episode6 sect42 ”見知らぬ来客”
一太の面倒を見てくれた男性職員は流れで昴についてくれた。
「うわっ。耳から血が出てる・・・。大丈夫なの?」
「聞こえないっす。右だけですけど」
「ひぃ・・・痛そう。でもごめん、鼓膜の再生はさすがに繊細すぎて無理だから諦めてね。まぁほら、自然に治るってどっかで聞いたことあるし・・・」
鼓膜を破ったことなんて今まであるわけないので、そんな話は昴も半信半疑だ。片方が全くの無音というのは気分が落ち着くほどにその恐怖を増していく。
水をもらって喉を潤して、やや深めの傷は魔法で表面だけ治してもらい、軽いのはガーゼと絆創膏で誤魔化して、ハイ終わり。想像していたよりもあっさりと終わったものだから昴は終始キョトンとしているくらいだった。もっとも、考えてもみれば1人に構っていられる時間なんて雀の涙ほどがちょうど良い現状だ。来るときにも様子を見ていた通りである。
「はい、じゃあもうアリーナの方行っちゃって!まだ少し空いてるはずだから」
「あー・・・はい」
アリーナといえば、いまは避難所だ。だからなにかと言われると、昴は若干答えに困る。なんだか今さら逃げる側になれと言われても複雑な気分なのだ。当然、街を襲う強大なモンスターと戦いたいなんて思っていない。休めるなら願ってもない。ないのだが、一央市ギルド最強パーティーである『山崎組』に加入した身としては―――と感じてしまう。
「感覚狂ってきてんな、俺」
勝てるワケがないだろう、と昴は自分に確認を取った。いや、本当に戦いたい、立ち向かいたいなんて願望は一切ないのだ。昴はそこまで愚かではない。むしろスマートに客観的に、出来る以上のことはやらないで最低限最高効率に生きていくタイプの人間だ。
気持ちを切り替え、昴はひとつ深呼吸をした。それから。
「ふ、ぁ、ぁぁぁ。あぁ、眠い」
これぞいつも通り。昴は大きな大きなあくびをして、避難所に移動する・・・前に、ちょっと気になってギルドの奥を覗いてみた。そちらの方でもせわしなく職員たちが行き来しているが、見たいのはそれではない。とはいえ、結局その姿もない。
「まだ終わんないか、そりゃそうだ」
一太絡みで思い出す。そういえば、リーダーの山崎貴志たちは今頃どうしているだろうか。彼らのことだから間違いなくこの荒れた街の中を駆け回っているとは思うが―――。
「っていやいや。俺が心配する必要ないっしょ」
昴は肩をすくめた。貴志なんて極限状態だったとはいえ例の5番ダンジョンでは『ゲゲイ・ゼラ』と渡り合ったとかいうくらいだ。昴はその『ゲゲイ・ゼラ』とやらの恐ろしさに実感が足りないが、今日感じた片鱗だけを鑑みても、それはすごいことなんだろうと思った。
まぁ、心配するだけならタダだ。新参者とはいえ仲間は仲間。安否を気にするくらいは上下関係もなにもあるまい。
そうとなれば、もう疲れた。空腹も限界だ。そしてなにより眠い。やっていられない。またあくびをして、昴は救護ブースを去りながら歩きスマホを始めた。
「うわぁ・・・ものっそい通知」
親と学校の連中だ。一体何人に生存報告をすれば良いのやら。昴は面倒臭さに肩を落とした。
●
「やれやれ、まったく諸先輩らはこういうときに備えようとは思わなかったのカネ?」
実験室の片付けがある程度済んで、エジソンは額の汗を拭った。仲間たちもみんな肉体労働は苦手な方だったので、まるで怪物退治でも成し遂げた後のようだ。
「落ち着いたら耐震グッズを揃えておかないといけないかもしれないね」
「かも、じゃなく絶対ダヨ」
揺れる度にこれでは手に負えないと、小泉知子の意見をエジソンは押し上げた。可能なら次なる余震が来る前に済ませてしまいたいくらいだ。もちろん、どこのホームセンターも営業どころではないはずだから無茶な望みだが。
「おい、あんまりここにいると危ないし、アリーナの方に行くよ。外の、聞いてただろ?」
2年の先輩たちがエジソンと知子を呼ぶが、エジソンはそれを拒否した。
「人混みは苦手なんダヨ。僕はここに残る」
「えぇ!?いや、なに言ってるのエジソン君!?」
「聞こえなかったのカネ?」
「聞こえてるけど!?」
さすがにそんな願いは聞いてやれないので、知子と先輩たちは無理矢理にでも彼を連れて行こうとし始めた。エジソンはエジソンでなんとかその手から逃れようとチョコマカしたのだが、結局白衣の裾を掴まれて転び、そのまま引きずられて行く羽目に。
