episode6 sect40 ”これは前哨戦でなければならぬ戦なのだ”
人間界での声明を終え、魔界に帰還したアルエルを待っていたのは思いもせぬ報告だった。
「なに!?あ、あのロドスが既に3体も討伐された・・・だと・・・?」
一央市に8体の『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』を同時に放ったのは、ほんの1時間と少し前程度の出来事だ。もっと時間が経っていれば、あるいはまだ分かる話だ。しかし、こればかりは明らかに異常な対応の早さである。
「どういうことなのだ。ロドスの力は・・・アレを使えばたちまちのうちに容易く一央市の戦力の4割以上を壊滅させられると―――」
「いえ、実際に残りの5頭は期待通りの戦いをしているのですが・・・中心部に送った個体が想定より早く倒されてしまったようです・・・」
ギルド及びマンティオ学園の二大拠点には特に強力な個体を集中して向かわせたはずだ。倒されることもあり得なくはないパターンとして想定してはいたが、アルエルから見ても『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』は非常に強大な生物だった。例え倒されるとしても、引き替えにギルドかマンティオ学園の片方は機能停止すると踏んでいたほどには。
いよいよ敵戦力を見誤った可能性が濃くなり始めた。所詮は人間、優れた魔法士といえど直接戦闘力では魔族に遠く及ばない者がほとんどで脅威となるのは技術力だけ―――。それが、どうしたことか。アルエル不在の間に司令部にまで焦りの色が滲んでいた。
「アスモ様の見立てとは違うではないか・・・!いや・・・アスモ様ではなくあの摂政が人間の力を過小評価していたということになるのか―――」
そう、今回送り込んだ『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』は全て皇国が飼育した個体だ。というよりも、『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』の生育技術自体、皇国が開発、独占している分野だ。《ニーヴェルン・ラ・シム》に生息する原種の個体でさえ時に魔族の兵士を脅かすことがあるのだから、この改良品種の脅威度は知られたもので、兵器運用において8体も貸し与えられた時点でアルエル自身、一方的な勝利を確信していた。そのはずなのに。
皇国の姫君の摂政を務めるルシフェルという若い男のことを思い出し、アルエルは舌打ちをした。皇国軍の将軍の1人でもあるらしいが、アルエルは将としてのルシフェルの活躍はほとんど知らないのだ。会ってみれば長身で細身な男であったが、生半可な知恵者だとしてもあれに軍事が分かるものか。
「いいや、あの戦力を見て傲ったのは私もか・・・」
「団長、これはイレギュラーな存在があると考えるのが妥当かと」
参謀のネテリは、人間側戦力が全体的に予想より高いのではなく特異的な存在が少数存在しているのだと言う。いや、その意見であれば作戦を練る段階でも考えていたことだが、すなわち常識の範囲外のさらに範囲外と言うべき異常個体の存在の示唆である。
「イレギュラー・・・そんな馬鹿な。今あの街にはあの・・・えっと、名前はなんだったか?ネテリ」
「ミシロハヤセだったかと」
「そうそれ。あの摂政は『奴』だけは警戒しろと言っていたが、まさかその『奴』が戻ったのか?」
「それは・・・私にも分かりかねます」
普段はアルエルの疑問であればいつでもどんなものでも自信を持って応えるネテリが、今日は言葉尻を掠れさせていた。
アルエルは帰還したばかりだったが、よもやこの事態は放置出来ないと思い踵を返した。
「だ、団長?どちらへ?」
「お前なら分かるだろう。私が直接『奴』を下す」
「な、なりません!団長自ら最序盤に前線に立たれるなど!それにその不測要素がミシロハヤセと決まった訳ではないのですから!」
「そうではなかったとしても構わん!いずれにせよ魔獣どもでは勝てぬ相手なのは明白―――失態の埋め合わせをするのは将の務めだ!」
「ダメですッ!」
ネテリが声を荒げ、アルエルは黙らされた。
しばらく沈黙が続いて、ネテリがなにか思いついたようにぽつりと呟いた。
「『アグナロス』を使いましょう」
「・・・なに?今なんと言った、ネテリ」
