episode6 sect41 ”日下・安達班、安全確保”
「ふむふむ・・・ほう、ふむ・・・よし、なるほどな」
ルシフェルからの助言の内容を覚えたアスモは小声で要点だけ復唱してから頷き、貴族たちに視線を戻した。
「王国に前哨戦を任せるに至った考えだが、3つある。ひとつはさっきの話にもどるが王国の兵力が十分に人間の抵抗を凌駕すると判断したからだな。今はどうも劣勢のようだが皇国が支援をしたのは『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』のみだ。あれの力を過信した騎士団長の責任だろうよ」
「あぁるいは人間の力を過信したのではぁ?」
「それはないな。バオース候なら分かると思うのだが」
「ふむぅ」
「まぁ、最悪、王国騎士団が直接戦闘に介入すれば万が一にも敗北はあるまい」
どこか棒読みなアスモの反論にジャルダは押し黙る。これもどうせルシフェル・ウェネジアの意見だろうが、故に正論でもある。思いの外強い抵抗を見せる人間ではあるが、騎士団は精鋭揃いと聞いている。
「ふたつ目だがな、妾は王国の魔獣調教のノウハウに目を着けたのだ。あそこまでのものは皇国にはない。もちろん他国にも。だからこの機会に王国とは仲良くしておこうと思うたのだ」
「恩を売っておいて損はない、と」
「協調して、だな。まぁ端から見ればそういうことになるのだろうが。それにみなも王国の特産品は好みじゃないのか?最近はあまり手に入らないから悶々としていたようじゃないか。この戦で父上とあちらの国王様がまた盃を酌み交わす仲になれば、きっと欲しい時に欲しいだけ安く手に入れられるようになるぞ?まぁ価値をつけるためには安くする必要はないかもしれんがな」
アスモの無邪気な口調から放たれた「特産品」に、特に男性貴族どもが絶妙な反応を示した。
やれやれ、とジャルダは肩をすくめた。念のためというか、ジャルダはアスモをたしなめた。
「ところでぇ姫様、特産品がなぁにかご存じで?」
「なんだ、妾を馬鹿にしているのか?それくらいは勉強したぞ。特産品は特産品だろうが。果実酒とか、あぁ、あとは石彫りの彫刻像も美しいな。妾も部屋に飾っておるが、3つ4つと手に入れられるようなものではないな」
「そ、そうですなぁ、えぇ、えぇ」
1人勝手に納得するジャルダ。少し食い違いを感じたのかなんなのか、アスモは男どもの様子を見てキョトンと首を傾げた。
ルシフェルの咳払いで貴族たちは緩みかけた姿勢を元に戻した。アスモは話を続ける。
「最後は王国騎士団長の受け売りになるが、魔獣兵のみで強力な魔法士を多数擁する一央市を陥落せしめることで圧倒的な優位性を見せつけ、敵の戦意を削ごうというものでな。確かに、とは思わんか?少なくとも単体で脅威になり得る怪物の大群を指先一つで自在に操れる者が敵と分かれば妾は軍を退かせ降伏するが」
「でぇすがぁ、それでこの有様ですぞ」
「ふむ、そこを突かれると痛いなぁ・・・」
理論通りに事が進めば戦争の早期終結さえ現実的な話だが、多くの貴族たちの意見はジャルダの一言に凝縮されていた。縮こまるアスモを見て味を占めたのか、ジャルダは机上に身を乗り出すような姿勢になる。
だが、ジャルダがなにか言う前にルシフェルが発言を遮った。
「バオース候はやや気を急いておられるのですかな?なにも王国の魔獣兵は『ワイバーン』だけではありますまい」
「そ、そうだが・・・」
「まだなにか心配な点がございますかな?」
初戦の勝敗が重要だ。ルシフェルの発言の後も渋い顔をする貴族たちは少なくなかった。だが、提示された利益に彼らは沈黙を選んでいた。そもそも、士気の話を別にすればこの戦いで敗北したところで戦局を巻き返すのは困難ではないという考えが、この部屋の中には最初からあったのも否めない。
元より、最終的に魔界が人間界に後れを取るようなことは事実的にあり得ない。もっと言えば、その敗北する可能性の芽を摘んでしまおうという戦争だ。だから貴族たちは祝宴がいかに華やぐか、リターンの大きさを最優先している。