「な、なにをする!!人をこんなぞんざいに扱って君たちは心が痛まんのカネ!?」
「焔先輩を人間ロケットにした挙げ句校舎に激突させて血まみれにしても少しも反省の色を見せなかった人が言うこととは思えないわ」
直接的に指摘されてもなおエジソンは気にする様子もない。まったく将来が思いやられる。
今日も改良後の魔力感応制御ジェットパックの実験予定だったのだが、よく煌熾もそれを承諾したものだ。知子ならトラウマになっているところだ。それこそジェットパックを背負っただけでPTSDを発症するかもしれない。
そして、結局まだ碌に試せていない改良品は実験室に置かれたままである。エジソンが気にしているのもそれだろう。
実験棟の出口に差し掛かり、エジソンはさらに慌て始めた。
「待ちたまえヨ!そこ階段なんダガ!?」
「角に頭を打ちたくないなら立って歩きなさい」
「わ、分かったから手を放すンダ!」
「はい」
エジソンはあっという間に埃まみれになってしまった白衣を必死に手で払い、それから―――。
「待ちなさい」
「さ、先に用を足しておくだけだから君たちは先に行ってくれたマエ」
「あ、トイレ?じゃあ俺も」
「そうだな」
女子の知子に代わり、先輩2人がニコニコ笑顔でエジソンの隣に並んだ。サンドイッチにされたエジソンは青い顔をする。
「あ、あぁでも水が流れないかもしれないネ。では君たちは先にトイレへ行ってくれたマエ。僕がバケツで必要な分の水を用意するヨ」
見え見えの嘘に引っかかるはずがない。まずは挙動不審なところから直さないと人を騙すことなんてできっこないのだ。知子がエジソンの白衣を掴んだ。
「エジソン君、いい加減諦めてついてきなさい」
「や、やめるンダ!だから白衣を掴むんじゃあないヨ!」
「仕方ないでしょ!」
「よう、元気してっとこ悪いんだけど」
「なんダネ!」
「なんですか!?」
か弱い女子に組み敷かれたエジソンに声をかける男が現れた。ビックリした知子とエジソンはその男を見上げる。
夏用の薄手のトレーナーとチノパンの、アラサーに見える男だ。眼鏡が少し頭の良い雰囲気を出しているが、全体的にはラフな性格に見える。
知子は慌てて居佇まいを直して男に向かい直った。エジソンは態度を気にしないので、また白衣の汚れを見て溜息を吐いている。
「な、なにか御用でしょうか・・・?」
「まぁね。もしかして、君、小泉知子さん?『高総戦』見てたよ?あのロボはなかなかすごかったじゃないか」
「そ、そんなっ、ありがとうござます!こんな地味な私のこと覚えててくれる人がいたなんて!・・・あ、でも『エグゾー』を作ったのはほとんどこっちのエジソン君でしてっ、私はっ!?」
慣れないことが起きて知子はあたふたしている。男は知子が紹介した背の低い眼鏡の少年の方を見た。興味深そうな目だ。
「ふーん・・・そうなの。やぁ、発明王君」
握手を求められ、エジソンは面倒そうに応じる。
「それで君、僕たちに一体なんの用カネ?避難所が分からないというなら、向こうのアリーナに行けば良いガネ」
「ちょっとエジソン君、君だなんて失礼でしょ!あーもうすみません、すみませんっ!この人本当に誰に対しても無礼で・・・」
知子が謝ると男は苦笑した。気にはしていないようだ。彼はよしてくれ、と手のひらを見せた。
「用っていうのはそっちじゃなくてな、ここがマンティオ学園の実験棟?」
「そうダガ、一般公開なら学園祭のときに来てくれたまえヨ。それとも火事場泥棒カネ?」
「おいおい厳しいな・・・。まぁ当たらずも遠からず、か。実はな、俺、ちょっと作りたいものがあるんだよ。場所を貸して欲しいんだな、要は」
「・・・、実験棟は電源が復旧していないヨ」
「大丈夫、電源は連れて来てるから」
男は校門のあたりで暇そうにしている紺色の髪の青年を指差した。まぁ、電源の話はエジソンの嘘だったのだが。自分たちの技術の粋が眠る聖域に部外者を入れたくないのだ。
とはいえ、男も引き下がる様子はない。なにか役に立つ防災アイテムでも用意するのだろうか。エジソンも渋々首を縦に振った。ならばせめてこの男を実験棟に籠もるための口実にしてしまえ、という考えだ。
「分かったヨ。ただし、僕にも手伝わせてもらうヨ。君は勝手が分からないだろうからネ」