「『アグナロス』を、使いましょう」
「ネテリ、正気か?あの竜は国防の要、王国の守護竜だぞ!最後の砦だろう・・・!」
「いいえ、最後の砦はあなたです。それに、『アグナロス』ならここまでに取った遅れなどすぐにでも挽回してくれるはずです」
―――1日で一央市を陥落させ、反撃の隙を与えず続けて日本のもうひとつの『高濃度魔力地帯』、二央市を攻め、小さな島国ひとつを占領する。
これが当初の予定だ。向こうにおける日没前後には一央市に降伏を迫りたいのが現状。アルエルは唸った。『アグナロス』は過剰戦力だ。戦にも順序はある。
だが、きっとネテリは正しい。一央市を魔族の兵を用いず圧倒するのは重要だ。恐ろしい魔獣を手足のように扱う魔族に対する畏怖を植え付け、抵抗の意思を削ぐこともこの”前哨戦”に与えられたひとつの目的だ。眼前の絶望よりさらに絶対的な存在を、しかも多数仄めかせばまず人の心など折れる。
「・・・分かった。『アグナロス』を出す。準備が出来次第すぐにだ。繋ぎの戦力として『ワイバーン』を等間隔で5匹ずつ常に一央市へ送り続けろ。なんとしても反撃だけは許すな」
「承知しました」
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「どぉぉうも戦局が芳しくないようですなぁ。姫様、恐れながらお訊ねしますが、んなぁぁぜ王国などに此度の先鋒を一任されたのですかぁ?皇国の兵力であればぁ、あのような小さな街ひとつ落とすことなど・・・」
「それはだなぁ・・・なぜと問われても困るな・・・。是非やらせて欲しいと強く迫られて追い返すことも出来ず」
「そぉんなぁ、いささか浅はかじゃぁぁありませんかねぇ?」
皇国の王城では皇国各地から有力貴族が集い、王国による一央市侵攻作戦の経過が見守られていた。
顔に古い傷痕をいくつも残す強面の侯爵はしわがれた声を頓狂に使って、皇国の魔姫と呼ばれる美しい闇色の髪の少女を問い詰める。
「だって仕方ないだろうが。それに王国も全盛期に及ばぬとはいえ依然魔界屈指の軍大国なのだろう?騎士たちの激励に妾が赴いたときもみな良い顔をしておったし・・・」
「だぁから、それが浅はかだったというぅのです。こんなことで貴重な『ロドス』を8体も失えばぁ皇国まで大損ですぞ?やはり魔界最大の国家として・・・」
「バオース候」
「ウェネジア殿・・・」
魔姫などと呼ばれていようがアスモは為政者としてはあまりに幼く、年相応に目を潤ませて「うー」と唸っている。主人を早口に責め立てるジャルダ・バオース候をルシフェル・ウェネジアは制止した。
ただまぁ、ジャルダの言い分も間違ってはいない。七十二帝騎の存在を初めとして確かに皇国の軍事力は王国に勝るようになった。総合的に国力に優れる皇国は今や魔界を代表することを許された国と言って良い。此度の宣戦布告も皇帝か、あるいは魔姫自らが行って然るべきだったという主張は大いに正当性を持つ。
・・・が、ルシフェルはアスモの判断を補足した。そも、これはアスモの摂政たる彼の判断であるのだから当然だ。
「なにも場の勢いだけで事を判断されるほど姫様は幼くありません。考えた末に皇国はその役目を王国に預けたのですから」
「んなるほどぉ、でぇは聞かせて頂けますかな?その考えとやらを、姫様」
やや話が逸れるが、皇国の政界は皇帝派と魔姫派、あるいはそのどちらにも属さぬ貴族派に大別される。貴族派であり私兵を持つジャルダは自分の力をアピールしたいという思いがある故に今回の采配を快く思わいないのだろう。
無知な子供を嘲るような目でアスモを見て、ジャルダは問いただす。アスモは困惑したように肩を震わせてから傍らに控えたルシフェルをチラリと見る。
「ル、ルー・・・」
ルシフェルはアスモの求めに応じたのか、彼女の耳元でなにかを囁いた。
アスモは幼い。そう、幼い。考えが至らない。つまり今の彼女は摂政ルシフェルの考えを耳から取り込んで口から吐き出すだけの傀儡に過ぎない。魔姫派はすなわち摂政派と同義だ。
ルシフェルがアスモに言葉を囁く光景に向けられる貴族たちの視線は嫌悪、期待、呆れ、様々だ。
しかしながら、ルシフェルが囁く中で一部の者たちは納得する素振りを見せた。なにかしらの方法でその内容を聞ける能力の持ち主たちだ。ジャルダは姫のありようこそ気に入らないものの、話の内容には期待を持ち直した。