アスモの隣で、ルシフェルは静かに口の端を歪めた。それはそれは愉快げに。
●
汗すら涸れて息を荒げ、どれほどの距離と時間を歩いたのかも分からない。ただとにかく、深手を負った日下一太と互いに肩を貸し合って、安達昴は一央市ギルドの前に立っていた。
「着いた・・・のか?」
「あぁ、着いたぞ!」
―――助かった。・・・いや、正直実感がない。今はただグラス1杯の飲み水が欲しいだけだ。
一太についてきた魔法士たちの安堵の吐息がさざ波となって昴の左耳をくすぐった。
いかにモンスターの出現件数が桁違いに多い一央市でも、命の危機を感じて生還した経験のある魔法士なんて2割が良いところだ。なにかよく分からないが、とにかく黒くて大きくて恐ろしくて強大な怪物の脅威が去った。それだけで彼らが緊張を解く理由には十分なのではないだろうか。
「見ろ、救護ブースがあるらしいぞ!あと少しだ、頑張れ!」
「頑張るのは日下さんでしょ・・・」
昴なんてボロボロに見えて重傷は右耳の鼓膜だけだ。背面丸ごと水蒸気爆発で精肉済みな上にそこかしこ血まみれで目も当てられないことになっている一太は、昴に肩なんて貸していないで我先にとブースに駆け込んでくれても構わないのに。
ガラス越しに見えるいつものギルドロビーは一面ブルーシートが敷かれ、軽傷者が手当を受けている。奥へ運ばれていくのは重傷者か。どこを見ても救急車がいないということは病院の受け入れ体勢が不完全なのか、消防の手が回らないのかのどちらかだろう。
手動になった自動ドアを昴と一太は協力して開いた。すぐにギルドの医務班が2人と、それに続く多数の魔法士の手当を開始した。半ば流れ作業で治療を行っているというか、てんてこ舞いでもまだ表現が追いつかないくらいには怪我人がごった返していた。
一太は着ている意味を感じないほどボロボロの上着を脱がされながら、介抱してくれる男性に笑って話しかけた。しかし当然というか、男性はギョッとしている。
「ありがとう、非常に助かる!」
「こ、こんな酷いケガでよく笑ってられますね!?痛くないの!?うーむ・・・さすが『山崎組』なだけはあるというか・・・いや、やっぱ異常ですよ日下さん。神経まで常人離れしてるのは病気ですって。とにかく奥で治療受けてくださいね!」
「あ!その前に頼みが!増援が出せないかレスキューの方に掛け合ってみてくれないか!デカい蛇の後は『ゲゲイ・ゼラ』が出た!放置出来んぞ!」
そのうちギルドにまでやって来るかもしれない。もしそうなれば、ここももはや安全とはいかなくなる。しかし、ギルドの男性職員は少し緊張の足りない様子で頭を掻いた。
「いや、それがどうも移動したらしくて・・・その後しばらくしてから反応がロストしてるんです」
「な、なに!『ゲゲイ・ゼラ』がか!たまげた!すごい人もいたもんだ!」
「あぁもう立ち止まらないで!だから安心して手当受けてくださいね!」
一太が興奮すると傷口から分かりやすく血が噴いた。見ていて男性職員は顔を青くする。のんびりな一太の背中・・・は下手に触れないのでケツの少し上あたりを押して急かしながら、彼は一太が気にしていることを説明してやった。
「その時刻は同地点で特殊な魔力反応があったようで・・・僕はよく分からないんですが、恐らくその魔力源が原因なんじゃないかって」
「そうか・・・」
「日下さん?」
「いや!なんでもない!世の中とんでもないヤツもいるもんだなって思ったんだ!」
「とんでもないのはあなたもですけどね」
いい加減さっさと行ってしまえ、と急かされて一太は笑いながら別の職員に廊下を案内されていった。まったく、笑いながら失血されたらこっちが笑えない。男性職員は大きな溜息を吐いた。
一太は別れ際に昴にも手を振った。
「じゃ、じゃあ安達君すまん!俺はちょっと奥で診てもらうことになったからな!」
「あ、はい。なんていうかお大事に」
昴も、手は振らないが、一太のことはしっかりと見送った。ちゃんと、彼が廊下の角を曲がるまで。