この大まかな街の形状に従った上でエリアをAからKの11個に区分けし、うち5箇所のエリアにバツをつけた。
「G、H、I、J、Kエリアは重要施設がなく、避難所の機能も弱いため放棄する。これで当該区域の防衛に回していた人員を他エリアに合流させられる」
「し、しかしその地域の人口全てを近隣の別避難所に移すには相当な時間がかかると・・・」
「そこを急がせるのがギルドの手腕の見せ所ではないかな?今問題となっているのは魔法士の人口密度だろう。―――とはいえ、私も無理を言っている自覚はある。今はそれでも決断するしかない状況なのだよ」
ギルバートは放棄エリアの避難者受け入れ分担の草案を図上に矢印で示した。手段は大型の輸送車をフル回転させて、その間の警護には現在その地区を担当している一般の魔法士をあてがう。ただし、彼らの疲労も鑑みてギルドのレスキューチームから各地区に少数ずつ、現状最大の脅威となっている『ワイバーン』による空中からの奇襲に対応可能な戦力を追加する。ギルバートや浩二、黒川といった単独でも十分戦える者は1人、他は原則2名の配分となる。
「基本的にはこのプランで徹底的に防御を固めてもらいたい。ただし、魔族側の出方を窺っているのみでは急な戦況の変化に対応出来ない恐れが高い。また、戦闘の長期化も懸念される。直に陸自やIAMOからも戦力が到着するとは思うのだが、それを待つ間に一央市の防衛機能が壊滅しかねない。決定打を打たれる前に我々も動かねばなるまい」
いかに輸送技術が向上しても、一定の時間がかかってしまう。『特定指定危険種』が同時に多数出現した結果、一央市の魔法士たちの消耗は想定の倍以上となっている。モンスター出現頻度に対して被害が少ないことを驚かれる一央市を守る彼らでさえ、これほどの事態を経験したことなんてないのだ。
だから、狙うべきは短期決戦だ。再避難計画と平行してギルド側で魔界に突入させる小規模の強襲部隊を編成する。目的は敵の後方を掻き乱し、継戦能力を一時的に停止させることだ。現在一央市に送られてくるのはモンスターのみということを踏まえると、本部の機能は彼らの群れの制御に主眼を置いていると考えられる。したがって、これを叩くことが出来れば、魔界側は一旦撤退するしかなくなる。
「増援が来て作戦が妨げられては困るので電撃戦の得意な人員が好ましい。『門』への到達手段は既に手配しているが、最大人数は4人だ。向こうでは移動手段が確認出来ないため、移動能力の高さも優先して欲しい」
4人という極端な少数精鋭による敵の本丸に対しての電撃戦、そして移動能力―――ここまでの作戦内容の概要を聞いていれば、迅雷にも分かってしまった。なぜ、千影が謹慎処分を停止してまでこの場に呼ばれたのか、その理由が。
だが、そんなのは狂っている。無謀過ぎる。
最大4人、たったの4人、なんだ、それは。おかしいだろ。
「これじゃまるで―――」
「だからギルドに先に連絡して、ボクを呼び出したってことですかね?」
迅雷がギルバートになにかを言うより先に席を立って口を開いたのは、他でもない千影だった。
棘のある敬語口調を使い、千影は明らかに反抗的な姿勢を見せていた。しかし、ギルバートは臆面なく頷いた。その瞬間、迅雷は頬の筋肉が引きつるのを感じた。
「その通りだ。というより、このプランを実行するにあたって君以上に適した者がいるとも思えないのだよ」
「・・・そうですね、死んでも困らないコマといえば真っ先にボクらが上がるんでしょうね」
「お、おい、千影・・・」
「―――ごめんなさい」
迅雷の目を見て動揺を感じ、千影は席に座り直した。
死というワードが、千影の口から出た。死んでも困らないコマとは、一体どういう経緯をもって放たれた一言だったのか。温和に感じていたはずのギルバートの印象に陰りが差し始め、迅雷は恐れと共に、ゆっくりと千影の顔からギルバートの口元に視線を移した。
ギルバートは、この作戦に参加してくれる魔法士たちの安全を、どこまで考慮している?その決断に少しの躊躇もなかったのか?妖しく、柔らかく結ばれたままの口が再び開かれるのをじっと待つ。
不穏な沈黙が続いた後、ギルバートは小さく笑った。
「ふ。人聞きの悪いことを言うのはよしてくれたまえよ、チカゲ。私が今までそんな采配を採ったことがあったかい?」
「それは・・・ない、ですけど・・・」
「なら信じてくれ。私はね、チカゲ。君の能力を買っているんだ。今君に死なれては困るよ。是非無事に戻って来てくれよ」
「・・・・・・うん」
皮肉な敬語を諦めて、千影は一言そう答えたきり黙ってしまった。ギルバートは迅雷から向けられていた疑いの視線に気付いていたのか、彼にも弁明するのだった。
「君にも謝るよ。不安な思いをさせるね」
「俺は・・・反対です。だって、そんなのおかしいじゃないですか・・・?千影、なぁ、千影は、良いのか?」
「ボクは―――」
迅雷はまた、千影を見た。肩に手を置いて、目を真っ直ぐ見据えて、彼女が行きたくないと言ってくれるのを待つ。千影の口が「い」の形を取った。それなのに、ギルバートは口を挟む。
「チカゲにとっても悪い提案ではないんじゃあないかい?挽回するチャンスとして使ってくれて良いんだ」
「い・・・くよ。とっしー、ボク、やるよ」
「おい、千影・・・?本気か?本心なのか?」
千影は唇を噛んで、目を伏せた。
迅雷の中で、糸が軋むような鋭い感情が込み上げてくる。なんで、そんなに千影を追い詰めるようなことばかり、この世界にはあるんだ。
「なにが・・・・・・なにがチャンスだよ!!ギルバート・グリーンさん、アンタ汚いよ!!千影は―――!」
「まだ子供だから、かい?それとも深い理由があってやむを得ず、かい?もちろん話は聞くとも。彼女が幼いのも知っている。だがね、トシナリ、チカゲはランク4の魔法士だ。そのライセンスを持つだけの資格がある。その立場の自覚もある。力には責任が伴うのさ」
「・・・・・・ッ!!で、でも!もしものことがあったら元も子もないじゃないですか!千影はもう一度みんなの輪の中に入れるように一からやり直したかっただけなのに、こんな命の保証もないようなことなんてしなくたって良いじゃないですか!!それとも、アンタは千影を殺したいんですか!!」
「ふむ、チカゲはそう望んでいるのか。だが別にチカゲのしたことを具体的に知っている人間なんて一央市の魔法士の、その一部くらいだろう?今のこの一央市はそんなに居辛いか?」
「そうですけど・・・けど、だけど・・・そうじゃなくてッ―――」
話したいことがまとまらなくなってきて、迅雷は髪を掻き毟った。ギルバートの言ったことは的を射ている。道を歩けば誰も彼もが千影の顔を見た途端に踵を返すわけではない。
だとしたら、迅雷が千影と一緒に目指していたゴールは一体どこだったのだろうか。なにも言い返せない。このまま言い負かされる。言いくるめられる。好き勝手に千影の生存権が蹂躙されるのを、たかが言葉の拘束力だけで傍観を強要されるかのようだ。言葉を放とうと努力する口だけが空しくぱくぱくと、死に際で呼吸が弱って水面から顔を出す魚のようだ。
―――いや、今考えるべき話題はそこじゃない。どちらにしたって、この作戦で千影が死んでしまったら、死んで償えとでも言う気でも無い限り、贖罪の意味さえ成さないじゃないか。だから、他の誰かを代わりにしろと言うのではない。そもそも計画自体が埒外なのだ。敵陣に4人で切り込んで引っ掻き回して来いだなどと、じゃあもう素直に死んでこいと言ってみろという話だ。誰がそんな話に納得する?
「とっしー!」
だと、いうのに―――千影は昂ぶる迅雷の腰にしがみついた。彼を、押さえるために。
「大丈夫、大丈夫だから!」
「千・・・影」
「それにね、とっしー。ボク自身、この作戦にはボク以上に適任の人はいないと思う。君が思うより、ギルさんは現実的な話をしてるんだ」
「だから、千影は行っちゃうのかよ?たった4人で、魔界に?」
「―――うん。行くよ」
・・・俺を残して?
「なんだそりゃ・・・」
この戦いを終わらせるためだ。千影が決めたなら、迅雷はもう止めない。千影が活躍するのは、迅雷も嬉しい。
千影が、それでも、行くと言ったのなら。
迅雷はギルバートの青い瞳を真っ直ぐ見据えた。
「だったら、俺も行かせてください!」
「ノーだ」